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夢の値段  作者: 渡辺正巳
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4

 僕と雨宮さんはビルに入り、エレベーターに乗って、十二階で降りた。


エレベーターを降りるとそこはオフィス・エントランスになっていた。エレベーターを背にして左右に廊下が伸び、天井も壁も真っ白で眼が眩みそうなほどだった。正面の壁には一面にガラス板が貼ってある。ガラス板は一枚が横幅二十センチほどの細長い板だ。それが横にずらりと並んでいる。その壁の中央からやや右のところに入り口がぽっかりと口を開けていた。入り口の脇には、腰の高さほどの小さな木の台があって、その上には来訪者を受け付けるための黒い電話が置いてある。電話の上のガラス壁には、


DREAM WORKS


という白い文字が書かれていた。


 雨宮さんは無言で僕を引き連れてオフィスの入り口へ入った。するとそこは小さな白いスペースになっていて、すぐにまたオフィスに入るためのドアがあった。ドアの脇にはカードキーのセンサーがついている。雨宮さんは胸ポケットから名刺入れを取り出すと、そのセンサーにかざした。


ピピッ


鍵が開く音がした。名刺入れの中にカードキーを入れていたらしい。雨宮さんは勢いよくドアを開け、中に入った。僕もその後に続いた。


 中に入ると、七、八十畳はあろうかというだだっぴろいオフィスが僕の眼前に広がった。デスクが並び、そこに数十人の人たちが座ってコマネズミのように働いている。パソコンのキーボードを叩く音、何やら打ち合わせをする喧噪、電話の応対をする女性の声。


「お客様いらっしゃいましたあああ」


 オフィスの中を歩きながら、雨宮さんが突如大声で叫んだ。すると、間髪入れずオフィス内で働いている人全員がそろって声をあげた。


「いらっしゃいませえええ」


僕はその応対にびっくりしながら雨宮さんの背中を追っていった。雨宮さんはデスクの間を縫いながら、オフィスの奥の方、奥の方へと歩いていく。やがて、オフィスの左奥の隅っこにある扉にたどり着いた。そこにもまた、カードキーがあった。ピピ。雨宮さんがそれを開ける。中側へ扉を開き、自分は中へ入らず、後ろに身を引いた。僕の方を向いてにっこり微笑み、片手を伸ばして部屋の中を指し示した。


「どうぞ」


 そこは八畳ほどの薄暗い部屋だった。入り口から入ってすぐの右手に白いL字型の長机があり、その上にはパソコンやら黒いモニターのような機械やらヘルメットやらタコ足になっているコンセントの束やらが散乱していた。ありとあらゆる色のコードがうじゃうじゃとあふれて、絡まっている。


机の向こう側には男が一人、社長椅子のようなリクライニングのきいた革張りの黒い椅子に、背もたれにもたれかかって座っている。男は白衣を着て、雑誌「FLASH」を読んでいた。


部屋の中央にはマッサージチェアによく似た椅子が置かれてある。やはりコードがたくさんつながっており、そのコードたちは床の上を走って長机まで続いていた。


部屋の奥には大きな窓があったが、薄緑色のブラインドを下してしまっているので、光が入ってこないのだった。窓のそばには鉢植えのポトスが、ポンと投げ出されたかのように一つ、佇んでいる。


なんだ、この部屋は――。僕は部屋の怪しさを見て、これからここで夢を吸われるというのが気味が悪くなってきた。


「お客様です」


 僕の後から部屋に入ってきた雨宮さんが、長机に座っている男に声をかけた。


「ふぁい」


男は気の抜けた声をあげると、「FLASH」をばさりと長机の上に放り投げ、こちらを見てきた。小人症かと思えるくらい体の小さな男である。だが、顔は間違いなく中年男性で、黒ひげが頬一面に生え広がっていた。丸メガネを掛けており、そのメガネの向こうの眼は切れ長で、眉は真っ黒なゲジゲジ眉、鼻は高く、おおよそ整った顔をしている。その整った顔が小さな体と見事にアンバランスさを保っており、部屋同様、いかにも怪しげだった。


 小人の男は椅子の背もたれから身を起こすと、こちらを見つめたまま椅子を下りた。


「ん、ん、ん、ん、いいですねえいいですねえ」


甲高い声でぶつくさしゃべり始めた。


「夢、売っちゃいますか。ねえ。今どき夢なんて、いらないですもんねえ。ん、ん、ん。なんの夢ですか?カップラーメンを売る夢ですかね。


いやね、昔、私の学生時代の友人で、『世界を股にかけた仕事がしたい』っていう理由で、カップヌードルの日清食品に就職した奴がいましてね。なにしろ世界的企業ですからねえ。ん、ん、ん。だったんですが、配属されたところが、ネギの部署。カップラーメンの中に入っている、乾燥ネギの部署だったんですよ。


それ以来そいつは何十年もずっと乾燥ネギの研究ですよ。今じゃネギを見ただけで産地を当てるようになりましたよ、そいつは。ん、ん。夢なんて、結局のところ、そんなものですよ、きっと。ふふふふふ」


 そう言いながら、長机の向こう側からこちら側へ歩いてきて、僕に近づき、僕の胸くらいの高さからじっとこちらを見上げてくるのだった。


「窪塚さん、お客様に失礼です」


 雨宮さんがそう小人の男をたしなめた。


「おっと失礼、祥子さんに怒られちゃ、いけませんね。ん、ん。ごめんなさい。じゃ、やっちゃいますか。夢、いらないんでしょう?」


「はあ」


僕はいくぶん怒りを込めて、窪塚と呼ばれた男に返事をした。いくら自分で決めたこととはいえ、真正面から「夢、いらないんでしょう?」と言われて、さすがに気分がよくなかった。


「じゃこれとね、これをつけてください」


 そういいながら窪塚は、長机の上から、コードのたくさんついた黒いヘルメットと、スノーボーダーがつけているようなごついゴーグルを取り、僕に渡してきた。


「これは?」


僕が聞くと、窪塚は、


「ん、ん、ん、ん。大丈夫ですよ。ちょっとね、夢を吸いとるだけですから」


嬉しそうにそう言うのである。


「窪塚さん、お客様へ説明は?」


雨宮さんがいらいらした声でそう言った。


「いいんですよ、やればわかるってもんです」


「だめですよ、それじゃ。まったく・・・関口様、私が代わりに説明しますね。これから関口様には、このヘルメットとゴーグルをつけて、あの椅子に座っていただき(そう言って雨宮さんは部屋の中央に鎮座しているマッサージチェアのような椅子を指し示した)、夢を吸い取らせていただきます。痛みや健康被害など、一切ありませんのでご安心ください。


時間は一時間ほど。その間、ゴーグルにはある映像が――ゲーム『スーパーマリオブラザーズ』の1‐1面で操作を誤り、マリオが死んでしまう映像が次々と流れ続けます」


「マリオの1面ですか、なんでまた」


そう僕が聞くと、今度は窪塚が答えた。


「それはですね、その映像が夢をあきらめるには最適な映像だからですよ。具体的に言うと、脳の中のα波が・・・って、専門的に言っても分からないでしょう?とにかく、当社の研究で、クリアするのが非常に簡単なスーパーマリオブラザーズの1‐1面で、マリオを死なせてしまう単調な映像が、夢を吸い取る手助けをしてくれるって言うことが、わかったんです」


「・・・わかりました」


なんとも怪しげな話だったが、ここでごねてもことは前に進まない。僕は雨宮さんと窪塚が見守る中、部屋の真ん中の椅子に座り、背もたれに身をあずけた。そして、ヘルメットとゴーグルを装着した。ヘルメットはなぜか生暖かく、着けるときに汗の臭いがした。


「いいですねいいですねえ、ん、ん、ん、それじゃ行きますよ、痛かったら右手をあげてくださいね」


 痛みはないと雨宮さんは言ったのに、窪塚は冗談のようにそう言って、長机のそばの革張りの椅子に座り、パソコンをいじり始めた。


ぱたたたたたたっ、ぱたたたっ。キーボードを打つ音がする。すると、


「テレッテッテレッテッ、テ」


部屋に音楽が鳴り響き、ゴーグルにはスーパーマリオブラザーズのゲーム画面が映し出された。小さなマリオが画面の中を走りだし、ジャンプして頭上のブロックに隠されたコインを取り、そうして――早速、向こうからやってきたクリボーに当たって、死んだ。


「テレッテッテレッテッ、テ」


 間髪入れず再び音楽が鳴り響き、画面がリセットされた。また新たなマリオが走り出す。


 その後もマリオは次々と現れるクリボーにそこかしこで倒され、穴に落ち、ノコノコに噛みつかれては何度も何度も死と登場を繰り返した。何十回、何百回とそれが再現され、僕はうんざりし、この拷問のような映像と音楽の繰り返しが早く終わらないか祈った。

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