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炎獄の娘  作者: 青峰輝楽
第四部・聖都篇
95/116

10・黄金色の女神官

「父上? もうすぐ神殿です」

 アルフォンスが眠っていると思ったファルシスが声をかける。アルフォンスは遠い記憶の中から現実に引き戻された。

「ああ……ありがとう」

 目を開けて息子の顔を見たアルフォンスはふうと大きく息を吐いた。甦った記憶の中の自分は、今の息子よりもう少し年下だった筈だ。長い、長い間封印されていた記憶……。悍ましい何かが自分の中に魔道で埋め込まれているらしいという衝撃的な事実に、自分自身を呪わしくさえ感じ始めていた。しかし、カレリンダや大神官すらその魔道の痕跡に全く気付かなかったとは、あの老人は一体どれ程の力の持ち主なのだろう? あの頃に既に老人だったが、まだ生きているのだろうか? 魔導士の年齢は見かけと異なると言うし、魔力によって常識では測れない程長く生きる者も存在すると聞く。あれ程の力の持ち主が、自らの蒔いた種の結果を見ずに既に死んでいるとは考えにくい、とアルフォンスは思う。

 世界の変換点……ルルアから与えられた役目……ルルアの支配から逃れる……種子は時が来るまで眠ったまま……意味の解らない言葉だけが断片のまま心に刺さっている。先ほどの嫌な感触は、種子とやらが芽吹いたものなのか、だとしたら自分はどうなってしまうのか……力で襲い来るものには決して怯まないかれも、自分には全くない魔道の力で操られるような事だけは自分の力で対処のしようがない。早く、目的の人物に会い、相談せねば……彼女でもどうしようもないものならば、やはり妻や大神官に調べてもらうべきなのかも知れない……。

 平静を装いながらも思い悩むアルフォンスを、アトラウスはじっと見つめていた。


 やがて馬車は神殿に着き、アルフォンスは目当ての人物を呼び出した。忙しい人物だからどこかへ任務で出かけているのではないかと案じたが、運よく、彼女は少し待っただけで通された面談室に姿を現した。

「アルフォンスさま、お久しゅうございます」

 涼やかな声と共に現れた、ルルア正神官の法衣を纏った人物は、片膝をついて頭を垂れた。

「そんな畏まった挨拶はやめてくれといつも言っているだろう、ラクリマ? きみはわたしにとって妹のような存在なんだから」

 アルフォンスは苦笑して、跪いている若い女性の手をとって立たせた。

「恐れ入ります。アルフォンスさま。それに、ファルシスさま、アトラウスさまも恙なきご様子で」

「恙あっちゃ困るよ、ラクリマ」

 ファルシスも気安い様子で女神官に話しかけた。


 すらりと伸びたしなやかな肢体を堅苦しい深緑の法衣に包み、高位の神官のあかしである銀鎖を幾重にも巻いて首から下げているこの女神官は、名をラクリマ・ブランといい、年の頃は二十代後半といったところだった。清廉な人柄をそのままに映したような清楚な美しさもさることながら、初めて会う者は常に彼女の容姿の特徴的なところに目を奪われずにはいられなかった。彼女のきりりと結い上げた髪も、いつも相手の心を見透かすように澄んだひとみも、ルーン、ヴィーンの名を持たないにも関わらず、その血族の中枢しか持たない筈の美しい黄金色なのであった。

 彼女は生まれてすぐに、神殿の裏に捨てられていた。その容姿からルーン家かヴィーン家の中枢に近い人物の落胤である事は容易に推察されたが、誰の子であるのかは判明せぬまま、神殿で養育された。その特異な事情から周囲に敬遠されながら育った孤独な幼女はある日自分と同じ色の髪と瞳を持つ年上の少女……次期聖炎の神子として、学問と魔道に明け暮れながら神殿で暮らしていたカレリンダと出会った。カレリンダもまた、その高貴な身分と類稀な美貌のせいで、周囲に真の友人と呼べる存在がおらず、孤独な二人はすぐに仲良くなって、姉妹同然に数年間を過ごした。長じてからは、その立場の差を弁えてすっかり控えめな態度に終始するようになったラクリマだが、カレリンダは変わらず彼女を妹と呼び続け、夫のアルフォンスも、カレリンダの妹なら自分の妹でもある、と言って憚らない。夫妻が微妙な立場の彼女を支援したおかげで、ラクリマは思うままに自分の才覚を伸ばせる環境を得て、今は第二学問塔の首席である。そんな彼女はルーン公夫妻に、ルルアへ捧げるのと変わらぬ程の忠誠を誓っているのだった。無論二人の子どもファルシスとユーリンダにも。双子のことは、生まれた時からよく知っているし、双子の方でも、両親が『妹』とまで言うので、しょっちゅう会う訳ではなくとも家族同然のように思っていた。

 また、幼いアトラウスが虐待から解放されたのち、ルルアについて、多忙な自分に代わって正しく教え導くようカレリンダから頼まれ、数年にわたって家庭教師となった経緯があるので、アトラウスにとっても心易い存在である。アトラウスとユーリンダの婚約が成ったと聞いた時、自身は生涯独り身を貫かねばならぬ定めにありながらも、我が事のように喜んだのも彼女だった。


「アルフォンスさま、わたくしに御用とは如何なるものでしょうか?」

 四人でテーブルをはさみ木製の椅子に腰をかけると、ラクリマが切り出した。

「アルマヴィラで女性が何人も行方不明になっている。それは耳に入っているかい?」

「はい、存じております。都で起こる大きな事件については、何らかの形で神殿にも入ってきますから」

「そうか。それで……」

 アルフォンスはふと、この事件に魔道が絡んでいるのではという直感が、意外と説明しづらいものだと気が付いた。事件について話していて、遠い日の魔導士の記憶が甦り、身体に異常を感じた。……だからと言って、この事件が魔道と関わりあるものと考えるのは些か短絡的に思えるかも知れない。人を害する魔道は禁忌であるし、ルルア大神殿の正神官であるラクリマには、突拍子もない事のように思われるかも知れない。

 だが、ラクリマはすぐにアルフォンスの考えを読み取ったようだった。

「あの事件に、魔道が関与しているとお考えですの?」

「あ、ああ。そういう可能性はないだろうか、と思いついたものでね。しかし神官の方からその発想が出てくるとは思わなかったよ」

「アルフォンスさまがわたくしに相談事なんて、魔道の事とすぐに判りますわ」

 ラクリマはくすりと笑う。

「ですけれど、何故そう思われたんですの? これは暴力的な事件だと誰もが思っています」

 そこでアルフォンスは、先ほど自分の身に起きた異変と、恐らくその原因であると思われる魔導士との出会いについて説明した。魔導士の話には、ファルシスもアトラウスも驚き、

「そんな事があったなんて」

 と異口同音に口にする。易々とルーン公邸に侵入して公子の身に害を及ぼす魔導士の存在など、話したのがアルフォンスでなければ到底信じがたい事だった。しかしラクリマはただ黙ってアルフォンスの話に耳を傾けており、話が終わると、

「ちょっとよろしいでしょうか」

 と言って立ち上がった。そのままアルフォンスの傍に来ると、

「失礼致します。アルフォンスさまの中にあるかも知れない邪な魔道の気配……探ってもよろしいですか?」

「もちろん、そうして貰おうと思って来たんだ」

「わかりました。では、いいと申し上げるまで目を閉じておいて下さいませ。ご気分が悪くなったら仰って下さい」

 アルフォンスは彼女の言葉通りに素直に目を閉じる。ファルシスとアトラウスが息を呑んで見守る中、女神官は聖句を唱えながら両の手を重ねてアルフォンスの胸に当てた。

「…………」

 彼女の手にぽうと光り出すのは、ルルアの光……聖炎に似たものだった。高位魔道……使える者は限られる。アルフォンスは、カレリンダからラクリマの魔道の能力は自分に近い程であると聞いていた。ラクリマに相談しようと考えたのは、ただその忠誠をよく判っているからだけではなく、その事が大きかった。

「う……っ」

 アルフォンスは胸の奥をまさぐられるような不快感に思わず呻き声を上げる。

「大丈夫なのかい、ラクリマ?」

 思わず問いかけたファルシスは、

「しっ」

 とアトラウスに制される。術者の意識を乱してはいけない。ラクリマの方は、アルフォンスが苦痛を訴えない限りは中止するつもりはなかった。半端な術は却って危険のもとになるからである。ラクリマは細い線を辿るように、アルフォンスから聞いた話のイメージを頭に浮かべながら、邪道の気配を掴もうとする。彼女の額に汗が滲み出た。思っていたよりずっと難しい。

 長いような短いような時が流れたのち、彼女は大きく息を吐いて、ルルアの光は消えた。そのままよろけて膝をつきそうになった彼女をファルシスが支えて椅子に座らせた。

「どうだい、ラクリマ?」

 まだアルフォンスが律儀に目を瞑っていたので、ラクリマはとりあえず、

「目を開けてください」

 と言った。目を開けたアルフォンスは、ラクリマが非常に憔悴した様子だったので驚き、

「大丈夫かい?」

 と気遣う。ラクリマはその気遣いにありがたそうに頭を下げる。

「大丈夫です、すみません。少し深追いし過ぎてしまっただけです。アルフォンスさまこそ、ご気分はお悪くないですか?」

「わたしは大丈夫だよ。深追いとは?」

「……アルフォンスさまのご記憶の通り、アルフォンスさまの中には邪道の痕跡があります。わたくしは、それを取り除こうと思いました。ですけど……あれは無理です。長い年月の間に、アルフォンスさまの精神に深く根を伸ばしてしまっています。恐らくは、猊下やカレリンダさまでも難しいと思います。ルルアの魔道とは全く系統が違うものですから。取り除く事が出来るとしたら、それはあれを植え付けた術者だけです」

「……そうか」

 アルフォンスは深く息を吐いた。予想していなかった訳ではないが、最悪の範疇に入る話だった。

「このままだと、わたしはどうなってしまうのかね? 種子とやらが芽吹いたのだろう?」

「……しかとは判りませんが、種子に支配されるような事になれば、邪道の魔導士の思うままにされる可能性も……」

 ラクリマは、己の技量に落胆し、自然と小声になりながら答える。

「おい、それじゃ、娘たちの行方不明どころじゃないじゃないか!」

 ファルシスが興奮気味に椅子から立ち上がる。だがアルフォンスはかろうじて息子を制止し、

「いや、それも重要な案件だ。どう感じた、ラクリマ?」

「……はっきりとはわかりませんが。関連はあるように思います」

 今度は、アトラウスが溜息をついた。

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