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炎獄の娘  作者: 青峰輝楽
第四部・聖都篇
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29・種子の芽生え

 徐々に意識を取り戻したアルフォンスは、もうそこが馬車の中ではなく、薄暗く冷たい部屋だという事に気付いた。ここは、あの魔導士たちの巣窟なのだろうか。『異なる界隈』なのか? しかし考えを巡らせたところで、何の手がかりもなく場所の特定など出来る筈もない。

 かれは椅子に座らされ、鎖で拘束されていた。身動きを試みたが、手足は指を動かせるのがせいぜいのところだった。武器は元々持って出ていないが、かれは頭を巡らせて、傍の丸テーブルの上に、常に懐に携帯している護り刀が取り出されて置かれているのに気づいた。それは、戦闘の役には立ちはしないが、動けない人間を殺傷する程度の切れ味はある。そして、アルフォンスにとって特に意味のある大切な品でもあった。

 ルーン家、ヴィーン家、両家の大反対を覆し、深く愛する次期聖炎の神子だったカレリンダを妻とする為に、国王の御前試合に出場し、優勝して王から婚姻の許しを得る……十代の頃のかれがその剣技を国中に知らしめる結果にもなったあの御前試合の為に王都へ出向く際、恋人だったカレリンダが、優勝と無事を願って特別に、国一番の刀細工師に依頼して作らせた、世に二つとない品。ルーン家の紋章が刻まれ、カレリンダの魔力が込められた――と言っても、魔具でもない品に込められる魔力はそう大きなものではなく、むしろ願いの力の方が大きかったかも知れない――もので、愛する人と結ばれて幸福な家庭を築く第一歩をもたらしてくれた幸運の護り刀として、決して離す事のできない品なのだ。家族やかれの近くに仕える者たち、親交のある者の多くはその事を知っている。

 意識を失っている間にその大事なものに敵が触れたかと思うと腹立ちを覚えたが、ぐっと堪えて敵の意図を測ろうとする。動けない自分をこれで刺すつもりでもあるのだろうか? 敵は自分を利用したいのであって、殺したい訳ではないのだから、考えにくいのだが……。


「う……ん……」

 室の中から、女の呻き声が聞こえ、アルフォンスは思考を中断した。

「誰だ?」

 声の主はアルフォンスの斜め後方にいて、顔を巡らせても、ほの暗さにその姿はかき消されたように沈んで、見る事は叶わない。だが、その声には、聞き覚えがある気がした。

「……どこ。ここはどこなの? 怖い! エトワール、助けて!」

 アルフォンスと同じく、強制的な眠りから意識を取り戻したばかりであるらしい女性は、声高に叫んで必死で動こうとしているようだが、ガチャガチャという音がするばかりで彼女が解き放たれる様子がないことから、恐らく彼女もまた、鎖で拘束されているのだろうと推測される。

「どうしてわたくし、こんなところに! エトワール! お父さま!」

「静かに。落ち着いて。エミリア嬢」

 恐怖に惑う若い娘に、アルフォンスは宥めるように声掛けする。

 同じ部屋に囚われていたのは、バロック家の騎士団長の娘、行方不明になっていたエミリアだったのだ。

「……! そのお声は、ルーン公殿下?! どうして殿下がわたくしをこんな?」

「違う。わたしもまた、囚われているのだ。貴女を助ける事が出来ず、申し訳ない。お父上もエトワール殿も大変貴女を案じておられた」

「そんな! 領主で大貴族である殿下をどうやって、何の為に」

「……目的は解らん。ただ、敵は魔導士だ。古来からの戒めを破り、悪事の為に平気で魔道を用いる。そんな奴らの集団だ。わたしはずっと狙われていた。貴女はどうやら巻き添えになってしまったようだ。本当に申し訳ない」

「魔導士ですって……そんな、そんな話は聞いたこともないわ。ああでも、だから殿下ほど腕の立つ殿方でも、囚われてしまったのですね」

 流石に、エミリア・ハウンドは、騎士団長の娘であった。普通の娘よりずっと早く落ち着きを取り戻し、状況をどうにか理解しようと努めている。しかし、アルフォンスにさえ、敵が何故彼女を攫ったのか判らないものを、彼女に判る訳もない。ただ……。


『気の毒なエミリア! お父さまが仰った事はあながち間違いではないわよ。彼女の死によって、ルーン家とバロック家の間には更なる憎悪の種が蒔かれる。これも《我》らが師の望む事。こんな時にアルマヴィラに来てしまったばっかりにね!』


 馬車の中で《ユーリンダ》が放った言葉。本気であるなら、彼女の命は大変危険に晒されている事になる。そして、ただの揶揄いである可能性は低いと思えた。何しろ人間の命など如何ほどにも思っていない連中である。

 アルフォンスは、傍にいる乙女ひとりすら救えない不甲斐なさに歯を食い縛る。何故ルルアは、ルーン公爵に魔力を授けて下さらなかったのか。ヴィーン家の末裔と同じように、伝説の神子の直系であるというのに!

「エミリア嬢……言いづらいが、今までわたしが得た情報から推測するに、貴女の命はわたしより危険に晒されていると思われる。もし僅かでも、逃げる隙があれば、あとの事は何も構わず、とにかくお逃げなさい」

「そんな、ルーン公殿下をお見捨てして逃げるなんて、父に叱られますわ。これでも一応、幼い頃から父にお願いして、剣技を身につけておりますのよ」

 婚約者と挨拶に来た時には緊張で硬くなっていたのに、こんな時に強気な思考が出来るとは、なんと気丈な娘だ、と思う。だが、その気丈さは、却って危険をもたらすばかりだ。どちらにせよ、逃げる隙が出来るとは思いにくいが……。

 しかし彼女を怯えさせたくなくて、アルフォンスは無理に小さく笑い、

「我が娘と変わらぬ若き令嬢に案じられるとは、わたしもおちたものだな」

「そんな、そんなつもりではありません。でも、魔導士とて人間、もしこの鎖がほどければ、そう、そこのテーブルの上に短剣がありますもの、わたくし、一突きにしてやりますわ」

「貴女からはこちらが見えるのか」

「薄暗くてよくはわかりませんけれど、椅子に縛られた殿下の黄金色の御髪は見えますわ。殿下はルルアに護られたかたですもの、きっと大丈夫ですわ」

「……だとよいのだがね」

 ルルアの加護で助かるものであれば、そもそもこんな窮地に陥る前に助けて欲しいものだ、と思ってしまう己は不信心だろうか。だが、ルルアは人の子の運命を操ることはしないのだ、と聖典に書いてあるのだから仕方がない。


「お喋りはそのくらいにして頂きましょうか」

 がちゃりと扉が開く音と同時に、冷たい男の声が石床と石壁の部屋に響く。ふたりははっと息を呑む。遂に、運命が動くときが来たらしい。

「おまえたちの目的はわたしだろう。エミリアを解き放て!」

 とアルフォンスは叫んだが、男はそれには答えず、どうやら戸口から下がってもう一人の人物を招き入れたようだった。その人物は、朗らかとさえ言える様子で挨拶した。

「遂に約束の時が来ましたな、ルルアの公子よ」

 それは、あの、『異なる界隈』で出会った老人……アルフォンスに種子を埋め込んだ張本人であった。予期はしていたものの、予期が現実となって、アルフォンスの中を絶望が埋めてゆく。伝説の神子でさえ滅せなかった魔導士……。たとえ大神官がこの場に来てくれたとしても、敵わないように思える。ましてや、何の魔道の手段も持たない自分など、赤子と変わらない。

「わたしを傀儡にするのか」

「いずれは、貴方ご自身がその力を操る事に悦びを覚えるときが来るでしょう」

 と、老人は応ととれる返事をする。

「それにしてもエミリアは関係ない。たまたまこの時にアルマヴィラに来合わせただけだ、とおまえの部下も言っていた。わたしには魔道に抗う術はない。だから、わたしの矜持も命もおまえの掌の上ではあるが、致し方ないと思い、頼むことにする。解放してやってくれ」

「ルーン公殿下……」

 とエミリアの涙声が聞こえる。

 だが、老人は何の心も動かされない様子で、

「我々は無駄な事は致しませぬよ。この娘を連れて来させたのは、別段あなたから懇願を引き出して笑う為ではない。この娘にはこの娘の役割があるのです。バロック家の重鎮の娘。あなたが彼女を殺せば、バロック家とルーン家の間柄は完全に破局を迎えるでしょう。それは、来る混沌の世界にとって、都合のよき事であり、また、あなたの覚醒にも役立つこと」

「わたしが? エミリアを」

 ようやく、エミリアがここにいる理由が呑みこめた。あまりの事に、アルフォンスはそれしか言えなかった。魔道で身体を操り、エミリアを殺させる。それが目的。それが第一歩。そんな事が起きれば、本当に自分は正気を保てなくなるかも知れない。そして、それこそかれらの思うつぼ……。

「今こそ、種子が芽吹くとき……」

 老人はアルフォンスの前に立ち、指を胸に触れ、呪を唱え始めた。

(これまでなのか……!!)

 指先は熱く、そこから何か異質なものが身体に流れ込んでくるのが判る。もう一人の男は黙って老人の背後に控え、なにか恐ろしいことが起こると察したエミリアは、魔道の邪魔をしようとでもいうかのように、必死にルルアの加護を求めて叫んでいる。アルフォンスは指一本動かせなかった。胸の奥でなにかが蠢く。抗う術はない。ない……。

(……ほんとうに、ないのか)

 嘗てない感覚を味わいながら、アルフォンスは流れ込んでくる魔力を感じる事によって、老人が消そうとしている己の精神が高揚してくるのを感じていた。魔力を持たないルーン公爵が、魔力を注がれた事によって、己の中の魔道の流れを敏感に感じ取る事が出来る。かれはこころを乗っ取ろうとする何かに必死で抗いながら、その流れを丹念に追ってゆく。すると、今までまったくわからなかったものの存在を感知する事が出来た。

(これが、種子……!)

 それは魔道によって生み出されたもので、目に見える事も触れる事も叶わないものには違いなかった。だが、それはアルフォンスの体内の器官に宿されていた。即ち、心の臓に。

(宿るものがなくなれば、種子そのものを消す事が出来るかも知れぬ……!)

 勿論それは、アルフォンスの肉体の死を意味していた。だが、意識を消され、邪なものの傀儡と成り果てるくらいならば、いっそ救いと呼んでいいものだ。

「くっ……うあああっ!!」

 しかし、その思い付きを何とか実行できまいかと考えるアルフォンスの意識は、大きく膨らみ弾けそうな種子の存在に押し潰される寸前だ。黄金色のひとみは煌めきを失い、どす黒いものがかれの瞳を染め上げようとしている。己を消される苦痛に耐えかねてアルフォンスは大声をあげ、

「ルーン公殿下! しっかりなさって!」

 というエミリアの叫びも段々聴覚から遠のいてゆく。


「……尊師!」

 老人は呪を唱え終えた。流石の伝説の魔導士も、その乾いたしわがれた額に汗を滲ませている。

「……手がかかった。だが、うまく行った……我らの宿願の第一歩となる器を遂に手に……」

「おお!!」

 男は喜びの声をあげ、エミリアは言葉をうしない、涙を流した。

 アルフォンスを縛る鎖はじゃらりと床に落ち、かれはゆっくりと立ち上がった。

「さあさあ、我らがルーン公、まずはその剣で乙女の心の臓を抉るのです。その滴る血を口にすれば、貴方は最早我らが眷属」

 アルフォンスは黙って頷いた。自分の方をゆっくりと見やったかれのひとみが輝きを失っているのを見て、流石の気丈なエミリアも、絶望して泣いた。

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