第21話「無間の六魔・狂狸②-貪る妖気、冒涜の矛-」
先に行動を起こしたのは景生だった。
その場で錫杖を振りかぶり、風切り音を立てながら袈裟斬りの様に振り下ろした。それにより、錫杖に纏われていた霊気が砲弾の如く放たれる。霊気球の弾道は真っ直ぐ猛スピードで飛び、瞬き一つ程の時間で狂狸の右脇を通り過ぎた。
「おや……」
この時狂狸は初めて、笑み以外の感情が口から漏れた。感嘆の表情だ。
霊気球は速度を落とさずそのまま進み、突如何もない空間で爆裂した。
爆裂した空間から、黒い塊のようなものが吹き飛んだ。
「なんだ、気付いてたんだ」
「俺を見くびらないでもらおう」
景生は吹き飛ばされ地面に突っ伏すそいつをチラリと見やる。顔は目や口までも包帯でぐるぐる巻きにされており、素顔を伺える余地はない。体は黒いマントで覆われていて人型だ。
「姿を隠したこいつをこんなに早く。あれを見破れる奴なんて、片手で数えられる程しかいないはずなんだけど。ほんのちょっぴり、認識を改めた方がいいかな」
「なら、あとの二匹も姿を現せばどうだ?」
「へえ……」
狂狸は愉快そうに口元を歪める。そして右腕を上げて指を鳴らした。その音とともに、吹き飛んだのと同じ姿の妖怪二匹が虚空より姿を現した。
二匹は狂狸に負けず劣らず、不気味で得体の知れない存在感を放ちながら、微動だにせず棒立ちでその場から動かない。
「こいつらはうちで作った改造妖怪でね。強さは野良犬以下だけど、今みたいに姿と妖気を潜ませたり、結界張ったり空間を跳んだり……まあ色々便利なんだよ。僕らは空割って呼んでる」
「ほう、お前が突然現れたのはそいつを使ったからか。にしてもベラベラと喋ってくれる……俺はとことん見下されているらしい」
「そんな事ないさ。君の事はそこらの雑魚じゃなく……ちゃんと殺しがいのある雑魚だって思ってるよ」
言いながら両手を前に突き出し、横一文字に切れ目の入った手のひらを開いた。景生は攻撃に備え、錫杖を握る手に力を込める。
「空割、結界だけ張ってなよ。お前らじゃ彼に何したって無駄だし、ちょこまか余計な事されると邪魔だからね」
歪んだ口元に一層亀裂を走らせ、狂狸は紫色の妖気を全身から放った。それにより同じく紫の髪が靡いて、空っぽの両眼窩が露わになる。
そして、手のひらの切れ目が縦に開き……本来眼窩の空洞に収まっているべき眼球が二つ、ギョロギョロと蠢いた。
「楽に終わるとか期待しないでね」
不快感を全力で煽る妖気が、両手のひらの眼球に集結していく。呻き声の様な音を立てながら、数秒でバスケットボール程の大きさの二つの妖気球が形成された。それらが、ノーモーションで射出される。
景生は錫杖を薙ぎ払って霊気球を二発、飛んでくる妖気球の軌道上に放った。群青は凄まじい速度で飛び、やや速さの劣る紫に迫る。互いにぶつかり合い相殺する……景生がそう思った時。
紫の妖気球に亀裂が走り、直進しながら大口を開いて霊気球を丸呑みにした。
「……!」
一回り大きくなったそれらを躱そうと、景生は左へ飛び退く。だがそれだけでは、この攻撃をやり過ごすには足りないとすぐに痛感した。
二つの妖気球は空中で動きを止めたかと思うと、膨張して破裂、無数の小さな妖気球へと姿を変えた。それら一つ一つに口の様な亀裂が入り、さながら怨霊の如く景生へと襲いかかる。
錫杖を掲げ、その先端へと霊気を集中させる。妖気球の弾幕がその身に降り注がんとする寸前……溜めた霊気を一気に解き放った。
「“発”ッ!」
眩い群青色の光に晒され、小さな紫は逆に飲み込まれ尽くした。
だが狂狸は既に、景生の目の前にまで接近していた。右手より掌底が突き出され、手のひらの眼球と景生の目が合う。
咄嗟に錫杖でそれを受け止めた。受け止めてしまった。
「チィ……!」
「駄目だなあ……そこはさっきみたいに躱さなきゃ。今の見てただろう? これは悪手ってやつなんだよ。いや、分かってたけど仕方なかったのかな? なら仕方ないか。その程度って事だ」
狂狸は喉の奥で笑いながら、掌底を止める錫杖を握り返した。距離を取ろうと試みるも微動だにしない。
妖気が流れ込む。景生の霊気を貪り侵食しながら、狂狸の妖気が錫杖を伝ってその身に流れ込む。景生の全身を異様な倦怠感が襲う。霊気を休みなく連続で使い続けた後のように、力が入らなくなってゆく。
「……く」
景生は思い返す。
妖気球は自身の放った霊気を飲み込み、巨大化した。今は間接的に触れられているだけで、力が抜けていく。
氷凰が氷と冷気を操るように、狂狸は他者の力を文字通り貪るのだ。そして食らったエネルギーを自らの力に還元する。それが狂狸のやり方なのだと景生は理解した。
「そこらの雑魚なら、五秒も触ってればもうお終いなんだけどな。やっぱり君はちゃんと殺しがいがあっていいね。人間の中でも上出来だよ。でもだからこそ分かるよね? 君と僕との力の差ってやつ。そろそろ諦めて渡してくれないかな。別に僕、殺戮大好きって訳じゃないからさ。戦うとどうも長引いて駄目だ。早く済めばそれが一番……」
「やかましいぞ」
滞りなく口を動かし続ける狂狸に、景生は静かにして鋭利な殺気をぶつけて睨んだ。錫杖を持つ手を両手から右手のみに持ち替え、自由になった左手を強く握り締める。
「聞こえていなかったならもう一度言おう」
左手からミシミシと音が聞こえてきそうな程、握り拳に力を込める。それはやがて群青色の光を帯び、触れたものを塵へと変えんばかりの圧が放たれてゆく。
そして景生は、身を仰け反らせながら左手を引いて、
「——俺を舐めるな」
静かにそう言い放った。
狂狸の思考に、帰還信号が発せられる。錫杖から手を離し、前方を防御する姿勢をとった。
ほぼ同時に、景生の左拳がふり抜かれた。
体重を乗せて放たれたその威力は、例えるならバズーカ砲だった。空気を揺さぶり、狂狸の体を真正面へと吹っ飛ばし、余波が庭の大地を抉って放射状の紋様を描いた。
土煙が巻き上がり、爆発でも起きたように視界が濛々と覆われる。それでも景生は狂狸の存在を捉え続けていた。姿は見えずとも、分かりやす過ぎる不気味で巨大な妖気は健在だった。今の一撃を正面から受けても、消滅する気配が感じられない。
「……今のは少し焦ったよ」
土煙の向こうから狂狸の声が届く。それまでの余裕綽々な様子とは違い、いくらか声のトーンが落ちていた。
「生身の人間がこれ程の破壊力を。しかも霊気を消耗した状態で……武器も使わないで。『舐めるな』、か……そうだね。どうやらそうらしい」
妖気が強く放出され、土煙は霧散していった。互いが互いの姿を視界に捉える。
景生は警戒心を尚更に高めた。狂狸の両腕には、いくつか傷が散見された。ボロボロだった服の袖は吹き飛んで一層みすぼらしくなり、口元からは相変わらず不気味な笑みがこぼれていた。
だがさっきまでとは質が違う。説明しがたいが、明らかに違う笑みだった。
「でもさあ……焦りより苛つきのが大きかったかな。ちょいと手傷を負ってしまった。君程度に、負わされた。……思い上がらないでよ? それでも僕の方が強い。圧倒的に僕が強い」
狂狸がそう言った時、異変が起こった。
(⁉︎ 妖気が……薄れてゆく)
紫色の貪る妖気から、禍々しい輝きが失われていく。感じる圧も、全身から鉛が剥がれ落ちてゆく様に軽くなっていく。
先程の攻撃が効いている訳ではない。それは景生が一番良く分かっていた。
「よし決めた、少しだけ本腰入れようか。ところで導木景生……後悔はしないでよね? 君は自ら消したんだ。僕がまだ油断していれば、万が一か億が一くらいにはあったかも知れない勝算を」
狂狸のその台詞は、景生からすれば矛盾に満ちていて困惑に拍車がかかる。本腰を入れると言いながら、目の前の妖気はみるみる小さくなってゆく一方だ。妖気を引っ込めて強くなるなど、一度も耳にした事がない。
(何だ……何をするつもりだ)
狂狸の妖気が完全に感じ取れなくなった。
景生は警戒を解いていない。
むしろこれまでで最大限にアンテナを巡らせて、次なる攻撃に備えていた。
狂狸は右腕を軽く左に捻る。
(来るか……ッ!)
景生は錫杖を握る手に力を込める。
だが、とれた行動はそこまでだった。
「“神ノ矛”」
捻った時同様、狂狸が埃を払う様に軽く、右腕を薙いだ。
景生の視界に赤い飛沫が飛び散る。
自分の体から噴出した鮮血だった。
「何……⁉︎」
見えなかった。
何も感じなかった。
気付いたら攻撃され、体から血があふれ出ていた。
見下ろせば錫杖は真っ二つにされ、胸に深い斬り傷が刻まれていた。
自らの血で衣服が赤黒く染まっていく。
景生はよろけて膝をつきそうになるも、すんでのところで堪えた。だがダメージは大きかった。一撃で血を失い過ぎた。息が乱れ、肩が上下し始める。
「最後にもう一回聞くけど……例のもの、渡してくれない?」
「断るッ……!」
「そう」
狂狸は右手を上へと掲げた。
また来る。妖気を伴わず、見る事さえも叶わない正体不明の攻撃が、再び繰り出される。
(何をされた……妖気を使わずにこんな事が出来るのか……⁉︎ これが……【六魔】……!)
狂狸は脱力した様に、力を込めずに腕を振り下ろした。
*
空中から見下ろせば、その異常は明白だった。ある区画を覆う様にして結界が張られており、その中は伺えなくなっている。
「……やっぱりかよ」
最悪な予感が的中した。
自分の血の気が一気に引くのを感じた。
結界が張られている事。追っていた巨大な妖気が何故か途絶えてしまった事。何もかもが俺の頭から吹き飛んでいた。
妖気の発生源に真っ直ぐ飛んできた。
その方向に、結界で覆われた場所がある。
自然に考えて、そこに妖気の主——【六魔】がいるのだろう。
「おいおい……何の冗談だ⁉︎」
奴が叫ぶように言う。
俺は何も返せなかった。
何故なら、その場所は俺の家だったから。
師匠がいる筈の……場所だったから。




