12・正教と異端
「今からお話しする事は、大神殿内での秘中の秘も含まれています。どうか、このお話はお三方の胸のうちにとどめて、最も信頼されるお方にもお話しにならないようお願いいたします」
とラクリマは前置きした。
「しかし、勿論カレリンダは知っているんだろう?」
アルフォンスの妃カレリンダは聖炎の神子……大神殿内でもその地位は大神官に劣らず高い。但し実質的な権限は大神官にあり、聖炎の神子はあくまで象徴的な立場ではあるが。
だがラクリマは、
「カレリンダさまのことについては、お話の中で触れさせて頂きます」
とだけ答えた。アルフォンスはやや不審げな顔つきになるが、了承の意を伝える。ファルシスとアトラウスも、ルルアに誓って他言しない、と答えた。
「八公国の長きいくさの時代が終わり、ヴェルサリアが王家として立つ事で、大陸統一をほぼ成し遂げて、いま、ヴェルサリア暦250年。そして、アルマとエルマの聖炎伝説の時代から400年が経とうとしています。この節目の時期、この世を揺るがすような大きなことが起こる……。これは、以前より予言として代々、ルルア大神殿に受け継がれてきた事です。それがどんな事であるのかはわかりません。ですが、単なる国王の代替わり、などというものではなく、少なくとも、ヴェルサリア建国以来なかったような事が起きると。猊下以下ルルア大神殿の中枢部は、それがいつどのような形で起こるのかと、何代もにわたって研究を重ね、調査していました。これは、王家ですら掴んでいない事なのです」
王家ですら……という言葉に三人は衝撃を受ける。確かに、神殿は王家に服従している訳ではない。国政に口出しする権限がない代わりに、王家から命令を受けることもない。しかし、そんな大きな問題を王家に伝えてこなかったとは……。
「恐らく、カレリンダさまもご存知ないと思います。何故なら、カレリンダさまは大いなる守護者、聖炎の神子であり、このような問題で頭を悩ます事があってはならないお方だからです」
その言葉でアルフォンスは、大神官と並び立つ聖炎の神子と言えどその立場はあくまで象徴であり、ただ心穏やかに祈る事ばかりを求められ、折角少女の頃から研鑽して得た、上位の神官をも凌ぐかも知れない魔道の知識を必要とされる事は殆どないのだという妻の愚痴話を思い出す。
「わたくしは中枢部の人間と言っても、末席の方ですから、詳細を教えられている訳ではありません。与えられた課題調査をこなす為に必要な情報しか……」
「ラクリマ、これを話すのにはきみにとってかなり危ない事ではないのか?」
ラクリマの言葉を遮って、アルフォンスは懸念を口にする。
「除籍処分くらいは覚悟の上ですわ」
あっさりとラクリマは答える。本当は、それくらいでは済まない……この三人のうちの誰かから外へ洩れれば、恐らく彼女に待っているのは死の制裁……。そうと知りつつも話すのは、ただただ、アルフォンスの身を救いたいからに他ならない。ラクリマはこの気持ちはファルシスとアトラウスも共有しているものと信じ、二人にも状況を伝える事が僅かでも状況を好転させる可能性に繋がる事に賭けた。
だが、除籍処分と聞いただけでもアルフォンスは表情を曇らせる。
「きみに迷惑をかける訳にはいかないよ。きみが知っていて我々に手段を教えてくれるならそれだけでも……」
「いいえ、大丈夫です。だって、皆さまはわたくしが最も信じて忠誠を尽くしたい方々ですし、それにお話を聞かれれば、これをよそに漏らそうともお考えにならない筈ですもの」
「しかし……」
「アルフォンスさま。これはわたくし個人の身の問題などとは比べるのも憚る程に重大な事です。アルフォンスさまは当事者となってしまったのですから、むしろ知って頂かなくてはならない、とわたくしは思います。アルフォンスさまの御為だけではなく、国の将来を左右するかも知れないのですから」
「……そうか。済まない……」
国の為、と言われてはアルフォンスも黙って聞くしかない。
「続けます。このヴェルサリアの各地の神殿の頂点に立つのは、ここ、アルマヴィラのルルア大神殿。言い換えれば、この国で公式に認められて使用される魔道……その発動や研究の全てを統括しています」
ルルア信仰は多神教である。戦神アトス、美と愛の神アデット、商業神イト……数十柱の神が信仰され、それぞれの神殿があり、人々はそれぞれの神の御利益に与りたい時、その神殿に詣でる。だが、それらの小神の上に立つのは、光の神ルルアと闇の神ダルム。
対極的な存在の二神だが、ダルムは邪神ではない。ただ、善行を積めば死後は光に溢れ永遠の安らぎを与えられるルルアの国に呼ばれ、悪行を重ねた者は闇と氷に閉ざされたダルムの氷獄に繋がれるとされている。だから人々はダルムを『悪しきものを封じ込める神』として畏れ敬いつつも、なにか悪い事を仕出かしてしまった時には「ルルアよ、わたしをお許し下さい、ダルムよ、わたしを呼ばないで下さい」と祈るのだ。
「しかし、正当な神殿の教えから外れ、魔道の力を持ちながらもそれを世の為に行使せず、神殿の追跡から身を隠し、自身の利益のためにそれを使う輩もいます。これが一般的に言う魔導士です。ここまでは皆さまも勿論ご存知の事と思います。ですが、そうした魔導士の使う魔道も、結局はルルアから賜った力であり、単に使い道を誤っているに過ぎません。ですが、アルフォンスさまに種子を埋め込んだ者は、先ほども申しました通り、そうした魔導士とは異なる系統の魔道の使い手……わたくしたちがルルアから賜った力を使うのと同様に彼らもまた、何か異なるものから力を得ているのには違いありませんが、その力の源がなんなのかはわからないのです」
そこで一旦ラクリマは言葉を切り、三人の反応をそっと見た。皆、真剣な面持ちで聞き入っている。
「そもそも、身分が高貴である方程、知る機会が少ない事もあるのです。神殿で学ぶ機会もろくに持たない貧しき民が、その生育する環境の中で触れる、大神殿の聖なる教えとは異なる宗教的歴史観……」
「そんなものがあるのか」
思わずアルフォンスが口を挟む。ラクリマは苦笑を交えて、
「ええ。本来、貴族階級以上のお方は触れてはいけない土着信仰のようなものが多いのですけれど。大神殿の教えは、ルルア正教。ですが、まずルルア正教の傍流ともいえるものだけでも、『原始ルルア教』『原祖ルルア教』など、いくつかの異なる宗派がありますの。この違いを細かくご説明致しますとそれだけで夜が明けてしまいますので、今は省きますわ。そして、ルルア以外の大神を崇める輩もいます。たとえば、ルルア正教によれば、ルルアとダルムを生み出した神の神、古の触れ得ぬ大神という存在がありますが、その古の神そのものを第一に信仰する輩。これはルルア正教から見れば、人間の域を逸脱した不敬行為にあたるのです。ですが今まで確認されたところでは、実際にその信者が、世界に害になる行為をした事はありません。神の神には、人間の祈りなどそもそも届かないのですから」
途方もなく大きく感じられる話に、三人はただ溜息をつく。子どもの頃からルルア正教の聖典のみが正しいものと教育され、それが当たり前だという世界で育って来た者には、大神殿の教えから外れた者は皆『異端』の二文字で片づけられるもので、その昏い世界の中にも様々な派閥が存在する事など、神殿でも何も教えられていなかったのだ。
「それで、その宗教絡みの諍いがもとで、伯父上の身が狙われた、と?」
とにかく話を大事な事に戻そうと急いたようにアトラウスが問う。ラクリマは首肯した。
「アルフォンスさまのご記憶の話の中で、賊は『まもなく世界は大きな変換点を迎える』と言っています。これは先ほどご説明した予言の事とみて間違いないでしょう。そもそもこの予言を最初に行ったのが何者であるのか、何故か記録に残っていないのですが、大神殿でもかなり高位の方とは推察されています。そしてどういう訳か、この予言はいつの時代からか外に流出しているのです。勿論、軽々しく噂にするような事ではありませんので、今の所、魔道に関わる者以外に伝わったという話は聞こえませんが、さっき申し上げたルルア正教以外の宗派の者にもこれを知る者がいるのです。彼らはそれぞれの信仰に応じて独自の解釈をします。大神殿では、この『大きな変化』が如何なるものであろうとも、それはルルアの御意志によって起こるものであり、人にとって良き事でも悪しき事でも、人間は自らをそれに委ねなければならないとされています。しかしそうは思わず、ルルアの御意志に逆らい、この変化の時期にルルア正教を基調とした魔道体系を覆し、いまの世界をおのれの信仰に沿った世界に作り上げようと考える輩が存在すると察知されています」
話してゆくうちにラクリマの声にはどんどんと熱が籠ったが、彼女の顔は声とは真逆に蒼白になっていった。掟を破り秘中の秘をことばにするのには、秘密を知る彼女ら高位の神官にとって、誓約のひとつに反する事であり、その身に埋め込まれた見えざる魔道の鎖が心の臓を縛るのである。だが、まだこれくらいなら、死に至る事はない。限界ぎりぎりまで、ラクリマは耐えようと決意していた。これはルルアへの直接の誓いによるものなので、触れようとも他の神官に察知される事はまずない。一方、聞いている三人は、すっかり話に引き込まれているので、平然を装ったラクリマの不調には気づかなかった。
「異端者たちは、それぞれ宗派によって様々な手段で魔道を用います。中には、悍ましい事ですが、他人の命を道具のように魔道の媒体に使う禁術も存在します。……アトラウスさま、わたくしは最初、これは、攫われた侍女の行方を追われているアトラウスさまのお耳に入れない方が良いと思いました。希望を削がれてしまうと恐れて。ですけど、真摯なアトラウスさまのお話を伺っているうちに、全ての可能性をお知らせした方が良いと考え直しました。申し上げてもよろしいでしょうか?」
「もちろんだよ。なんだって覚悟は出来ているし、そもそももうあの娘の身がどうとかいう問題ではなくなっている」
ほうと吐息を漏らしてラクリマは続けた。
「もうお察しかも知れませんが……。巷では、行方不明の娘たちは暴力的な理由で連れ去られたという説が一般的です。ですが、神殿の最高部ではこう考えられています。『娘たちは、何者かが、大きな魔道を行使する媒体とする目的で連れ去ったのではないか』と。実はわたくし、この件を調査する任務を与えられていますの。先に申し上げなくて、申し訳ありませんでした」
「わたしを襲った異端者と、娘たちの行方不明に繋がりがあると考えたのはそれが理由なんだね?」
アルフォンスが尋ねるとラクリマは苦しげに息をしながら、
「はい」
とだけ答えた。
「どうしたラクリマ、具合が悪いのではないかね?」
初めてアルフォンスが、彼女の様子がおかしいのに気付いた。その言葉にラクリマはようやく自分の胸を押えて、
「も、申し訳ありません。これ以上は……誓約に……」
「ラクリマ!」
驚く三人の前で、ラクリマは遂に苦痛を露わにして意識を手放してしまう。アルフォンスは慌てて、倒れる彼女の細い身体を抱き留めた。粗く呼吸している彼女をソファに横たえる。
「命には関わりないでしょう。彼女も、自分が今ここで死ぬ訳にはいかない事くらい判って話していたでしょうから。すぐには人を呼ばない方がいいと思います」
アトラウスの言葉にファルシスが、
「魔道の誓約に反するとこうなると、母上に聞いた事はあったけど、すっかり忘れていたよ……済まない事をしたな」
と茫然とした様子でラクリマを眺めて呟いた。
「そうだったな……ああ、しかし、なんという話だ。わたしは、そんなものにどうやって立ち向かうんだ? ルルアよ……」
アルフォンスは頭を抱え、珍しく息子たちの前である事も忘れて弱気な言葉を吐いた。




