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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第2章「焔ヶ坂山険道中」
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第33話「血に飢えた妖怪」

 空高くから地を見下すも、やはり奴らはどこにも見当たらない。不得手な感知も一応試みたが、奴らどころか小妖怪の一匹すらいないようだ。肌に刺す感覚を全く感じない。


「クソ、クソクソクソ……!」


 どうする……⁉︎ 探すにしても当てなどない。私だけが焔ヶ坂山に行っても何の意味もないし、そもそも細かい場所まで聞いてない。


 いや、まず私の命はどうなる? 仮に鱗士の飛ばされた場所がどこぞの空高くだったりすれば、その時点で私は終わりだぞ⁉︎ 今はまだ大丈夫なようだが、これではいつ爆発するか分からぬ爆弾が脳味噌に埋め込まれたようなものだ。


 とにかくどうにかして鱗士を探さなくては。ああ全く世話の焼ける……!


 焦りを必死に沈めながら、翼を大きくはためかせた。







 地べたから立ち上がり、森の方を見据える。感じる妖気の中には、やはり特別強いものはいないようだ。どう見積もってもさっきと同レベルだろう。

 だが同時に、さっきと同じ違和感が頭に引っかかった。


 妖気の質がおかしい。さっきはほんの少しだったからあまり気にしていなかったが、今近くにいる奴らと対峙して疑惑が増した。あの黒マントも含めて、同じ異物が混ざってるような不自然さが感じられるのだ。


 痣に左手を添え、呼吸を整える。

 異物に意識を集中させろ。これは何だ。


「……っ」


 思わず顔をしかめた。ドロドロとしていて生臭い……。黒マントのは見た目が、という意味だったがこれは違う。

 この異物——謎の妖気のへばり付くような質は、地獄の血の池を連想させた。


「ハァァあアァァぁーーー……」

「グェグェグェヘヘッ」

「ウブ……オオォ……!」

「ブブブブブブブブ」


 呻き声とも叫び声とも似つかない、もはや声とも形容しづらい異様な音が響き渡る。妖怪が発したにしても普通じゃない。


 妖気の孕む殺意が、一層強まった。


「来るか!」


 木々の隙間から塊状の妖怪が突っ込んできたのを、横に飛び退いて躱す。塊は後方五メートル程の位置に思い切り衝突し、激しい衝撃音と砂埃をまき散らした。

 それを合図としたかのように、森の方から妖気の主たちがわらわらと姿を現し始める。数は合計で五。姿は様々で統一性はない。


 ただ一点……真っ赤なアリの巣のような血管が浮き出す、悍しいほどに血走った目を除いては。


「お前ら【憎】の妖怪か? 目的は?」


 右手首から鎖を垂らし、臨戦態勢をとりながら一応問いかける。答えは期待していなかった。というか、答えられる理性があるのか分からない。この目は正常な奴に出来る目じゃない。


「ち…………チ……」

「? 何だって?」

「血ィィィィが欲しいんだよぉぉぉぉぉオオオ‼︎‼︎」


 着物を着た大男風の妖怪が、全身を痙攣させながら飛びかかってきた。同時に背後で何かが蠢く気配を感じ、俺は再び横向きに跳んだ。

 直後、メキメキバキバキという耳障りな音が大気を揺らす。さっきまで俺がいた位置で、大男と塊が正面衝突していた。双方が不自然に体を曲げ、全身から血を吹き出す。


 思わず息を飲んだ。両方とも力のセーブなしに……自分の安全を度外視して突っ込んできてる。やっぱりコイツら全員普通じゃない。


「血がないと……血が欲しい! 血が飲みたい‼︎」


『血』という言葉がやたらと飛び出す。全員口からよだれを垂らし、体を小刻みに震わせながら迫るその光景は、ただただ狂気的だった。


「意味分からん上、言葉も通じないか」


 何をどうすればそんなに血に飢えられるんだ? 悪意ある妖怪なんて大抵理解出来ないが、コイツらはいくら何でも——


「…………」


 血。

 奴らの中に巣食う血のような妖気。

 様子のおかしい妖怪たち。

 刹那、俺の中で嫌な予想が浮かび上がった。


「ァァァァァァァッ‼︎」


 絶叫しながら飛びかかってくる妖怪たち。その様には思考も何もあったもんじゃなかった。難なく躱し、そして互いに衝突し合う。自分たちの手で、自分たちが滅茶苦茶に傷ついていく。


「オイ」

「ハハハハ! 血のために! 俺たちに血を……!」

「足りないんだまだ! もっと!」

「オイ……!」


 聞く耳持たず、また真っ直ぐ同時に二匹が突っ込んで来る。躱す。肉体が壊れる嫌な音。

 再び考えなしに、複数が同時に飛び掛かってくる。それも躱す。生々しく耳障りな衝突音がまたしても響く。


 もし予想通りならという懸念が後押しし、いい加減見ていられなくなった。


「オイって! もう止まれよお前ら!」

「止まれ? 何故だ⁉︎」

「それじゃあ血が貰えねえッ‼︎」


 錯乱したような叫びが輪唱のように響く。

 俺の言葉は届かない。


「……なら強引にでもまずは止めるぞ」


 手を横に出し、鎖を長く伸ばす。


「一気に来いよ。お前ら程度一匹二匹じゃ、どうやっても俺に勝てる訳ないだろ」


 挑発的にそう吐き捨てた。普通こんなのに乗るような奴は、俺の知る限り一人だけだ。だが理性を碌に保ててない奴相手なら、そんな安い言葉でも十分だろう。


「ウググググ……」

「言ったな? 言いいやがったなぁ⁉︎」

「乾くぅぅ! 早く血を飲まねえとぉおお‼︎」


 叫びながら、妖怪たちは俺を囲うようにして動き始める。既にボロボロの身を引きずり、血の跡を残しながらのその様子は凄まじく痛々しい。

 でも完璧だ。言ってもないのに囲んでくれるのか。一方向から走ってきても良かったが、やりやすいよう動いてくれるならそれでいい。


「血をををおおおおおおおおおおおおおおおおッ‼︎‼︎」


 最大級の絶叫五つが反響する。そして中心の俺へと、やはり一直線に同時に突っ込んできた。

 空間がぶれそうな程の猛スピードで、全方向からの襲撃。さっきまでと違い、横に飛び退く事は出来ない。ならどうするか。


 上へ行けばいい。


 地面を蹴り、上へと思い切り跳ぶ。そのタイミングで、掴んだ鎖に霊気を流した。

 両端を引っ張ったように鎖が張り、その形を維持する。さながら錘を支点とした鉄柱のようになり、俺は逆立ち状態で更に上へと押し上げられた。


 奴らの突っ込む場所に、既に俺はいない。だが止まりはしない。さっきまでと同じだ。だがこの後は同じにさせない。


 錘部分に霊気を集中させ、小さなドーム状に広げた。そこに五匹が同時に突っ込み……。

 低反発クッションにでもぶつかったように、ズブリと霊気のドームに身を沈めた。


「よしっ!」


 霊気の質のコントロール……割と苦手だったが上手くいったらしい。

 血走った五匹の目に少し動揺が走る。これまでなかったパターンに、流石に驚いたようだ。お陰で大きな隙が生まれた。


 鎖の形状固定を解く。手首から更に長く伸ばし、大きく腕を振るう。鎖は五匹を中心に円を作り、直径を一瞬で収束させた。その上から更に鎖を何重にも巡らせる。


「ぬあぁ⁉︎」

「うげおおおッ!」


 十分に巻きついたところで、俺はソイツらの横に着地した。五匹は身を寄せ合わされ、鎖でグルグルに巻かれた状態だ。もう身動きは取れないだろう。


「クソッ‼︎ 血が! 血がァァああ‼︎」

「ゲブブブガガガゲォ」

「ダメだダメだ血をくれ! 乾く! 血をくれぇ‼︎」


 慈悲を乞う風にも見える悍しい叫び声。俺は一度息を吐き、なるべく落ち着いて問いかけた。


「答えられる奴がいたら答えろ。お前らを俺にけしかけた奴は……。お前らに変な妖気を植え付けた奴はどこにいる?」

「知るかぁぁ‼︎ 近くの退魔師を殺せと言われた! だから殺させろよォォォォォォッ‼︎」

「ソイツに何か言われた事は?」

「もし……もし殺せたらマた『血』をくれるって」


 五匹は毛細血管が切れそうな程に目を充血させて喚き散らす。


 まずい……。

 予想が当たりそうだ。


「【憎】って何だか分かるか?」

「訳分かんねえ事聞くなァ‼︎」

「あの血を……あの血をもっとくれェ‼︎ あの快感をもっと俺にくれッ‼︎」


 全身の血管までもが浮かび上がり始める。喚き方にも拍車がかかってゆく。


「……その『血』ってのはどんなものだ?」

「あれを、飲むとすげえんだ!」

「初めはよ……お、体中がメチャクチャに張り裂けそうだったってのによお! 何度も何度も貰う内に気持ち良くなってぇーー!」


 浮き出た血管の一部が裂けた。針を刺した水袋のように、血が細い線を描いて吹き出す。


「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ‼︎‼︎⁉︎」

「何……⁉︎」


 それを引き金にして、異常な大音量の金切り声が鼓膜を劈いた。あまりの怪音波に体が危険信号を出して、反射的に大きく下がって耳を塞ぐ。それでも脳を揺さ振られているみたいな気持ち悪さに酔いそうになる。汗腺から嫌な汗が流れ始めた。


 叫び声を上げるその形相は、最早この世のものとは思えなかった。存在し得ない苦痛が一気に襲いかかったかのような。


「え! …………な……………‼︎⁉︎ よ、ず……み…………」


 辛うじて悲鳴からそう聞きとれた。と同時に、五匹の体に赤い亀裂が入り、全身が叩きつけられたトマトのように破裂した。


「っ⁉︎」


 肉片と内臓と血が四散して荒地を汚す。同時に撒き散った死肉の匂いが鼻を抉り、吐き気を掻き立てる。あまりに凄惨なその様に、俺は呆然と立ち尽くしてしまった。


「マジかよ……」


 下がった事が幸いして、俺は血肉を浴びずに済んだ。だが嫌悪感が全身を包んだ。


 今の奴らの言葉が正しいとすれば……。

 アイツらは【憎】と関係のないただの妖怪で、捨て駒。俺たちを狙う奴に妖気を植え付けられて。逃れられないようにして。いいように利用した挙句、最期にはこんな捨て方……。


「ふざけんな……。ふざけんなよッ‼︎」


 怒りがみなぎった。震える拳を強く、硬く握り締める。


「どこにいる⁉︎ コソコソすんな‼︎ 殺したいなら出てこいよッ‼︎」


 肺の空気を使い切って叫ぶも、その声は虚しく空に飲み込まれた。

【憎】はこんな風に命を踏みにじるのか……? 狂狸だけじゃない……コイツらはこの世にいていい存在じゃない。そう心に刻み付けられた。







「役立たず。もう用済み(・・・)よ。苦しみ足掻いて死ね」


 降り立った地で、虎乃は近くにとある妖気を探知した。まるで血のようにドロドロで生臭い、心を侵食するような強い妖気を。

 並の妖怪じゃない。【憎】という組織において、高い位置にいる存在かもしれない。そう考え真っ直ぐその方向へ進んだ。


 そうして辿り着いた雑木林の中で、彼女は小岩に腰掛けていた。

 髪は肩の高さまで伸びた緑色。頭には獣の耳。ユラユラと動く尻尾。肉食獣に似た鋭い瞳孔。身に纏うのは普通とは違う見た目の、特徴的な巫女服。加虐心に満ちた表情と台詞を除けば、美少女と言えただろう。


 警戒心を研ぎ澄ませつつ、虎乃は妖怪に問いかける。


「お嬢ちゃん……って呼んでもええんか?」

「……ああごめんなさい。ゴミ掃除してて気付かなかったわ」


 鈴が鳴るような幼げな声で妖怪は笑い、小岩から飛び降りて虎乃を睨んだ。

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