第2話「一人と一匹は出会う②-結命鎖縛-」
ソイツは人間の少女の姿をしていた。
あり得ないだろうが、見た目は俺と同い年くらい。背は俺よりも低い。水色の髪は背を覆い、膝裏に届くほどのロングヘアーでサラサラとしており、流れる川を連想した。瞳も水色だが、明るさに慣れないのか目を細めてこすっている。
体格は華奢だが相当な美少女だ。
身に纏っているのは服ではなく、無地のボロボロな布だった。胸と腰回りを覆ってはいるが、いかんせんボロいためところどころが隠しきれていない。その上に面積が少なくて、正直目のやり場に困る。
「貴様が封印を解いたのか?」
少女の姿をした妖怪は振り返り、自らが入っていた棺桶を眺めてそう言った。尊大な口振りだが、寝起きのようにボリュームが小さい。
「……分からん。少なくとも俺の意図じゃないが」
「そうか。ところでなにをうずくまっている? 震えてもいるな」
そう言われ、痣の疼きこそ続いているが、痛みの方は引いていることに気づいた。震えは突然の吹雪のせいだが、あの激痛はなんだったんだ?
思い返せば、激痛が走ったのとコイツの封印が解けたの、ほとんど同時だったような……。
「オイ、お前は一体——」
俺が話そうとしたとき、奴の周囲に巨大な氷柱が六本出現した。尖った先端は全て、俺の方に向いている。
「な……⁉︎」
ミサイルのように飛ばされた氷柱。
咄嗟にバックステップで躱す。
目の前三メートル程——さっきまで俺がうずくまっていた場所に、全ての氷柱が撃ち込まれる。ぶつかり合ったそれらが一つの氷塊を形成した。
「チッ……」
妖怪は舌打ちした。更に、新たな氷柱が奴の周囲で形を作り始める。
「なにしやがる⁉︎」
「分かりきったことを。貴様退魔師だろう? 妖怪に攻撃されても文句は言えまい。まあそうでなくても私は襲うが」
妖怪は、その容姿に似つかわしくない邪悪な笑みを浮かべた。
そうだ、そうだよ。コイツはとんでもない化物クラスの妖怪なんだ。封印されてたってことは、かつて誰も倒しきれなかったほどの大物。人間の姿をしてるが、それに騙されるな。
どこまでやれるか分からんが……こうなったら仕方ない。
右手を前に出し、袖口から鎖分銅を垂らす。
「やる気になったか。なぜ封印が解けたのかは分からんが、この際どうでもいい。自由になったのに変わりはないからな」
「……今度は俺が殺してやるさ」
「たわけ。貴様如きに私が殺せるか」
氷柱が放たれた。横に跳び退きそれを躱す。反撃に錘を奴に飛ばす。奴は腕に氷を纏い、薙ぎ払って弾いてみせた。
「ッ……なら」
俺は鎖を操作し、奴の手に巻きつける。そして、流す霊気を極限まで強めた。鎖はその光を増す。
「む……」
奴は少し顔をしかめる。巻きついた位置から煙が上がった。
効いてる。倒すとまではいかなくても、なんとか動きをとめるくらいには持ち込めるかもしれない。
希望が見え始めたとき、奴はもう片方の手で鎖を掴んだ。その手からも煙が上がる。
「なにを……」
浮かんだ疑問を処理する間もなく、俺はこのとき既に負けていた。
「凍れッ‼︎」
奴が叫ぶと同時に、鎖が奴の方から凍り始めた。導火線についた火のように、凄まじいスピード氷が上ってくる。
俺が鎖を捨てる間もないほどに、速く。
手、体、もう片方の手、足。凍結の範囲は、頭部以外の全身に及んだ。
「——ッ」
……指の一本も動かせない。
「駄目だな。氷山に閉じ込める程度の力は入れたつもりだが……やはり本調子は出ないか」
奴は不満げにそう吐き捨てた。
封印から目覚めたばかりで、本調子とは程遠いのにこのザマか。油断も過信もしちゃいなかったが……力の差がありすぎる。
「クッソ……!」
「フフ、悔しいか? ぐうの音も出ないか? ざまあないなクソガキ」
奴は俺を見て、一転して愉快そうにそう言った。身動きできない俺を嘲笑いつつ、歩み寄って距離を詰めてくる。
勝ち誇ってやがる。実際、俺じゃコイツに勝てないらしい。こんな状態じゃ、ろくに攻撃もできやしない。
…………勝つことは。
「……お前何者なんだ?」
「ハッ! なぜ貴様に教えなくちゃならないんだ。貴様は目覚めた私に殺される最初の人間だぞ。死ぬ奴に教えてやることなど」
「そうか、残念だ……。お前ほどの大物の名前、死ぬ前に聞いておきたかったが」
妖怪の体がピクリと震え、固まった。
今の俺じゃ確かに勝てない。だが手はある。師匠はいい顔しないだろうが、他に方法はない。
だがこれをやるには準備がいる。ひとまず話させて時間を稼ごうという魂胆なわけだが……乗ってくれるか、即殺されるか。
「ほう……そうか。大物、か……」
「そうだとも。お前ほどの大妖怪、他にいるはずがない」
「……フ」
「頼むよ。せめて教えてくれないか? 稀代の大妖怪の名を」
「フフ……フフフフフフ。そうかそうか! 『大物』たる私の名が知りたいか! 仕方がない、特別に教えてやろう! 冥土の土産というやつだ!」
乗った。
奴は大層ご機嫌な様子で顔を緩ませている。大物を強調した辺り、よっぽど気をよくしたらしい。
コイツ、案外チョロいな。
「——我が名は氷凰。人間は私を【無間の六魔】の一角と恐れる」
「な……【無間の六魔】⁉︎」
俺が驚いたのを見て、奴はますます得意げにニヤリと笑った。
「ほう、知っているのか」
「聞いたことはある……」
いつだったか、師匠が教えてくれた。
【無間の六魔】。
百年ほど前に現れ、圧倒的な力を振るった六匹の大妖怪を指す言葉だ。それぞれが他の妖怪とは比べ物にならない強さを誇り、当時の人間のみならず、妖怪までもを戦慄させたという。
その脅威は地獄の最下層から来た六匹の使者に例えられ、通称として定着したらしい。
そのうちの一匹が……コイツ⁉︎
「伝説みたいなもんだと思ってた。まさか実在して、俺の目の前に現れるなんてな」
「伝説……か。悪くない響きだ」
奴は腕組みし、余韻に浸るかのように目を閉じて嬉しげな笑みを浮かべている。しかしふと思いついたように目を見開いた。
「ちょっと待て。私は伝説扱いされるほど、長い間封印されていたのか?」
「……聞いた話だと、【六魔】が暴れたのは百年前のほんの一瞬で、あるときからそれぞれ封印されたり忽然と姿を消したりしたんだと」
「百年⁉︎」
奴は驚愕を露わにし、目を見開いて後ろによろけた。
「なんてことだ。この私が人間なんぞに百年も……」
「…………」
頭を抱え、さっきと真逆に苦々しい表情でうなり始めた。得意になったりショック受けたり、浮き沈みの激しい奴だな。こうして見てる分には、大妖怪と言われても小首を傾げたくなる振る舞いだ。
しかしこれは好都合だ。もう少し話を繋げれば。
「クソ、腹立たしい。人間の分際で人間の分際で……」
「そんなに人間が嫌いなのか」
「ああ嫌いだ。見ているだけで殺したくなる」
その言葉は冷徹に、そして極めて単調に俺に突き刺さった。今しがたと一転、コイツの大妖怪としての本当の顔が垣間見えたというところか。
「なんでそこまで嫌ってんだ?」
「……それこそなぜ貴様に言わなくちゃならないんだ。嫌いなものは嫌いなんだよ。理由などいらん」
奴は眉間に皺を寄せ、不機嫌を隠そうともせず吐き捨てた。どこからともなく冷風が吹き、奴の右手で渦を巻き始める。
「私としたことが、少し喋りすぎた。何しろ百年ぶりらしいからな……。貴様のようなクソガキ相手でも、つい舌が回ってしまう」
「……俺を殺すのか?」
「もう貴様の話は聞かん」
渦は奴の右手を凍てつかせ、鋭利な刃物を形作る。感覚を確かめるためか、それを二度すぶりした。
「お前、俺を殺した後どうする気だ?」
「たわけ。話はもう聞かんと言っただろうが」
氷の刃物が俺の眉間に突きつけられた。
俺の準備が整うのと、同時に。
「死ねッ、クソガキ!」
「ああやれよ、お前も死んでいいならな!」
「⁉︎」
今まで溜めてきた霊気を解き放つ。奴は反射的に後ろに下がった。
だがもう関係ない。鎖を掴んだとき、お前の体に俺の霊気が流れ込んでいる。それさえ満たされていれば、もう負けはない。
「“結命鎖縛”ッ!」
俺はある術の名を口にする。
互いの胸元から、淡く青い鎖が伸びる。
それらは磁石のように、末端部分が引き寄せ合う。
そして触れ合ったとき……。
二つの鎖は一つとなった。
俺と奴を繋ぐ、一つの鎖へと。
「な、なんだ⁉︎ 貴様なにをした!」
「俺の話はもう聞かないんじゃなかったのかよ?」
俺が皮肉を込めてそう言うと、奴は固まって目を泳がせ始めた。
「それは、あれだ……貴様の聞き間違いだ」
「いくらなんでもそりゃ苦しいだろ」
「うるさいたわけ! いいから言え!」
顔を真っ赤にして俺を指さすその姿には、大妖怪の威厳もクソもない。本当にコロコロ情緒が変わるな。だがまあ説明は最初からするつもりだったし、質問に答えることにする。
「“結命鎖縛”は自分と相手を霊気で繋げる術だ。ただし発動にはいくつか条件がある」
「条件だと?」
「まず、相手の体にあらかじめ自分の霊気を流し、留めておくこと。これは俺の鎖をお前が掴んだときにこなした。それと、発動すると結構霊気を持ってかれる。だからお前に話させて、霊気を溜める時間を稼いだ」
「‼︎ はめたな貴様……!」
奴は憎々しげに俺を睨む。だが手を出そうとはしない。肝心の効果を聞いていないからだろう。
「もうお前は俺を殺せない……いや、お前に人間は殺させない」
「……どういう意味だ」
「“結命鎖縛”はなにを繋ぐと思う? 『命』を『結』び、『縛』る『鎖』。こう言えば分かりやすいか?」
奴は額に人差し指を当て数秒考えた。そしてハッとした表情を浮かべたかと思えば、みるみるうちに青ざめていく。どうやら感づいたらしい。
「き、貴様……まさか」
「ああそうだ。俺とお前の命は今、繋がって結ばれた。つまりどっちかが死ねば、もう片方も死ぬ」
「な……なん…………」
奴は口をパクパクさせ、フラフラと後ずさりした。
リアクションが分かりやすい。
「……あー、寒」
「⁉︎」
「さっきから体凍ってるからなー……。ヤバイ……凍死しそう」
「うわあああああああああああああああああ⁉︎」
奴は慌てふためき絶叫した。俺に手のひらを向けたかと思うと、動きを封じていた氷は粉々に砕け、跡形もなく消えた。よほど焦ったのか、奴は肩で息をし始める。
「ハア、ハア……」
「……お前アレだな。めちゃくちゃチョロいな」
「ちょろ……貴様私を馬鹿にしているのか?」
「してる」
「! このクソガキ。貴様は必ず殺すぞ」
「なんなら今やれよ。お前も死ぬけどな」
奴は俺を睨み続けたが、結局殺そうとはしてこなかった。大妖怪も自分が大事らしい。
「……とりあえず帰るか。師匠に色々言わなきゃだし。オイ、お前もついてこいよ」
「命令するな、クソガキ……」
「つべこべ言うなよ、大妖怪」
とはいえ、コイツのこの格好はよろしくない。俺は男子でコイツは……女子って年齢じゃないが女だ。間違いを起こすつもりは毛頭ないが、主に俺の精神衛生上よろしくない。万一コイツが実体化でもして、一般人に姿を晒すようなことがあれば。俺はあらぬ誤解を受けるだろう。
そう思い、俺は制服のブレザーを脱いで奴に投げて渡した。
「……なんだ」
「羽織ってろ。帰ったら適当な服あるだろうから、道中はそれで」
俺がそう言ってる途中で、奴はブレザーを俺に思いきり投げ返してきた。それが俺の顔に被さり、視界が覆われる。
「……なんの真似だ」
「貴様の気遣いなど受けるくらいなら、全裸の方が何万倍もマシだ」
イラッ。
「着ろ」
奴にブレザーを投げ返す。
「いらん」
被さったブレザーを、奴はまた俺に投げ返す。
「着ろっつってんだろ」
「いらんと言ってる」
「着ろ!」
「いらん!」
「嫌に目立つから着ろ!」
「貴様が困るならなおさら断る!」
「バカ妖怪が、いいから着ろ!」
「バッ……⁉︎ 死ね!」
「そのときはお前も死ぬだけだ!」
「なら瀬戸際で生きてる程度に重傷を負え!」
ブレザーと暴言の投げつけ合いは、もうしばらく続いた。