1
パソコンのスイッチを入れてWordを開き、スクリーンとにらめっこをして――そのまま三十分が経過した。何度もキーボードにそっと両手を載せてみては、さっと引っ込め、椅子の背もたれに深くもたれかかって天井を見つめ、ふうと一息ため息をついて、かと思うと今度は突然机に突っ伏し「ううう」と声をあげてみる。「ううう」とつぶやいた自分の声が1Kの六畳一間に響くだけで、別に何が変わるわけでもない。思い切って、めっちゃやたらにキーボードを叩いて文を作ってみた。
「書けない。何一つ書けない。書けないことは死を意味するのだ、僕にとって。食べるために必死でバイトに明け暮れて、こうしてどうにか書くための時間を取った日曜日の夕暮れの二時間、その貴重な二時間がこうも無駄に過ぎ去ろうとしている。これはつまり、僕には才能がなかったのだろうか。大学の文学部では、才能があると、確かに先生にほめられたんだけどな。ああ、明日の携帯電話の料金引き落とし、どうしよう?もしかしたら、今月払わないと止まるんじゃないか?確か先月分は払ったような気がする。なら、大丈夫か。今日の夕飯、どうしよう?作る元気はないし、かと言って外で食べると高いし、またオリジン弁当かな」
どうしようもない、本当にめちゃめちゃな文章ができあがったので、ここまで書いて、全部消した。スクリーンから、ふっと目を離した。右ひじを机につき、手のひらで眼を覆った。ぎし。座っている椅子がきしむ。
「ああ・・・」
自然と声が漏れ出た。
「会社、辞めなきゃよかった・・・」
二十八歳、フリーター。僕には金も彼女も、なんにもないのだった。つくづく自分の人生が嫌になって、そろそろ、あの考え――会社に居たころから僕を時々襲っている考え、「だったらもういっそ、死んじゃえば」という思いが浮かんできた、その時だった。
ピンポーン
インターホンが鳴った。僕はぴくんと身体を波打たせてその音に反応した。右手を眼から離した。だが、チッ、と舌うちして、それを無視することにした。出たところでどうせめんどうなセールスに決まっている。
ピンポンピンポンピンポーン
インターホンが続けて鳴り響いた。僕は嫌な気持ちがしながらも、仕方なく出ることにした。部屋を出てキッチンを通り、玄関へ向かう。玄関のドアを開ける。ガチャ。するとドアの向こうには、
「こんにちは!いまお時間よろしいですか?」
真っ黒の地味なスーツに身を包んだ、見るからにセールスウーマンじみた若い女が立っていた。片手にかばんを、片手にコートを抱えて、にこにことした笑みをこちらに向けている。女性はスラリと背が高く、痩せていて、細い足がスーツのスカートからにょっきり伸びていた。黒のショートカットに包まれた細面の顔は、パッチリときれいな二重の眼をして、鼻筋がスッと通っている。青白いと形容するのが適当なほど、色が白かった。ただ、上の歯ぐきが非常に発達していて出っ歯になっており、「こんにちは!いまお時間よろしいですか?」と言って口を開けた瞬間、その歯ぐきが唇の陰から縦に五センチほども露わになって、まるで馬のように見えてしまったのがこの女性を美人から遠ざけていた。
「いいですけど、何のお話ですか?セールスならお断りしますよ。お金がないので」
僕は相手が若い女性だったので、自分が部屋着のスウェットの上下を着ていることを恥ずかしく思いながら、そう言い返した。
「それなら大丈夫です!お金を払うのではなく、お金を儲けませんかっていう話ですから」
ますます怪しかった。
「そういうことでしたら、結構です」
僕はドアを閉めかけた。すると女性はとっさにドアの縁を掴み、すごい力で、ドアが閉まらないよう引っ張り始めた。
「ちょっとだけ、お話だけでも、聞いて、いただけませんか」
「間にあって、ます、から」
二人、ドアの引っ張り合いをしながらそう問答した。力みで言葉がきれぎれになる。その僕にドアを引くのをやめさせたのは女性の次の言葉だった。
「あの、小説家になる、っていう夢を、お持ちですよね?関口さん。その夢を、私どもに売っていただけませんかって、言う、お話なんですよ」
その言葉に驚いた僕は、思わずドアを引っ張る力を弱めてしまった。突然僕が引っ張る力を弱めたので、ドアは勢いよく外側に開き、女性はびっくりして「きゃ」と小さく声をあげた。僕は開け放たれたドアの取っ手から手を離し、女性もドアの縁から手を離した。二人、玄関口を隔てて向かい合った。
「どうしてそれを・・・」
いぶかしむ僕に、女性はにっこり微笑んで口を開いた。また、大きな歯ぐきがググッとその姿を見せた。
「弊社独自の調査によるものです。とりあえずお話だけでも、聞いてみませんか?」




