第11話「兄弟子たち②-食えない虎-」
「いやぁ〜、【無間の六魔】なんていうからどんな恐ろしい妖怪なんやと思っとったら……えらいべっぴんさんやん? うわ、髪サラッサラやん! 何なん⁉︎ 百年間シャンプーもせえへんでこれ⁉︎ ずるいわぁ!」
「ええい鬱陶しい! 止めろ触るな!」
通学路の途中。
奴は俺にタックルをかました女性——虎乃に絡まれていた。顔をつつかれ、髪を触られと、強めのスキンシップが大妖怪を襲っている。
「これは来て正解やったわぁ。こんな子が一緒におったら、鱗くんの理性も堪ったもんちゃうやろ?」
「ないってこんなバカ妖怪」
「相変わらずツンデレやなぁ」
「違う!」
かく言う俺も、虎乃のテンションにはよく振り回されるのだが。彼女はよく笑い、よく喋る。眺めているだけで、毎日が楽しいんだろうなと伝わってくるような人だ。自分で言うのも何だが、俺とは真逆の雰囲気を持っていた。
そんな彼女と長い付き合いになるという彼——龍臣の心労を、俺は想像出来ない。
「……疲れない?」
「良くぞ聞いてくれた。早く休みたくて堪らない」
何気なく投げた問いかけから、切実な言葉が返ってきた。その表情は、一種の悟りを開いているように見えなくもない。
「その服もよう似合うてんで? 流石は私のチョイス!」
「……何⁉︎ これ貴様の服か⁉︎」
「ええよあげるから。六魔ちゃんの方が私より着こなせとるもん」
「誰が六魔ちゃんだ! 一緒くたにするなたわけ!」
……本当、今から大変な事になりそうだ。
「悪いな、急に騒がしくして」
「まあ。というか何で急に?」
タックルのインパクトが強過ぎて、最も重要な事が頭から抜けていた。二人とも大学生で忙しい筈だから、特に理由なく来たりはしないだろう。
まあ正直、予想はついているが。
「とりあえず、落ち着いてから話そう」
「だよな」
「なあなあ、髪の毛触ってもええ?」
「既に触ってる癖に何言ってるんだ貴様は⁉︎ 馬鹿か⁉︎」
果たして後ろ二人は落ち着けるのだろうか。
何にしろバカはお前の方だ。
*
家に着き、卓袱台を挟んで二組に分かれて向かい合って座っていた。俺と龍臣で一組、奴と虎乃でもう一組だ。
「…………」
「おい、何でこの並びなんだ?」
「ええやん別に。氷凰ちゃんと仲良くなりたいし」
「よるなくっつくな!」
俺の気持ちを代弁してくれた龍臣だったが、一言で容易くいなされてしまった。つまり俺が言っても同じだっただろう。
奴は奴で、虎乃の隣で居心地が悪そうにしている。
というか、虎乃に腕を組まれている。
「……まあいい。突っ込みたい気持ちを抑えて本題に入るか」
「ああ。何しにわざわざ?」
「何しに来たって……ふぅん?」
虎乃は奴に腕を回したままで、俺を見ながら不敵に微笑んだ。胸の内を見透かされたような気がして、少しドキリとする。
「何だよ」
「そんな事言うて、もう分かってるやろ? 私らが来た理由くらい」
「…………」
虎乃は奴の方に視線を移す。龍臣は溜め息を吐く。
やっぱりな、と俺は思った。
「景さんに聞いたで。この前鱗くんが、妖怪が封印されてる小屋を見つけた事。その妖怪が何でか鱗くんの目の前で目覚めた事。しかもその正体が、【無間の六魔】の一匹やって事。……そんでもって、鱗くんが“結命鎖縛”を使った事もな」
「虎乃」
龍臣さんは咎めるような口調で言った。
俺を捉えたままの虎乃さんの視線により、えもいえぬ不安感が沸き上がる。奴と初めて会い、師匠と対面している時を思い出す絵面だった。
「……まあ、そういう訳だ。景さんからアイツに連絡があったんだと。暇があれば一応って」
「そりゃ……すまん」
「……ホンマに相変わらずやなぁ。鱗くん」
龍臣はやれやれと言いたげに頭を掻く。
虎乃はやはり表情を変えず、本意の読めない口調で言う。
言いたい事は察していた。
大方師匠と同じ事を思っている。
「お前の気持ちを分かるとは言えないし、何度も同じ事を言われてきただろう。だから俺から言える事はなにもない、が……。後悔はないのか?」
「ない」
考えるまでもなく、龍臣の問いに即答する。
躊躇や後悔なんて全く無かったし、今後も生まれない。そう断言出来る。
「そうだよな……」と溜め息を吐く龍臣の対面で、虎乃は相変わらず笑みを浮かべて言った。
「私も別に言う事ないわ。まあ景さんはちょっと怒ったやろうけど……勝たれへんと踏んで、すぐ“結命鎖縛”使える胆力とか凄いと思うで」
「…………」
「けど、命は一個しかないからなぁ。出来るだけとっといた方がええよ?」
後半の部分から威圧感を感じ、腕に鳥肌が立った。
生唾を飲み込みながら「ああ」と答えはしたが、咄嗟に逸らした視線は元に戻せなかった。
「……ハイ、お堅い話はこれで終わり! 龍臣、持ってきたお菓子出して皆で食べようや!」
「緩急が凄いんだよお前は」
仰る通り。
ついさっきの威圧感が嘘のように明るい口調が響き、緊張がほぐれて肩をガクリと落とした。ついでに思わず苦笑いが滲み出てきた。
「ええと、これは煎餅でこっちはかりんとう。後ポテチとポップコーン……それからどら焼き……」
動じていない龍臣は鞄をガサガサ漁り、ホイホイと包装された菓子を取り出して卓袱台に並べていく。それはまあ、某四次元ポケットかと突っ込みたくなる程出てくる。来てくつろぐ気満々だったであろう量が重なっていく。
十中八九……と言うか確実に虎乃が用意したんだろう。
「……お泊まり会でもする気か」
「あまり突っ込むのは止めておけ。身が持たん」
龍臣はとうの昔に考えるのを止めた様子だった。
流れ作業で菓子を取り出していく。
「……かりんとう二袋目。豆大福。で、これはバウムクーヘン」
「……!」
その時だった。
今まで完全に蚊帳の外で、ただ虎乃の隣にいるだけのオブジェ状態で会話から放置されていた奴が、並んだ菓子に反応を示したのは。素早くその菓子を手に取り、マジマジと眺め始めた。
「ん? 何や、氷凰ちゃんバウムクーヘン好きなん?」
「…………」
「好きなんやろ?」
「…………」
今にも涎を垂らしそうなみっともない顔のまま、奴は無言でコクンと頷いた。
そう……何を隠そうコイツ、あの時榊さんに頂いて以降、バウムクーヘンをえらく気に入ったのだ。大正初期には日本にもバウムクーヘンはあった気がするが、奴には物珍しかったらしい。
「……バウムクーヘンが好きな大妖怪、ねえ」
「俺もたまに忘れるよ。アイツが大妖怪だって」
龍臣さんと俺は、どこか残念な女性陣を卓袱台越しに眺めて溜め息を吐いた。
*
おかしな奴らが現れた。あの糞餓鬼より先に、景生の弟子になっていたという二人組だった。即ち、あいつらも退魔師という事だ。
今の退魔師連中が組織立ったものなのかどうかは知らんが、【無間の六魔】であるこの私が目覚めたのだ。上位の者はその脅威に、早急に対策を練ろうとするだろう。そして遣わされたのがあの二人なのでは……と私は思った。
特に女の方。
糞餓鬼を押し倒した直後に私へと向けたあの雰囲気。あいつは手練れだとすぐに分かった。目覚めてから今までに会った、蜘蛛や魚などは相手にならないだろう。当然、あの糞餓鬼より圧倒的に上だ。
まあそれでも私は負けんがな!
フッフッフ、来るなら来い。
いくら手練れでもたかだか二人とは舐められたものだ。血祭りにあげて、あわよくばくそったれな術を解く方法を吐かせて、ついでにあの糞餓鬼も殺してやる!
「…………」
「ほらほら、まだこんなにあるから一杯食べや!」
そう思って身構えていたのだが……。
まさかこんな事になるとはな。
「ふむ……人間は昔からいけ好かんが……むぐ。このばうむくうへんとやらを作った事は……もぐ。悪くない働きだな……はむ」
止まらん。
伸びる手が止まらん。
美味い。
いくらでも口に放り込める。
こんな物が存在したのか……!
「……普通の女子かお前は」
「たわけ、私は大妖怪だ」
相変わらずやかましい糞餓鬼だが、今は許してやる。このばうむくうへんに免じてな。
「なあ虎乃。さっきも言ったし今更言うのも何だが、もう少し危機感を持った方が良くないか? 見た目は女の子でも、危険な妖怪なんだろ」
ふむ、いいこと言うな男。
この女も糞餓鬼も景生も、私を恐れる心が足りない。その点貴様はいい心がけだ。女の方と比べてパッとしないが、まあ褒めてやる。
「それやったらさぁ。龍臣と鱗くん、ちょっと席外してくれへん?」
「「は?」」
男二人は間抜けな声を出した。
「何で?」
「氷凰ちゃんと話したいねん。だからそっちはそっちで真面目な話しといてや。後で聞かせてくれたら私はええから」
「……ハァ」
男はまだ何か言いたげだったが、すぐ諦めの溜め息を吐いた。さっきから溜め息の多い奴だな。
「仕方ない。鱗士」
「……とりあえず俺の部屋行くか」
女に対しての反論はなく、顔を見合わせた二人は立ち上がる。そしてそのまま奥へと消えていった。
「…………」
「あはは、二人っきりやなぁ」
女は私の顔を覗き込んで笑った。
「…………」
「なあなあ、氷凰ちゃんってホンマに【無間の六魔】なん? 凄い妖怪なん?」
こいつ……。
「教えて欲しいわぁ。氷凰ちゃんの事、もっと知りたいわぁ私」
「……虎乃とか言ったな。食えない奴め」
私はばうむくうへんを食べる手を止めた。
さっきまでは一切そんな雰囲気出さなかった癖に、この女。二人になった途端、身に纏う空気が変わった。殺意とは違うが、穏やかでない空気だ。
私は口角を上げた。
「ただ能天気な奴とは思っていなかった。むしろ百年振りの世で、貴様は景生の次に手練れと見ている。妖怪も含めてな。要するに、現段階で貴様は上から二番目だ」
「ふぅん。光栄やわぁ」
「当然私を除いてだがな。で、何が目的だ。殺し合いがしたいならいつでも来ていいんだぞ?」
女はケラケラと笑う。
「せえへんよそんな事。言うたやん、話したい事があるって」
笑顔を保ったままだが、そこにあるのは明らかに負の意識だった。
「何年も探してる妖怪がおんねん、私。妖怪って人より大分長生きやろ? 氷凰ちゃんみたいな強い妖怪やったら、ソイツの事知ってるんちゃうかなぁって」
どこにでもどいつにもありふれた感情。
今も昔も変わらない。
そこにあるのは、恨みだった。
「私はアイツを殺す。その為に退魔師になったんや」




