27・消えた娘
慌ただしいさなかに、客をもてなす正装の上に普段の外出に愛用している革の外套を羽織り、騎士団長と共に外出しようとしているアルフォンスに、執事は怪訝そうに声をかけた。
「殿、どちらかお出ましですか? まだお客様の約束が……」
「ああ、済まない、ちょっとエクリティスの方で、わたしでなければならない用事が出来てしまったようでな。勿論、すぐに戻る」
「左様でございますか」
執事は何か腑に落ちないといった表情を一瞬浮かべたものの、まさかアルフォンスの片腕である騎士団長があるじを誘拐しようとしているなどとは想像出来ない。長年仕えてきたからこそ汲み取れた僅かな違和感も、事情を知らぬ老執事は、単なる気のせいと流すしかない。
アルフォンスにしてみれば、彼が何かを感じ取って口にすれば、彼の身が危うくなるばかりなので、それ以上何も言うな、と心中祈るしかない。
無論結局のところ、執事はあるじの判断に間違いなどあろう筈もないと思い、
「では、お客様方にはそのようにお伝えしてお待ち頂きます」
と答えて二人を通す。
「馬をご用意致しますか?」
この問いにアルフォンスは《エクリティス》を軽く見やったが、男が微かに首を横に振ったので、
「いや、目立ってしまうし、すぐ近くへ行くだけだから要らない」
と返す。言っている自分自身は、いったいどこへ向かうのかさっぱり判ってはいなかったのだが。
開け放しにされた大玄関から外に出ると、まだ騒々しい花火の音は続き、人々の笑いさざめく声が途切れることなく流れてくる。夜であるが、常のアルマヴィラの夜より格段に空は明るい。この平和を壊すようなことにだけはしたくない、とアルフォンスは強く焦りを感じる。
「こちらです」
と、《エクリティス》は通りへ導こうとする。アルフォンスは深くフードを被ろうとした。
その時……俄かに、門内の警護の騎士たちの間で騒めきが起こった。誰かが、大門から玄関へ向かって騎馬で駆けてくる。碌に速度を落とさず……これは勿論不作法であるが、その様子から、その人物は、作法など気にする余裕もない程慌てているのだとみてとれた。騎士たちが咎め立てもしないのは、その人物を知っているから……今日に客として訪れたばかりの人物だから。
「ハウンド殿!」
アルフォンスはフードをとって呼びかけた。相手は……バロック家の騎士団長、バルザック・ハウンドは、まさかルーン公爵がそんな歩道にいるとは思いもしていなかったので、大変に驚きながら慌てて手綱を引いた。
「ルーン公殿下! それに聖炎騎士団長どのまで」
「いったいどうなさった?」
ハウンドは馬を降り、頭を下げて、
「私事で大変申し訳ないのですが、ご助力を願いたく、伺いました」
と言う。
「なにがあったのです?」
「我が娘、エミリアが行方不明になったのです。娘は婚約者のエトワールと、神殿で祝福を受けた後、祭りに出かけていました。ふたりは、手を繋いで花火を見ていたそうです。しかし、ふとその手が離れ、エトワールが振り向くと、どこにも娘の姿はなかった、と……」
「なんですって」
「娘は婚約者に夢中ですし、自らどこかへふらふら行ってしまうような子ではありません。そして、我が後継者と目をかけて育てて来たエトワールは、周囲におかしな気配などまるきりなかった、と言い切るのです。もし、狼藉者が近づいて娘を連れ去ろうとしたのなら、彼が気づかぬ筈はありません。つまり、娘は不意にかき消えた……としか思えないのです。もしや聖都では、このように不意に人がルルアに召されるような事でもあるのでしょうか?!」
「そんな馬鹿な話は聞いた事もありません。ルルアは人の子に直接関与なさる事はない」
アルフォンスは、すぐに、これは魔導士の仕業に他ならないであろうと気づく。《エクリティス》を振り返るが、彼はこの事は想定範囲内であったのかなかったのか、まるで窺わせずに、ただ、本物の騎士団長であったならしたであろう風に、
「なんという事でしょう。この都で起きた事件は全て、我が騎士団の怠慢ゆえです。何をおいても、娘御を探し出さねば」
などと言う。
「私とエトワールで暫く辺りを探しましたが、全く娘の痕跡は見つかりません。エトワールはまだ駆け回っています。こうして伺ったのは、幾らかでも、娘の捜索に、騎士か警護団の方に手を貸して頂けないかと……本当に、折角の祭りの折に面倒ごとを持ち込んで申し訳ないのですが」
ハウンドは頭を下げた。本当に娘思いなのだな、とアルフォンスは思う。勿論、自分の娘ユーリンダが同じような目に遭っていたなら、どんな事でも出来る事はしただろうが、ハウンドの立場としては、バロック家とルーン家の間柄が冷え切っているいま、私事でバロック家の騎士団長がルーン公爵に頭を下げて頼みごとをするのを、あの宰相が良く思う筈もないところであり、己が不興を買わない為には、敢えて助力は拒む選択肢をとる事も充分あり得た。
そう思うと、何としても娘を助けてやりたいと思う。これは領主としての義務でもある。
「《エクリティス》、騎士を十人ばかり回したい。『さっきのこと』は後回しにして貰いたい。わたしは、いつでもここにいるのだからな」
自分は逃げ隠れなどしないから、罪なき乙女の為に時間が欲しい……そういう意思を伝える。もし、この出来事もまた敵の計画通りなら、すんなりうんと言う訳もないが……と思いつつも命じたら、どういうつもりか《エクリティス》はあっさり頷き、
「判りました、すぐに手配しましょう。殿下もハウンド殿も、館にてお待ちください」
と言い、駆けだして行った。
アルフォンスがこんな多忙の最中にエクリティスとどこかへ出かけようとしていた事……理性的に考えれば疑問に思うところであったかも知れないが、我儘なシャサール・バロックの相手を勤めながらも常に彼を制御している、優れた人材のバルザック・ハウンドも、愛娘の危機を前に、そうした事まで気が回らなかったらしい。何より彼は、宮廷でのアルフォンスの振る舞いに敬意を抱き、バロック家の末っ子ティラールの横恋慕のせいでルーン家と疎遠になっている状況を歯痒く思っているような人物でもあった。だから……無償に信じた。アルフォンスと《エクリティス》を。
「じっと待ってなどいられません。私も街へ戻ります。もしも……娘の気まぐれなどであれば、幾らでも罵って頂いて構いません。そうではないと熟慮しての嘆願ですが、そうであれば、私は騎士団長の肩書を返上せねばなりますまい」
とハウンドは絞り出すように言った。だが、アルフォンスには、ハウンドの親心が……たとえ名誉を失っても、娘が無事に戻って来ればそれでいい、と考えているのが解った。
「娘御を攫った者の意図はまだわかりませんが、もしかしたら、ルーン家とバロック家の溝をより深めようとする陰謀かも知れませんな。なれば、わたしはいくらでも宰相閣下に頭を下げましょう。あなたは忠義の騎士であるし、全ての不祥事はわたしの不徳から起こったことと」
その言葉に、ハウンドの瞳に光が戻る。だが、アルフォンスの心は塞がっていた。自分の言葉はただの慰めであり、そんな結末が訪れるとは自分自身で信じる気にもなれない。もしこれがかの魔導士の企みの一端であるなら、エミリアの命は危ないだろうと、そしてその時、この男はどれ程絶望するだろうか、と想像してしまったからである。




