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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第2章「焔ヶ坂山険道中」
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第29話「鱗士の思う事」

 顔が熱い。

 心臓の動きが忙しない。

 脳が喋るべき言葉を弾き出してくれない。

 どうしていいか分からない。

 結果、俺は丁の方を向いて、立ったまま固まっていた。


「……っ」

「?」


 そんな俺の様子を見て、丁はキョトンとした顔で小首を傾げる。


「どうしたの? 顔赤いよ?」

「え……⁉︎ いや何でも、何でもない!」


 咄嗟に肩がビクつき、更に大声が出てしまった。


 おかしい……おかしいぞ、俺。何でこんなにパニックになってるんだ? この前会った時とかは、俺にしてはちゃんと喋れてたろ⁉︎ なのに何でこんな……?


「……間定君?」


 声かけられるだけで……顔見るだけでこんな⁉︎


「おい由于夏、実はそいつ今朝から少し様子がおかしくてな。どこか悪いのかもしれないぞ」

「あ?」

「え、そうなの⁉︎ 風邪でも引いちゃった? どれどれ……」


 何を言いだすんだと氷凰の方に振り向く前に、額に手を当てられた。丁の右手が、俺の額に。


「んー……熱いといえば熱いような」

「ちょっ——」


 もう片方の手を自分の額に当て、丁はうんうん唸り始める。顔が近づく。眼鏡のレンズ越しに、大きな瞳と至近距離で目が合った。身長差故に、ほんの少し上目遣いの目が、俺の目を真っ直ぐ見つめる。


「…………ッ‼︎」


 顔の火照りが、最高潮に達した。

 頭までもが熱した鉄のように熱くなり……。

 何も考えられなくなり、後ろによろめいた。


「間定君⁉︎」

「おっと」


 仰向けに倒れかける俺の頭を、ヒンヤリした手のひらが受け止めた。氷凰が俺を支えているらしい。


「気をつけろ貴様。うっかり頭でも打って死なれたら溜まったもんじゃない」

「お……おう、悪い……」

「大丈夫⁉︎ いま凄い熱かったけど」

「ふむ、そうか。なら冷やしとくか」


 冷やす……⁉︎

 嫌な予感が背筋を走る。同時に冷気が背筋から全身に伝わったかと思うと、後頭部からパキパキと音が聞こえてきた。


「‼︎ うおあああ⁉︎」


 瞬時に何が起きたか理解し、氷凰の手を振り払って飛び退いた。後頭部に自分の手を添える。寝癖の立つ髪が冷たく凍っていた。


「何て事しやがるこのバカ‼︎」

「失敬な奴だな。苛ついてると体温上がるぞ? 冷やしてやろうか?」

「冷やされたからイラついてんだよっ!」


 色々と含んでそうな笑みを浮かべる氷凰。また顔が熱くなってきた。さっきとは理由が違うと断言出来る。


 …………じゃあさっきのはどういう理由だ?


「…………」

「……?」

「…………っ」

「え? 何で目逸らすの?」


 目を合わせたら顔が熱くなったからだ……などと言える筈もなかった。熱くなるついでに、ついさっきのやり取りまでもが芋づる式に記憶から掘り起こされる。余計に顔が熱くなった。


 何故か氷凰が、にやけながら肩を叩いてきた。







 あの時宣言した。答えが分かれば、丁に言わなければと。狂狸に殺されかけて……師匠が、死んで。そして、俺なりに生きる目的という奴を導き出したつもりだ。


 結局あの時丁が言った事は、全部図星だったんだろう。拒絶されて生きてきた俺は、気づかないうちにとんだ臆病者になってたって訳だ。そのせいで、俺を受け入れてくれた人を心配させた。

 気づくのが遅くなってしまったが、せめてこれからは。これからは、同じ過ちを犯さず生きてみたい。

 そして、根本を気づかせてくれた丁にお礼を言いたい。


 ……言いたいのに。


「あれから目も合わせず、ついに昼休みとやらになってしまったな」

「うるせえ、言うな……」


 悔しい事に、氷凰の言う通りだった。話しかけるどころか、あれから目すら合わせられない……。

 何なんだこれは。かつてない出来事だぞ。分からん。俺の中で何が起きている……?


「重症だな、頭まで抱えだして」

「……そういや氷凰。お前、今朝からずっと様子おかしかったな?」

「ん?」

「俺を見てニヤついてたの、一度や二度じゃなかった。授業中もずっと…………。ひょっとして……俺の異常の原因気づいてる?」


 突っ伏したまま顔だけ動かし、横に立つ氷凰の顔を見る。すると奴は水色の目を細め、意地悪そうに俺を見下ろした。


「ふふーん? 貴様は人と関わるという事をしてこなかったようだし……己の心に気づかんでも不思議ではないと思っていたが」


 クソ……その通りだから何も言えねえ。


「正直教えないでいた方が面白そうだが……どうするかな〜……」

「バウムクーヘン三個」

「貴様の中で起こっている事。それは——」


 相変わらずチョロいなコイツ。バウムクーヘンって言ったらためなしで語り始めたぞ。

 まあ何でコイツに見当ついてるかは知らんが、素直に教えてくれるなら別に——


「恋だな」

「…………は?」


 コイツに聞いたのはやっぱり間違いだったかもしれない。

 何? 今コイツ何て言った?


「恋って言ったか?」

「言った」

「誰が?」

「貴様が」

「誰に?」

「由于夏に」


 ……………………。

 …………いや。いやいや。


「ないだろ」

「ほう? 何故そう思う」

「だってお前……まともに会話が成立したのいつだよ。ついこの間だぞ?」

「時間は関係ないだろ」


 何でお前が知ったような事言ってんだ。何様だよ。


「否定するというなら聞くがな。貴様、今朝由于夏を見た時どう思った?」

「どうっ……て……」

「顔が熱くなったろ? 胸が高鳴ったろ?」

「……な」

「貴様よく本読んでるな。色恋を題材にした書物も中にはあるだろ。その中で誰かを慕う者は、文でどう表現されていた?」

「いや、おい」

「極め付けに目も合わせられない。頭に掠めただけで浮き立つ始末。それが恋でないなら何だというのだ」

「ちょ……一旦待て。落ち着かせてくれ」


 色々たんま。まず氷凰がちょっと知的に見え始めてるのがまずい。動揺が過ぎるぞ。

 何故動揺してる……? それは……コイツの言ってる事が…………。


 図星、だから……?


「……いつだ?」

「何が」

「その、だな。俺が……丁に…………ほ」

「惚れたのはいつか、と?」

「はっきり言うなッ‼︎」


 ギリ周りに聞こえない程度に声を張った。その加減ができるくらいには理性がある事に安堵する。こちとらあと一足で糸が切れそうだ。いま鏡を見れば、多分俺の顔は真っ赤だろう。


「……まだ確定じゃない! 仮定の話だ」

「往生際が悪いぞ貴様」

「うるせえ」

「まあいつと言うと……。あー……。貴様の方が心当たりあるんじゃないのか」


 心当たり……。

 心、当たり。


「…………」

「あるのか?」

「…………」

「あるな貴様」

「…………はい」


 衝撃のあまり、敬語を使ってしまった。

 心当たりというか、きっかけというか……それは多分、あの時の会話だろう。詰まる所、それまでの俺を崩された事が衝撃だったのだ。


 でも、とはいえ……。俺……え、ハア⁉︎ 嘘だろ?


「……俺はどうすればいい?」

「知るか。それくらい自分で考えろ」

「いやだって……あのな? 俺そもそも友達すら作った事ないんだぞ? そんな俺がいきなり……ハードル高いって」

「……何か、哀れだな貴様」


 同情されたが知ったこっちゃない。こっちは藁にもすがる思いなんだ。例え根っこが腐っててもしがみついて離さないぞ俺は。


「何とでも言えもう……! 癪だがお前しか頼れる相手がいないんだよ!」

「……哀れというより、貴様そんな奴だったか? もっと心ない奴じゃなかったか?」

「何て事言うんだ!」

「何とでも言えと言ったろ」

「限度があるだろ。分かれそれくらい」

「貴様の物差しを私に強制するな。意中の相手との話し方も分からんヘタレの癖に」

「テメ……言ったな?」


 俺の中で変なスイッチが入った。


「物差しだとかそれらしく言ってるけど、お前のオツムが対応しきれてないだけなんじゃないのか?」

「……あぁ? 何だと貴様」

「事実だろ? この前クロスワード解こうとしたはいいけど、何も分からず五秒で半泣きになってた癖に」

「うるさいな! あんな暗号解けるからといって何だと言うんだ!」

「馬鹿はみんなそう言うんだよ」

「言ったな貴様!」

「何だやる気か?」


 いつの間にか席を立ち、睨み合いになっていた。互いに眉間に皺を寄せ、至近距離で視線が火花を散らす。

 こんだけ目の前にいるのに、心拍数は至って平常である。なるほど、恋かどうかは置いといても、俺が丁に対して特別な何かを抱いてる事は確からしい。


 ……特別って何だ!


「お前のせいで余計変な事考えちまったぞ」

「変な事って?」

「そりゃ俺が丁を——……」


 咄嗟に口をつぐむ。今のは氷凰が言ったんじゃない、後ろから聞こえた。それも聞き覚えのある……。


「ひのっ……⁉︎」

「?」


 振り返った先には、予想通りの人物がいた。

 笑顔で、至近距離で。

 それだけでもう駄目だった。


「〜〜〜〜〜〜〜ッ‼︎」

「おいこら貴様⁉︎」


 机と椅子と、ついでに氷凰を巻き込んで盛大に転んだ。天井を放心状態でしばし眺めた後、様々な思考がしっちゃかめっちゃかに浮かんできた。


 いつから後ろに⁉︎

 聞かれたか⁉︎

 もし聞かれてたらどうすんだ‼︎

 俺は今後どんな顔してればいいんだ……⁉︎


「えぇぇ⁉︎ 何、大丈夫⁉︎」

「あ…………ああ……」

「早く降りろ糞鱗士……」

「立てる?」


 俺に手を差し出す丁。純粋に心配そうな表情で、やはりまっすぐと俺を見る。


「……さっきの、聞いてたか?」

「? ううん。何話してたの?」

「いや、聞いてないならいいんだ! うん」

「いいからさっさと立て!」

「あ……悪い」


 俺がそそくさと立ち上がり、下敷きの氷凰はようやく解放された。流石に悪かったと思っている。


「やっぱり間定君ちょっと変だよ? 大丈夫?」

「ああ……至って健康だ」

「ならいいけど……」

「……!」


 定まらない視線が、たまたま俺の右手を捉えた。勢いのままに丁の手を握ったままの、自分の右手を。

 慌てて手を離す。心臓の音が周りに聞こえてないか心配だ。


「…………とりあえず昼飯買いに行こうかな……。机直してから」

「手伝うね」


 身がもたないかもしれない。







 東棟と体育館の間の空間。段差の部分で、俺と並んで腰掛ける丁。購買で買ったジャムパンを頬張りながら考える。図らずも、あの時と似たような状況になってるな。

 違いといえば、俺がガチガチな事くらいだ。


「……俺についてきて良かったのか? ほら、用事とか」

「大丈夫だよ」

「そうか……」


 頑張って口を開いても、これが精一杯だった。話すべき事が全く喉から出てこないし、氷凰はどっか行くし……。完全に手詰まりだ。

 どうする? こんな時どうすればいい……⁉︎

 こればかりは師匠にも教わってないぞ!


「ねえ、間定君」

「…………え⁉︎ お、おう、何だ?」


 答えのない自問地獄に陥りかけた時、丁の方から声をかけてきた。焦って反応が遅れた上に若干どもった。安心したけど緊張のがデカイ。


「その……嫌ならいいんだけど。聞いてもいいかな? あの後、何があったか……」


 丁は顔を伏せ、指を弄りながら遠慮げに言葉を紡いだ。


「間定君、あの時とちょっと違うよね」

「……やっぱり違和感あるか?」

「ううん、そんな事ないよ! 寧ろ前より親しみやすくていいと思う」

「…………」


 口元が思わず緩んだ。俺はつくづく、自分で思っていた以上に単純らしい。たった一言で随分心が軽くなった。


「ごめん」

「え?」

「約束したのに、あの後学校行かなくてごめん。で……あれから俺なりに考えたんだ。丁さえ良ければ……聞いてほしい」

「! ……うん!」


 丁は嬉しそうに笑って頷いた。

 居心地の良い、陽だまりのような暖かさだった。







 私は何をやってるんだろうな。校舎の角に隠れて、人間二人の動向を盗み聞きなど……それも二度目。


「……あのヘタレが」


 しかしまあ、今回は先のような嫌な感覚はない。口角を釣り上げ、私は一人呟いた。

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