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炎獄の娘  作者: 青峰輝楽
第四部・聖都篇
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11・種子への対応

 室内には重い沈黙が下りた。誰もが、何から切り出せばいいのか判らず困惑していた。特に、アルフォンスに対して何と声をかければいいのかと。

 ヴェルサリア王国の七本柱のひとり、ルーン公爵が、怪しげな邪道に支配されおのれを失う……それは、アルフォンス自身にとっては勿論のこと、王国にとっても絶対にあってはならない事だった。国の中枢に深く関わる人物が、得体の知れないものの傀儡となってしまっては、王国そのものの危機につながりかねない。

(……そんな事態を招く元となるくらいならば、わたしは今すぐにでも命を絶つべきなのではないか)

 流石に動揺を隠しきれなかった。そのアルフォンスの様子を見て、一番先に冷静さを取り戻したのは、神官のラクリマだった。

「わたくしに先に相談して頂いて、本当にようございました」

 と彼女は言った。

「……どういう意味だ? 誰にも解く事は出来ないんだろう?」

「もし、カレリンダさまがお気づきになれば、ひどくお心を痛められるでしょう。そして、もしも猊下がこの事をお知りになれば、大変な事態になっておりましたでしょう。猊下は穢れたものは何事をでも見逃す事はなさらないおかた。たとえアルフォンスさまに全く責のない事でも、ただ種子が隠されていたというだけで、アルフォンスさまを問責し、もしかしたら、今アルフォンスさまがお考えになっているようなことを要求なさるかも知れません……」

「父上が考えていることって、まさか……」

 とファルシスが蒼ざめて口を挟む。

「ファルシスさまもアトラウスさまも、アルフォンスさまのご気性を知る者なら誰でも……お分かりになるでしょう? ですがアルフォンスさま、絶対に早まってはいけません。ひとつには、種子が芽吹いたからと言って、すぐにそれがアルフォンスさまを支配する程までに育つ訳ではなさそうだという事。そしてもう一つは……」

 ラクリマは僅かに躊躇する。

「続けておくれ、ラクリマ。わたしはどんなことでも受け入れる」

「ええ……そうですわね、全てを把握して頂かねば。アルフォンスさまが死んではならないもう一つの理由は、もしも……アルフォンスさまが自害なさっても、種子は生き続けるかも知れない、という事ですわ」

「……なんだって?」

「今、種子の成長を抑えていられるものは、アルフォンスさまの精神の力なのです。だから、もしそれが消えてしまえば、たとえ死んだ身体でも種子の力によって無理やりに生かされ、アルフォンスさまのお身体はその瞬間から完全に種子のものになってしまうでしょう……」

「……つまり、わたしが死んでも、見かけ上わたしは死なずに、種子がわたしの意志に乗り替わって、わたしの身体を動かす、という、事……か? わたしの屍が生きたアルフォンス・ルーンとして、何食わぬ様子であり続ける、と……?」

「何年も、という事はないでしょうけれど、種子に込められた魔道の力が保たれている間はそうなるかと……勿論これはわたくしが種子から読み取って分析した事ですから、必ず当たっているかどうかは判りません。けれど、先ほど申し上げたように、アルフォンスさまの精神の強さが、その昔からの穢れのなさが、種子を封じ込める希望である事は確信できます」

 術で疲労困憊しているラクリマの瞳にはただ、敬愛するアルフォンスを救いたい、という一心でその焦りをとどめようという決意ばかりが浮かんでいた。

「ラクリマ……」

「希望はありますわ。その邪道の使い手を探し出し、術を解かせるのです。そやつは恐らく、娘たちの失踪に関係していると思います。必要な時に種子が芽吹くとそやつは申したのでしょう? アルフォンスさまがルルアから与えられた役割とやらを阻止する為に。攫われた娘たちにも、何らかの役割があるのかも知れません。ここは推測の域を出ませんが、彼女たちの行方を追えば、その邪道の輩にたどり着くことが出来るかも知れません」

「そうか、ラクリマ! そうだよな! 希望はあるんだ!」

 アルフォンスより先にファルシスが顔を明るくして大きな声で言う。ラクリマの言葉が胸にしみ込んでくるのに被せたような、息子の明るい声が、アルフォンスの心を少し軽くした。

「わたしはどれくらいの間、種子を押さえていられそうかわかるかい?」

 とラクリマに問うと、

「それは、これから種子の様子を見ていかなければ……ですけど、すぐにどうこうなるという事はないと思います。膨らんでゆく気配はまだわずかなものです」

「そうか。解った。きみの判断に委ねるよ。ただ……これだけは約束して欲しい。わたしが危険な状態に陥りつつあると察知したら、わたしの身を気遣う事はせずにすぐに教えて欲しいんだ」

 それは、いよいよ期限が迫ったときには、すべてを公にして命を絶つという決断を意味していた。死して種子に支配された状態になろうとも、皆がそれを知っていれば、打つ手はいくらもある筈だ。ラクリマはすぐにその意味を察した。

「わたくしは……アルフォンスさまの仰るままに致します……。偽りは、申しませんわ……」

 ラクリマは俯きがちに答えた。


「よし、じゃあとにかく娘たちの行方を一層力を上げて調べなくちゃな。勿論今のことは、この四人だけの秘密だ。アトラ、絶対にユーリィに悟られるなよ。もちろんきみに限っては大丈夫だと思うけど」

 ファルシスは、重い空気を払おうと、努めて前向きな調子で言った。だが、彼にとって意外だった事だが、アトラウスは即答しなかった。

「アトラ?」

「……悪いけど、僕にはあまり良いやり方とは思えない」

 ラクリマははっと息を呑む。

「何故だ、アトラ」

「娘たちと関係があるというのはラクリマの推測だ。もしかしたら全く見当違いかも知れない。そんな事を優先しているうちに時間がなくなってしまったらどうするんだ?」

 アトラウスの黒い眼には、思いつめたような翳が落ちていた。

「じゃあどうするって言うんだよ? 他に手がかりもないんだ。出来る事をやるしかないだろう?」

「この国で最も魔道の高みにいるのは猊下だ。ラクリマには出来なくても、猊下ならその術を解けるかも知れない。勘のようなものに頼るより、その方が建設的だと僕は思う。もし猊下が解いて下さればそれで伯父上の身は安泰だ。だいたい、僕らはそんな強い力を持つ魔導士と闘う術などない。神官のラクリマには、許可なく魔導士と闘う事など許されていないし、事情も話さずそんな許可が下りる筈もない。そしてもしも下りたとしても、ラクリマがそいつを捕まえる事が出来るかどうかも判らない」

「だけど、猊下はさっきもラクリマが言ったように、これを父上の罪と仰るかも知れない! 元々父上と猊下は対立する事が多いんだから。僕はそっちの方が危険な賭けだと思うぞ。猊下は父上をお見捨てになるかも知れない」

「解けるものを解けないと言うような方じゃないだろう。いくら不仲でも、救える者を救わない筈はない」

「いつからきみはそんなに猊下を尊敬するようになったんだよ? いや、お見捨てになるかも知れない、というのは僕の失言だったかも知れない。確かに猊下は筋を通される方だ。だけど、だからこそ、呪いを隠したまま長年陛下のお傍に仕えていたという事を糾弾されるかも知れないだろう?!」

「伯父上の身の安全を考えれば、種子を取り除く事が一番大事なことだ」

「猊下に出来ると確実でないなら駄目だ。危険が大きすぎる」

「あてのないやり方の方が危険だ」

 言い合ううちに二人ともに気持ちが高ぶったようで、段々語気が荒くなる。いつも実の兄弟のように近くて、意見の相違も滅多にない二人には、かなり珍しい事だった。

「喧嘩はやめなさい、二人とも」

 遂にアルフォンスが仲裁に入る。二人ははっとしてアルフォンスを見た。

「二人とも、わたしの身を心配してくれてありがたく思う。アトラの言う事も尤もだと思う。ただ……もう少しの時間があるのなら、この話を猊下に持ち込むのは出来れば今はやめて欲しいと思う」

「伯父上……」

「勿論わが身が可愛くて言っている訳じゃない。ただ、もう少し深く知らなければ……もしも猊下の御身にまで危険が及んでしまったら、と、わたしは懸念する」

 アルフォンスの心に蘇ってきたのは、あの王立図書館の夜。単身で出向いて、危険に足を踏み込もうとした自分を止めに来てくれたダルシオンが、解術を出来るのにしない、とは思えない。但し、彼の潔癖な性格を考えれば、ラクリマやファルシスの懸念もまた充分に現実的なものではある。しかしそれよりも、このことと、あの『ヴィーンの闇』とに繋がりがあるのか、それが気にかかった。あるのならば、深く知れば彼らをまた敵に回す事になる。ダルシオンの身に何かあってはいけない。自分は七本柱の一人だが、大神官はひとりしかいないのだから。

 どちらかと言うと日頃から、父と不仲のダルシオンを煙たく思っていたファルシスは特に、アルフォンスの言葉に驚いたようだった。一方、感情的になりつつあるように見えたアトラウスは、今は冷静に伯父の話を聞いていた。


「ラクリマ」

「は、はい」

「何故娘たちの行方不明とその件が関係すると思うのか、本当は、ただの勘ではないんだろう? 良ければ、それを説明してもらえないか? アトラも気になるだろうから」

「伯父上、僕は……」

 アトラウスは言い返そうとしたが、ラクリマがそれを遮った。

「申し訳ありませんでした、アトラウスさま。身内のような侍女が攫われている、アトラウスさまのお気持ちをわたくし、もっと考えるべきでした」

「いや、別に僕の感情は関係ない。ただ、確かに、あんなただの娘が、そんな呪術的な役割がどうのという話に関係がある筈がない、と思ったのは事実だよ。だから、何か理由を思い当たるのなら教えて欲しい」

 アトラウスの黒い瞳に見据えられたラクリマは顔を伏せて、

「ええ、アルフォンスさまの仰る通りです。本当は、大神殿幹部以外に知れてはいけない事なのですが、お三方は外に漏らす方でもありませんので、お話しさせて頂きます」

 と応えた。

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