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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第1章「奇譚開幕」
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第22話「無間の六魔・狂狸③-間に合え-」

 導木景生は三人の弟子を拾った。

 一番最初は青葉龍臣。その次に白井口虎乃。最後に間定鱗士。三人とも、一筋縄にはいかない過去を経て、彼のもとへと流れついてきた。

 時に厳しく、時に優しく。師匠としても親としても真摯に向き合う景生に、三人も徐々に心を開いていった。


 龍臣も虎乃も鱗士も、立派に成長した事が感慨深いと同時に、景生にとっては懸念点もあった。


 龍臣は真面目で慎重だが、だからこそ自分を高く見積もらない。隣に虎乃という天才がいる事も関係してか、自分の限界を早くも見限っている節があった。


 虎乃はある事が絡むと、普段以上に突っ走ってしまう。龍臣というブレーキすら機能しない程に、周りに目が行かなくなってしまうのだ。


 鱗士は己の存在価値を見出せないでいる。故に、自分の身を投げ捨てる事に何の躊躇も持てない。お陰で体の至る所に傷を作るのは日常茶飯事だった。


 そんなまだまだ不安定な弟子たちが一人前になるまでは死ねない。景生はいつもそう思っていた——







「……ッ‼︎」


 走馬灯がよぎる頭で、景生は半身の姿勢をとった。攻撃が見えた訳ではない。狂狸の手の動きと、これまで培ってきた勘だけを頼りにしての、咄嗟にして賭けの行動だった。

 そしてその勘は正しかった。


 景生の鼻先を、見えない何かが掠めた。

 見えなかったが、ほんの僅かに空間がぶれた。

 確実に目の前を何かが横切った。


「流石」


 狂狸はポツリとそう言ったかと思えば、右手を左に振りかぶる。そして再び、力を込めずに薙ぎ払う。

 景生は屈んだ。黒い毛髪の先端がパラパラと空中を舞った。


(今ので三回目。全て手の動きと連動している……見えはしないが、右手から直線上に何かが伸びているのか……?)


 絶体絶命と言っていいこの状況で、景生は頭を回転させる。“神ノ矛”なるこの技を攻略しない事には、景生に勝機はない。

 既に一撃食らい、かなり血を流してしまっている。今の時点でも相当まずいのだ。これ以上食らう訳にはいかなかった。


「……来たね、氷凰」


 狂狸が手を止め、外の方を見やる。結界で家ごと覆われていて外は見えないが、冷たくて大きな妖気が景生にも感知出来た。

 それに加えてもう一つ、景生の良く知る霊気もそこまで来ている。


「…………」

「増援到着か。悪いけど入れてやる気はないよ。僕は欠片さえ手に入ればそれでいい」


 狂狸はそう吐き捨て、右手を水平に薙ぎ払う。景生は先ほどのように屈んだ。今度は毛先も散らせずに躱しきったと一瞬思った。


「?」


 だが、すぐ違和感に気付いた。

 一撃目二撃目三撃目……と、“神ノ矛”は全く視認出来なかったが、そこを何かが通ったという感覚が。死を呼び込む『圧』が、景生に襲いかかってきていた。


 それに比べて今の素振り、あまりにも『圧』が無さすぎる。

 すぐに察したが、晒した隙は大きかった。特に狂狸を相手にして、その隙は致命的だった。


 狂狸は左手を振り下ろす。


「反応の良さが仇になったね。残念……“矛”は持ち替えられるんだ」


 赤い噴水を前にして、狂狸は前髪をかきあげて眼窩を露出させながらそう言った。


「グハ……」


 口から息とともに血が吐き出される。

 二度目の深手。右肩に大きな斬り込みが刻まれた。骨を断ち、右肺までを大きく抉る致命傷だった。呼吸すら既にままならない。


「…………」


 だが、景生の眼光は依然鋭さを失っていなかった。

 膝に手を付き、歯を食いしばり、少しずつ体を持ち上げてゆく。


「……しぶといなあ」


 狂狸は髪から手を離す。眼窩は元通り髪に覆われ見えなくなった。


「その出血だ。いくら君でも人間は人間。大人しくしておくべきだと警告しよう。そうすれば、いくらか楽に逝けると思うよ」

「余計な、お世話だな……」


 満身創痍で立ち上がり、斬られて短くなった錫杖を狂狸に向ける。息は全く整わず、視界もハッキリしていなかった。本来立つ事も出来ない傷と出血だった。


「渡せんなぁ…………お前のような奴には、特になぁ……」

「……やっぱり愚かだよ。人間は」


 狂狸の口元から笑みが消える。苛立っていた。理解不能な思考と行動に、貼り付けた笑みは消え去った。


「面倒臭いなあ、全く」


 狂狸の手のひらの目玉が、目一杯見開かれて充血していた。







 家を覆う結界は暗鬱としており、外側の全てを拒むような様相だった。そして、俺にも一目で分かる。これは相当高度な結界だ。いつぞやの蜘蛛のものなど比べ物にならない。


 それだけに、俺はますます冷静さを欠いていく。


「クソッタレッ!」


 鎖分銅を伸ばし霊気を纏わせ、結界に向かって力任せに振るった。淡く光る青い軌跡は、夜のように暗い結界に、いとも容易く弾かれた。


 奴の周囲に冷気が集まり、氷柱が形成されてゆく。マシンガンの様に乱射されたそれらは、結界に衝突しては虚しく粉々に崩れ去った。


 漆黒の結界は微動だにしない。


「硬い……これを破るのは骨が折れるぞ」

「どうすんだよ…………ッ」


 駄目だ。俺にはこの結界は破れない。コイツにも破れるかどうか……。

 すぐ目の前なのに。そこで【六魔】と師匠が戦ってるってのに。俺は踏み入る事すら出来ないのか?


「さっきまであった妖気が消えている……という事は」

「何だ⁉︎ 何か知ってるのか⁉︎」


 奴は目付きを険しくして憎々しげに口を開いた。

 妖気が消えている……それは俺もとっくに気付いていた。あの蜘蛛の様に、隠密に動いて隙をつくという風でもなく、完全に消えてしまっている。


 普通なら妖怪が倒されたか逃亡したと考えるところだが、それにしては妙な点がある。結界は消えないし、師匠の霊気の様子もおかしい。


 霊気を感じるという事は、それ相応に霊気を放ち続けているという事だ。つまり今も戦っている、という事になる。しかも、感じ取れる霊気が弱々しい。とても師匠のものとは思えなかった。消えかけの蝋燭の火の様に、吹き消せてしまいそうな程に……。


「【六魔】と師匠は、やっぱりまだ戦ってるんだな⁉︎ しかも……かなり、追い詰められて……」

「妖気を完全に絶った状態で、景生程の猛者を殺す術を持つ奴。あいつで間違いない……糞狸め」


 高度が下がり、宙ぶらりんだった俺の足が地面につく。奴がそれを確認してから手を固定する氷が溶け、翼も消えて着地した。表情は、未だ険しいままだ。


「あの気色悪い妖気からして、そんな気はしていたが……。奴の名は狂狸だ」

「狂狸……この結界はソイツの仕業か?」

「いや、あいつじゃない。別の奴がいるらしいな」


 俺はまた、結界に鎖を叩きつけた。だがやはり微動だにしない。


「その狂狸って奴は、どんな技を使う?」

「……一言で言えば、“貪る妖気”といったところか。奴の妖気は、他者の『気』を文字通り貪り食って自分の一部にする。そこらの退魔師や妖怪なら、数秒触れられただけで食い尽くされて死ぬだろう」


 話を聞きながら、何度も鎖を振るい続ける。反動だけが、鎖を伝って右手に返ってくる。


「それだけじゃないだろ?」

「……私にも良く分からんが、奴は“神ノ矛”と呼んでいた。何故だか妖気は全く使わない。目で見る事も出来ない。極め付けに、防御する事も叶わない」

「は……?」


 息が切れ始める程全力で振り続けた腕が、止まった。奴の口から出た情報の突拍子のなさに、間抜けな声が漏れた。


「どういう、意味だよ……?」

「そのままの意味だ。どんな力の篭った武器だろうと、どんなに妖気を込めて防御しようと……。奴の矛は全てを等しく破壊する。不可視かつ防御不可の攻撃を、奴は妖気なしでやってのけるんだ」


 しばし呆然と立ち尽くした。ソイツを直に見た訳じゃないのに、脂汗が流れてきた。

 意味が分からない。そんな話聞いた事がない。出鱈目にも程がある。


 でも……確かにそれくらい馬鹿げてないと、師匠がこんなに追い詰められる筈が…………このままだと——


 死。


「……そんな事が…………」


 最悪のビジョンを叩き割る様に、俺は再び鎖を振るった。


「あってたまるかッ‼︎」


 弾かれる。また振るう。また弾かれる。また振るう。また弾かれる。また振るう。また弾かれる。また振るう。また弾かれる。

 それを繰り返すたび、反動が余すところなく俺の右手に跳ね返ってきた。


「止めろたわけ! 力任せにやってどうこうなる結界じゃない!」

「ならどうしろってんだよ‼︎ このまま結界の外で何もせず、奴に好き勝手させろってか⁉︎ ふざけんじゃねぇよッ‼︎」


 鎖を握る手から何かが滲み出てきた。あまりに強く握り過ぎたか、反動に耐え切れなくなったのか。赤い雫が滴ってきた。

 だが手は止めなかった。止められなかった。止めたら……諦めたら取り返しがつかなくなってしまう気がした。


「やっとなんだぞ……十年ちょっと生きてきて、今日やっとなんだぞ……! やっと、普通に生きてみようかって……もうしばらく死にたくないって、初めて思えたんだぞ‼︎」

「……!」


 丁の笑顔が脳裏に浮かんだ。

 その途端、視界が曇りガラスの様にぼやけ始めた。

 どうやら堪え切れなくなったらしい。


 不意に現れた希望。

 それを帳消しにせんばかりの絶望。

 二つが混ざり合い、暴発した結果だろうか。


 涙が溢れでて、頰を伝って流れてゆく。


「それなのに……! アンタが、ここで死んだら…………意味ないだろ! 俺が生きてても、アンタが見ててくれないんじゃあ……‼︎ 俺が成長したって事を、一番見て欲しい人に死なれたらッ‼︎ それじゃ結局意味ないだろぉーーッ‼︎」


 放った鎖が纏う淡い光を炸裂させた。

 渾身の力だった。

 結界は、無傷だった。


「…………り……」

「開けよ……! 開いてくれよ…………‼︎ まだ何一つ返せてないんだよッ‼︎ あの時助けてくれた恩も、拾ってくれた恩も、戦えるようにしてくれた恩も、育ててくれた恩も……‼︎ だから……頼むよ…………」


 腕に力が入らなくなった。鎖は速度が乗らず、ジャラジャラと地面に落ちた。項垂れた頭も上がらない。奴がどんな表情でそこにいるのかも分からない。視界に映るのは、流れた涙が地面に落ちる様だけだった。


 ……ちくしょう。

 こんなに喚き散らした挙句、何も出来ないなんて。

 馬鹿みたいじゃねえかよ……。


 俺は……恩返しも碌に出来ない程、無力だ。


『ああそうだな、お前はまだまだ弱っちい』


 え……⁉︎


『まあ驚くなよ。こっちもようやくちょいと干渉出来るようになって、やったぜひゃっほうって面持ちなんだからさ』


 頭に直接声が響いてる?

 何だよこれ……女か?

 誰だよお前?


『誰とは何だ。ずっと一緒にいたんだぜ? ってまあ今はいいや。さて……間定鱗士。今からお前は辛い思いをするだろう。自殺したくなる程の、特大の辛い思いさ。もうどうしようもない事だ』


 な……どういう意味だ⁉︎


『悪いな。悠長に喋ってる時間はないから、一方的に言わせてもらうぜ。割り切れとは言わない。でも絶望だけはしないでくれ。どうか……その後も頑張って生き続けてくれ』


「……⁉︎」


 痣から何かが溢れてくる。全身が心臓になった様に、ドクンと鼓動した気がした。


『今はこれくらいしかしてやれない。あとは自分で切り抜けな』


「う……⁉︎」


 霊気が勝手に流れ出た。蛇口を全開にしたみたいに、底が分からない程大量に。俺の本来持つ霊気の量の、何十倍では足りない量が、極大の稲妻の如く結界にぶち当てられた。


 あれだけ頑丈だった結界は、落雷の様な轟音に呑まれ、跡形もなく消滅した。

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