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僕はキッチンでやかんに湯を沸かした。湯が沸くと、その湯をお茶っ葉の入った急須にいれ、時計を見てきっかり一分、お茶を蒸らした。そうしてキッチンの台に置いた二つのマグカップ(僕のアパートには湯呑み茶碗がなかった)へ、蒸らしたお茶を交互にいれていった。計五回ずつ、最後の一滴までマグカップにお茶をいれた。
お茶をいれ終わった二つのマグカップを持って、僕はキッチンから部屋に移動した。部屋の真ん中では、なんの敷物も置いていないフローリングの床の上、小さなちゃぶ台の前に女性が正座している。女性の脇にはかばんとコートが置いてあった。部屋の南窓から冬の弱々しい夕陽が差し込んで、女性の青白い顔をオレンジ色に照らしていた。部屋には、他に、タンスとシングルベッド。テレビに、本棚。そうして先ほどまで僕が座ってうなっていた、パソコンの置かれた勉強机が置いてある。よく言えばきれいに片付いている部屋だが、我ながらあまりに物の少ない、殺風景な部屋だった。
僕は女性の前のちゃぶ台へマグカップを――片方は女性の目の前に、もう片方はその反対側に置くと、女性と正対して座った。マグカップを置いてやると、女性は見ているこっちが気の毒になるほど恐縮した。
「すみません、ありがとうございます」
「いえ、こんなコップしかなくて、恥ずかしいんですけど。まあ、飲んで。寒くない?なかなか暖房がきかなくって」
「いえ、大丈夫です」
「それで、話っていうのは」
僕が抱いている夢――目標と言いたいところだが――について知っているという女性の話に興味を持った僕は、立ち話でもなんだしということで女性を部屋に招き入れて、話を聴くことにしたのだった。
「はい、申し遅れましたが、私、こういう者でして」
そう言って女性は名刺を取り出し、僕に手渡してきた。
株式会社ドリームワークス
夢買取課 夢品質診断士 雨宮祥子
~あなたの夢、買い取ります~
名刺にはそう書かれていた。
「あなたの夢、買い取ります、ね・・・」
名刺を見ながら僕がそうつぶやくと、雨宮さんという女性は勢いづいてしゃべりだした。
「そうなんです、私どもドリームワークスは、設立三年目のベンチャー企業でして、ある人から夢を買い取り、その夢をまた別の人に売ることを主な事業としています。
具体的に申し上げますと、関口様のような、抱いてはいるけどなかなか実現不可能そうに思え、くすぶっている夢への『才能』と『情熱』を、全て当社が買い取ります。そして、まだ前途のある若者や子供たちに、買い取った『才能』と『情熱』を売却し、注入させていただきます。そうすることで、若者や子供たちはそれまでの自分が持っていたエネルギーに加えて新たに『才能』と『情熱』を得、夢の実現に向かうことができます。これまでの世の中ではあり得なかった夢のリサイクルとでもいうべきものが完成し、より多くの若者や子供たちの夢が叶うようになるのです。
この夢のリサイクルのご協力を得るため、関口様の夢をぜひ売っていただきたく、参った次第です」
ここまで一気に話すと、雨宮さんはマグカップを手に持ち、すすすとお茶を一口飲んだ。
「そんな、SFみたいな・・・」
「嘘みたいな話だとお思いでしょう?だけど、これが今の科学の力なんです」
「夢を売るって、売った後はどうなっちゃうんですか?」
「何一つ心配はございません。その人が抱いている一つの夢、つまり関口様の場合『小説家になりたい』という夢に対する『才能』と『情熱』が無くなるだけです。その他の点では一切、日常生活に変化はありません。夢を買い取らせていただいた方々には、むしろ売ってしまって良かったと言われることの方が多いくらいです。夢を売って、気分がさっぱりして、なんの迷いもなく一般就職や結婚にまい進できるとのことで」
「なるほど。それで、肝心な話なんですが、いくらぐらいで買い取って貰えるんでしょう」
「夢のお値段ですね?少々お待ちください」
そう言うと、雨宮さんは自分の右脇の床に置いてあったかばんを手に取った。かばんの口のチャックを開き、中に手を突っ込むと、ipadが出てきた。
「夢の値段は様々なんです。何しろ、人によって夢に対する『才能』も『情熱』も、その強さは千差万別ですから。当社独自の基準で、『才能』と『情熱』をそれぞれ数値化し、それを掛けた金額が夢のお値段になります。ちょっと待っていてください、今査定させていただきますので」
そう言いながら、ipadを何やらいじっている。二、三分、沈黙の時間が過ぎた。
「あ、でましたでました!えっと、『才能』がFランクで、『情熱』が、すごいですね、Bランクですよ」
才能がFランク、と聞いて僕は恥ずかしくなった。それが何番中何番目の指標なのかは知らないが、アルファベットの順番を考えると決していいランクではないことは明らかだった。
「FとBを掛けて、二十八歳という年齢を考慮して・・・でました、六十万五千八百円です」
六十万円。高いんだか安いんだか、よくわからない金額だった。なにも労せずに六十万円が入ってくるなら、ずいぶんいい話のように思える一方で、たったそれっぽっちで夢を捨ててしまうのは、あまりにもったいないことのようにも思えた。
「いかがでしょう。ぜひ、夢を当社に託して、売っていただくことはできませんか?このまま夢をくすぶらせておくのはもったいないことですし、夢にしたって、将来のある新たな買い手のもとできちんと実現された方が、きっと喜ぶに違いないと思うんです」
「ちょっと考えさせてもらえませんか。なにしろ、唐突な話なもので」
僕がそう及び腰になると、雨宮さんはここぞとばかりに畳みかけてきた。
「今お売りにならないと、一般的には『才能』も『情熱』も無くなっていって、金額は下がっていってしまう恐れが強いですよ。それに、今すぐ承諾のお返事をいただければ、なんと静岡・御殿場への一泊二日ペア旅行が無料プレゼントされまあああす!」
されまあああす!と叫んだ瞬間、再びあの歯ぐきが丸見えになったので、なんともしまらない空気になった。僕はその立派な歯ぐきが彼女が叫び終わるのと同時に唇の中へしまわれていくのを見届けると、冷静になるために、お茶をぐっと一口飲んだ。そうして、反論を続けた。
「御殿場って、ずいぶんまた微妙なところですね」
「はい、それは当社としても沖縄だとか北海道だとかイタリアだとかにお連れしたいのはやまやまなんですが、さすがに経費がかかり過ぎるので」
「すみませんが、今回はちょっと・・・。御殿場、いいですけど、ペア旅行でしょ?なにしろ、行く相手がいないものですから」
僕がきっぱりそう言うと、雨宮さんは見ていてはっきりわかるほど、しおしおとしおれてしまった。正座をし、ipadを持ったままうつむいて、眼だけはこちらに向けて、今にも泣きだしそうにその瞳をうるませている。ちょっと悪い気もしたが、仕方がない。セールスには毅然と対応するしか手はないのだ。
「じゃあ、悪いけどそういうことで。また、ゆっくり考えてみて、利用する気になったら、こちらから連絡しますから」
「私じゃいけませんか」
「え」
雨宮さんはそのうるんで赤く充血した眼でキッと僕をにらみつけ、小さな声でつぶやくように言った。
「ペア旅行にご一緒するの、私じゃいけませんか?って言っているんです」
「ええ?」
おどろきで言葉が継げなかった。枕営業をされたのは、生まれて初めてだった。




