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炎獄の娘  作者: 青峰輝楽
第四部・聖都篇
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30・種子の結末

 一見、普段のかれと変わらぬように見えた。

 領主として紺地の正装を鍛えた身体に纏い、特異な黄金色の背後に束ねて立つその姿は、別段魔に憑りつかれ己を失ったようにも見えず、今にもいつもの穏やかな声で語りだしそうに見えた。

 しかし鎖に縛られたエミリアは、彼女を黙って見下ろす、以前は神々しくさえ見えていた、ルルアの寵愛のあかし、黄金色の瞳の奥に、濁った深い闇が沈んでいるのを見た。

「ルーン公殿下、ルーン公殿下、どうかしっかりなさって! 貴方さまはルルアの守護を受けし御方……邪悪な魔道なんかに呑まれてしまう筈がありません。どうかわたくしの声を聞いて、戻って来て下さい!」

 囚われの乙女の必死の呼びかけにも、しかしアルフォンスはぴくりとも反応しない。

「無駄な事よ、ルーン公の本来の意識は完全に消えた。これからは、我らが操る種子が、ルーン公の意志となるのだ。哀れな娘よ、愛しい男の顔でも思い浮かべながら、絶望の内に命を散らせ。邪な刃にかかったそなたの魂は、ルルアの国へ受け入れられるのかどうか解らぬが」

 嘲るように老人は言う。

「こんな事、ルルアがお許しになる筈ないわ」

「なんとでも思うがいい。さあ、ルーン公、その短刀をお取りなさい。哀れな小娘にその手で引導を渡してやって下され」

「……」

 老人が言うと、アルフォンスは緩慢な動作で、台に置かれた短剣……肌身離さず大事にしていた守り刀を右手に取った。

「ルーン公殿下! 殿下! ああ、エトワール、助けて!!」

 娘の悲痛な叫びもアルフォンスの耳に届いた風もなく、黄金色の瞳は、ただ冷酷な闇を宿している。

 アルフォンスがエミリアの心臓に突き立てようと短剣を振り上げた時……遂に気丈な娘は、恐怖と絶望に、その意識を手放した。彼女の瞳に最後に映されたものは、無慈悲に短剣で心臓を抉ろうとするアルフォンスの姿……。

 満足げに、老人は笑む。


 しかし……。

「っ、う、うあっ……」

 ぎりぎりだった。アルフォンスはその短剣を、エミリアの心臓ではなく、身体の傍の台座に突き刺したのだ。気を失ったエミリアの胸は規則正しく上下している。

「な、なんだ、何が起こった?!」

 老人の顔に初めて動揺のいろが見えた。

「……なんだ? なんだ? おまえは……なんだ……わた、しは……何をしようとした……」

 短剣を手放し、両手で顔を覆い、アルフォンスは膝をついて荒い息を吐きながら呻く。老人は驚きに目を見開き、

「まさかルーン公?! まだ意識が残っているのか? 我が呪を、魔力を持たないそなたが破れる道理などないのに……」

 しかし、そう言いながらも、老人は確かに感じた。己が送り込んだものとは異質の魔力が、アルフォンスの中で渦を巻き、己の種子と戦っているのを。


 その時、老人とその伴は、聞いた事のない……いや、老人にとっては、どこかで聞いた事のあるような……声が、室内に響くのを耳にした。

『そなたの種子が、アルフォンスを覚醒させた! 礼を言うぞ、ブリモニウス!!』

「誰だおまえは!!」

『ふふ、耄碌したな。まあいい。そなた、代々のルーン公が何故、魔力を持たなかったのか……考えた事はあるか』

「?!」

『ルーン公は魔力の器……故に、生まれながらに魔力を有していては、魔力を注ぎにくくなる。だが、魔力を持たぬという事は、魔力を感じぬという事でもある。この枷に、長い間縛られ、待たされたものよ。だが、そなたのおかげで、アルフォンスは己の体内の魔力を感じられるようになった。これで我が器とする事が可能に……』

「黙れ!!」

 叫んだのは、アルフォンスだった。

「ひとの身体をなんだと思っているんだ。わたしの身体はわたしのもの……誰にも操らせはせぬ!」

 種子が支配しようとする魔力と、それを破壊し、新たな種子を植え付けようとするかのような魔力……二種の、相反する魔力が己の内で暴れているのを、一度は押し潰され封じられかけたアルフォンスの意識は感じている。

(そうだ……そのまま、潰し合ってしまえ。わたしはどうなろうと、誰にもわたしを利用させはせぬ!)

 ルーン公と言っても、父などは普通の人間として生を全うしていたのに、何故自分はこうも妙な事に巻き込まれるのか? しかし、何がどうあっても、自分の身体は自分のものだ。他者に譲り渡して利用される位ならば、死んだ方が余程まし……。

 しかし双方の魔力の勢いは増し、それを感じる事は出来ても抑える力を持たないアルフォンスに残された武器は、己の精神力のみだった。ふたつの魔力に負けぬよう、己を保つ……ただそれだけに集中する。心臓に痛みを感じた。植え付けられた種子が爆ぜようとしている……。

「うッ……」

 胸部の苦痛は凄まじいものだった。まるで暴風が身体の中から己を傷つけているようだ。

(わたしは負けぬ……そうか、きっと、聖女アルマの末裔が魔力を持たぬのは、こうして異なる魔力を受け入れる事を可能にする為なのかも知れぬ。魔力の扱いなど学んではいないが、わたしの体内にそれがある限り、わたし自身がそれを御せなくてなんとする! 二つの魔力がぶつかり合い、消耗されるならば、わたしを操る余裕はない筈……)

 魔力の源は、精神力。だが、その二つは根底は似通っていても、人間の力で精神力を魔力に変える事は出来ない。魔道とは、生まれつきの才がないと操れぬもの。だが、二つの魔力が互いを潰そうとしている今、精神の力で、それに呑まれぬように己を保つ事は可能かも知れない……!

「抗うな、ルーン公! 魔導士でもない者が無理に魔力に抗えば、肉体そのものが壊れてしまうぞ!」

 老人がアルフォンスの様子を見て、焦ったように叫んだが、勿論彼の言葉に耳を貸す必要などない。抗わずに支配されるくらいならば、壊れてしまった方がましだと、ずっと前から思い定めている事!

 新たな魔導士が味方とは思えないが、とにかく今は種子を潰してしまわなければ、自分はエミリアを殺し、更なる災厄を招く存在へと変貌させられてしまうだろう。だから、種子とぶつかっている魔力に、己の精神力を注ぎ込んだ。力の均衡を崩そうと……ただそれだけを思い、胸を押えて歯を食い縛って激痛に耐える。

(く……剣の闘いならばどうともやりようがあるものを、魔道とは何と厄介なものなのだ!)


 そして、長いような短いような嵐ののち……遂に種子はその脅威を失った。心臓は持ちこたえた。ただ、種子だけが枯れてゆく……少年の日から長い間、ずっと知らずに埋め込まれていたものが。

 同時に、新たに注ぎ込まれた魔力も、流石に使い果たされたようでその存在が薄らいでゆくのを感じる。

「なんということだ!」

 老人の呪詛の声と、

『器を壊しては元も子もないから、いまはここまで……。奪い合いは、仕切り直しとしよう。なに、機会はいくらもある』

 という謎の声を聞きながら、エミリアを守らねばと思いつつも、まだ治まらぬ激痛にアルフォンスは意識を手放した。


―――


 目を開けると、見慣れた己の寝台にいた。

「アルフォンスさま!」

 ほっとしたような声は、エクリティスのもの。

「……これは、どうしたことか。今までの事は、夢か? それとも、これが夢?」

「今は、夢ではございませぬ。悪夢にうなされていらしたようですが……」

「わたしはどうなっていた? エミリアは?」

「アルフォンスさまは、ユーリンダさまのお迎えの馬車で大神殿に向かわれました。しかし、大神殿の方では、そんな迎えは出していないし、ユーリンダさまは神殿を離れられてはいないと……。とにかく、アルフォンスさまは、公邸の裏門付近に放置された馬車の中で発見されたのです。大神殿に向かわれたのは夕刻、今は真夜中です。妃殿下は一旦様子を見に戻られましたが、お命に別状はないという事で、公務に戻られました。エミリア嬢はまだ見つかっていません」

「そうか……」


 己を保ったまま生きて戻れるとは殆ど思っていなかったが、感情が麻痺しているようで、嬉しいという気持ちはあまり湧かなかった。身体は疲弊の極みにあり、記憶もおぼろげで……エミリアと共に囚われていた事、あの老人が現れた事、あわやエミリアを殺しそうになった事、第三者らしき力が介入してきたおかげでどうやら一旦助かったらしい事……それらを繋げて考える思考力が、今は残っていない。

 エミリアの身が心配だ。彼女を刺そうとした短剣……かれは自分の胸元に触れてみたが、慣れた感触の護り刀は、あるべき場所になかった。

 

お待たせした割にはあっさりで物足りないと思いますが、あまりに間が空きすぎて『炎獄』の勘を取り戻せない現状です。が、先へ進める為、取りあえずこのような形で更新させて頂きます。

勿論、vs魔導士の話はこれで終わりではありません。

この後は旧版の流れに繋げていきたいと思っています。

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