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夢の値段  作者: 渡辺正巳
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3

 それから二日経った日の昼下がりだった。僕は山の手線に乗って、新宿を目指していた。平日の昼とあって車内はすいており、座席も空いていた。けれどもなんとなく僕は座る気になれず、吊り革につかまっていた。自分が抱き続けてきた夢が、今日、僕の中から消え去ってしまうというのは、なんとも非現実的で、理解できないことだった。


 二日前のあの日、結局僕は雨宮さんの営業に根負けし(それには彼女と二人で旅行に行けるという特典が、最後の一押しになったのは否定できない)、夢を売ることにしてしまったのだ。その場で僕は雨宮さんがかばんから出した契約書にサインし、雨宮さんは大喜びでその後の流れを説明した。それによると、雨宮さんの働いている「ドリームワークス」に一度行き、そこで夢を売るために「夢を吸われ」て、それから六十万円を受け取る、という手順になるのだそうだ。プレゼントされる御殿場旅行へは、このドリームワークスへの夢の売却が済んでから行く。その日取りは、僕が二日連続でアルバイトがなく、雨宮さんも会社が休みだという、次の土日に決まった。そんなわけで今日僕は、新宿にあるというドリームワークスに行って夢を売るために出かけたのだった。


 新宿駅に着くと、僕は指定されていた西口改札へ向かった。改札を出て雑踏の中、あたりを見回すと、改札のすぐそばにある、大きな四角い柱に寄り添うようにして、雨宮さんが立っていた。先日持ってきていたベージュのトレンチコートに身を包んでおり、そのコートの下からはグレーのスーツのスカートが見えていた。


 僕が近づくと、雨宮さんもこちらに気づき、にっこり笑って、ペこり、と大げさに会釈した。笑った唇の陰からまた歯ぐきがのぞいたことをのぞけば、完璧な好印象の挨拶だった。


「ありがとうございます、お忙しい中」


「いや、どうせ今日はバイトが休みだから、いいんだよ」


「じゃあ、行きましょう、こちらです」


言うが早いか、雨宮さんは人ごみをかき分けるようにして早足で歩き始めた。僕もあわてて彼女の後を追った。雨宮さんは駅を出て、都庁方面に向かう地下道に入り、西へ西へと歩いていく。西新宿の地下道は明るくて広く、幅が十メートル近くもある。そこを雨宮さんは、ものも言わず進んでいくのだった。


「あの」


途中、僕は「夢を吸い取る」ということの意味について雨宮さんに聞こうとして、後ろから声をかけたが、気づかれなかったのか黙殺されてしまった。


 やがて、動く歩道が設置されているところへ出た。動く歩道は地下道の中を何百メートルも続いている。雨宮さんは動く歩道に乗ると、そのままの勢いで歩道の上を歩いた。動く歩道の流れに乗って、いっそう速度が増した。カツカツカツ。履いているパンプスのかかとの音が、地下道に鳴り響く。途中、立ち止まって歩道に流されるままにしている人たちを、何度か追い抜いた。そうして雨宮さんは、新宿中央公園に隣接する出口を出た。


出口から地上に出ると、雨宮さんは大きな通りを、公園を左手にして歩き始めた。通りの脇では街路樹が全ての枝を枯らして立ち並び、その枝を空へ張り出している。空は寒空で、のっぺりした雲が空一面に膜を張ったかのように広がり、上着の袖口や襟から冷気が忍び込んでくるようだった。僕は着ていたダウンジャケットのファスナーを口元まで上げ、ポケットに両手を突っ込んで歩いた。


雨宮さんは公園の脇を通り過ぎ、ビル街に入って、さらに五分ほど通りを行ったところでようやく僕を振り返った。


「ここです」


 それは通りに面した、十五階はありそうな薄ねずみ色のビルだった。かなり新しい建物のようで、ビル一面に張られた窓ガラスの向こうで光っている、オフィス内の電灯が眩しい。


「なかなか、いいところで働いているんですね」


僕は素直な気持ちでそう言った。


「いえ、とんでもありません」


雨宮さんは笑いながら答えた。

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