第12話「兄弟子たち③-氷凰対虎乃-」
ある妖怪を探し出し、それを殺したい。
その意志の動力源は恨み。
この二つが何を示すのかは、想像に難くなかった。
「復讐か」
「ぴんぽーん……ご名答や」
虎乃はぱちぱちと両手を叩きながら立ち上がり、卓袱台の反対側へと座り直した。私と対面する食えない笑顔には影が差し、中々に薄気味悪い。さっきまでの明るい奴とは別の人間ではないのかとさえ思える程、その様は異質だった。
「私は今年で二十一歳……。せやからもう十五年も前やなぁ。私の家族が皆殺しにされたのは。父さんも母さんも弟も、身体中を斬り刻まれて。外で遊んでた私が帰って来た時には、もう三人共肉塊よりも酷い有様やった。家具も壁も考えられへん様な傷で埋め尽くされとった上、床はドロっとした赤い池になってて、私は何も言われへんかったっけ」
人間目線で見れば相当の惨劇であろう光景を、奴は滞り無く数秒で語ってみせた。奴の頭の中から、その様が薄れた事などなかったのだろう。語り口がそう感じさせた。
「それが妖怪の仕業と?」
「せやで。私は見た。家族やった塊の奥に、全身から血の滴る刃を生やした化物がおるのをな」
奴の笑顔から殺気が漏れた。
空気が振動する。
体が金槌で打たれた様にびりびりとする。
「【無間の六魔】の情報は少ない。私も調べたんやけど、見た目すら釈然とせえへん奴もおった」
「……貴様、【六魔】が犯人だとでも思っているのか?」
「そうかも知れへんし、ちゃうかも知れへん」
奴は卓袱台に手を付いて身を乗り出し、私に顔を近付けた。その面は最早、狂気的とも取れる笑みへと変貌していた。
三日月の様な口に、瞳孔が開いた様な目付き。
その見開かれた瞳に私が映る。
チッ……忌々しい。
像の私は、人間相手に警戒していた。
「教えてや氷凰ちゃん…………【無間の六魔】に、そんな奴はおらへんの? 全身に刃を生やした妖怪」
「っ…………」
気に食わんな……。
この女、私を脅迫しているつもりか?
この私を、威圧しているつもりか?
事もあろうに人間の分際で……。
私より上にいるつもりか。
「弁えろよ、小娘。私を誰だと思っている」
「……氷凰ちゃんは氷凰ちゃんやろ? 鱗士君という籠に囚われた、かつての大妖怪」
「あぁん……⁉︎」
トサカに来たぞ。
はらわた煮え繰り返ったぞ。
抜かしおったな人間風情が……‼︎
「私が囚われているだとっ⁉︎ あんな糞餓鬼にこの私が‼︎」
「事実やん。そんな事より教えてくれへんの?」
気付けば互いに立ち上がっていた。
見開かれた奴の目は、私を捉えたまま瞬きもしない。私は沸騰した頭で分析する。
危ない奴だ。
二面性が激しい。
さっきまでもそれを感じさせてはいたが、復讐の事となると尚更の様だ。
その内損をする事になるだろうな。
「……いや、違うな…………損をするのは今だ」
「? 何が」
「フフフフフ…………考えてものを言うべきだったな小娘。貴様は復讐を成し遂げられない。そいつの名を知る事もない。これから私が叩き潰すからだ」
冷気を生み出し、凝縮させる。
氷柱を数本形成し、先端を奴の方に向けた。
これは私の殺意の方向だ。
後の事など知らん。
貴様を殺さなければ、私の気は収まらない。
「何や……そんなにまで怒ったん? けどなぁ氷凰ちゃん、私だって怒ってんねんで。あの時からずっと、この怒りが和らいだ事なんてない。向ける相手がどこにおるかも分からへん怒り……。手掛かりが掴めるかも知れへんのに、蓋すんのは止めてくれへんかなぁ?」
気の触れた笑顔から漏れ出す殺意が私へと向く。
殺意が交差する。
「じゃあこうしよ。氷凰ちゃんが降参したら、知ってる事教えてや。もし私が降参したら謝ったるわ」
「降参……? そんなもので済ます気か? 私は貴様を殺したって——」
「氷凰ちゃんを殺したら、鱗くんも死んでまう。しかも手掛かりは何にも得られへん。氷凰ちゃんの方も、もし私を殺したり大怪我さしたりしたら、鱗くんが黙ってへん……ちゃうか?」
「…………」
チッ……いかれてるかと思ったら、妙に冷静な事を。妥協案の様に言うが、それはつまり私に攻撃するなという意味か? いくら【無間の六魔】が相手でも、攻めを封じれば勝算はあるとでも考えたか?
「フ……甘い考えだがまあいい。先に喧嘩を売ったのは貴様の方だ。後悔するなよ」
「せえへんよ。絶対に喋ってもらう」
奴は縁側の方へ歩いていく。私に背を見せて、気にくわない事にあえて隙を見せつけている。私が奴を殺す事はないと、確信している。
「舐めるなよ」
ふざけた態度に腹が立ち、氷柱を一本発射した。
先端は奴の背中を完璧に捉えている。
空を切る音すら聞き取る間もなく、一瞬で命中するこの至近距離。
並の奴なら即死の一撃だった。
「へぇ、撃ってくるんや」
だが、こいつは並の奴ではなかった。
振り返りざま。腰に巻いた、勾玉のぶら下がった紐の様な物を右手に持ち、居合斬りの様に振り抜いた。それを鞭の様にしならせ、私の氷柱と正面衝突させた。
氷柱が粉々に砕け散った。
「……!」
「意外やなぁ。背中に撃ち込んでくるとは思わんかったわ。鱗くんが生きてる事からして、絶対殺す気はないと思っとったんやけど」
紐にぶら下がる勾玉が、薄く発光する。
退魔師は大抵、何らかの武器に己の霊気を纏わせて妖怪と戦うものだ。つまりあの糞餓鬼にとっての鎖が、こいつにとっては勾玉という訳か。
いや、それよりも今の反応速度だ。瞬き一度の時間もなかったというのに、いとも簡単に氷柱を防がれた。
少し驚いた。だがあくまで想定の範囲内。
笑え、私……こいつは久し振りに潰し甲斐があるぞ。
「あれだけこの私に啖呵を切ってくれたんだ。これくらい防いでくれないと張り合いがない」
「流石、【六魔】は言う事やる事が違うわぁ」
奴は縁側をひょいと飛び降り、着地と同時に履物を履く。そして数歩前に歩いて私の方へと振り返り、勾玉付きの紐を頭上へ放り投げた。
宙を舞う内に、それぞれが紐から解け、奴の脇へと独りでに空中を移動した。
「ほんじゃあ、改めて……始めよか」
勾玉十個が薄い光を放ちつつ、奴の周囲に浮かんでいる。見た事ない術だ。今の退魔師はあんなけったいな武器を使うのか。
何をしてくるか分からんが……まあ関係ない!
「一度防いだ位でいい気になるな!」
冷気を全身に纏い、畳を蹴って奴の方へと跳んだ。
前方に氷柱の先端を向け、さっき以上の威力と速度を乗せた。
奴は突っ立ったまま動かない。
代わりに、勾玉の方が俊敏に動いた。
十個ある内の三つがそれぞれを頂点にし、奴と私の間に三角形の防御結界を作り出した。
またしても氷柱が命中するより速く。
氷柱を残して自身の軌道を直角に変え、庭へと着地した。
すかさず残り一本の氷柱を奴に飛ばす。
威力、速度共にあの氷柱よりも高くした。
二本の氷柱はほぼ同時に命中する筈だ。
結果、妨げられた氷の砕ける音だけが響いた。
「チッ……」
「こんなもんちゃうやろ?【無間の六魔】の全力、私に見してや」
挑発的に笑う奴を守る結界は、菱形を折り曲げた形状に変形していた。さっきの状態から勾玉を一つ足して、三角形二つを連結させているらしい。
「咄嗟にそんな芸当を」
「別に大した事ちゃうと思うけどなぁ〜。何でみんな驚くんやろ」
手の平の上で勾玉を躍らせながら、奴は不思議そうな顔をする。その態度が私を馬鹿にしている様な気がして、また腹が立ってきた。
「余裕ぶるのもいい加減にしろよ貴様……! 次こそはその結界ごとぶち抜いて——」
更に氷柱を形成しようとした時。
左側頭部に鈍痛が走った。
鐘を思い切りついた様な、ぐわんぐわんとした耳鳴りと目眩が頭に響き、気付けば体は地面に倒れていた。
「何やってんだバカ‼︎ バカ妖怪‼︎」
「く……糞餓鬼、貴様…………」
天地が滅茶苦茶になった視線の先に、本気で焦る糞餓鬼と平凡気味の男がいた。
あいつ……鎖分銅を思い切りぶつけおったな……。
一瞬別世界が見えたぞ。
「凄い音がしたから何かと思えば……。テメエ、俺と命が連動してる事忘れてないだろうな?」
「違う聞け! 先に突っかかって来たのはあいつだぞ!」
「何言ったんだ虎乃」
「……ちょっと質問しようとしただけやで? ほんなら急に怒られてん」
あんの小娘〜!
何を全部私が悪いみたいな言い方してるんだ!
元はと言えば、貴様が私をおちょくったのが悪いんだろうが!
それを何故私が、頭を鈍器でど突かれなければならないんだ⁉︎
くそ……次は視界が滲んできた……。
「……虎乃、お前また」
「…………」
奴は男の問いかけに答えず、私に盲目的な眼差しを向ける。それは暗に肯定を示していると悟った。
おい待て、あいつはしょっちゅうこんな事を起こすのか? なら、こいつを私と二人きりにしたあいつらのせいなんじゃないか?
あの糞餓鬼……その事は棚に上げて私ばかり……!
あああああ腹立つ‼︎
「私が何をした⁉︎」
「素直に教えてくれへんからやで。ていうか【無間の六魔】の力はあんなもんちゃうやろ? ほら、次やろうや」
「…………いいだろう。もう知らんぞ」
ゆらりと立ち上がり、私は冷気の凝縮を開始した。
周囲から『負』が集まり、私の前で固まっていく。
さっきまでより更に更に、妖気を研ぎ澄ませろ。
全てを撃ち抜く氷柱を作り出せ。
目覚めてからまだ日は浅く、かつての最大威力には到底及ばないだろうが……。
あんな奴の盾如き、ガラスの様に木っ端微塵に出来る程度の威力は出せる筈だ。
いや、やってやる。
私は氷凰だぞ……【無間の六魔】だぞ!
「寒っ⁉︎ アイツ、今まで妖怪相手にもこんな妖気は……」
「止めろ二人共! ここら一帯大惨事になるから!」
男連中が何か喚いているが、些細な問題だ。
私があいつを撃ち抜く、これは確定なのだ。
「私をこけにした罪、死んで償え!」
「死なへんよ。何発でも防いで降参させたるわ。そんで私は——」
「何をしている」
突然、ドスのきいた低い声が響き渡った。
その声は静かであったが殴りつける様に耳に飛び込み、集中が捩じ切られた。そのせいで集めた冷気が散ってしまった。
「……?」
どうやら勢いを殴り止められたのは、私だけではないらしい。
小娘の周囲に浮かぶ勾玉から光が消え、射撃された鳥の如く次々と地面に墜落していく。そして当の奴本人は、狂気が吹き飛んで青ざめ引きつった顔で固まっていた。
声の主——景生は、いつの間にか小娘の丁度背後に立っていた。小娘は古びたカラクリ人形の様に、かくかくと首を後ろに回す。
「来てたのか……虎乃」
「け、けけけけけ景さん帰って来たん⁉︎ いつからそこに⁉︎」
「龍臣の制止が入った辺りからだな。……で、何をしている?」
「あ……えとこれはな、深い理由があってやな? 話し出すとそれはもう長くなるんやけどな……?」
景生の低い声に籠っているのは、静かながら純然たる怒りだった。小娘はあからさまに焦り、稚拙な弁明を口から並べようとしたのだろう。
だが景生は有無を言わせなかった。
まず小娘の頭を両側から鷲掴みにした。
小娘が何か言う前に、首を無理矢理曲げた。
人体から聞く事は稀であろう変な音が鳴った。
「ゴフ」
「…………」
「あーあ……」
「流石師匠……」
景生が手を離すと、小娘の体はその場に倒れた。
全力でないとはいえ、この私が少しだけ手を焼いた相手が一瞬で無力化された。それも霊力を使わず、素手と威圧だけで……。
「時に氷凰」
「⁉︎」
「聞きたい事がいくつかある……時間いいか」
「…………ひゃい」
なんて事だ……この私が威圧され、声が上擦った?
この、私が……。
やはり現状、景生が今の世で最強に違いない……。




