19・子女の婚約
だが、宰相の様子が変わった事にもアルフォンスは怯まなかった。
「娘の結婚は娘の問題ですから、わたしが今ここで、お受けします、とお返事する訳には参りません」
「意味がわからんな。娘の結婚に娘の許可が必要なのか?」
「許可ではなく同意です。勿論許可をするのはわたしであり、娘さえ同意すれば、わたしが許可しない筈もありません」
バロック家の真意がどうであろうと、アルフォンスの意志という形でこの話を断る事は流石に出来ない。
娘に決断を委ねるとは何と頼りない父親か、という見方も成り立つが、『本人の同意なしに決める事はしない』という方が紛う方なき本心である。もしもユーリンダが自らルーン家の将来を思って説得に応じ、この婚姻を前向きに考えて了承してくれるならば、それが一番安全な道である事は間違いないとは思う。別にティラールと結婚して不幸になると決まっている訳でもないし、案外アトラウスより良い夫になってくれるかも知れないのだから。運命がどう転がっていくかは、神ならぬ身には決して判らない。アルフォンス自身は、別段是が非にもユーリンダをアトラウスと結婚させたい訳ではない。ユーリンダと結婚しなくとも、勿論アトラウスの事はこれからも、息子同然に扱っていくつもりでもある。
しかし、ユーリンダがアトラウスを諦めてティラールを選ぶとはとても思えない……。もしも、アトラウスから手ひどくふられるような事でもあれば別かも知れないが、先程のユーリンダの様子から察するに、彼はティラールの訪問で気が急いて、既に想いを打ち明けてしまったに違いない。その上で、恐らく、自分は身を引く、と。それは、最も、ユーリンダの心が彼から離れられなくなるやり方だ。誠実なアトラウスの事ゆえ、そんな計算はなかったのだろうけれど。
(手ひどくふられる、か、或いはそれとも……)
もしもアトラウスがユーリンダの理想を壊すような行動をとったならば? 館を出る前に心配していたように、アトラウスが無理矢理に自分の想いをぶつけるような乱暴を働いたなら、ユーリンダは幻滅するだろうか?
(……いや、しないだろう。あの子はアトラウスを崇拝し切っている。何年間も育んできた想いを、家の為に犠牲にしようという気持ちもないだろう。自由に生きなさいとわたしが言って育てたのだから……)
このような事をアルフォンスが思い巡らせたのは数瞬に過ぎなかったが、宰相は苛ついた表情を露わに、シャサールは驚きと怒りを浮かべ、ティラールは不安げな顔つきになっている。
「同意だと? 貴族の結婚に娘自身の気持ちなど必要ない。ただそなたが今ひとこと、この話を受けると言えば、内々にこれはここで決まるのだ。そなたが結婚に関して一風変わった考えの持ち主である事は、有名な、そなた自身の結婚の経緯から、理解は出来ぬが知ってはいたつもりだ。だが、まさかこの話を断ろうとは、そこまで考えなしとは思わなかったぞ。そなたは想い人を得る為に、そなた以外には出来ぬような事をしてのけた。だが、この話を仮にそなたの娘が嫌だとでも言うのなら、それはただの我が儘ではないか。そなたは娘一人御せぬような愚か者なのか。そんな訳はない。はっきり言うがいい、このティラールの何が不満なのだ? 先程は敢えて欠点ばかり挙げたが、私の息子として充分な教育はしているつもりだ。入り婿くらいは務まるし、ファルシスの補佐も出来るだろう」
「申し訳ありません、わたしの言葉がどうも足りなかったようです。わたしは決してお断りしようと考えている訳ではありません。ただ、娘には既に想い合う者がおりまして、いきなりこの話を決めた形で伝えても娘も戸惑いますし、きちんと言い聞かせた上の同意がないと、ティラール殿にも失礼かと思いましたので」
先程までの上機嫌な様子とは打って変わった宰相の剣幕にやや驚きながらも、アルフォンスは淀みなく答えた。
やはり、常に冷静な宰相がここまで憤るからには、この話には何か大きな裏がある。いや、或いは警告の為に実際以上に怒りを表しているだけなのかも知れないが、とにかくこの場でうかうか返事をする事は避けねばならない。返事を引き延ばして、その間に宰相の狙いがどこにあるのかを調べなくては。
ティラールを、恋に狂った愚か者の仮面をつけたバロック家の間諜としてルーン家に入り込ませよう、というのが宰相の目的であるならば、やはり宰相は、エーリクの件、ヴィーンの闇について何かを掴んでいるからだ、とも考えられる。
だとすれば、これ以上内情を知られる訳にはいかない。
咄嗟にそう判断し、アルフォンスは『既に想い合う者がいる』と口にした。嘘ではないし、これでティラールの方が引き下がってくれたら、と淡い希望を持って。
「失礼なんてとんでもありません。私も、姫のご同意なしに無理に、などとは決して考えておりません」
思った通り、ティラールはすぐに反応した。
「そなたは黙っていよと言っただろう!」
ティラールの横やりにまた宰相は苛立った様子でやや大きめの声で叱る。だが今度は、ティラールも大人しく引き下がりはしなかった。
「ルーン公殿下はいま、『想い合う者がいる』と仰せでしたが、姫は今朝私にはっきりと仰いました。ご自身の中で想われているだけであって、相手の心はわからない、と。なので、時間さえ頂ければ、私という男の中身を知って頂き、私に愛情を持って頂く、その自信があります」
「…………」
そんな事を、わざわざユーリンダは言ったのか……瞬時にいくつかの選択肢が消えて、アルフォンスは頭が痛くなった。
「そうですか。それなら尚更、お時間を頂ければ、と。そう……数日でも構いません。若い二人が互いを知る為の時間を……」
「そして、それでもし娘がこいつを気に入らなかったら、おまえはこの話を断るつもりなのか?」
突き放すような口調でシャサールが問いかけた。
「恋だの愛だの、子どもじみた話が何故この重要な話の中に入ってくるのか、俺には理解できん。夫婦の間がうまくいかなければ、愛人を持てばいいだけの話だろう。なんなら、おまえの娘が浮気をしても文句は言わない、とこいつに一筆書かせておいたっていい。そうでしょう、父上?」
「……まぁそうだな。あまり好ましい事ではないが、これ以上アルフォンスがつまらぬ意地を通して話の進みが遅くなるくらいなら、別に私は構わない」
この話については、賢しい宰相とその愚かな嫡男は意見が一致しているようだった。男の方がそんな一筆をしたためるなど、男が侮辱されていると感じても仕方がなさそうなものなのだが、そもそもこの二人は身内であるティラールの事も、駒としてしか見ていないのだな、と改めてアルフォンスは感じた。
「よいかアルフォンス、そなた自身の結婚騒動の折は、そなたもまだ十代の、子どもみたいなものだった。あの頃のそなたが非の打ち所のない優秀な少年だった事は私もよく覚えているが、そんな者でもやはり時に、若さというものは無分別な行動を引き起こすものなのだと学ばされた。亡きそなたの父上からは何度も愚痴を聞かされたものだ。だが結果的には全てがそなたの願い通りになり、そなたは自分が間違っていなかったのだと思っただろう」
宰相の言葉にアルフォンスの胸は宰相の思惑とは逆に、痛みを覚える。自分の代わりに弟に嫁ぎ、何のやましい事もないのに不貞を疑われて自死したかつての許嫁、シルヴィアの事を思うと、絶対に間違っていなかった、などとは思えない。いくら自身にとっては幸福な家庭を築けたとしても、彼女の人生を結果的に破壊してしまったのはかれ自身なのだという自責が鋭く甦る。
「だが今、そなたはもう少年ではない。ルーン家の長なのだ。一族の繁栄より娘の感情を優先するなどという事があっていいと思うのか? そなたも娘も、ルーン本家に生まれついたからには、自由な結婚をする権利など元々ないのだ」
強い口調でそう言ったかと思うと、宰相は少し表情を和らげて、
「しかしそれでも、貴族に生まれた多くの者は、それを当たり前と受け止め、人生を楽しんでいる。私とて、親の定めた通りに妻を娶ったが、とても良い妻だった。たくさんの子も産んでくれた。……そなたは、理想を追いすぎる。娘の想い人とやらが誰だか知らぬが、それが私の息子よりもそなたの娘を絶対に幸福にするのだと確信しているのか? そうではないだろう? そなたはただ、己に若気の過ちがあったから、それを己の中で正当化する為に、子ども達にも同じ道を歩ませたい、と無意識に考えているに過ぎない。だが、それが本当にルーン家の為になると思うか? そなたの子ども達やその子ども達が皆、庶民のように惚れた相手と結婚したいと言いだし、それを認めていたら、ルーン家はやがて破滅の道を辿るだろう。人事を理に叶うよう動かすのも当主の務めだ。それが解らぬそなたでもなかろうに」
……最初は恫喝し、次にはルーン家の為をと考えて理解を示した年長者の態度で接してくる。これもアロール・バロックの政治力の一面であると、アルフォンスは既に知っていた。もしも宰相の表面だけを見ている者ならば、最初は怒りをかったと震え上がり、次に、それは自分を諭しているだけだったのだと思い、自分の考えを改めるだろう。だが、そのように操られるには、かれはアロール・バロックという人間を知りすぎていた。宰相がこんな態度に出る時は、是が非でも己の目的を達したいと考えている時だ。そうでないのなら、恫喝だけで終わっている。
アルフォンスの迷いは晴れた。最初から思っていたようにすべきだ。宰相の目的がなんであれ、それが解らない現状では尚更、選ぶのはやはりユーリンダ自身であるべき。助言はするが、娘は己の運命を己で決めるべきだ。




