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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第1章「奇譚開幕」
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第23話「無間の六魔・狂狸④-激昂-」

 鼓膜を太鼓のバチで叩かれた様な衝撃が突き抜ける。夜中からいきなり真っ昼間になった様な閃光に目が眩む。


 あれだけ堅牢で、俺にもコイツでさえも破れないと思っていた結界が。今の一撃で、跡形もなく掻き消されてしまった。


「貴様……今のは……何をした?」


 奴は今にも飛び出そうな程目玉を見開き、呆然と俺にそう聞いた。

 だが、当の俺自身にも困惑しかなかった。いきなり女の声が聞こえ、疼きを通り越した鼓動が全身に走り、気付けば霊気の塊が放たれていたのだ。そんな誰も納得出来ない説明しか浮かばない。

 更に、あんな量と破壊力の霊気を吐き出したというのに、俺の体には疲労感のかけらもない。


 何もかもが分からなかったが、そんな事を考えている猶予はない。俺の体は既に動いていた。


「師匠ッ‼︎」


 家の敷地内に飛び込み、叫ぶ。

 そしてその光景は、情け容赦なく俺の目に映し出された。


「…………おう……鱗士、か…………」


 見上げる程大柄で猛々しい体格。

 それと相反した、小蝿の羽音の様に弱り切った声。

 体中を抉る赤い直線。

 そこから無尽蔵に流れ出ているドロリとした液体。

 無残に壊された錫杖。

 霞みがかった眼。


 文字通り、死に体の師匠がそこに、辛うじて立っていた。


「——」


 声が出なかった。

 吹けば消えそうになっている霊気を感じても、現にボロボロの姿を目の当たりにしても、受け入れられない。受け入れたくない。

 敵を油断させる為の、弱ったフリ……それならどんなに良かっただろう。


「——」


 目線の先を、師匠の対面に立つ、男の姿の何かに向けた。紫髮を目まで伸ばし、乞食の様な格好をして得体の知れない存在感を放っていた。


 すぐに分かった。

 コイツが……狂狸。


「今のは君かい?」

「……何がだ」


 ようやく出た声は、他人のものかと錯覚する耳触りだった。まるで温度を感じなかった。

 黒い感情が胸に伸し掛かる。俺の中を埋めていく。あれだけ取り乱していたのに、何故か頭と心が凪いだ。


「空割の結界はやわじゃない。ましてや単に力づくで壊すなんて、僕でも難しいのに……それをあっさりと。さっきの馬鹿げた力は何だ?」


 紫の髪の奥から、穴の様なものが少しだけ見えた。

 瞬間、寒気がした。アイツの顔、目玉がある筈の場所に、底の見えない空洞がある。


「さっきまでも今も、霊気は一介の退魔師のそれだ。でもあの瞬間だけは違った。……良くは分からないけど、何か嫌な感じだよ」

「!」


 狂狸は右手を薙ぎ払った。妖気も放たず、単に空を切る動作を乱雑に。

 視界が、急激にぶれた。地面が目の前に接近し、そのまま叩き付けられる。


「言ったろたわけ! もう少し遅ければ真っ二つだったぞ!」


 水色の長髪を靡かせながら飛び出してきたアイツが、俺の頭を伏せさせた為だ。


「……悪い」


 奴は屈んだ姿勢で、押さえつけた俺を一瞥してから視線を上げた。

 狂狸を、その青い瞳に捉える。


「久しいな狂狸。相変わらず陰気な面だ」

「やあ氷凰。やっぱり可愛い顔してるね」


 対面した二匹の【六魔】は、互いに口角を釣り上げた。好戦的な笑顔だ。だが少し差異がある。

 コイツは焦燥を。アイツは余裕を。それぞれ色濃く滲ませていた。


「……貴様には聞きたい事がいくつかあるぞ」

「言ってみなよ」

「昨日、あの雑魚どもをけしかけたのは貴様だな?」

「ああ、そうだよ」


 なに……?


 確かにあの妖怪どもは突然、それもそれなりに多く現れた。何らかの特別な場所ならともかく、ただの電化製品店であんな事は中々ない。

 不自然といえば不自然だったが……あれを手引きしたのは狂狸?


 頭に、必然と疑問が浮かんだ。奴がそれを代弁するかの様に、同じ疑問を狂狸に投げかける。


「何の為に? 貴様の目的は?」

「そうだね……。正直言って、あれに大層な理由はないよ。目的の物を持っている男の所に、たまたま君がいた。だから偵察がてら、ちょっとからかってみたくなった。そんな所さ」

「目的の物……?」

「そう。君もよく知っている筈さ。百年前、それは五つに砕けて欠片となった。僕らと同類にして、あまりに異端なその存在を」


 狂狸は耳まで裂けそうな程口元を歪ませた。


 俺を押さえつける手に、僅かな動揺が走った。視線を奴の顔に向ける。

 今日だけで何度も見た、信じられないといった表情。狂狸と師匠を忙しなく見比べ始めた。その度、水色の長髪が揺れる。


「……正気か……?」

「もちろん」

「驕るなよたわけ……。貴様如きが? あれを? 手中に収めようと……? フ……クク…………」


 奴は顔を伏せ、理解を超えた馬鹿を見た、という風に喉を鳴らして呻く様に笑った。だが見上げて見るその表情は、嘲笑うというにはあまりに余裕がなかった。必死に笑おうとしている風に見えた。


「たわけが……この大たわけが。大掛かりな自殺がしたいなら勝手に死ね。何なら私が殺してやろうか?」

「勘違いしてるよ氷凰。僕には無理さ。とても黒禍(くろまが)なんて抑えられない。良くて発狂死さ」


『黒禍』……?

 何だよ、それ。

 コイツにこんな顔させる程のヤバい物なのか?

【六魔】二匹が、関われば死を覚悟する程の代物なのか……?


「でもね、いるのさ。あれを我が物と出来る存在が。信じられないだろうけど、あれを完璧に支配出来る者がね」

「…………」

「まあともかくだ。僕の目的は、導木景生の持つ黒禍の欠片。だからこうして、彼を殺そうとしているのさ」


 満身創痍の師匠を指差し、なんて事ない風に言う狂狸。

 また、ドブの様に濁った衝動が湧き上がった。


「景生貴様……。どこで手に入れた」

「…………先の仕事でな。俺も、半信半疑だったが……一目で本物と分かった……。実物なんざあの時、初めて見たが……それでもな。どうにか抑え込んで、持って帰ったのが……丁度、虎乃たちが帰ってた時だった」


 弱々しく、師匠は途切れ途切れの声を捻り出す。


「全く……とんでもねえな……ありゃ。数日に一度、二時間くらいかけて……重ね重ね、封印し直さなくちゃ…………碌に保管も出来やしねえ……」


 こんな時に、点と点が繋がった。ここ最近、師匠が部屋に篭っていた原因。それは、黒禍とやらを監視していたのだ。


「……いつまで押さえてんだ。手ぇ離せ」


 奴は俺の事など忘れていたらしく、言われてからハッとして立ち上がった。顔と服についた土を払いながら、俺も立ち上がる。


「オイ。さっきから何なんだよ。お前ともあろう奴をそんなに動揺させる、黒禍ってのは」

「…………」

「教えてやりなよ、氷凰。彼の師匠が、こんなに血だらけ傷だらけになってまで。なす術なく殺されかけても、僕に渡すまいとしている物が何なのかをさ」


 黒い何かが、俺の中に堆積していく。

 狂狸が何か喋る度、どうにかなりそうになる。


「……単刀直入に言えば、仮面だ」

「仮面?」

「ああ。ただし、何千何万では足りない量の怨念が篭り、渦巻いている」

「……呪物ってやつか」


 奴は冷や汗を流しながら頷く。


 呪物とは読んで字の如く、他者を呪う為の道具だ。形状は様々、共通点はただ一つ。並々ならぬ怨念、呪いが込められている事。それが異常な程強まり、長い時を経れば、俗に言う付喪神となって更に手が付けられなくなる事もある。

 誰かが誰かを恨む。ありふれた事だと思う。故に呪物なんて物は、退魔師からすればそれ程珍しくはない。


 だから少なくとも、【六魔】が進んで欲する様な物ではない筈だ。


「クク。君は今こう思っている。『どうしてたかが呪物を、お前の様な奴が探しているのか? この氷凰の反応はどういう訳だ?』と。そうだろう?」

「…………」


 もう喋らないでくれ。

 心中でそうぼやいたが、狂狸は察する気などないだろう。


「黒禍はただの呪物じゃない。別名、〈最悪の呪物〉とも言われる代物さ。そこらの薄っぺらい呪いとは訳が違う。呪い、恨み、怨念、憎悪……全てが他と比べる気も起きない程積もり積もって。何十年何百年何千年と、混ぜ合わされ凝縮された末。あれはこうも称されるようになった」


一拍置いて、狂狸はひび割れの様な口を開く。


「【無間の六魔】の一角にして、最強の存在だと」


 また【六魔】。

 この場に二匹。

 そして、ここにもう一匹の欠片が一つある。

 実際の数は、合計五つ。


 自分でも気持ち悪い程冷めた頭で、理解し始めた。

 狂狸はその黒禍を、この世に復活させようとしている、といったところか。何故そんな事を目論んでいるのかは分からない。

 いや、今に限っては、どうでもいいとも言えた。


「これ以上詳しくは言わない。言うつもりも義理もない」

「そうかい……。俺も聞きたくない」

「聞き分けがいいね。どうせ殺されるんだから、意味のない事だって分かってるらしい」

「……うるせえ」

「なに、悲観する事は微塵もないさ。君の師匠の様を良く見てみなよ。まるで死体に糸繋げて持ち上げてるみたいだ。多少は回るその頭なら、僕の言わんとする事分かるだろう?」

「うるせえっつってんだろ。黙れよ」


 既に、黒い何かは溢れ出していた。

 奴が無言で訴えてくる。師匠も背中に視線を飛ばしてくる。二人揃って、「抑えろ」と言っている。


 でももう無理だ。

 無謀と分かっていても、勝てる訳ないと分かっていても。

 限界だ。

 次、狂狸が口を開いた瞬間。

 俺はもう自分を止められなくなる。


 そしてそれは、案の定訪れた。


「君も災難だったね……。あんな男を師としたばかりに、ここで僕に殺される」

「黙れえええええぇぇぇぇぇぇぇぇッ‼︎‼︎」


 凪いだ心中も、冷え切っていた頭も、瞬時に荒ぶり沸騰した。喉のダメージも憚らず怒声を吐き出す。黒い何か——単純な殺意と怒りが、誘爆を起こし俺を埋め尽くした。


 殺す。

 お前は許さない……!

 絶対に許さない‼︎


「狂狸ィィィィーーーーーーーーーーーーーッ‼︎」


 右手を振るい、鎖を薙ぐ。

 先端の錘が、狂狸の側頭部に吸い込まれる様に接近してゆく。


「“滅爆鎖撃”!」


 直撃のタイミングを見計らい、鎖に流れる霊気を爆発させた。錘部分が一際眩しく閃光を放つ。


 もろに食らった……筈なのに、狂狸は何て事ない風にそこに立ったままだった。

 手を鎖に伸ばしてくる。掴まれる前に鎖を手元に引き戻す。


「貴様ッ……」

「安心しろよ。死ぬ気なんざ微塵もない。アイツを殺す事しか、今は頭に浮かばねえよ……!」

「……たわけ。直でも間接的でも、触れられる様な行為は避けろ。奴の挙動にも警戒しろ。それから景生、貴様は下がってろ」


 奴は師匠の方に片手を突き出し、冷気を放った。体中にあった赤い筋を、氷が覆ってゆく。


「それで多少血は止まるだろう。だが無理に動けば意味がないからな」

「やれやれ、改めて思うよ氷凰……。どうしちゃったんだい、君? そんな優しい奴じゃないだろう? 蟻を踏み潰すのにも出し惜しみしない君が、どういう心境の変化があれば、人の側に付くっていうんだい?」

「……そう言う貴様はやはり陰気だな。そして鬱陶しさも変わらない」


 再び背に氷の翼を生やした奴が、俺に目配せした。


「……死んでくれるなよ」

「死なねえよ。その前にアイツを殺せばいい」


 狂狸は余裕と侮りをふんだんに込めた笑みで、俺たちを見ていた。

 その右腕をいきなり、胸のあたりの高さで薙ぎ払った。俺は屈み、奴は上空へと飛び上がった。


 頭上を、何かが一閃した。

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