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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第1章「奇譚開幕」
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第18話「その日①-蠢き-」

 俺にはきっと、人並みの存在価値なんてないんだ。価値がないから、生きるのに不自由な要素をしこたま詰め込まれたんだ。齢十にして、俺は自分にそう結論付けた。







 目が覚め、開けた視界に見慣れた天井が映った。上体を起こして数秒惚けた後、盛大な溜め息が漏れ出す。今更な夢を見た。俺という人間の人格を決定付けた頃の夢だ。


 小学生の分際で、全部捨てて死のうと決めた。だが俺はまだ死なず、今年であれから六年生き長らえている事になる。死ななかったのには理由があるのだが、思い返さないでおこう。それが生きる希望という訳でもあるまいし。


「……なんだその顔は。暗い面しおって、今に蝿がたかるぞ」


 着替えて居間に出てくると、奴が胡座をかいてトーストを齧っていた。そして俺を見るなり、凄まじく失礼な事を言い放つ。これまでのコイツの全発言中、今のが一番パンチが効いてる気がした。


「お前さ……俺が何言われても傷付かないと思ってない?」

「自分の事はどうでもいいんだろう? 貴様」

「それでも痛いものは痛い」


 俺は洗面台に向かう。道中、氷漬けの食材の山が視界に入った。不可解な光景だが、あれには正当な理由がある。


 まず昨日は例のいざこざのせいで、結局家電は一部しか新調出来ず仕舞いだった。なので洗濯物はコインランドリーを利用し、夕飯は出前でどうにかしたのだが……冷蔵庫だけは代用が効かない。このままでは、食材が駄目になる様を見る事しか出来ないという由々しき状況だった。

 そこで氷を操る大妖怪に白羽の矢が立った。現在冷蔵庫にあった食材たちは、奴により冷凍保存されているという訳である。そもそも家電ぶっ壊したのはアイツなので、これくらいやって当然だろう。


 洗面台から戻ってくると、奴はトーストを丁度食べ終えた所だった。


「トースターは無事で良かった……」

「そうか? このとおすととやら、あまり美味くないぞ。なんかパサパサしていて物足りない」

「どの口が言ってんだ」


 コイツにそんなツッコミ入れるのも無粋か……。俺も最近なんか麻痺してきた気がする。


「師匠は?」

「さあ。なんか部屋に戻っていった」

「……ふうん」


 トーストを焼きながら考える。

 最近……具体的には、虎乃たちが押し寄せてきた日くらいからだろうか。別に自分の部屋にいる事がおかしいという訳ではないが、頻度が上がっているような気がする。仕事のない日、師匠は寝る時以外居間にいる事の方が多かったのだが。何かあったのでは、というのも考え過ぎだろうか。

 まあ師匠の事だから心配ないとは思うけど。


「お前今日どうすんだ。学校ついてくんのか?」

「ん、そうだな……」


 奴は腕組みし、口元を緩めながら考えるそぶりを見せる。表情からして、コイツの中では既に答えは決まっているらしかった。

 こちとらいつも以上に気が重いってのに……。







「おはよう間定君!」

「…………お」

「由于夏!」

「あ、氷凰ちゃんもおはよう!」


 通学路の道中にて。丁由于夏——時々俺に話しかけてくる唯一の生徒にして、何かと妖怪に襲われやすいらしい少女と鉢合わせた。そして俺が返事する前に、奴は丁の方に駆け寄っていく。それもかなり親しげに。


 これも昨日に遡って説明させてもらう。あの妖怪共がどこからか現れた際、何故か奴と丁は一緒に行動していたらしい。細かい事は知らないが、なんだかんだあった結果打ち解けてしまったという。あの人間嫌いを公言する上から目線バカ大妖怪が、普通の人間の少女とだ。


 後処理諸々を師匠に任せ、成り行きで三人で帰路に着いていた時も、女子(?)コンビはまるで同級生の如くお喋りに興じていた。内容は主にアイツの真偽不明な武勇伝だった気がするが、丁は文句も言わずニコニコしながらそれを聞いていた。


 そうして俺が黙々と歩く数歩後ろで仲はどんどん進展し、いつの間にか『由于夏』『氷凰ちゃん』と呼び合う程の関係になっていた。

 史上かつてない打ち解けぶりに、正直理解が追いついていなかったりする。丁も俺に話しかけてくる物好きだとは思っていたが、やっぱり相当変わってたんだなとこの時確信した。


「間定君、改めてあの時のお礼ね。良かったらこれ」

「…………」


 ついでに俺に対する対応も、恐る恐るからこんな感じに。何故かピンクの紙袋にリボンがあしらわれた小包を手渡される始末だ。

 普通あんな目にあったら、二度と俺たちに関わりたくないと思いそうなものだが……。俺の困惑は現在天井知らずである。

 何となくこれを予想していたので、今日は一層登校時の気が重かった。


「……何これ」

「クッキー。急いで作ったから上手くできてるか分かんないけど」

「え、何……手作り? わざわざ?」

「美味い」

「しかも二人分……てか食うの早いな」


 開いたピンクの紙袋を片手に、奴はモグモグとクッキーを頬張っていた。バウムクーヘンといい、アイツは活動時期の割にハイカラな味覚の持ち主らしい。


「喜んでもらえたみたいで良かった。ごめんねそれくらいしか出来なくて」

「まあ、うん……アイツは単純だから。あと別に謝らなくていいし……そもそもお礼なんて気を遣わなくてもというか……」

「ん?」

「あ……いや、迷惑って訳じゃなくてだな……俺はその……そっちが思う程の人間じゃないし、俺にかける時間が勿体なくないかというか……。俺にこんな事してくれるより、もっと有効な時間の使い方が……だって、俺は……」


 丁は真っ直ぐ俺を見続ける。何とか言葉を紡ごうとしどろもどろになる俺に対し、キョトンとした表情で小首を傾げていた。眼鏡の奥の瞳は丸くて純粋で……。俺とは大違いで。

 先の言葉が出てこない。そんな俺を、丁はますます不思議そうに見つめる。


「? とりあえず急ごっか。遅刻しちゃう」

「あ、ああ……」


 ニコリと笑い、小走りで学校へ向かっていく丁の背を、俺は呆然と目で追った。


「やっぱ変わってるよな」

「確かにな。だが貴様なんかよりよっぽど出来た小娘だぞ。貴様なんかより」

「うるせえ二回言うな」


 奴の頭を軽く小突き、俺は足を進めた。







 四時間目。

 丁の事を頭に引っ掛けながらも、いつもの様にボンヤリと授業を受けている。俺としてはそんなに親密にはなりたくないのだが、何故か彼女はかなりフレンドリーだ。どうにかなあなあに出来ないだろうか。


 そんな俺の思考を嘲笑うかの様に、奴は丁の席に張り付いてノートを覗き込んでいた。

 ……何やってんだあのバカ。


 因みに奴は現在、俺以外には視認出来ないように姿を隠している。なので丁はもちろん他の生徒や教師にも奴の姿は見えておらず、結果として人様のノートを奴が勝手に盗み見ている状態だ。


 本来ならこれを黙って見過ごす俺ではない。だが強引に引っ張り出して暴れられると手がつけられないというのが一つ。

 それと今の授業は数学だ。盗み見ているとはいえ、アイツにこの数字の羅列を理解するオツムはない。よってまあ良しとして黙認している次第である。


「ろく、ばつ、ななじゅうさん……?」


 それ6×73な。

 心の中でそうツッコミを入れたと同時にチャイムが鳴り、授業終了と昼休み開始が告げられた。


 昼飯どうしようか。あんぱんはこの前食ったしな。ジャムパン? クリームパン? それかメロンパンか……。とりあえず購買行くか。

 教室を出ようとする俺に気付いたのか、背後から足音が近づいて来る。


「間定君っ」

「…………」


 何故彼女はこう、人目に触れる所でも躊躇せず俺に話しかけられるのだろうか。今ドアの方を向いて立っているので見えないが、多分クラスの視線が俺ないし丁に集まりつつあるだろう。別に俺はどう思われようと構わないが……丁はどうなんだ。平気なのか。


 流石にこの状況でシカトは出来ないので、俺は仕方なく振り返る。


「何? 購買行きたいんだけど」

「お昼一緒に食べない?」

「……は?」


 本気で耳を疑った。

 何なんだ本当に。


「あのさ……。自分が何言ってるか分かってる?」

「と言うと?」

「『と言うと?』じゃないだろ」


 頭を抱えたくなってきた。もう彼女の事が分からない。


「……もういいや。勝手にしてくれ」

「じゃあ勝手にするね」


 丁は一層嬉しそうに笑った。

 俺はどうしたものかと頭を掻く。妖怪の事を知って離れるどころか、逆にほぼ一方的に親密になられているのはどういう事だ。榊さんの様に元から妖怪を知ってた訳でもないだろうに。

 どうすれば彼女は離れてくれるのだろう。適当にあしらっても駄目。妖怪を目の当たりにしても駄目。


 ならこの際、関わらないでくれとハッキリ言うのはどうだろうか。でもその言葉を素直に受け取ってくれるか? 単に関わるなと言われても、多分納得はしてくれないだろう。何故かと理由を追及されるのが目に見える。


 ……だったら、その理由まで話してしまえばいいんじゃないか?


「……ちょっと話そうか丁。二人になれる場所で」


 歩きながら振り向かずにそう言うと、丁は「うん、いいよ」と快諾した。


 校舎は校門の正面にある中央棟、それと両サイドに渡り廊下で繋がった東棟と西棟がある。この内東棟は隣に体育館が面しており、その二つに挟まれた空間は人気がとても少ない。俺と丁はそこに足を運んだ。案の定、この場には俺たちしかいない。


「ねえ、氷凰ちゃんは? 朝に会ったっきり見てないけど」

「ああ、アイツ……ずっとノート覗き込んでた。丁の」

「嘘⁉︎ そういえば普通人には見えないって言ってたけど……気付かなかったなあ。今もいるの?」


 段差に腰掛けた丁は、巾着を開きながらキョロキョロと見回す。友達でも探すような朗らかな表情だ。

 違うんだよ丁。アイツは本来そんなじゃない。間違っても、人間と仲良くなんて出来る訳ない奴なんだ。


「今はいない。黒板でも眺めてるんじゃないか? けど関係ない。人に手を出せばすぐにでも……道連れにするだけだ」


 俺は体育館にもたれかかり、購買で買ったジャムパンの梱包を開いた。その姿勢上、俺と丁は向かい合う形になる。互いの表情が良く分かる。


 向こうからどう見えてるかは知らない。しかし俺には、困惑と驚きと怯えを混在させて目を見開く丁が見えていた。


「今なんて……? 道連れに……って」

「勘違いするなよ丁。確かにアイツは普段バカであんな感じだけど、正体は危険な妖怪なんだ。いつ何をしでかすか分からない。人を殺したっておかしくない奴なんだよ」

「で、でも昨日は私を助けて——」

「俺は初めて会った時殺されかけた」


 丁は言葉を詰まらせた。


「その時に俺はアイツに術をかけた。互いの命を連結させる術だ。今は大人しくしているが……アイツが人に危害を加える事があれば」

「! 駄目だよ自殺なんて!」


 俺の意図を察したらしい。必死な形相で丁が立ち上がった。だが続けての言葉は出てこない。ただ乾いた風の音だけが聞こえてきた。


「俺やアイツにはあまり関わらないでくれ。危険だから」

「……危険なのは一応分かるよ。私みたいな普通の人にも。でも、間定君……」

「これで納得してくれないのは想定内だ。今のは理由その一」


 食い下がろうとする丁を遮り、俺は右手の人差し指を立てて前に出す。そして間を空けずに、中指も続けて立てた。


「理由その二。俺は人と関わりたくない」

「…………」

「何で? って思ってるんだろ。順を追って話すから、納得して今後関わらないようにしてくれ」


 俺は記憶を辿る。自分の事を見限って、今に至るまでの記憶を。物心ついた頃からの記憶を。








 暗がりの中……どこかの地下だろうか。場所も知れぬその場所に、一つの人影があった。


「向かおうか……。最恐を生む欠片を頂戴しに」


 長身痩躯で紫髪のその男は、口を三日月の様にしてそう呟いた。

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