「ごめんね」
「レイチェル、大丈夫?」
「うん…平気…」
ロイの言葉にそう返事はしてみたものの、どうもがいてみても身動きは取れない。
脚の付け根くらいまでが雪に埋まってしまている。抜こうとして手を付くけれど、その先ももちろんフカフカに降り積もった雪だ。
埋まった脚を引き抜こうと腕に体重を掛ければ、手の方が埋まってつんのめり、顔が雪へと突っ込んでしまう。
ロイがゆっくりとそばまでやって来て、慎重に私に手を伸ばしてくれた。私は何とか体制を整えてそんなロイの手を握る。
ロイがグイっと私を引っ張り上げてくれた、と思ったら、今度はロイが脚を雪に取られて盛大に倒れ込む。
「わぁっ、ロイ、大丈ぶ…ひゃぁっ!」
そんなロイを助け起こそうと足を踏み出せば、やっぱりズボッと膝よりも深くに脚が沈み込んで、私も雪の上に崩れ落ちた。
こんなことをもう何度も何度も繰り返している。寒いはずなのに私もロイも汗だくで、ダウンのジャケットは暑いくらいだし、ロイもロイで、ウェットスーツの電熱器をオフにしているようだった。
「ほら、行くよ…スリー、ツー、ワン」
何とか体を起こしたロイが、今度は膝を付き、体が沈まないように気を配りながら私を助け起こしてくれる。
「ふぐぅっ…!」
私もはまった脚を引き抜いて、ついさっきロイが教えてくれた方法に従い、膝を付いて雪に接する面積を大きくた。そうやって体が埋まってしわないように、と、気を付けながら、私は何とか雪の上に膝立ちになることに成功する。
「ふぅ…だいぶ来たね」
ロイが私の背中向こうを見やってそんなことを言う。振り返って見ると、山に登り始めたときの目印の、雪から顔を出している木の場所が、まだ見えている。
距離にしたら、ほんの半マイルも来てはいない。せいぜい、八百ヤード来ているか、その程度。
それなのに私達は、もうヘトヘトだ。
太陽が出ていないから、どれくらいの間この雪と格闘しているかは分からないけど、アパートを出てからずいぶんと経過しているように感じる。
途中で体力が尽きてもダメだし、夜なんかになったりしたらもっと危険だ。でも、現状だととてもじゃないけど今日中にはあの頂上にたどり着ける気がしない。
私はこの先の行程が不安になって、雪を踏み固めてながら
「少し休憩にしようか」
なんて言っているロイにそう尋ねていた。
「ロイ…この先は、どこまで行く予定なの?」
するとロイは雪の上に腰を下ろして
「うぅん、と…待ってね」
とコンピュータに目を落し、お決まりのように手帳を引っ張り出して見比べ始める。そしてすぐにパタン、と手帳を閉じ、雪山のさらに上の方を指差した。
「あそこに一箇所、ポコって盛り上がってるところ分かる?」
ロイが指し示したその場所には、確かに何かが埋まっているらしい雪の丘が見える。ただ、あんな丘はこれまでだっていくつもあったし、見上げるだけでも無数にある。
あの下のすべてに建物が埋まっているのだとしたら、もしかすると休憩出来る場所は意外に多いのかも知れない。
ただし、それほど離れていないところには高く伸びるビルも幾つかある。あれはたぶん、マーケット・アヴェニューの辺りだろう。
ビル群に近づくのは危険だということは十分に分かる。だから、それを避けるようにしてこんな山道を歩いているんだ。
でも、それにしたって…
「ほとんど進んでないね…」
私は思わず口を付いて、そんなことを言ってしまう。こういうときは元気で前向きな言葉じゃないといけないのに、なんてことを考えていたら、クスクスっとロイが笑った。
「このルートじゃないと、ビルがある方はネコがいて歩けないからね。でも、大丈夫。今登ってる山はロシアン・ヒルなんだけど、ここを登り切れったら、その後はラファイエットパークを南に迂回する予定。斜面を横向きに歩くルートだから、登るよりもずっと楽だよ。その先まで行けばあとはほとんど平らになるはずだから、今は焦らずに、ゆっくり安全に行こう」
そう言って、ロイも離れたところに見えるビル群を眺めていた。
あの不思議なコンピュータと手帳で確かめ、最終的にロイが決断したルートだ。それを信じない、という選択肢は私の中にはない。反対出来るだけの材料はないし、ロイが間違っている、とも思わないからだ。
ただ、それにしたってロイが指し示した雪の丘までは、まだまだずいぶんと登らないといけない。先の行程が分かって安心した反面、今日の分のノルマ終わりがまだまだ先だ、っていう事実は、やっぱり気が重くなるようだった。
だから私は、背負っていたリュックサックから取っておきを引っ張り出す。こういう体も心も疲れているときには、甘い物を食べるのが一番だ、ってこれはテレビでやってたんだけど、とにかくそのコマーシャルでアメリカ人ならきっと誰でも知っているアレ、だ。
「はい、ロイ。これ食べて、元気出して行こう!」
ロイにそう言って手渡したもの。それはもちろん、スニッカーズバーだ。カロリーもたくさんらしいから、この寒い中で体温を維持していくにはちょうどいい。おまけに美味しいんだから、非の打ちどころがない、こんなときにはパーフェクトな非常物資だ。
するととたんに、ロイの表情がほころぶ。
「わぁ、スニッカーズ!懐かしい、私も小さい頃に食べたよ!」
「いっぱい持ってるから、二本ずつ食べたよう!」
私はロイにも元気を出して欲しくって、持っていた十本のうちの二本をロイに手渡す。私には二本はちょっと多いかも知れないけど、でも、少しでも体力を回復させるには、食べておいた方が良い気がした。
ロイはニコニコしながら、さっそく包装を剥がしてバーにガブリと噛み付いた。
「んんっ、甘い…」
モゴモゴと口を動かしながら、ロイは幸せそうに顔を緩めた。そんなロイを見ながら、私もベリベリっとビニールを破いてかぶり付いた。外側のパリパリのチョコレートが砕けて、中からキャラメルに包まれたナッツが舌の上へと溢れる。
濃い甘みが口の中いっぱいに広がって、ほっぺたがキュンと絞られるように痛くなるけど、それでも、一口食べただけで元気にるように感じられた。
気が付けば私とロイは、ニコニコと笑顔で目配せをしながら、二本のスニッカーズバーをたちまち食べ終えてしまっていた。
なんだか少し残念な気もするけど、おかげで体が温まったような気がする。これできっと、あの丘までは頑張れるはずだ。
ロイも甘い物で元気を取り戻してくれたのか、いつになく張り切った様子で
「よぉし、じゃぁ、もうちょっと頑張ろうね!」
なんて、珍しくほんの少し声を張って言う。
「うん!」
私も笑顔で、そうロイに頷いて返した。
***
シェルターを出て、四日目のその日。私は初めて、この雪の世界で夕方を経験した。
これまではいつも、暗くなる前にはアパートや船に入って休めていたけど、今日ばかりはそうもいかなかった。
急激に気温が下がって行くのも分かったし、雪に埋まりっぱなしの足は、初日以上に冷え切って感覚もなかった。
私達が、目標にしていた小さな丘にたどり着き、その場所を掘って出てきた金属のドアをこじ開けて中に入れるようになった頃には、辺りはすっかり薄暗くなっていた。
急激に気温が下がって行くのも分かったし、雪に埋まりっぱなしの足は、初日以上に冷え切って感覚もなかった。やっぱり、夜は危険なんだな、っていうことが、肌身を持って分かった気がした。
ロイが抉じ開けたドアの中には階段があって、それを降りていくと廊下に出た。そこはやっぱりアパートだったようで、いくつものドアが並んでいる。
私達は昨日のブラッドハウンドの襲撃もあって、三階下まで下ったところの部屋を借りることにした。
間取りはごく普通のワンベッドルーム。でも、どうやらこの部屋の住人はずいぶんとずぼらだったようで、やたらと物に溢れていて、片付いている、とは言い難かった。
それでも雪の上よりはずっと良いし、むしろ殺風景なシェルターで、寂しい思いをし続けていた私としては、それくらいの方がなんだか落ち着けるような気がした。
「あぁ、あったあった」
そんな部屋の台所を、ケミカルライトを頼りに漁っていたロイが、不意にそんな声をあげた。見ると、何やら箱のような物を手にしている。
「それ、なに?」
「ポータブルストーブ」
「ストーブ? あのブタンボンベのクッキングストーブのこと?」
私が聞くとロイは頷いて、それを私のところに持って来た。
ロイが箱から取り出したのは、簡単なアウトドアなんかでよく使うシングルバーナーのストーブで、横にガスボンベをセット出来る機構が付いているやつだ。
私がリュックサックに詰めているのは本格的にアウトドアで使うような、小型で嵩張らない、オイルランプからシェードを取り払ったような形をしているやつだから、それに比べたらポータブルとは言っても遥かに大きい。
持ち運ぶのは、ちょっと遠慮したい…かな。
私がそんなことを考えてる間に、ロイは手早くストーブの準備を済ませると、今度は私を急かしてコンビニエンスフードを出すように言った。
もう、ロイってば、食べ物のことになると元気になってくれるんだから。
そうは思うけど、やっぱり温かい食べ物を、しかも二人で食べられるってことは、幸せなことだ。
今日は、まだ残っていたリゾットとヌードルで、初日の夜と同じメニューにすることに決めた。
今日は私も、そしてロイもかなり大変な一日だったから、二人でそれを労らなきゃって思ったからだ。もちろん、デザートにはスニッカーズを一本ずつ。ちょっと食べるペースが早い気もするけど…でも、出し惜しみしていて途中で行き倒れになってしまうよりは良いはずだ。
そんな心配を感じ取ったように、ロイが
「冷蔵庫の中とか、後で見てみようか…あと、上の戸棚も。缶詰とか、コンビニエンスフードがしまってあるかも」
なんて言い始める。
ふと、私は部屋を見渡して、
「確かに、コンビニエンスフードが好きそうな人が生活してたみたいだしね」
なんて、確信を持って言ったら、ロイはそれが可笑しかったようで、クスクスっと肩を震わせて笑った。
初日と同じように、ロイが先にリゾットをお鍋の中で温め始める。私は、ロイのすぐそばで、すでに美味しそうな匂いを立ち上らせている鍋の中を見詰めながら、ふと、暖かさに気持ちを緩ませていた。
気温が暖かいんじゃない。ううん、そりゃぁ、二人で狭いところにいて、火も付いているわけだから外よりはそれなりに暖かい。でも、私が感じていたのはそういうことではなく、心の中の暖かさだ。
その一番の元になってくれているのは、やっぱりロイだった。もちろん、これから私のお腹をいっぱいにしてくれるディナーも楽しみで心が踊るようだけど、でも、それだってロイなしではこれほど嬉しいとは思わないだろう。
昨日、あのブラッドハウンドの襲撃のときに、私は気が付いたんだ。ロイは、私を何があっても守ろうって、そう思ってくれている。
それは私の身の安全だけじゃなく、一人ぼっちで気がおかしくなってしまうほどに寂しかった私の心をもだ。
そんな風に接しられたら、ただでさえ、誰かと一緒に居たいって思っていた私が嬉しくないはずはない。心を許さないはずがない。
ロイは私にとって、この雪の世界で生き抜くためにも、そして、私の胸の中の温もりを灯し続けるにも必要な存在で…それをどんな風に呼んだら良いのかは分からないけれど…それこそ、母さんや父さんと同じように大好きなんだって、それくらい、私はロイにずっとそばにいて欲しいって、そう感じられていた。
そんなことを考えていたらふと、二日目の、あの船の日に交わした会話を思い出した。
あの日の晩、私は暖かいロイに包まれて、今のように心が暖かいままに眠りに付いた。そんな私に、ロイは言ってくれた。
「約束するよ」
って。
そう言えば、思い返せばその日の昼間にも、ロイはネコを退治する前に言っていた。
「私には、約束があるんだ、って」
その話をしようとしたら、ロイは言いにくそうだしネコが来るしですっかり忘れていたけど…そう、ロイは誰かと何かを約束しているんだ。
「ねえ、ロイ?」
私は、出来上がったリゾットをお皿に移し、同じ鍋に今度はヌードルを入れて熱し始めていたロイにそう声を掛けてみる。
「ん、なぁに?」
ロイはフォークで固まったヌードルが焦げ付かないように鍋の底をグルグルと這わせながら顔をあげた。
「船のとき、約束がなんとか、って話をしてたよね」
私が言うと、ロイは
「あぁ、そっか」
なんて、何かを思い出したみたいに呟いて、それから私を見詰めて聞いてきた。
「聞きたい?」
「ロイが聞かせてくれるんなら」
私が答えると、ロイはクスっと笑顔をみせてくれる。
「大丈夫、ちょっと説明が難しいだけだから。ちゃんと話すよ」
そんなロイの言葉に、私は少しホッとして息を吐いていた。それと一緒に、ほんの少しだけ緊張していた糸がぷっつりと切れてしまったようで、不意にグルルっと私のお腹が鳴った。
思わずお腹を抑えた私を、ロイはクスクス笑いながら見詰めている。今更恥ずかしいだなんて思わないけど、それでもなんだかキマリが悪い。
でも、そんなロイは私の気持ちを知ってか知らずか、いや、私のお腹の空き具合いを完璧に見通していたのか、
「話は、食べ終わってから、だね」
なんて笑って言った。
美味しいヌードルリゾットに舌鼓を打った私達は、デザートのスニッカーズバーも頬張って、お腹も心も満たされた。
そんな心地ちで、私はすっかり約束の話を忘れてしまっていて、食器の片付けなんかをやってからロイが姿勢を改めて
「さて…何から話そうかな」
と言い出すまで、意識にものぼらなかった。
いざ話してくれる、と言われると、なんだか少し不安になる。本当に聞いて良いんだろうか?ロイに無理強いをしているんじゃないか…
そんな思いが胸をかき乱す。
ロイは鋭く私のそんな様子を感じ取ったのか、
「大丈夫。ここで、話すことに決めてたから」
と言って、そっと髪を撫で付けてくれた。
そしてロイは、ふと視線を宙に投げると、いつも通りの静かな声色で話始めた。
「約束、っていうのはね…あなたを守って、一人にしない…ってことなんだ」
「私を、守る…?」
私はロイの言葉に、少し驚いた。私はてっきり、ロイはバイルスを治療するための抗体を作ることを目的にしていると思っていたからだった。
「うん、そう。ある人と約束してね」
そう言ったロイは、優しく笑う。
私を助けるなんて約束をロイがいったい誰としたのか、なんて、考えるまでもなかった。そんなことをしてくれるのは、母さんか父さんしかいない…ロイは…二人に会ったことがあるの…?
「ロイ…ロイは、母さんと父さんを知ってるの…?」
「…うん、知ってるよ」
ロイの言葉に、ギュッと胸が締め付けられた。やっぱり、そうなんだ…二人のどちらかが、私を助けて欲しいって…きっとそうお願いして…
頭のどこかでは、薄々と考えていた事があった。母さんも父さんも、実はもう死んじゃってて、私はそんな二人を探したいなんていう思いを言い訳にして、寂しい思いを満たしたかっただけなんじゃないか、って。
「…ロイ、いつ?いつ会ったの…?どこで?二人は、生きてるの…!?」
私は胸に込み上げる思いが溢れて、思わず立て続けにそう聞いてしまう。するとロイは今度は少し辛そうな表情で
「今は、生きているかどうかは分からない」
と、短く言う。
それから、ふぅ、と息を吐いて続けた。
「私があの人に会ったのは、バークレー校を出て、すぐのところだったんだ。私を助けてくれて、しばらく一緒にいてくれた。私はそれが嬉しくて、だから別れるときに約束をしたの。あなたを、レイチェル・オリビア・ヤングを必ず助ける、って」
カリフォルニア大学のバークレー校を出て、すぐのところ…それを聞いて私理解した。
ロイが会ったのは、母さんに違いない。父さんのところに行くためにシェルターを出て行った母さんが、ロイと出会っていたんだ。
そこで何があったかは分からないけど…ロイは母さんに助けられて、そのお礼のつもりで、母さんの代わりに私を守ってくれようとしているの…?
途端に、目からボロボロと涙が溢れ始めた。母さんが、私を一人にしないようにってロイに頼んでくれたんだ、と思うと、なぜだか嬉しくて、暖かくて、心の奥から言いようのない感情が湧いてきて止まらない。
ロイが私を見つけてくれたのは偶然でも何でもない。ロイは、私を守るために、母さんの気持ちを受け取って、私を探し出してくれたんだと分かって…私は、初めて一人なんかじゃなかったんだって気が付けた。私はずっと、母さんやロイの心の中にいた…二人は、私を思って、いてくれたんだ。
それがどれだけ嬉しいか…もう、言葉で説明することなんて出来なかった。
母さんが元気そうだったか、とか、父さんと会えそうだったのか、とか、そんなことを、ロイはいろいろと聞かせてくれそうなのに、私はといえば、込み上げる気持ちをうまくコントロール出来なくて、気が付けばロイにしが付いてしゃくり上げ、泣き出していた。
ロイの体に身を埋め、泣きながら眠ってしまった私は、結局そのあとにロイの顔を見上げることも、話の続きを聞くことも出来なかったから、分からなかった。
でも翌日になって私は、このときのロイが、どんな気持ちで、そしてどんな顔をしていただろうかを察することになる。
泣き疲れてウトウトし始め、薄らいだ意識の中で聞いた
「ごめんね…レイチェル…」
という言葉の意味も。
***
翌朝、私はロイに体を揺すられて目を覚ました。
肌に触れる空気が冷たくって、私は思わずブランケットをかぶり直す。そんな私を見たロイが、ブランケットの上から私の体をゴシゴシ擦って温めてくれる。
「起きないと、ブレックファスト先に食べちゃうよ?」
そんなちょっと意地悪なことを言ったロイは、まるで朝日みたいに眩しい笑顔を浮かべていた。
冷たい空気に凍えないように、ブランケットを頭からローブのようにすっぽりかぶって体を起こす。すると、ロイが何やら鍋をかき回している姿があった。
ブレックファストはロイのレーションって決めていたのに、まるで何かを料理しているようだ。
「ロイ、コンビニエンスフード食べちゃうの?」
朝が固形のレーションなのは、暖かい食料はなるべく残しておきたいってことからだった。だから、ロイの行動はちょっと意外に感じられる。
でも、ロイはニコニコの笑顔で
「大丈夫、これはこの部屋にあったやつだから」
と言って、蓋の開いた缶を掲げて見せた。
「クラムチャウダー?」
「うん。あとは、これも」
ロイはさらに、タコライスのビニールパッケージをみせてくれる。ロイってば、また創作料理を始めたらしい。
「それは、合うの?」
私が聞くと、ロイは鍋をかき混ぜていたスプーンで一口味見をし
「私は嫌いじゃないかな」
と言って、私にもスプーンに乗ったクラムチャウダータコライスを差し出して来た。ヌードルリゾットのこともあったから、私はそれほど心配せずにスプーンをパクっと咥え込む。
とたんに口の中に広がったのは、クラムチャウダーのトロっとした中にタコライスのスパイシーな風味が入り混じった、不思議な味だった。でも、私もロイと同じで、どちらかと言えば、美味しいと思える。
「良い感じ」
そう言ってサムズアップしてみたら、ロイは
「そうでしょ?」
なんて、嬉しそうに笑って言った。
ブレックファストを終えて身支度を整える。私がリュックサックの中身を点検しているすぐそばで、ロイがポータブルストーブ用のブタンボンベを四本、着ていたベストの筒状のポケットに無理矢理押し込んでいる。
「ロイ、ボンベだけ持って行くの?」
「うん。接合部分だけ加工すれば、レイチェルのバーナーに使えると思うんだ。ブタンだから外では無理だけど、アパートの中なら、あのストーブを使わなくってもたぶん大丈夫だと思うし」
「寒いと使えないの?」
「うん、ブタンは気温が低いと気化出来ないんだよ」
ロイの説明に、私はふぅん、と鼻だけ鳴らして分かったフリだけをした。そんな私に構わずにロイは、たぶん、グレネードか何かを入れておくためのポケットなんだろうけど、そこにボンベを押し込み終えている。ポケットはベストのお腹の辺りに左右に二つずつあって、深さが足りないせいで、ボンベが半分ほどはみ出していてちょっとカッコ悪い。
そんな姿に思わず笑ってしまった私に、ロイはちょっとだけほっぺたを膨らませて
「なによ、見かけより暖かいご飯が大事でしょ」
なんて講義して見せた。
そんなことをしながら準備を終えて、私達はアパートの外に出た。
相変わらず曇っているのに、外に出る瞬間は眩しいし空気は冷たいし、本当に慣れない。
そんな中を、ショットガンを構えたロイが行き、その後ろに私もくっ着いて歩く。
今日の予定は、またほんの少し山道を登って、その先は急すぎて登れない様になっているらしく、そこからは斜面を横に移動しながら迂回することになっていた。もちろん、コンピュータと手帳で確認済み。
ロイが言っていたことが本当なら、横に進む場所まで登れば、あとは昨日ほどは大変じゃないらしい。まぁ、スニッカーズバーは残り四本あるし、昨日ほど大変だったとしたって、きっと頑張れるはずだ。
そう思いながら私は、ロイが踏み固め、掘り進むようにして登って行ってくれる雪山を慎重に歩く。
でもやっぱり、いくら気をつけていても、ロイが踏んでない場所に足を置いてしまって、その度に昨日のように埋まってしまう。それを助けようとしてくれるロイも転んだり埋まったり、やっぱり体力の消耗は激しかった。
それでも何とか私達は、ゆっくりゆっくり山を登って行き、やがてそそり立つ雪の壁、と言って良いほどの急斜面にぶつかった。その上には背の高い高級そうなアパートやくらいまで埋まったビルが覗いている。
「ロイ、ここも登るの…?」
「ううん、この上がラファイエットパーク。あとはここを南の方に迂回して、緩い斜面を横に歩くだけだよ」
ロイはそう言って、ホッと息を吐いた。流石に、昨日と今日でロイにも疲れが出ているんだろう。
私はロイに
「スニッカーズ食べる?」
と冗談混じりに聞いてみる。するとロイは
「ううん。それは今日のディナーの後まで取っておいて」
なんて言って、元気そうな笑顔を取り戻してくれた。
それからしばらく、高い壁の様な雪の丘の下を歩くと突然に視界が開けた。
そこにあったのは、真っ白な雪原。そしてその雪原から、まるでケーキに立てたキャンドルみたいに、真っ白く雪に包まれたビルや高級アパートが何本か生えている、そんな奇妙な光景だった。
不意にガシャっと、音がした。ロイがショットガンのボルトを引いた音だ。
ハッとしてその顔を見れば、昨日の夜からさっきまでのロイとは一転、まるで海兵隊員の様な鋭い目つきに変わっていた。
ここから南に向かうと、進行方向よりもたくさんのビルやアパートが乱立しているマーケット・アヴェニューに近付き過ぎてしまう。北側は、ロシアン急傾斜の雪の丘。
辺りを見回した私は、程なくして理解した。進むしかないんだ、あの方向へ…
私は声を掛けようとして、ロイを見上げた。すると、ロイも、引き締まった表情で、私を見ていた。
「ロイ、あっちに進むしかないんだね…?」
私が聞いたら、ロイはコクっと頷いた。
「ネコ達がいる。周囲に気を配って」
今度は私がロイの言葉に頷いて、ブラッドハウンドのときのように凍ってしまわないよう、ダウンのジャケットの中にぶら下げていた拳銃を引っ張り出してスライドを引く。ガチャリと機関部に弾が装填されたのを確かめて、セーフティのコックを捻って暴発に備える。
その仕草を見届けてくれたロイが、静かな声色で言った。
「行こう」
「うん」
私も静かに、そんなロイの言葉に応える。
そして私とロイは、目の前に広がる雪原へと足を踏み出した。