3・晩餐
必要な業務を済ませ次第、アルフォンスはアルマヴィラへ帰る日程を早めることにした。王の怒りを買ってから数日、かれは殆ど王都のルーン公邸に籠もって、暫く王都へ来なくても大丈夫なよう、片付けておかねばならない仕事をこなしていたが、その間にも多くの来客があった。
今回の件は瞬く間に宮廷中で噂として知れ渡ってしまったので、訪れてくる者の殆どは、アルフォンスが本当に失脚したのか、それとも、これまでの親密さを踏まえて、ただの一時的な感情の行き違いに過ぎなかったのかを知りたがった。それらの人々をアルフォンスは鬱陶しく思い、応対しない訳にはいかない限られた相手以外は挨拶程度でさっさと追い返してしまった。何しろ自分でもまだはっきりと考えがまとまっていなかったからである。
王の為を思えば、たとえ罪に問われようと諫言も辞さない覚悟はもとより持っている。だが、現在の状況でこれ以上ものを言う事は、ただ王を追い詰め、尚更頑なにさせるだけなのではないかという懸念があったのだ。かれはまだ、王が本質的な部分で変わってしまったとは思っていない。有能な宰相と利発を鼻にかける王妃の間で自分の力を認めさせようという、若さ故の焦りがあのような態度をとらせてしまっている……と。そのうち、自分自身で培ってきた力だけで充分に人心を従えうると悟れば、もっと王者の余裕を持って臣に接する事ができる筈。そうなればきっと自分の言葉も『説教』などとは捉えずに昔のように耳を傾けてくれる筈……。
だが、もしも王がこのまま自分や他の忠臣を遠ざけ、大義から目を背けて贅沢に浸り、傲慢な王となってしまうなら……それは結局十余年にわたって築き上げたと思っていた主従の絆は偽りであり、全ては自分の力不足のせいであったと認めざるを得ない、という暗い気持ちからも眼を逸らさない訳にはいかなかった。
『王者の臣に対する信用など、いつどうなるか解らぬものだぞ、アルフォンス。王と言えども人。人は信じたいものを信じるのだ』
国王の結婚の宴の席だったか、ラングレイ老公の言葉が今頃になって重く胸に刺さってこようとは。そのラングレイ老公も、自分と同じように些細な事がきっかけで諫言を咎められ、暫く遠ざけられたと聞く。即位して一年にもならないのに、高齢で完全に隠遁生活を送っている者を除けば王族・大貴族の中で最長老であるラングレイ公に対しても気遣わない傍若無人ぶりを考えれば、これから暫く王に目通りも叶わなくなってしまった自分とのこれまでの絆を王が思い出してくれるのか、決して楽観してはいられない、というのも事実であった。
明日はアルマヴィラへの帰途へつこうという夜、アルフォンスは夕餉へ客を招いた。話をしておきたかったのは、十代からの親友である、金獅子騎士団団長、ウルミス・ヴァルディンである。
「お招きありがとう。きみの帰郷に間に合ってよかった」
とウルミスは言った。西の辺境で起こった諍いの為に王都を離れていて、この日に戻ってきたばかりだったのである。
ヴェルサリア王国には、九つの騎士団が存在する。王家の有する二つの騎士団と七公家の騎士団である。王家の騎士団とは、王宮と王家を警護する王宮騎士団と、王の御名の下で国中の安寧を受け持つ金獅子騎士団なのだが、起源から言っても金獅子騎士団の方が王宮騎士団より古く、辺境の諍いを収めたりなど、実働している。一方、長年保たれた平和故に、王宮騎士団の方は『警護』以上の実戦はろくに経験していない者が殆どである。
ヴェルサリアの紋章金獅子を掲げる金獅子騎士団は、もしも王国に対外的な有事があれば、九つの騎士団をまとめる立場にあり、金獅子騎士団長ウルミス・ヴァルディンはその長である。その地位は単なるこねで得うるものでは到底なく、国王からも周囲からもおしなべて認められる実力者にしか務まらない。そして、ウルミスは、元々の出自は地方の小貴族であったにも関わらず、見習いから始めた騎士団でぐいぐいと頭角を現し、遂には国王の御前試合で十五歳にして前騎士団長を負かして喝采を浴びたという傑物である。あまりに若年過ぎるという事で、実際に団長に任命されたのは二十歳の時だったが、その就任の年の御前試合で、当然優勝者となると思われていた彼を打ち負かしたのが、当時ルーン公の嗣子であったアルフォンスだったのだ。
ルーン家にとってもヴィーン家にとっても掟破りな、聖炎の神子との婚姻を大反対の一族に認めさせる為、国王の許可を得ようという目的を持ったアルフォンスを惰弱と決めつけ、いくら宮廷では剣の名手と名を上げつつあっても、所詮は御曹司、実戦経験もないだろうし周囲の諂いに思い上がっているだけだと決めつけて試合に臨んだウルミスは、手痛い敗北を喫する事となった。呆然とするウルミスに握手を求めるアルフォンスの黄金色の瞳には、ただ好敵手に対する敬意とそれを得た喜びだけが浮かんでいた。その手を取って以来、二人は打ち解け、気兼ねなく話し合える親友同士になっていった。大貴族であるのに全く飾らないアルフォンスの人柄を知ってゆく程にウルミスはかれに惹かれ、大衆の前で打ち負かされた事などなんのしこりにもならなかった。
以来十数年の親友付き合いを続けてきており、ウルミスは休暇の折には年に一度はルルア大神殿への参拝も兼ねてアルマヴィラを訪れ、アルフォンスの家族とも親しんでいる。ユーリンダやファルシスが幼い頃には、よく膝に乗せて他の地方の珍しい話を――彼にとっては嫌な事の方が圧倒的に多い遠征ではあったが、子どもが楽しめるような明るい話を選んで――してやったものだった。なのでユーリンダは今でも『ウルミスおじさま』と呼んで慕っているし、ウルミスの方も、娘を持っていない事もあって、実の娘のように可愛い存在だと公言していた。ファルシスも、父や聖炎騎士団長エクリティスと同等に武人として尊敬の念を抱き続けている。
そんな親しい間柄で為人を互いに知り尽くしているからこそ、国王の即位と婚姻の祝賀の宴でエーリク・グリンサムが暗殺された事件で、エーリクと共に宴を抜け出して庭園で曲者に襲われた件をすぐに宰相に報告しなかったことで色々と詮索を受けた時、ウルミスはアルフォンスの王家への忠誠心が如何に深いかを知っている、というだけで、彼をヴィーンの闇の危険に巻き込みたくないばかりに何も語らないアルフォンスを擁護してくれたものだった。あの時、エーリクの死は七日間隠され、諸外国の特使がほぼ帰国した頃合いに、闘病の末に新王を讃えながら病死したと発表されたのだ。病死ではないと知る者は暗殺者側を除けば、アルフォンスと、宰相及びその近辺、金獅子・王宮騎士団のトップのみ。そして騎士団長達は、宰相に『暗殺は庭園でグリンサム公にかすり傷を負わせた曲者の武器に塗られた毒によるもの』と聞かされた。王宮騎士団長アラン・リュームは思慮が浅く出世欲ばかりが強い人間で、警備をかいくぐり王宮に潜入する程の腕の曲者をアルフォンスがあっさり負かした事を信じずに、アルフォンスが暗殺に関わっていると疑っていた節があったが、その疑いを一笑に付す事にも、実情を知らぬままに力を貸してくれた。
そんなウルミスの人柄と王家に対する忠誠心に、アルフォンスの方も並々ならぬ信頼を寄せている。暫く王都から遠のかねばならない立場になって、色々と託しておきたい事があった。
「疲労しているだろうに、呼び立てて申し訳ない」
「いやとんでもない。うまいものと美酒を期待して飛んで来たさ」
ウルミスは声を立てて笑って見せたが、その目はさほど愉快そうでもなかった。言葉に嘘はなかったが、先日のアルフォンスと王との決裂の噂は勿論既に耳に入っているからである。しかしとりあえずその事は話題にせず、二人は食堂へと移動した。
胡桃と干し葡萄を詰めて煮詰めた肉汁を絡ませて焼いた鶏、鮭の香草包み焼き、牛の串焼き、キャベツのパイ、ビーツのスープ、南国から取り寄せた珍しい果物の盛り合わせ、そして最高級のワインに蜂蜜酒……ウルミスの好みをよく知っているアルフォンスは厨房に念押しして腕を振るわせ、腹を空かせていたウルミスはとても二人では食べきれないであろうと思われた料理を次々とたいらげていった。その間に二人は、今回のウルミスの、西部の小規模な抗争への遠征の話をしていた。
「まったく困ったものだ。僻地の貧民はその日暮らしが多く、最近とみに盗賊が出やすい。恵まれたアルマヴィラの民以外を知らんきみにはぴんと来ないだろうがね」
バルトリア大陸の辺縁部では、どこの領主の支配にも属さず、その代わりに庇護も受けられずに自活している少数民の村落が点々と存在する。王国の臣民は彼らを蛮族と蔑むが、彼らは彼ら独自の掟に沿って日々を営み、時には領内に侵入して狼藉を働く事もある。七公爵の有する騎士団は、大貴族同士の諍いに発展する事を避ける為に外国との有事以外では領外へ出動しない、という建国以来の約定がある為、領外民との抗争の始末をつけさせられるのは殆ど金獅子騎士団であり、故に最も実戦慣れした猛者が多い騎士団ともなっているのだが、その負担は大きかった。それらを取り纏める金獅子騎士団長は並みの器量では到底務まらない。ユーリンダあたりには、気の良いおじさま、としか見えていないウルミスだが、その実は、宮廷の多くの者が知ろうともしないような薄暗い世界に否応なく詳しくならざるを得なかった事はアルフォンスも承知している。
「そうだな……内陸部の我が領地は気候にも恵まれ、ルルアのご加護も篤く、驚くような非道な事は殆ど起こらない。他公の領地を通過して領外民の視察に行く訳にもいかぬわたしは、きみから見れば相当な世間知らずなのかも知れないな」
「いや、そんな風には思ってないさ。きみは知ろうという意志がある。他の王族貴族の誰よりも。宰相閣下さえ、この問題にはそれ程ご興味ないご様子だからな」
実は甘いもの好きであるウルミスは、熟れた桃に手を伸ばしながら応える。
「わたしは昔から、領外民もバルトリアに住む者であるからには、何らかの形で王国の加護を受けられれば少しはよくなるのではないかと考えていた。エルディス陛下の御世になればいずれ進言を、と思っていたのだがな……」
そう言ってアルフォンスは苦笑した。今はとてもそんな進言を出来る立場にない。
「きみが陛下に会う前に私が間に合っていれば……以前の陛下とは違う、と伝えておけたら」
とウルミスは言って溜息をついた。
「気持ちは有り難いが、多分結果は変わらなかったろう」
とアルフォンスは応じて、深い色合いの年代物の赤ワインを口に含んだ。




