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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第2章「焔ヶ坂山険道中」
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第32話「散り散り」

 肩で息をしながら、山の麓で立ち尽くす。

 全身に巻かれた包帯に、マントのように纏った黒い布切れ。特徴的なその姿は、あの時狂狸が引き連れていたものと全く同じだった。


『——僕ら【憎】は動き始めた』


 虫酸の走る声が脳内に再生される。そうであれと思いはしたが、まさか本当にコイツがいるなんて。

 それはつまり、【憎】という組織が今の襲撃に関与しているという事になる。


 正直言って、願ったり叶ったりだ。現状何の手がかりもない【憎】だが、コイツを調べれば得られるものがあるかもしれない。余程弱っているのか死んだのか知らないが、痣の疼きがない今は絶好のチャンスだ。


 一方、無視出来ない疑問もある。

 何故【憎】は、こんな所で俺たちを襲ったのか。


「ふむ、一撃だな」

「遅かったな氷凰」

「貴様が無駄に焦ってただけだ」


 上空から翼をはためかせながら、氷凰が俺の隣に降りてきた。敵を仕留めた満足感からか、少し口元が緩んでいる。俺の軽口をいなした辺り、まあまあご満悦らしい。


「なあ……コイツ、何で来たと思う?」

「決まってるだろたわけ。愚かにも私たちを殺すつもりだったのだ」

「それは大前提だ。何でわざわざ、今になってこんな所で殺しに来たのかって聞いてんだよ」

「……さあ」


 うん、龍臣と虎乃待つか。そんでその間、俺一人で仮説の一つでも考えてみよう。


「…………」


 そもそも俺たちを殺したいのなら、最優先だかの黒禍を安全な場所に運んだ後でどうとでも出来た筈だ。悔しいが、狂狸なら簡単だっただろう。だがそうはしなかった。多分、俺たちを殺す必要性は薄いと思われてるんだろう。


 つまりこの襲撃の理由は、「俺たちだから」じゃないかもしれない。なら何故狙われた? 標的になるような行動をとったから……?


「…………」


 俺たちは何をしようとしていた?

 焔ヶ坂山に向かっていた。

【憎】は焔ヶ坂山に誰かが来るのが不都合……?

 その理由は?


 奴らの目的は——


「! ひょっとして」

「?」


 あくまで仮説だ。自分じゃそんなに冴えてると思わない。だがもしそうだとしたら。


「どうした、神妙な面して」

「早く虎乃たちに——」


 振り返り、二人のもとへ走ろうとした。俺の予想を話し、この後どうするか考えなければ。


 その瞬間だった。痣に突然違和感が走ったのは。


「……!」


 場所は真後ろ。別の何かが滅茶苦茶に混ざったような、狂狸とは違う方向で気味悪い独特の妖気。


 再び振り返る。倒れた黒マントから、異様な妖気が漏れ出していた。


「死んでないのか……⁉︎」

「なっ⁉︎ おのれ!」


 驚愕の声を上げつつ、氷凰は新たな氷柱をソイツに撃ち込む。黒マントは腹に氷柱が刺さったまま、倒れて動かない。なのに、妖気だけは普通じゃない漏れ出し方を続けていた。


 氷柱の先端が黒マントに触れる。

 だが突き刺さる事なく、氷柱はどこかへと消滅した。前触れなく突然、影も形もなく。

 そして、それが引き金になったかのように、妖気の質が変わった。


 まずい。そう直感した。


「……っ!」


 黒マントの体がはち切れる。身体中から、赤黒い血のような妖気が噴出した。苦しみのたうち回る生き物を彷彿とさせる、生理的な嫌悪感が背筋を伝った。


「離れろ!」

「ちぃ……!」


 これはどう見ても、あんな死に体の状態で出せる妖気じゃない。というか、制御出来てるようにすら見えない。もはや暴走の域だ。

 触れるのは絶対にまずい。氷凰とともに後ろに下がる。暴れる妖気は、もがくような動きで範囲を広げてゆく。さっきまで立っていた場所は、既に妖気に飲み込まれた。


 どうする?

 今なら人はいないから、巻き込む心配はないが。

 だからってどうすればこんなのを処理出来る……⁉︎

 氷凰の氷柱は防がれた。俺の攻撃も無駄だろう。


「一旦引くしか……」

「何を言うたわけ! 私に尻尾巻いて逃げろと言うのか⁉︎」

「そこまで言ってない、どこに食いついてんだ」

「見てろ、要は触れなければいいんだろう? あいつの体を冷気で凍りつかせれば——」


 氷凰は暴走する妖気に手を翳す。が、再び異変が起きた。

 痣の疼きが、暴走する妖気が。あの妖怪の姿まで、完全に消え去った。


「……は?」


 気の抜けた声を漏らす氷凰。俺も隣で呆気にとられ、咄嗟に周囲を見回した。代わり映えしない、氷柱の刺さった山の麓を視界に収めながら思い起こす。あの妖怪は、自分自身も飛ばす事が出来るという事を。


「オーイ!」


 離れた位置から、地面を蹴る音と呼び声が重なって聞こえてきた。虎乃たち二人が追いついてきたようだ。

 合流した四人で向き合い、輪の形になる。


「ゴメン鱗くん、片付け思ったより時間かかったわ」

「いや、任せてすまん。……つい先走った」

「それより、あの妖気の元はどうなった⁉︎ さっき一瞬とんでもない事になってたぞ」

「突然消えた。探知出来ないか?」

「今は何も感じない……何なんだあれは」


 姿を消されると、龍臣ですら見失うのか。厄介にも程があるぞ。


「……アイツ、あの時と同じ妖怪だった。狂狸が黒禍を奪いにきた時、同じ奴を連れてた」

「何だと?」

「鱗くん、それって……?」


 二人の顔つきが一層神妙になる。狂狸の事、【憎】の事……当然二人にも話してあった。


「つまり今の襲撃も、【憎】って奴の仕業か……?」

「いや、ちょお待ってや。何で今頃、それもこんな時に襲ってくんの? タイミングおかしない?」

「……?」


 氷凰は置いといて、虎乃も龍臣も同じ部分が腑に落ちていない様子だった。【憎】が俺たちを狙っていたなら、やはり今という必要性は感じない。明らかに不自然だ。

 だが口元に手を当てていた龍臣が、数秒してハッと顔を上げた。


「……焔ヶ坂山に何かあるのか?」

「俺もそう思う」

「……! もしかしてそーゆう事?」

「おい⁉︎ 何なんだ貴様ら揃って!」


 氷凰以外は全員同じ結論に達したようだ。俺の頭もあながち捨てたもんじゃないかもしれない。


「私に通じる言葉で説明しろ。ほれ鱗士」

「俺か……。だからつまり、焔ヶ坂山に——」


 言いかけた時、痣を駆け上がる悪寒。


「ぐ⁉︎」

「全員下がれッ‼︎」


 頭を震わす程の、龍臣の絶叫。

 全員がその場から、それぞれ四方に飛び退いた。


 妖気の発生源——四人の向き合う中心より、全身を血で汚した黒マントが現れる。さっきのように漏れ出てはいないが、痣の疼きが比にならない。どうなってる⁉︎ 何が起こるんだ……?


「出来るだけ離れろ! 早く‼︎」


 黒マントを挟んだ反対側から、喉を張り上げた龍臣の叫び声。走って遠ざかりながら、更に言葉を繋げた。


「ソイツ……自爆するつもりだッ‼︎」


 自爆……?

 つまり今はその為の妖気を溜めてて、それが爆発すると——


「っ! 嘘だろ⁉︎」


 恐らく、どこかも分からぬ場所に飛ばされる。


 背を向け、黒マントの反対側へ足を伸ばし地を蹴った。どこまで逃げればいい? 爆発の範囲はどこまで届くんだ⁉︎ 分からない。だが今は逃げなければ。


 さもなくば、良くて路頭に迷う程度。

 最悪の場合……死ぬ。


 三人は大丈夫なのか? 固まって逃げた方が……いやでも間に合わなかったら共倒れって事にも……。クソ、何考えてんだ! 誰一人死んだりするかよ! これ以上はもうあんな事——


「う……!」


 痣の疼きが凶暴化した。まもなく爆発する。


 余計な事は今は考えるな。逃げ切る事だけでいい! アイツ等は絶対逃げ切れる、だって俺より強いんだぞ。何も心配ない! 俺は俺の心配だけしてろ……‼︎


 荒ぶる妖気が一点に集中する。鈍い俺でも、直視せずとも感じ取れる程強大な感覚。そしてその後訪れた、正しく嵐の前の静けさ。拍子抜けする穏やかなその一瞬、全ての音が消えたように錯覚した。


 ……来る!


「……っ!」


 全力で走りながら、視線を背後に流す。棒立ちの黒マントを中心に、遠ざかって行く虎乃と龍臣。そして空中を飛ぶ氷凰。


 それらの視界が一瞬にして、赤黒い凶悪な妖気の塊で遮られた。同時に、鮮血が滴るような悪寒が痣を襲う。


「うぐ……⁉︎」


 口を手で押さえる。

 予想以上に気持ち悪い。

 予想以上に大きいし……早い。


 もげる覚悟で足を動かした。全く緩めず、全力を超えて走った。地面にハンコのような足跡を何度も作った。


 だがドーム状に膨れ上がる妖気は、何もかもを逃がすつもりはなかった。


「チクショウ…………!」


 絶望感が背に触れる。そして妖気は、全身を荒波のように飲み込んだ。肺に墨汁が流れ込んできたように息がつまる。身体中が重い。もがくことすら出来ない。まともな思考すらままならなかった。


「ッ」


 妖気の侵入を拒むように、鼻と口を塞ぎ息を止める。それがせめてもの抵抗だった。いま自分がどういう状況なのか分からない。浮いているのか、地に足が着いているのかすらも。何も出来ず、ただ耐え続けた。







 上空から、血の塊のような妖気球を見下ろす。何という大きさだ……。己が命を賭した一撃とはいえこの妖気量。山の麓を中心に、頂上までもを軽く飲み込んで反対側の麓まで達している。クソ、どうにか避けきれたとはいえ私を焦らせおって。


「……ハ!」


 しまった……! 自分以外の事に気がいってなかったが、あいつらはどうなった⁉︎


「オイ鱗士‼︎ 無事か⁉︎ どこ行った⁉︎」


 ……返事はない。静寂だけが帰ってきた。


 妖気球が薄れて行く。霧が晴れるように露わになった麓には、何の姿も見当たらなかった。


「鱗士⁉︎ 虎乃⁉︎ 龍臣⁉︎」


 何も帰ってこない。全員飲み込まれたのか……!


「……チッ」


 拳を握り、かぶりを振る。

 何故か、心臓が締め付けられる感覚に襲われた。







 白井口虎乃は考える。腕を組んで、空を見下ろしながら。


「困ったわあ、どないしよ」


 飲み込まれた彼女が放り出されたのは、空の上だった。解放されるや否や、目の前には衛星写真のような光景。飛ばされる場所としては、想定される中で最悪の場所の一つだった。


 常人なら死を受け入れるような状況下にて、虎乃は冷静に腰の勾玉を抜いた。その内三つで結界を張って足場を作り、落下中の姿勢を難なく正して着地。そして今に至る。


「みんな大丈夫やろか……」


 人間離れした落ち着きを保ちながら、虎乃は浮かぶ結界の高度を徐々に下げ始めた。







 龍臣の視界に真っ先に入ったもの。それは暗がりだった。


「…………」


 足を動かせば砂利の音が鼓膜を刺激する。光の差し込まない光景。僅かに目に映るのは、空間を遮る岩肌。洞窟か洞穴の中だという事は、想像に難くなかった。


「十……十一。少し多いか」


 暗い閉ざされたこの場に、何かの気配を感じ取った。正体は見えないが……害のある存在。それだけは分かりきっていた。







 赤黒い視界が、突如開けた。目の前に青い空が飛び込んでくる。纏わりついていた汚水のような感覚も消え去り、体が一気に軽くなった。

 そして全身の浮遊感に気付く前に、何かに追突して転がり落ちた。


「痛っつ! はあ……はあ」


 どうやら体が浮いた状態で別空間に飛ばされたらしい。俺は地面に倒れ込み、必死に空気を飲み込んだ。多少打撲はしたが、大怪我はなさそうでひとまず安心する。


「……どこだここ」


 上半身を持ち上げ、改めて景色を見渡す。どこだか分からないが、少なくともさっきの場所とは全く関係なさそうだ。さっきの山は見当たらず、辺りは雑草の生える荒地と森、そして空。人工物が微塵も見当たらなかった。


「…………」


 そしてもう一つ。

 嫌にチラつく、興奮した妖気がチラホラと。

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