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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第2章「焔ヶ坂山険道中」
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第28話「久しぶり」

 白い空間。足場はなく、揺蕩っている感覚が全身を包み込んでいる。これは夢だと、すぐに分かった。俗に言う明晰夢というやつだろうか。


「…………」


 俺は浮遊感に身を任せ、脱力して真正面を見据えていた。何もない空間にただ一つだけある、人型の何かを。

 その何かは空間同様真っ白かつ朧げで、実態がまるで分からない。なのにそこに存在していると確信出来る、奇妙な存在感を放ち続けていた。


「……よう、間定鱗士。初めましてがしっくり来るか?」


 何かがそう言い、同時に笑ったような気がした。表情どころか輪郭すらはっきり認識出来ないのに、おかしなものだ。

 というかその少女みたいな声と、掴み所のない口調……。やっぱりな。何でか、そうだろうなと思ってたよ。


「お前、あの時俺に話しかけて来た奴だな?」

「まあな」


 即答。

 この何かは、あの時——狂狸襲撃時に、俺の頭に響いた謎の声の主。一時的にだが、俺に凄まじい力を与えた存在。目的と正体は、全く分からない。


 それに後で聞いた事だが、あの力を発動させていた時、どうやら俺自身の体にも異変があったそうだ。と言っても、髪の一部が白くなった程度だったらしいが……。


「安心しろよ。髪の変色は一時的。害なんざありゃしないぜ」

「っ……。心が読めるのか?」

「さあ? どうだろうな」


 おどけたように何かは笑った。顔は知らんが、声色が笑っている。


「ま、聞きたい事はまだまだ山程あるだろうが……まず二つ褒めてやる。よくあの時力を引き出せたな。まさかやれるとは思わなかった。そして……よく絶望に溺れなかった。本当に」


 心底感慨深げで嬉しそうに、何かの声色が一転した。俺が生きている事にホッとしているような、優しげで母性的な……。経験のない温かさを感じて、戸惑いが生まれる。


「照れんなよ、嬉しいじゃねえかこの野郎っ」

「変な奴……」


 夢の中で溜め息を吐く。コイツもまた、氷凰や虎乃とは別ベクトルで起伏の激しい性格のようだ。夢の中なのに疲れてしまう。


 頭を掻き、改めて何かに眼差しを向ける。多分もう分かってるんだろうが、言っておきたい事があった。


「……言っとくけど、お前に言われたからじゃない」

「ん」

「まあ、ほんのちょっと前なら絶望してただろうな。俺にとって、師匠はそれだけの存在だった」

「知ってる」

「正直まだ立ち直りきってない。けど……託されたから。俺がそれを持ってなきゃいけない……」

「…………」


 何かに目は見当たらない。だが、視線が交錯した気がした。


「俺が絶望してたら、師匠が世界から消えちまう」

「……やっぱりいいな、人間ってのは」


 何かは愛おしそうにそう零した。その言葉が俺を指すのか、それとも言葉通り人間全てを指すのかは分からない。だが、また奇妙な温もりを感じた。


「あの眼鏡っ娘にゃ感謝だな。金一封納めたいくらいだ」

「おま……! どこまで知ってやがる⁉︎」

「何でも知ってるさ。お前の事はずっと見てきたんだ」


 無性に恥ずかしくなり、顔が熱くなる。

 というかずっと見てきた⁉︎


「何者なんだよ、お前……」

「……悪いな。そろそろお目覚めの時間だぜ。やっぱり長くは話せないらしい」

「なっ……待ってくれよ! ずっとってお前、まさか俺の親とかも⁉︎」


 そう口走りながら手を伸ばす。

 親の事など今更どうでもいい。ただ、まだまだ聞き足りない事だらけだった。お前の正体……ひいては、俺の事も。


「おい⁉︎ オイって……!」


 白い空間が、消えてゆく。

 黒く、暗く。白が消滅してゆく。


「またな。久しぶり(・・・・)にちゃんと顔見れて良かった」


 それが最後に聞いた何かの声だった。

 伸ばした手が、真っ暗になった虚空を掴む。

 体は揺蕩うのを止め、落下する感覚に襲われた。







「ッ……は⁉︎」


 布団から身を乗り出しながら目を覚ました。景色が見慣れた自分の部屋に変わる。遅れて、言いようのない喪失感が胸を埋め尽くした。

 ハッキリ覚えてる、夢の中に現れた何かとの会話。最後、確かにこう言ってた……。


「久しぶり」と。


「…………」


 胸に右手を当てて握りしめ、寝巻きにしわを作る。不思議な奴だった。どこにいるのだろう。何故俺の事を知っているのだろう。

 考えても分かる筈がなかった。


「……今は、いいか……」


 恐らく、あれはまた現れると思う。「またな」と最後に言っていた。心残りではあるが、その時が来るまで待つ事にしよう。そして、今日の続きを話すのだ。


 部屋を出て、居間へ向かう。

 広い空間にポツンと置かれた卓袱台。その脇で寝転がる人影を見て、思わず溜め息が漏れてしまった。


「オイ……なんて所で寝てんだよ、氷凰」


 大の字になり、サラサラとした水色の髪を畳に投げ出し、終いには涎を垂らしながら眠るこの様子では、折角整った顔立ちも台無しでしかなかった。

 強さと見た目を取るともうバカしか残らないというのに、これはいかがなものだろう。


「オイ、風邪……は引かないだろうけど起きろ」


 眠る氷凰の肩を揺する。触れた手にヒンヤリとした冷気が伝わってきた。流石は氷を操る大妖怪、基本的に体温が低いらしい。

 そんな無駄な事を考えながら揺らし続けるが、起きる気配が一向にない。


「うぅ……誰がバカだから風邪引かないだと……?」


 言ってねえよ。

 何だその寝言。


 うん、どうするか……。別に無理に起こす必要は、ないと言えばないが。だが今日は久しぶりに登校する訳で、つまりこのままだとコイツ一人を家に残していく訳で……。コイツとはいえ、女を無防備なまま放置する事になる。


「…………」


 ぶっちゃけ大丈夫だと思う。コイツ俺より強いし。だが一応、もう一声だけかける事にする。これで起きなかったら放っとこう。


「……オイ、起きろバカ」

「誰がバカだ!」

「どんだけ敏感なんだよ」


 つい先程の熟睡が嘘のように飛び起きて刮目し、氷凰は水色の瞳で俺を睨み始めた。本日二度目の溜め息を吐く。


「お前確か、空いた部屋占拠してたよな? 何でそこで寝てないんだよ」

「寝るならこっちのが涼しくて良い」

「……何で? いつかみたく凍らせるまで行かずに部屋の温度下げるくらい、お前なら出来るだろ」

「…………」

「『それだ』みたいな顔してんじゃねえ」


 コイツが現れた翌日の朝。俺をコールドスリープさせる為に、部屋を冷凍庫にしやがった事は忘れてないぞ。そういう事には悪知恵が働く癖に……。


「何となく分かるぞ……。貴様いま私を馬鹿にしたろ」

「やるじゃねえか。伊達に約一ヶ月も一緒に暮らしてないな」


 そう言って伸びをしながら台所に向かう。とりあえず適当に朝食をとろう。因みに氷凰が壊した家電たちは、ようやく新調されて一式揃っていた。


「……そう言えば貴様、今日学校行くんだったか」

「ああ」

「何か久しぶりだな」

「……まあな」


 冷蔵庫を開けながら生返事を返す。

 あの後は……葬式やその準備諸々により、学校には行けていなかった。ゴールデンウィークも重なった為に、実に久しぶりの登校である。


 当然ながらその間……丁にも会えていなかった。


「…………」


 瞬間、心臓がドクンと脈打った。


「……お前、さ。今日、ついて来んのか…………?」

「ん? ……」

「何だよじっと見て」

「貴様……いや、まさかな」


 何を一人でブツブツ言いだすんだ。変な事聞いてないよな俺。


「……じゃあまあ一応、確認しに行くか」

「確認?」

「いや、こっちの話だ」


 こっちってお前だけだろ。変な事企んでないだろうな、バカな癖に。


「オイ、飯くれ。腹減ったぞ」

「へいへい……」


 氷凰は卓袱台に頬杖をついて座った。

 上から目線に突っ込みを入れるのは、キリがないのでもう止めた。







「…………」

「…………」

「…………」

「…………おい」

「! な、何だ」

「いや別に」

「? ……」


 学校に向かう道中を、鱗士の数歩後ろから眺めているのだが。さっきから、微妙に様子がおかしい。朝飯の前あたりからだ。もっと言うと、学校という言葉が発せられたあたりからだ。


 いつだったか、こいつは学校が嫌いだとか言っていた。なら久しぶりにそこに行くなら、嫌々という感情がしっくりくるものだろう。

 だがそれどころか、今のこいつはどこか浮き立っているようにすら見えた。嫌がっていた学校に、良い意味でそわそわしながら向かっているのだ。


 単刀直入に言おう、気持ち悪い。そんな奴じゃないだろう貴様……! もっとつまらなそうな面して歩けと耳元で叫んでやりたい。


 しかしだ。私はこいつが何故浮き立っているのかと少し考えた。そしてその結果、丁由于夏という一人の少女が浮かび上がった。

 そいつはある一件で、今の鱗士に多大な影響を与えた存在だ。生き方を決定づけた要因のひとつと言っても過言ではないだろう。


 もし……もしもだ。もしも由于夏に久しぶりに会う事が、こいつの浮き立っている理由だとしたら。即ち。鱗士が由于夏に、しかるべき感情を抱いているとしたならば……。


 それを眺めるのは、凄まじく楽しそうだ……‼︎


「なに一人で笑ってんだ、怖えよ」

「気にするな、前見て歩け」

「……やっぱりお前、変な事企んでるだろ。さっきから様子が——」

「お、由于夏」

「っ⁉︎」


 私が前方を指差すと、鱗士は焦った顔を弾かれたように凄まじい勢いで反転させ。そして、誰もいない空間を一人で数秒凝視した。


「…………」

「……フ! ハハハハハハハハハハハハハハハハ‼︎」

「こんの野郎ッ!」

「何……プッ! 何だ今の顔は⁉︎ しょうもない事に引っ掛かりおってこのたわけが‼︎ フッハハハハハハハハハ‼︎」


 は、腹がよじれる……! 駄目だ今の傑作過ぎるぞ! 最早呼吸もままならん!


 指を指し涙目になりながら大笑いする私に、鱗士は顔を赤くして殺意の眼差しを向けている。拳をぷるぷると握りしめ、今にも殴りかかってきそうだ。


「フ……貴様のそんな面が拝めるとは」

「そうかい良かったな。次はお前の顔を見た事ない有様に変えてやる」

「まあ待て、拳を下ろせ。……お、ほら。後ろに由于夏がいるぞ」

「お前な……。俺がそんなアホな手に二度もかかると——」


 その直後だった。かけられた声と同時に、鱗士の肩が飛び跳ねたのは。


「あ……間定君、氷凰ちゃん!」

「ーーーーーーーッ⁉︎」

「ブフッ!」


 驚愕する鱗士の面はまたまた凄まじく滑稽で、私は思わず吹き出すのだった。


「良かった……! 久しぶり!」

「……あ……ああ。久しぶり……」


 弾けんばかりの笑顔の由于夏。

 さっきよりも顔を赤くして振り返り、不器用な返事をする鱗士。


 これは、多分……やはりか……⁉︎

 私は口元を押さえて、こみ上げる笑いを飲み込んだ。

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