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炎獄の娘  作者: 青峰輝楽
第四部・聖都篇
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13・聖都の魔窟

 この日はもうこれ以上出来る事はないだろうと、ラクリマがふらつきながらも目を覚ますまでの暫しの時間を待ってから、アルフォンス達は大神殿をあとにした。三人とも殆ど口を開かなかった。話のあまりの重大さと、それにどう対処すべきか、うまく解決する可能性はどれくらいあるのか……何を言えば良いのか掴みかねたからだ。


 アトラウスは騎士団の用件で約束があったので、団舎へ戻らねばならなかった。

「明日またお目にかかります、伯父上」

 彼はそう挨拶して団舎の門前で馬車を降りたが、その闇色のひとみには昏い翳だけがあった。将来の義理の息子は、事態をかなり悲観的にみているようだ、とアルフォンスは感じる。元々悪い結果を先に考える性格である。しかし話を聞いてしまったからには、前向きになって共に手を尽くしてもらう必要がある。


(前向きに、か……)

 前向きになれる材料は殆どないと言って良かった。ただ、何が起きたのかも知らぬ内にいつの間にか種子に操られる事ばかりは回避する知識を得ただけだ。ラクリマは、もう少しは何か知っているのだろうが、誓約の鎖に繋がれて話せない。せめてその最重要な情報を彼女自身の力で役に立ててもらう事を期待する以外、魔道の罠に自力で打ち勝つ光明は見出せそうになかった。

(これが、剣や政治の話ならば、誰かに頼ろうとも思わぬものを……)

 ルルアはアルフォンスにありとあらゆる優れた資質を授けた……ただ、魔道の才だけを除いて。代々のルーン公は殆ど皆そうであるとはいうものの、今ほどそれが欲しいと思った事はない。こればかりは生まれ持ったものがなければ、何十年研鑽しようと決して扱うことが叶わない力だ。あの頼りない娘のユーリンダの百分の一でも己にその資質があれば、それを磨く事も厭わなかったのに、もともとの力が皆無であれば、それはもう人間の力でどうにか出来る事ではないのだ。


(いや……魔道の方面から追うのはラクリマに頼むしかないが、他にわたし自身が出来る事がある筈だ)

 魔道を扱う者としてではなく、この聖都の統治者として出来る事……それは、長い歴史の中で受け継がれてきた聖都の暗部、歴代ルーン公の頭痛の種ともなっていた問題に向かう事でもある。


 ルルア正教大本山のルルア大神殿には、少なくとも生涯に一度は自分の足で詣でようと、アルマヴィラには王国各地からの巡礼者がむかしから後を絶たない。そんなアルマヴィラは、公国設立以前は寒村以外なにもない僻地でしかなかったが、初代ルーン公アルマ・ルーンと初代聖炎の神子エルマ・ヴィーンの尽力により、ルルア大神殿を設立し公国として独立を果たしたあとは、ひたすら都市としての整備に努め、八公国戦争時代の間もアルマヴィラ公国の要衝という側面とはべつに、聖都であり、今は観光地でもあった。戦時中でさえ、身分が明らかであれば敵国の巡礼者でも受け入れたという聖都は、四百年もむかしに立案されたとは思えぬ程細やかな配慮の届いた都市計画に添って、いまの形の雛型が整うまで百年以上をかけ、その後も常に聖都の名に恥じぬよう、美しい街並みと判りやすい街中の地理、華美ではないが明るく清潔感に満ちた都市であり続けた。

 ルルア大神殿を中心とした宗教的建築物の多い区画と、ルーン公邸を中心とした貴族や裕福な商人などが住まう区画、その程近くにある聖炎騎士団舎と騎士や兵士にあてられた区画が都の奥手にあり、中心部には、主に旅人を相手にする宿や商店の並ぶ目抜き通り。それは、聖都をぐるりと囲み護る城壁の大門まで一直線に続いていた。都市の治安と共に、破損した設備や道路の修復も都警護団の仕事であり、彼らは安定した賃金の為にその仕事をよくこなしていた。アルマヴィラは、聖都であるという以上に、領地内の金鉱のおかげで都全体が貧困に陥る事はなかったのだ。

 歴代のルーン公のなかには、とにかく出費を厭うて「清貧」が口癖、自分も従者にもぼろの衣装を好んで宮廷で失笑をかったという変わり者『清貧公アウルス』や、逆に己の贅沢に耽った『金ぴか公レーヴィス』など悪い面で名を遺した者もいない訳ではないが、殆どは、ルルアの娘アルマ・ルーンの直系の者としてルーン公の名を貶めぬよう努めた者ばかりであったので、特に八公国の戦争が終結し、ヴェルサリア王国時代になってからは、都市に格別なわるい事はなく、人々は他の地域よりかなり低い税を課せられるだけで平安な暮らしを送ってきたのである。


 とはいえ、むろん全ての民が豊かで何の不満も苦労もない都市など地上には存在しない。アルマヴィラにも、貧民窟とまでは言えずとも、学も特技もなく日雇いでなんとか生活している人々の暮らす一画もある。他地方からの巡礼者は、余程物好きでないならよそ者は近づかない方がいい、とまず注意を受ける下町である。普段から大っぴらな犯罪行為が行われる程治安が悪い訳ではないが、旅行者と見ると人々が押し寄せてものを売りつけようとしたり娼館に引っ張り込もうとする客引きがいたりと、色々面倒な目に遭う事が多い為である。

 そうした下町でも生きる意志が本人にありさえすれば飢えて死ぬ事はないが、かつては、親を失った幼子や重い病に罹っても薬も買えない者は、捨て置かれて餓死する事もあった。しかし領主がアルフォンスの代になって八年後、かねてよりかれの理想であった、王国初の救護院が設立され、本当に困窮している者は、無料で治療を受けたり食物を施されたり、あまつさえ、才覚が見出されればその才を伸ばす手ほどきを受けて、職を斡旋してもらえる事さえできるようになったのだ。相変わらず柄は良くないが、下町の風通しは随分と良くなった。現ルーン公は、アルマヴィラの歴史上最も民からの信頼が厚いと言えるだろう。


 だが、そんな下町よりずっと恐ろしい魔窟が、聖都に存在していると言われている。それは、幼い子どもが悪さをしないように聞かされる怖い寝物語のようなもので、実際には、ルルアの篤い庇護を受けた聖都にそんなものはない、というのが大神殿の一般に向けた見解ではあるのだが。

 伝説の神子アルマとエルマですら、その存在をある程度封じる事には成功しても消し去る事は叶わなかったと伝えられる異能の魔導士……結界の中で四百年かそれ以上も生き続けていると言われるその者と、その眷属たちが出没するという、『異なる界隈』とひそかに呼ばれるその一画は、下町の最奥、黄昏通りという小道の奥にあるという。まっとうな大人は、そんな者はいない、ただの治安の悪い地区に過ぎない、と笑うのだが、その顔はどこか強張ってしまう。実際にその周囲に近づくと、魔力のない者でさえ、いかにも不吉で異色ななにかを感じ、立ち入ってはいけないと思わされるのだ。

 立ち入りさえしなければ、今までそこからなにか不吉が這い出て民に被害を与えたという記録はない。だから、大神殿は「そんなものはない」と言う。実際には大神殿では、道を踏み外した邪悪な魔導士の巣窟であろうと考えられていて、過去には何度か秘密裏に調査が行われたが、誰も生きて帰らない為、無害なのを口実に現在は調査は行われていない……事になっている。

 『異なる界隈』は非常にきまぐれで不安定であり、稀に命知らずの若者や酔いどれが入り込むことはあるのだが、運が良ければ、「何もない行き止まりだった」と言って無事に帰って来たリ、まったく記憶を失ったまま放り出されていたりするのだが、多くは袋に詰まった肉片となって帰還したり、そのまま帰って来なかったりもするのだった。そして、帰って来なかった者たちは、肉片となった者よりもっと酷い運命を辿ったのだろうと囁かれるのである。


 『異なる界隈』については、公には存在しない事になっているし魔道の領分でもある為、領主家ルーンの代々の長は、厭わしいことと思いつつもこれまで、大神殿の要請もあって基本的に、ないものとして看過してきた。中には半分興味本位で、調査の目的で数名の騎士を送り込んだルーン公もいたが、それはただ、優秀な人材をむざむざと肉片に変える結果にしかならなかった。


『あれは我々がどうこう出来るものではない。中でどんな起こっていようとも、魔力すら持たぬルーン家には対処する力も義務もない。大神殿に委ねるのみだ』

 かつて、亡き父エルランスは嫡男のアルフォンスにそう言って聞かせた事があった。

『ですが父上、仮にも我々の護るべきアルマヴィラの中でもしも非道が行われているなら、見て見ぬふりをするなどもってのほかではないでしょうか』

 アルフォンスは、たとえ家長の父親に対してでも、間違っていると思えばはっきりと主張する少年だった。父は無礼を咎める事もあれば意見を吟味してくれる事もあったが、この時はただ嫡男の肩に置いた手の力を強めて、

『そなたの気持ちはわかるが、あれに手出しをする事はルーン家に不吉を呼び込むという言い伝えもある。どのみち何も出来ぬし、被害があるのかないのかもわからないのに手出しをしても不利益を被るだけだ。解ったな』

 とやや語気を強めて言い聞かせてくるばかりだった。


 また、聖炎の神子である妻のカレリンダに、かつてこの件で意見を求めたところ、彼女はぎょっとして蒼白になり、

『そんな名をみだりに口になさってはいけませんわ。不吉を呼び込みます』

 と夫を諭した。

『実際に何が起きるというんだ?』

 と尋ねると、

『それは判りません。しかし、あれはアルマとエルマに封じられたもの。ルルアの娘があれをあそこに置いたのは、聖都の力によって封印が途絶える事のないようにという配慮だとわたくしは考えています。その封印に触れる事は禁忌を犯す事かも知れません』

 と真摯に訴えてきたのだった。


 そんな事もあって、意識の外に閉め出していた問題だったのだが、ラクリマの話と自身の甦った記憶をすり合わせると、手がかりを求めるとしたらそこしかないようにも思えた。

 なにも戦ったり排除したりしようという訳ではない。領主として、そこの住民と話をする事は出来ないだろうか、と考えたのだ。

 もちろん、危険過ぎる賭けとは判っている。だが、ラクリマひとりに背負わせる訳にはいかない。魔道の力を持たない自分だけならば、何の脅威もないのだから話くらい聞くかも知れない……。

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