第14話「前日①-氷凰のカルチャーショック-」
怒りというのは、何故買ってしまうものなのだろうか。逆に、何故相手を怒らせてしまうのだろうか。
配慮が足りないだとか、手違いがあっただとか、とにかく気に食わないと感じる相手がいれば、怒りという感情が生まれてくる訳だ。
「…………」
今俺はまさに、目の前のバカ妖怪に対して、その気に食わない以外の感情を感じていなかった。それも、史上かつてない程に。
「…………」
卓袱台の向こうにいるソイツは、頬杖をついて鬱陶しそうにしながら、庭の方に目線を飛ばしている。
「あのな……色んな物に興味持つのは別にいい。百年も経ちゃ見慣れない物も沢山あるだろう」
「…………」
「お前が現れてもう二週間くらいになる。今までこういう事が起きなかったんで、俺も油断していたと言えばその通りだ。その通りだが……」
組んでいた腕を解き、音をたて卓袱台に叩きつける。この時、血管が浮き出ているのが自分でも分かる程、俺の中の怒りが頂点に達した。
「何で触った機械全部ぶっ壊すんだよ⁉︎ 電話もコンロも洗濯機も冷蔵庫も炊飯器も全滅させやがってこのバカ!」
「いちいちうるさいな……。勝手に壊れたんだから仕方ないだろう」
「勝手に壊れた物が氷漬けになるか! あれで誤魔化したつもりって、お前の頭こそ凍ってんじゃないのか⁉︎」
「……チッ」
「何の舌打ちだよ!」
舌打ちしたいのはコッチの方だ。何せ起きてきたら師匠が頭を抱えて項垂れていたのだ。もうこの時点で只事ではない。
で、無言で指差された方を確認してみたら、あらゆる家電がそれはそれは前衛的な氷のオブジェに変わっていた。ホント鎖で首を捻り切ってやろうかコイツ。
「……まあ、過ぎた事をいくら言っても仕方ない」
「甘やかすなよ師匠。コイツ反省のはの字もないから」
「何だ貴様、どうすれば満足だ? 謝ればいいのか?」
「良くねえよこの野郎! 修理か買い替え……どっちにしろ金が掛かるしその間の飯とか洗濯とか……」
「人間というのは金に縛られて哀れだな」
コイツ……どの口がそんな呆れた上から目線で。
今度鎖で縛って、その目の前でバウムクーヘン食ってやる。懇願しても一欠片だってやらねえからな。
「一旦落ち着け鱗士。氷凰には俺がキツく言っておく」
「……本当だぞ? この前の虎乃の時くらいだぞ」
「う……」
奴の表情が若干強張った。
やはり師匠は凄まじい。
「まあ……とりあえず後で電気屋行くか」
「総額いくらなんだよ……」
休日がまた潰れそうだ。
他人事の様に頬杖をつき続けるコイツに、天罰でも下らないだろうか。
*
丁由于夏は、一人自宅のリビングでテレビを見ていた。
両親は出掛けており、友人とも都合が合わなかった為、特にやる事がなく暇を持て余しているのだ。花の高校生が休日の午前中からこんな事でいいのかと思いつつも、何かやる事がある訳でなし。
「う〜……」
やり場のない意欲に、唸りと溜め息が混ざった息を漏らした。ソファに寝そべり足をパタパタさせながら、リモコンのボタンを適当に押す。
しかし、何故かチャンネルが切り替わらなかった。
「あれ?」
何度か続けて押してみたが、やはり反応がない。別のボタンも同様で、電源を長押ししてみても、さっきから流れているバラエティの再放送が映ったままだった。
(故障? 急に?)
真っ先にそう疑ったが、早とちりはいけないと思い直す。とりあえず電池を取り替えてみようと考え、ソファから起き上がった。そしてテレビ台の下にある物入れを漁り始める。彼女の家では、電池は普段そこにストックされていた。
だが見つからない。
どうやら丁度切らしているらしかった。
どうしよう、と考える。リモコンが故障しているかどうかを置いといても、電池が必要な場面は案外多い。暇があれば買いに行った方がいいだろう。
そして今、自分は暇だ。
(……出掛けよっか)
丁度いい切っ掛けだと思い至り、由于夏はテレビの主電源を切ってから階段を上がって自室へと赴く。クローゼットから薄手の赤いカーディガンを取り出して、白いシャツとショートパンツという出で立ちの上に羽織った。ショルダーバッグに財布やハンカチを入れた事を確認する。
玄関で靴を履きながら、どこへ行こうかと思案する。電池だけを買うなら近くにあるコンビニで事足りるが、折角の外出なのにそれでは味気ない。自転車で少し遠くまで行ってみようか。
少しワクワクしながら、由于夏は玄関の鍵を開けた。
*
バスに乗る事約十五分。
バス停まで歩く時間を合わせると、トータル二十分程。
「……デカイな」
俺は目的地である大手電化製品店を見上げていた。俺が普段買い物に行くとしたらコンビニ程度だからか、何階か建てになる店というのが新鮮に感じる。ふもとからだと、軽く仰け反らなければ頂上が見えない。
「何でお前まで氷凰と一緒に衝撃受けてるんだ」
「いいだろ別に。と言うか、コレと並べないでくれ」
俺は右隣に首を向ける。
目と口をまん丸にし、気分が高揚しているのか顔を赤くする、無邪気な大妖怪の姿がそこにはあった。バスで走っている時から割と危うかったが、この巨大建造物を視界に捉えた事で、好奇心が爆発したらしい。質問責めだったのが、何も言わなくなってしまった。ただ子供の様な輝きを放つばかりである。
「当時では考えられない物ばかりだからな。カルチャーショックの一つや二つ受けるだろう」
「まあそうだろうけど」
この状態の【六魔】の一匹を見て、悪名高き他の五匹はどう思うのだろうか。そんなどうでもいい疑問を抱きつつ、惚けるバカを引っ張って店へと入る。
外観同様、中も相当広かった。奥行きの暴力かというくらい広い。更に休日だからか、人も多い。すし詰めという訳ではないが、それでも混み合っているという程度には多い。いや、この広さでそう感じるなら、体感よりも多いかもしれない。地理に疎いと、確実に迷子になるだろう。
「オイ、絶対離れるなよ? お前がこんな所で一人とか洒落になら……ない…………?」
右隣に視線をやり、血の気が引いた。
いや……ないない。
入ってまだ五秒くらいだぞ。
流石にない。
気のせいだ。
もう一度右を見る。
念のため周囲をグルリと確認する。
…………。
「……ざっけんなよあのバカッ!」
「⁉︎ 何だいきなり」
やはり、奴は消えていた。
ものの五秒で迷子になりやがった。
「緊急事態だ師匠、家電は頼んだ!」
「は? オイ鱗士⁉︎」
俺は走りだした。
ああクソ、俺が甘かった。アイツのバカっぷりを舐めてた。あの野郎、今度バウムクーヘンに乾燥剤振り掛けて口に無理矢理ねじ込んでやる!
*
ここは……何だ⁉︎
何ださっきの車輪が付いた塊は!
何だこの馬鹿でかい建物は!
何だそこら中にある見た事ない物体は⁉︎
百年だぞ⁉︎
私が封印されてた期間は、時代としてはそこまで長い期間じゃない筈だ。たったそれだけの間に、人間の勢力はこんなにまでなっていたのか……⁉︎
どこもかしこも、初めて見る物ばかりだ。
「はへ〜……」
おっといかん、つい気の抜けた声が出てしまった。聞かれたかと思い、咄嗟に口を手で覆い周囲を見渡す。
……良し、いないな。あの糞餓鬼に聞かれると、またどうのこうのと突っかかってくる所だ。
「ん……いない?」
もう一度辺りを確認する。
左右にはいない。
後ろも振り返ったが、そこにもいない。
当然、前にも。
…………。
「チッ、はぐれおって」
師弟揃って情けないな。私に付いてこれず、途中で人混みに飲まれたか。
まあ仕方ないと言えば仕方ない。私はそこいらの妖怪など足元にも及ばぬ、謂わば最強の一角! 人間に私と同等を望むのも酷というもの、か。
フッフッフッ。これに懲りて、もう私に舐めた態度を取るのは止める事だな。
それはそうと、これは好機だ。
今の私には、あの糞餓鬼と景生の憎っくき監視がない。図らずもとは言え、奴らを撒く事に成功したのだ。否が応でも気分は高まる。
さてさて、実質百年振りの自由だ。
何をしてくれようか。
ここには面白そうな物が大量にあるぞ。
「おお?」
とりあえず適当に散策していたところ、早速楽しそうな物を見つけた。形は普通の階段なのだが、なんとひとりでに動いている。両側には手すりがあるが、あれも連動しているらしい。つまり、乗っているだけで上に行けるという訳だ。
なるほど、人間の癖に中々やる。
確かに階段の上り下りは煩わしいからな。
「…………」
あんなもの、乗りたくなるに決まっているではないか。小走りでそのカラクリ階段に向かう。
「おおー……!」
私を乗せた黒い段が、傾斜をゆっくり上っていく。それと共に、景色が下へと流れていく。この程度の速度なら自分で上った方がすぐの様な気もするが、この新鮮さに比べれば些細な事だ。
面白いなあ……誰が動かしている訳でもないのにどんどん上っていくぞ。もうすぐ到着なのが惜しい。
そうだ、二、三度往復しよう、そうしよう。
飽きるまで乗ってやろう!
あいつらがいないと気分が晴れ晴れとするなあハッハッハッ!
*
うちのとは段違いな巨大液晶テレビの前で、俺は溜め息を吐いた。
どこだよあのバカ妖怪。
……てか俺が今いる所もどこだよ。
いや俺は迷ってない。
ここが広過ぎるのが悪いだけだ。
俺はそんなに方向音痴じゃない……多分。
*
由于夏は颯爽と自転車を走らせる。
どこに行くかは色々考えたが、彼女の中で最適な答えは導き出されていた。暇を潰せてかつ本来の目的も達成出来る所……。その場所はとても大きく、走る自転車とはまだ距離がある。だが由于夏の目には、既にそこが映っていた。
広くて、ふもとからだと軽く仰け反らないと見渡せない程高く、色々なものがある場所。奇しくも、そこは鱗士達の訪れている大手電化製品店だった。




