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炎獄の娘  作者: 青峰輝楽
第四部・聖都篇
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28・為す術もなく

 ハウンドは助力の申し出と励ましに何度も礼を言い、あたふたと、自らも娘を探す為に町の方へ戻って行った。《エクリティス》もいなくなって、アルフォンスは突然にひとりで自館の歩道に立ち尽くすかたちになった。

 悪意の塊と思える《エクリティス》が、まさか自分の任務を放り出して罪なき乙女を助けに動こうとする筈もない。ハウンドと丁度ぴったりに出くわしたのは完全な計画の内ではないのかも知れないが、少なくとも想定していた出来事であったからこそ、全く動揺も見せずに、本物のエクリティスならば取った行動を素早く実行したのだろう。つまり、彼が傍から離れたからと言って、アルフォンスに逃げ出す余地が残されている可能性は非常に少ない……一瞬のうちにそのように考えを巡らせたアルフォンスだったが、では今自分はどう動けばよいのか、すぐには図りかねた。

 とりあえず思いつく事は、《エクリティス》は騎士団舎へ向かう様子を見せたが、実際にそこへ行って騎士を手配する筈はないという一点。何しろ、そんな事をすれば本物のエクリティスに出くわしてしまうのだから。だからかれは、近くにいた騎士をつかまえて、今の一件を――ハウンドが助力を求めている事をエクリティスに伝えに行くよう命じた。騎士は不思議そうに、

「しかし団長閣下は既にご存知なのでは……?」

 と当然の質問を投げかけてきたが、つべこべ言わずに用事をやってくれと言って無駄な問答は省いた。

 いまの自分の状況をエクリティスに伝える気はなかった。かれ自身が対抗の術を持たない、魔導士からの攻撃に対し、エクリティスが来てくれたところでどうにかなる訳もない。アルフォンスが唯一救いを得られる可能性があるのは、大神殿だけだ。だが、これだけ周到に準備をしてきた敵が、アルフォンスにそこに逃げ込む猶予を与える訳はないだろうと思えた。


 と、それ以上考えを進める間もなく、目の前に一台の見慣れた馬車が来て、アルフォンスの前に停まった。馬車の扉が開いて、出て来た人物の姿に、かれは深く打ちのめされる己を感じずにはいられなかった。

 神事の装束を纏い、美しい黄金色の髪をきりりと纏め上げた《ユーリンダ》が微笑みを浮かべて、

「お父さま、一緒に神殿にいらして? 猊下が急用がおありだって……」

 悪夢を見ているようだった。神事に忙しい愛娘がこんな所に来る筈がない。用事があるなら、誰かを使いに出せばいいだけの話だ。周囲には何人も騎士がいるのに、誰も不思議がりはしない。幻覚を見せる魔道の存在も、それを悪用する邪悪なものの存在も、全く知らないからだ。知らなければ、それは普通に起こっている現実と思い込むのが当然だ。お勤めに疲れた姫が、ちょっとばかり息抜きをする為に使者の役をかって出た、というくらいが想像の範疇か。だが、アルフォンスには、娘に甘えたところがあるとしても、無責任に勤めを投げ出したりはしない、と解っていた。彼女は彼女なりに、次期聖炎の神子としての自覚はしっかり持っている。ルルアを、アルマヴィラを、世界を愛しているのだから。


 すると、茫然としているかれに向かって、《ユーリンダ》は、悪戯っ子のような笑顔で、

「早く早くいらして? でないと、待ちくたびれて、『私、どうかなってしまいそうだわ』!」

 と言ってのけたのだった。


 今度こそ、かれは絶望した。敵は、さっさと言うなりにならなければ、ユーリンダにも容赦はしない、と言っているのだ。勿論、神殿にいる彼女に、いま害を及ぼせはしないだろう。だが、永遠にそこにいる訳にもいかないし、大勢の神官に四六時中護らせる訳にもいかない。いつか必ず、隙は出来るものだ。


「……解ったよ、ユーリィ。きみがどうかなってしまっては、『わたしは裁きの聖炎に焼かれてしまうだろう』……」


 精一杯の返しだった。裁きの聖炎は、大神官だけが扱えるもので、全ての邪なものを焼き清める、最強の神殿魔道である。それならばきっと種子も焼き捨てられるだろう……アルフォンスの身体と生命と共に。

 それは、嘗ては大罪人の処刑に用いられていたという歴史があるが、現在ではもう数十年かそれ以上、行使された事はないと聞く。何故なら、罪人の苦しみ方があまりにも惨いからだ。激烈に清らかな炎に、穢れた魂と肉体を時間をかけて焼かれるのだ。その苦悶の叫びを聞いた者は、生涯安眠できなくなった、という言い伝えまである。

 もしもユーリンダに手を出せば、例え種子に支配される身になっても、何としてもそれを裁きの聖炎で焼かせてみせる、という覚悟を示す……敵は、アルフォンスの身体を使って何かをしたいのだから、それは避けたい筈だ。


「いやね、お父さまったら、大袈裟なことを」


 《ユーリンダ》は咄嗟にどういう表情を作ればよいのか判らないような曖昧な微笑を返した。が、その中に微かな苛立ちの影を見切って、この脅しは無効ではないらしいとアルフォンスは悟る。尤も、もしこのまま敵の手に落ちて種子に支配されることになるのなら、そんな機会が本当に作れるのかどうかは判らなかったが。

 周囲の騎士たちは、アルフォンスの大仰な物言いに、いつもの殿下の親馬鹿から来る冗談と思って苦笑している。しかし、もしここに本物のエクリティスがいたならば、異変に気付いた筈である。聖炎への神聖視を大事にするアルマヴィラの領主が、それを冗談の種にする事はないと知っているからだ。

 だがエクリティスは、祭事での騎士団長の務めを果たすべく働いておりここにはいない。《ユーリンダ》と《エクリティス》は恐らく同じ魔導士だろう。

 愛娘の姿をした災いの使者の導くまま、アルフォンスは部下たちの目の前で、最悪な未来へ向けて走り出す馬車に乗らざるを得なかった。


 馬車はルーン公邸を出て、軽やかに祭りに賑わう通りを抜けてゆく。

「お父さま、お元気がないご様子ね?」

「貴様にお父さまと呼ばれる理由はない。いい加減その不愉快な魔道を解いてくれないか?」

 怒気を孕ませてアルフォンスは向かい合って座る相手を睨み付ける。しかしその反応も予期していたようで、《ユーリンダ》は笑みを崩さない。

「お父さまが正気でいられるあと少しの間、私の姿で和ませてあげようという配慮ですのに。まあ、本当は騎士団長のままお連れしようと思っていたのに、気の毒な父親が思ったより早く来てしまったものだから、余計な魔力を使う羽目になった、とも言えるけれど」

「……っ、やはりハウンド殿の娘御も貴様たちが攫ったのか。彼女は何も関係ないだろう。ルーン家にも、アルマヴィラにも無関係だ。あの豪の者の取り乱しようを見ただろう。そなたに子を持つ親の心など解るまいが、エミリア殿は無事に返してやってくれまいか」

 エミリアの誘拐は単なる攪乱の為で、無事に返す……そんな言葉を僅かに期待したが、《ユーリンダ》は残酷な嘲笑を伴った言葉を放っただけだった。

「気の毒なエミリア! お父さまが仰った事はあながち間違いではないわよ。彼女の死によって、ルーン家とバロック家の間には更なる憎悪の種が蒔かれる。これも《我》らが師の望む事。こんな時にアルマヴィラに来てしまったばっかりにね!」

 相変わらずユーリンダの姿と口調を解かぬまま、相手はアルフォンスの精神を嬲る事を愉しんでいるようだった。

「貴様!!」

 愛娘の姿をした者に暴力を振るう事に全くの躊躇がなかった訳ではないが、これはまがい物であるとはっきり解っている。アルフォンスは怒りのあまり立ち上がり、娘の細首に手をかけようとした。だが勿論相手は魔道で身を護っている。触れる事もかなわなかった。

「他人の娘より、ご自分の娘の心配をなさったら? 今はまだ、ユーリンダ姫にはルルアの守護が強すぎて手出しできないけれど、お父さまが《私》たちの側につけば、どうなることやら……」

「わたしをどうしようと、わたしの家族に手を出すな。無関係なエミリアも解放しろ!」

「自己犠牲の精神はご立派ですけど、そんなものは捨てておしまいになった方が楽になれてよ? まあ、お父さまのお説教は煩いから、暫く眠っていていただくわね」

 魔道が使われた気配はアルフォンスにも分かった。急激な眠気に襲われ、《ユーリンダ》に向けた腕に力がなくなる。

「裁きの聖炎など……その大切な器には、そんな苦痛を与えたりはしませんわ」

 遠のく意識の下、そんな声を聞いた。

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