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炎獄の娘  作者: 青峰輝楽
第四部・聖都篇
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7・侍女ふたり

 国王の不興は一時的なものだろう、ウルミス金獅子騎士団長もそう言っていた、という言葉でようやく質問攻めから逃れたアルフォンスは、取りあえず現在の状況は頭に入れたので一旦私邸に帰る事にした。まだ、王との事で不安げなエクリティスに後を委ね、ファルシスと馬車に乗る。それ程距離はない。


「お帰りなさいませ」

 妻のカレリンダと娘のユーリンダが私邸の玄関先で出迎える。執事のウォルダースや他の使用人たちも、あるじの帰還を笑顔で迎えた。柔らかく愛おしい妻子の黄金色の煌めきがアルフォンスをほっとさせる。

「ただいま。変わりはないかい」

 そう言って妻と娘と抱擁を交わす。こんな時に、駆けて来て首に抱きついてきていた幼い頃の面差しはあれども、娘のユーリンダは、長年夢見て来た従兄と遂に婚約を交わして愛情を確認した事で、すっかりおとなの女性の立ち居振る舞いを身につけ、しとやかだった。その事が、嬉しくもあり寂しくもあるアルフォンスは、確かに宰相が言うとおり、『大貴族としては肉親の情に溺れすぎる』のだろう。

「わたくし共は変わりありませんわ。ご公務お疲れ様でした」

 穏やかな愛妻の笑顔は新婚の頃と殆ど変わりないように思えるし、

「お疲れ様でした、お父さま。裏庭のカトレアが咲いたのよ、とっても綺麗で! ああ、ラウが風邪をひいたみたい。まだ仔猫だから心配だわ。それから……」

 と他愛のない事を報告してくる娘は、外見は立派なレディでも、まだまだ子どもだなと感じる。傍に立つファルシスも、いつもの事に苦笑している。自分の居場所に帰って来た安堵感が改めてアルフォンスを包む。

「それから……」

 少しそわそわした様子でユーリンダは母親を振り返る。その笑顔には一片の曇りもない。

「ああ、早くお知らせしたいわ、お母さま」

「お父さまはお疲れなのですよ。急ぐ事でもないでしょう、お茶の時にでも」

 娘の言いたい事が何なのか分かっているらしい妻は、逆に僅かに表情を翳らせてうきうきした様子の娘を諭す。ユーリンダは後ろに控えている侍女をちらと見て、

「そうね……じゃあ後で」

 と応えた。傍にいるファルシスは僅かに身じろぎした。


 一家は邸内に入り、小サロンへ場を移した。個人的な来客を通す他、家族でゆったりくつろぐ時に使う事の多いこの室は、白を基調にした設えで紺と白の石床がいつもぴかぴかに磨き上げられ、テーブルの下には深紅の毛足の長い織りのカーペットが敷かれている。壁には初代ルーンである伝説の神子アルマ・ルーンの肖像画がかけられ、煉瓦造りの暖炉の上には色とりどりの季節の花が飾られている。暖炉に火をいれるにはまだ早いが、窓を開け放すとやや肌寒い、そんな季節である。旅装を解いたアルフォンスは、赤いびろうどの長椅子――少し年季は入っていたけれど、一目でかなり上質のものと判る文様の織りが施されていた――に腰を下ろし、侍女達がお茶の支度を調えるのを眺めていた。その中でも、特に、一人の侍女に目線が行ってしまう。

 リディア・アークレー。先程ユーリンダが嬉しそうに視線を投げた侍女。ユーリンダやファルシスと同年齢で、シルヴィアの死の少し後に縁あって子どものうちから館勤めをするようになって十年以上、特に、誰にでも打ち解ける事が苦手なユーリンダにとっては、幼馴染み、姉妹同然の絆を築いてきた娘である事はアルフォンスにも判っている。根っからのアルマヴィラ人で、艶やかな黒い髪にくるくるよく動く大きな黒い瞳を持って常に笑顔を絶やさない、はっきりとした目鼻立ちとしなやかな身体つきのこの乙女は、その女主人に比べるには些か平凡すぎるとしても、なかなかに美しく魅力的であった。勿論アルフォンスの目が彼女に行ってしまうのは、娘と同年のこの侍女の美しさなどとは関係のない事だ。一家への忠誠心に全く疑う余地のないと己自身でよく知っている家臣のひとり、そしてユーリンダが同年代の娘として一番心を許している、娘にとって非常に大切な者。少し前までは、かれのリディアに対する認識はそれ以上でもそれ以下でもなかった。……あの事に気付かされるまでは。

 やがてお茶の準備が出来ると、侍女長のエリザとリディアだけが残り、他の侍女は退出した。アルフォンスが妻に問いかけるような視線を向けると、カレリンダはただ小さく頷いた。

「お疲れでいらっしゃる所にわざわざお耳に入れなければならないような事でもございませんが……」

 侍女長がそう切り出すと、ユーリンダはその次の言葉を奪った。

「お父さま、リディアも結婚するのよ! この間実家へ帰った時に婚約したんですって!」

「そうか。リディアもそんな歳になったんだな」

「そりゃあそうよ、私と同じ歳なんですもの」

 自身も年明けに結婚式を予定しているユーリンダはまるで自分の手柄ででもあるかのように得意げに言う。

「そうだったね。おめでとう、リディア」

 領主からの気さくな祝いの言葉に、リディアは深々と頭を垂れた。

「勿体ないお言葉……ありがとうございます」

 顔を上げながら、彼女はちらりと公子の方を窺った。

 ファルシスは関心なさそうに茶を啜っていた。幼い頃は妹と共に遊び戯れた間柄でも、今や数多の美姫の間でもてはやされる身、一介の侍女の縁談などには、何の感慨も持ちようがない風である。リディアはすぐに視線を戻した。

「ね、リディア、素敵なひとなのでしょうね?」

 既に何度も繰り返した問いを、ユーリンダは発した。

「とんでもございません……。田舎で商いをしているしがない中年男でございます」

 これまた、何度も答えている台詞をリディアは口にした。


 まさしく、その通りなのである。よくある話だが、田舎に住む彼女の親が主に金銭面で何かと世話になり、娘を後妻に欲しいという話を断りきれなかった、というだけのことだ。

 リディアは、婚約者とまだ一度しか会った事がない。17歳の今までひたすら勤めに励み、甘やかな恋人との語らいなど何も知らぬままの身でのこの話、勿論、嬉しい筈もなかった。 あるじの領主夫妻に相談すれば、何とかなったかも知れないとは思う。しかし、彼女の気質がそれを拒んだ。 公女の側仕えに上がって十年以上、彼女は己の境遇を恵まれたものと感じ、ルルアと両親にこの暮らしを与えられた事に感謝を捧げつつ生きてきた。このヴェルサリア王国で、王家に次ぐ権威を持つ七公爵の一人ルーン公爵、世の多くの人には雲の上の存在である主君とその妃は、穏やかで優しい人柄であり、その愛娘である公女は、子どもの頃から常に側にいたから、『リディアは私の姉妹みたいなものよ』とまで言ってくれる。次期ルーン公である公子も、普段は無関心だが、彼女が体調を崩した時にはそっと見舞いの品を寄越してくれた。まったく、こんなに恵まれた侍女はなかなかいないだろう、とリディアはいつも思っている。もう充分だ。これ以上なにかを望むのは欲が深すぎる。両親が望む結婚をするのが今までの幸福への埋め合わせであり義務である、と彼女は自身に言い聞かせる。

 世間知らずの公女は、結婚とは皆祝福に包まれた素晴らしいものだと信じているので、様々な脳天気な質問を向けてくるが、そうした彼女の性質を知り尽くしているリディアは、不快に思う事もなく、にこやかに応じていた。


 その時、アトラウスが館を訪れたという知らせが入った。 相も変わらず許婚に夢中であるユーリンダは、それを聞くと途端にそわそわし始めた。

 アルフォンスはアトラウスをこちらに通すよう執事に命じかけたが、先の行方不明の侍女の件であろうから、折角の楽しい空気に水を差す事になると思い直し、書斎の方へ通すように言って立ち上がった。

「あらお父さま、アトラもこっちに呼んだらいいじゃない?」

「不在にしていた間の案件の報告だろう。話が済んだら彼と一緒に戻ってこよう。ファル、きみも来てくれ」

「わかりました」

 父の求めに応えて、まだユーリンダと話している侍女の傍らを、ファルシスが通ろうとした。

「ああ、リディア」

 ふと思い出したように彼は言った。

「おめでとう。幸せにね」

「ありがとうございます、若様」

 リディアは深々と頭を下げた。


「伯父上。お帰りなさいませ」

 書斎で待っていたアトラウスは椅子から立ち上がり、いつもの柔和な笑顔を伯父に向けた。さらりと肩にかかった黒髪が滑り落ちる。彼は領主代行を務めていたファルシスと違い、紺地に銀糸で装飾を施し聖炎騎士団のシンボルでもあるルーン家の紋章を左胸につけた騎士団服を纏っていた。

「ありがとう、アトラ」

 年が明ければ『義父上』と呼ばれるのかと想像するとやや複雑な気分になる。

「きみの侍女の話は聞いたよ。その件でなにか?」

 単刀直入に話に入ると、アトラウスはやや沈んだ表情になり、

「もうお耳に入っていましたか。旅でお疲れでいらっしゃるところを申し訳ないとは思ったのですが、また新しい情報が入りまして。つい先程、十六人目の不明者が届けられたんです。アルマヴィラの民の中には、異変を察知し始めている者もいます。自分の娘と親族の娘が不明になっている者がいて、騒いでいるんです」

「十六人か、多いな。それで、何か手がかりはないのか」

 アルフォンスは溜息混じりに問う。やっと自分の領地に帰って来たのにすぐさま更なる難問を突きつけられては、溜息も出ようというものだった。

「警護隊が調べにあたっていますが、不明者の中には自主的に家出をする理由のある者もいて、どこまでが被害者なのか……そもそもなんの被害なのかも判っていません……これが、伝説のヴァニトラ伯爵夫人のような猟奇的な目的で行われた犯行なのか、ただの変質的な男の仕業なのかも」

 ヴァニトラ伯爵夫人とは、百年ほど前に、処女の生き血を浴びれば若さを保てるという怪しい魔道士の話を信じた伯爵夫人が、数十人もの領民の娘を攫ってその生き血を我が物にした、というおぞましい伝説の人物である。

「その伝説で、生き血には何の効力もないと証明されたと思っていたがね。伯爵夫人は犯行が露見し、王都で裁判にかけられると知った途端にみるみる老いて塔から飛び降りたという末路だったな」

 そう言ってアルフォンスはアトラウスを直視して、

「そんな動機もあり得なくはないだろうが、わたしとしてはきみの侍女が不明者名簿に入っている事を懸念する。単にきみへの悪質な嫌がらせなどではなく、その娘が何か暴露されては困る事を知っていた、という可能性は有り得るかい?」

 言葉は柔らかかったが、アルフォンスはアトラウスへの中傷が絶対に事実ではないと確信したいという意図を持って尋ねた。勿論、義理の息子となる予定の甥を信じてはいるが、彼の言葉を聞きたかったのだ。アトラウスは応えた。

「メリッサはただの侍女です……。母親がオルガですから、他の侍女よりかは僕の幼少期について知っているかもしれませんが、ただそれだけです。わざわざ拉致して引き出すような情報を持っていた筈はありません。伯父上、あの娘はまだ十二で、僕は……僕はあの娘が赤ん坊の頃から知っていて、その無邪気な言動に随分と元気を貰ったものです。ですから、あの雨の日に、ひとりで使いに出した事をずっと悔いているんです」

 そう言ってアトラウスは俯いた。アルフォンスは甥の様子に同情し、

「きみのせいではないだろう」

 と言った。


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