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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第2章「焔ヶ坂山険道中」
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第30話「出発」

 人気のない森。どこかにある山の中。木々の隙間より射す陽の光は、辺りを薄っすらとしか照らさない。


 そんな陰気な空間に、立ち尽くす人影が一つあった。巫女服を着て頭は項垂れ、右手には血濡れた鎌を持ち。そしてその全身は、鎌の比でないほどに血みどろだった。全身に様々な傷を受け、絶え間なく赤い液体が垂れ流され続けている。


「…………」


 人影は目だけを上向きにし、正面を睨む。その先には、返り血まみれの異形の妖怪たち。全員目が血走り、異常なほどの興奮が見て取れる激しい呼吸を繰り返していた。


「ハハ、ハハハ……!」

「足りないもっと‼︎ もっとぉ……‼︎」

「ゼエ…………ヒュー……ウヘハハ‼︎」


 尋常じゃない声を上げる妖怪たちの様子に、その人影は滑稽そうに口元を歪めた。


「馬鹿よねぇ……気付いた時にはもう遅いのよ。いつだってそうよ」


 人影は頭を上げる。緑の髪、大きな吊り目に獣のような縦長の瞳孔。頭にもまた獣の耳。フワリとした尻尾をユラユラ振らす。彼女もまた妖怪だった。


「足りないですって? もっとですって? ん?」

「ああ…………お願いだ‼︎ もう、もう駄目だぁぁ、どうにかなってしまうぅううぅ」


 一匹が突然倒れ込み、涎をダラダラ垂らしながら懇願するように叫び出す。相変わらず普通でない様子の他の妖怪たち。それら全てを、彼女は声を上げて嘲笑う。


「クスクス、もうどうにかなってるっての。私なしじゃ生きられないようにね。だから……また欲しければ、私に従いなさい。死んでもこき使って利用して、踏みにじってあげるから」


 倒れた妖怪を足蹴にしながら、彼女は目を細めた。

 全身の傷は、いつの間にか消えていた。







 現在、午前八時半。三人の都合を考えた末、今日はとある行動を起こす日に決まっていた。


 焔ヶ坂山へと向かう日だ。


 畳の上に荷物を並べる。欠けたものがないか確認するためだ。といっても、大したものを持って出るつもりはないが。財布と、念のための着替え程度である。


「まあいいだろ、こんなもんで」


 後は、師匠からの遺言だけだ。


 焔ヶ坂山については、龍臣が色々と調べてくれた。場所はというと、辺境の辺境の更に辺境のそのまた奥地……まあ要するに、凄まじいど田舎だそうだ。

 麓には村があるが、新幹線はもちろん最寄駅ですら徒歩だと数時間単位。それを繋ぐバスも、一日に片手で数えられる本数らしい。ここからだと遠過ぎて、最悪どこかで一泊するかもしれないとの事だ。


 そんな場所に、何で師匠は俺たちを寄越すのだろうか。長ってのは何者だろうか。行ってみなくては分からない。


「今日は土曜だけど、また学校休む事になるかもな……」

「寂しいか? 由于夏に会えなくて」

「泣かすぞ」


 半笑いの氷凰が、小馬鹿にした目付きでいつの間にか俺を見ていた。コイツはあの日からずっとこんな感じである。

 そんなに俺が悶える姿が楽しいか。……まあそうだわな、コイツにとっては。


「あのな氷凰、その件に関してはあんまり茶々入れないでくれ。一応、その……俺は真剣、だから」

「やれやれ、短期間のうちに人間は変わるものだな」

「……うるせえ」


 やれやれポーズで首を振る氷凰から目を背ける。自覚はあるので、あまり強く出れないのが痛いところだ。


「で、いつ出発だ?」

「そろそろ虎乃たちがうちに来るから、そのしばらく後だな」


 来るまではとりあえず、荷物の確認でも続けておくか。


「……それはそうと、何故私の服は全部同じやつなんだ」

「虎乃の考える事なんざ俺が知るかよ」


 並ぶ荷物を見た氷凰が切実な疑問を口にした直後、大音量の異音が外から鳴り響いた。ドラマなんかでしか聞く機会がない、効果音かと疑うほどの急ブレーキの音。


「うおっ⁉︎ 何だ何事だ!」

「……そういや虎乃がこないだ免許取れたって言ってたけど」


 キンキンする耳を軽く押さえながら、縁側から庭を突っ切って門を出る。正面には白い中古と思しき軽自動車。その後ろには、ドリフトでも決めたかのようなタイヤ痕がクッキリ残っていた。


「お待たせ鱗くん! ほんで出迎えご苦労さん!」

「……いや、うん」


 運転席の窓が開き、いつも通りテンション高めの虎乃が身を乗り出して手を振り始める。そして助手席には、やたらグッタリした龍臣がガラス越しに見えていた。どう考えてもご苦労なのは龍臣だろこれ。同情を禁じえない。


「ん?」


 あれ、そういえば目的地まで車で?

 つまり俺もこれに乗れと……⁉︎

 血の気が引いた。


「いやぁ、免許取って初めての運転にしては上出来やったわ。自分に満足満足〜」


 どこをどう判断して満足してるのか分からんが、虎乃はとにかく満足げだった。


「ほらほら鱗くん、氷凰ちゃんはよ呼んでき。すぐ出発やで!」

「……車置いて電車で行かないか?」

「鱗士…………力及ばずすまんが、諦めてくれ……」

「龍臣……」


 助手席の窓が開き、死にそうな顔と声で龍臣は言った。多分、出発前に散々説得した結果からなのだろう。

 ゴメン師匠、言伝果たせないかもしれない俺。







 くるまとやらは危なっかしく進み続け、いつの間にか景色が随分変わってきた。見慣れない奇妙な家はほとんど見かけなくなり、そこら中に木が立っている。それに倣ってか、道も平らでなくなってきているらしく……。


「痛っ」


 くるまが大きく縦に揺れた。体が浮き上がってまた頭をぶつけた。既に数は数えていない。


「ウブ……」

「…………」


 隣に座る鱗士は、揺れに呼応するかのように手に持つ袋に顔を落とす。顔面は蒼白そのものだ。そして虎乃の隣の龍臣は、最早何の反応も示さなくなっていた。


「痛ぁっ!」


 そして再び大きな縦揺れ。同じ場所をまた打った。


「おい虎乃いい加減にしろ! 私は何遍頭を打たねばならないんだ!」

「え〜私のせいなん? 道デコボコやねんからしゃあないやろ」

「貴様なあ……私が前ばすとやらに乗った時は、もっと穏やかに走っていたぞ」

「お、カーブ」

「どわぁ⁉︎」

「ガフ! 氷凰、のし掛かるな…………」


 そういえば鱗士の奴、池の雑魚妖怪の時に無理やり移動させた時もこうなっていたな。ここまで弱ってはなかったが……。というとつまり、私の風球より虎乃の運転の方が激しいと?

 ……別にいいが、何か負けた気がして腹立つな。


「出発してからどれくらい経った……?」

「んー、三時間くらい? 折り返しですらないなぁ」

「死ぬ……死ねる」

「痛っまた揺れた! 貴様もう龍臣と交代しろ!」

「龍臣免許持ってへんもん」


 面倒くさいな……。そのめんきょとやらがないとくるまは動かせないのか? 私は別に乗り物に酔わんが、ずっとこう揺さぶられるのは気分が良くない。


「めんきょがなくても、他の奴の方がまだ上手いんじゃないか?」

「何やの文句ばっかり。しゃあないなあ、もうちょっとでサービスエリアやから、そこで休憩挟んだるわ」


 虎乃は不服そうに頬を膨らませる。本当に不服なのは貴様以外の三人の方だというのに。


「ほいっと」

「だから急に曲がるな!」

「グフッ⁉︎ ……頼むから体重かけないでくれ」







「…………全部吐いてくる」


 さあびすえりあに到着するなり、鱗士はふらふらと歩き去っていった。まるで酔っ払いのようだ。

 その様を、車から降りた私と虎乃が並んで見送っていた。他に人はいないようだ。

 因みに龍臣は未だ微動だにしない。


「大変やなぁ鱗くん」

「貴様のせいでな。もう三桁に達する程度には頭も打った」

「またまたぁ」


 私の頭をぽんぽん叩きながら虎乃は笑う。こいつはやはり相変わらずのようだ。私の偉大さをいまいち分かっていない気がする。


「……凄いなぁ、鱗くんは」

「は?」

「景さんの事あってから、明らかに心が強なってるもん。私なんて、昔の事含めて全部悪い方にばっか進んでる気がするわ」

「…………」


 ついさっきとは真逆の、自嘲的な笑いを零す虎乃。虎乃は過去、妖怪に家族を惨殺されたという。それ以来、仇を討つ為にこの道を進み始めた。人が変わったような狂気を帯びる事もある。私はそれをこの目で見た。


「根本が違うんやろな。私は鱗くんみたいに変わられへんわ」

「らしくないな。貴様は何が何でも我を通すような奴だろう」

「我を通すのも楽ちゃうんやで?」


 意外だ。こいつはそうそう弱音を吐く風には感じなかったんだが。どう振る舞おうが、やはり人間の小娘という事か。


「……ま、大丈夫だろ。鱗士なんぞに劣等感を感じる必要がどこにある。貴様は曲がりなりにも、この私と渡り合った人間だろう。情けない面を晒すなたわけ」

「氷凰ちゃん……ええ子やな」

「下に見るな頭を撫でるな」


 何がええ子だ、私の方が遥かに年上だぞ。ちょっと励ましてやろうと思った私が間違いだった。


「今更やけど、鱗くんと名前で呼び合うようになってんな」

「それが何だ」

「随分とまあ仲良うなって、熱いやん⁉︎『背中は任せたぞ、相棒!』とか出来るやん!」

「それは背中が心許なくて堪らんな」

「手厳しいなぁ氷凰ちゃんは」


 仲良くなったかは知らんが……。

 私の中の何かは、やっぱり少し変わっている。初めの頃はただの生意気で鬱陶しい糞餓鬼だったというのに。何だろうな……分からん。


 …………。


「……ん」


 不意に、妙な気配が現れては近づいてきた。


 虎乃が眉を動かす。


「——たわけが」


 私は氷柱を正面に飛ばす。一見何もない空間から血飛沫が上がった。


「いい度胸だな。どこから沸いてきたのか知らんが、私に向かって突っ込んでくるとは」


 吐き捨てると同時に、姿を現した妖怪が倒れ伏した。異形の姿のその胸には、氷柱が貫通した穴が空いている。


「何や、穏やかとちゃうなぁ」


 虎乃が腰の胴締を外して宙に投げる。それにがちゃがちゃとぶら下がっていた翡翠色の勾玉が、それぞれひとりでに動き始める。


「さて、何匹かいるな。鱗士も多分気付いてるだろうが……」

「まあ調子悪いお二人さんは、無理に参戦させる必要ないやろ。幸い私ら以外に人はおらんっぽいし」


 勾玉が発光し始める。

 翡翠の光が増してゆく。

 虎乃の霊気が高まってゆく。


「十分やろこの程度。私と氷凰ちゃんだけで」


 十個それぞれから、眩い霊気の細い束が放たれた。その全てが、一見見えない何かに着弾。断末魔もない間に、妖怪どもの体を貫通、塵へと変えた。


「同感だな。言っておくが背中は守らんぞ」

「安心しぃ。余計な手は煩わせへんから」


 互いに底意地悪く口角を上げた。

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