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 真火(まひ)はほとんどの時間を金魚鉢の中で過ごしました。

 一人で動き回ることもできるのですが、真火が歩くとたちまち炎が上がるのです。科戸(しなと)の大切な工房や家を燃やしてしまうわけにはいきません。だからいつも金魚鉢に入っていて、どこへ行くにも科戸が運んでくれるのでした。

 工房では窓辺のたくさんの硝子たちと並んで科戸の仕事を眺めていました。

 時おり風が吹くと軒の風鈴がチリリリンと鳴るので、その音に合わせて踊ってみたりしました。けれども科戸が微笑みながら眺めていることに気付くと、怒ったように背を向けてしまいます。


「どうしてやめてしまうんだい? とても美しい舞なのに」

「よそ見していないで働きなさいよ。科戸のこと、燃やしちゃうわよ」


 真火は腰に手を当て凄んでみるのですが、科戸は「おお、こわい、こわい」と言いながらも一層笑みを深めるのでした。


 日が落ちれば辺りは闇に包まれます。丘の下の町も夜に沈みます。けれども真火が舞えば、金魚鉢の中で小さな炎がとろとろと燃え、たちまち辺りは昼間のような明るさになりました。追放されたとはいえ、真火はたしかにお日様の子なのです。


 科戸は今までならば疲れていなくても火が落ちれば仕事を終わらなければなりませんでしたが、今は真火が舞ってくれるおかげで、存分に硝子を吹くことができます。

 風鈴や金魚鉢が次々とできあがり、たくさん売ることができるので科戸はだんだんと豊かになりました。工房で使う道具も新しく立派なものが揃えられるようになり、ますます仕事がはかどります。


「真火、すまないがもうしばらく舞ってはくれないか?」


 働き者の科戸は夜が深くなっても休む気配がありません。そんな時、真火は舞うのをやめてしまうのです。


「もう眠いわ」

「なにを言っているんだい。君は眠ったことなどないじゃないか」

「でも眠い気がするのよ」

「……わかったよ。ぼくが働きすぎじゃないかと気遣ってくれるんだね」

「ち、ちがうわよ。勘違いしないでちょうだい。科戸のためなんかじゃないわ。わたしが疲れちゃったのよ」

「やさしいんだね、真火は」

「科戸ったら、人の話を聞いていないのね。まったく」


 こんなとき科戸は真火の頭をやさしくなでてあげられたらいいのにと、もどかしく思うのでした。

 真火どころか金魚鉢にさえ素手で触れれば大やけどを負ってしまいます。だから科戸は心をこめて言葉をかけるのです。自分の声がこの手の代わりに真火をやさしく包み込むようにと願って。




      *




 ある晩、突然嵐が吹き荒れました。

 風鈴が狂ったようにチリチリと叫び続けます。けれどもそれも強い風と雨、そして屋根や壁がバリバリと剥がれていく音でかき消されました。


「真火!」


 科戸は飛び起きるなり暗闇の中を手探りしています。


「ここよ、科戸」


 真火は明かりを灯すために舞いました。ポオッと金魚鉢が闇に浮かび上がります。

 科戸は手拭いで真火の入った金魚鉢を包み込み、まだかろうじて壁と屋根が残っている隅にうずくまりました。

 けれどもほとんどの屋根や壁は嵐にさらわれ、ほとんど外にいるのと変わりません。あらゆる向きから風が吹き、大粒の雨は(つぶて)のように科戸に打ち付けてきます。

 真夏だというのにその風雨は冷たく、濡れた科戸の身体はみるみるうちに冷えていきます。

 歯の根が合わずガチガチと震える科戸の腕の中で、真火は舞い続けました。科戸が凍えないように温もりを与えるために。科戸が闇の中で心細くならないように明かりを与えるために。


 夜明けに嵐は去りました。

 ふたりは無事でした。真火が飛ばされないように科戸が抱きかかえていたから。科戸が凍えないように真火が温めていたから。

 けれども工房も家もほとんどが崩れ、吹き飛ばされてしまいました。泉に屋根の端が浮いています。そこいらじゅうに散らばった硝子のかけらに朝日がキラキラ輝きました。


「ああ……。これからどうしたらいいのだろう」


 途方に暮れた科戸の声が粉々になった硝子たちに吸い込まれていきます。真火は自分になにができるか必死に考えましたが、明るさと温かさを生み出すこと以外になにもないことを思い知るだけでした。それどころかこの金魚鉢から一歩外に出ればたちまち辺りを火の海にしてしまう災厄となるのです。


 今夜寝るところすらありません。真火は眠ることを知らないので困りませんが、科戸は体を休め眠らなければなりません。そしてまた硝子を作らなければなりません。

 けれども丘の上にはなにひとつ残ってはいないのです。科戸は木端の浮かぶ泉から湧き出る水でおなかを満たしています。


 丘の上はこれほどにひどい嵐の傷跡を残すのに、丘の下の町はいつもと変わらない景色です。この丘が壁となって嵐の勢いを弱めたのでしょう。


 お日様が中天に届くころ、一人の男が丘を登ってきました。


「やあやあ、これはひどい有様ですな」


 詮ないことと知りながら散らばった木端や硝子の破片を集めていた科戸は、汗を拭いながら男に歩み寄りました。


「これはいったいどちら様でしょう。もうしわけありませんが、硝子のご用でしたら、当分はお受けすることができないのです」


「そうでしょう、そうでしょう」


 男はもっともだというように辺りを見回します。


「実はですね、わたくしどもの主がこちらの硝子工房の立て直しに力を貸したいと申しておるのですが」


 聞けば男は町の長者のもとで働く者だといいます。近頃町に出回っている硝子ものの多くが科戸の手によるものだと知り、とても関心を持っているとのことでした。


「それはなんともありがたいこと」


 科戸はまだ乾ききらない地面に両手をついて何度も何度も頭をさげます。傍らの金魚鉢の中で真火もペコペコ頭をさげています。男はそんなふたりの様子をみて満足そうにうなずき、言いました。


「ただし、主にもそれなりの見返りがあるべきかと……」

「はい、それはもちろんです。しかし、ぼくは今なにも持っていません。工房ができあがりましたらいくらでも硝子をお届けいたしましょう」

「いえいえ、あなたはすでに主が欲するものをお持ちです」

「工房も家も失ったぼくになにがあるというのでしょう」


 科戸とともに真火も辺りを見渡しますが、価値あるものなどなにひとつ見当たりません。


「これですよ」


 男が指差す先には真火の入った金魚鉢がありました。


「この子……ですか?」


 科戸と真火は顔を見合わせ、首をかしげました。真火にいたっては、ついさきほど自分が役立たずであることが身に染みたばかりです。


「なんでもこの子が舞うと夜でも昼のような明るさが得られるとか。そのおかげでこちらの工房は日暮れののちも昼間のように働けるそうですね。町ではもっぱらの噂です。ここ数日、屋敷からこの丘を眺めておりましたらたしかに煌々と明かりが灯っておりました」

「ええ、その通りではありますが……」


 しかし、それが長者にとってなんの役に立つというのでしょう。夜もせっせと働かねばならないのは貧乏人に限ったことではないのでしょうか。長者ともなれば使用人も多く、宵ともなればゆるゆると寛がれるはずです。


 なおも首をかしげる科戸に、男は心持ち反り返ってひとつ咳払いをしました。


「ここだけの話ですが、近々帝の御幸があるのです。主の屋敷は道中の宿としてお声がかかったのです」

「それはなんとも素晴らしいことで。けれどもやはり真火との関わりがわかりません」

「帝へのおもてなしのひとつとしてお見せしたいと主がもうしておるのです。そして以降も屋敷にてその明かりを灯してほしいと」


 科戸はあわてて真火の金魚鉢を抱え込みました。


「ありがたいお申し出ですが、そればかりはお断りせねばなりません」

「しかし、そうなると工房の立て直しにお力添えいたしかねますよ」

「……それで構いません」


 科戸が断るとは思ってもみなかったのでしょう。男はあからさまに顔をしかめました。


「あなたひとりで工房が立て直せるはずがないでしょう。それどころか今宵寝るところすら困るはずです。この小さな火を渡してくだされば明日にでも大工たちをよこしましょう」


 男がいくら言っても科戸は首を縦には振りません。しかし、男の言うとおり、このままでは科戸が生きていくことさえ難しいのは真火にもわかります。


 チリン――。


 かすかに風鈴の音が聞こえました。木の梢にでも引っかかって無事だったのかもしれません。


 チリ……チリリリン……。


「――わたし、行くわ」


 科戸の腕の中で真火ははっきりと言いました。


「真火……!」

「こんななにもないところなんてまっぴらよ。長者様のお屋敷の方がだんぜんいい暮らしができるに決まっているもの」


 男がにやりと口元を歪めました。


 科戸は金魚鉢を顔の高さに持ち上げて覗き込みますが、真火はそっぽを向いて目を合わせようとしません。


「真火、わかっているのか? 行ってしまえばぼくたちは離れ離れなんだよ?」

「もちろんわかっているわ。離れ離れ? ちっとも構わないわ。もともとここにはたまたま落ちてきただけだもの」

「だめだ。行かせない」

「あら。勝手ね。わたしはわたしよ。科戸の持ち物じゃないわ。勘違いしないでちょうだい。わたしは行くところがなくてここにいただけなのよ。科戸はわたしがよりよいすみかに移るのを邪魔する気なの?」


 言葉に詰まる科戸を尻目に、真火は長者の使いの男を見上げました。


「さあ、わたしを長者様のお屋敷に連れて行ってちょうだい。ただし、工房立て直しは約束して」

「それはもちろん。屋敷に戻ったらすぐにでも手配しましょう」


 男は真火の気が変わらないうちにと懐から取り出した風呂敷でさっさと金魚鉢を包んでしまいました。科戸が真火との別れを交わす間もあたえずに。


 チリリリン……チリリリン……。


 こうして、風鈴の音がしだいに遠のいていくのを感じながら真火は町へと連れていかれたのでした。



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