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炎獄の娘  作者: 青峰輝楽
第四部・聖都篇
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23・乙女たちの骸

 発見された娘たちの遺体が安置されているという、警護団本部の大部屋にアルフォンスは足を運んだ。部屋に近づくにつれ、薄暗く細い廊下にねっとりと揺蕩う死臭は濃くなり、警護団長でさえも思わず布で鼻を覆っていたが、アルフォンスは胸が悪くなるようなこの臭いにもなるべく耐えようと思った。これはかれの民、罪もなく無惨に殺された若いいのちが最後にこの世に遺したものだから……とは些か感傷が過ぎる考えかも知れないが、それはともかく、集められている遺族の前で不快感を見せたくないのは確かだった。

 大神殿から派遣された神官による魔道の検屍も既に済んでいるという。その結果をまだアルフォンスは聞いていない。

娘の名を呼び嘆く複数の、主に中年の男女の声が次第に近づいてくる。ふと、アルフォンスは、何故ダリウス団長は領主である自分が来るのに遺族を別室に下げておかなかったのだろう、と軽い違和感をおぼえた。勿論かれ自身には遺族と向き合う事から逃げようと思う気持ちはさらさらない。そもそもいくら民の安全を守るのが領主の務めとはいえども、今回の事件で僅かでもアルフォンスを恨む気持ちを持つ者はいないだろう。王国で王都と並び、群を抜いて治安のよいとされる聖都アルマヴィラ……それもアルフォンスの代になってから先代より更に良くなっていると言われているのだから、この事件が都警護の不備のせいとは誰も思わない……防ぎようもなかったことなのだと。

 だからアルフォンスの違和感は、どうして遺族がかれに無礼な言動をとる可能性を考えて遠ざけなかったのかという事ではなく、単に、冷静さを欠いた民を大貴族と同席させるという、普通の臣なら配慮してそうした状況を避ける措置を何故、この有能な男がとらなかったのか、という事だった。

エクリティスならば、アルフォンスが彼らと対話することを望むと考え至ったかも知れない。しかしそれでも一言、彼らとお会いになりますかと確認する筈だ。だがダリウスは、信頼する部下ではあるが、エクリティスほどアルフォンスの気持ちを汲み取ることは出来ない。かといって並の事に気づかぬ程凡庸でもない。


 しかしこの時、そんな違和感を忘れてしまうような事が起きた。蝋燭の灯りが隙間から洩れる扉が開いて、足早にアトラウスが出て来たのだ。アルフォンスは彼の侍女の事を思った。薄暗い灯りの反射なのかどうか、彼の目はやや赤いように見えた。扉が開くとともに、室内に満ちた慟哭がよりはっきりと伝わるようになり、その中には確かに聞き覚えのある女の声が「メリッサ……!!」と死んだ娘の名を紡いでいた。

「伯父上……」

「アトラ、きみの侍女はやはり……」

 妹の様に思っていたという甥の気持ちを考えると胸が塞がったが、アトラウスは気丈に顔を上げ、

「腐敗して……まるであの子ではないようですが、服装や僅かに残る面差しから、間違いないようです。母親も認めています」

 としっかりした声で告げた。

「そうか……残念なことだ。可哀相に……」

 アトラウスの侍女メリッサは最初の行方不明者であり、消息を絶ってから数週間が過ぎている。もし拉致されてすぐに殺されたのであれば、その腐敗した遺体は生前親しかった者にとって、見るにたえないものであろう。

「これも……ルルアのお与えになった試練なのでしょう。あの子はきっとルルアの国で今は安らかに……」

 伯父の言葉に俯きがちに答えたアトラウスだったが、ふとアルフォンスは背後から視線を感じた。それはかれに向けられたものではない。かれの後ろに立っているダリウス団長がアトラウスを見ているのだ。元々無口で無表情な男だが、この時も特に作ったような同情の顔はしていない。ただいつもの貌で、嘆くあるじの甥を見つめていた。

(…………?)

 この二人は特に親しくもなかった筈だが、それにしても気の利いたものでなくとも慰めの言葉くらい出ないものだろうか、とアルフォンスは再び警護団長に違和感を持つ。やはり魔道に関わりある死なのかと、甥が知ったかも知れない事を聞こうかと思ったが、あとでも構わないと思い、甥に道を譲る。

「すみません……随分ここにいたので……少し外の空気を吸ってきます」

 と言ってアトラウスは廊下の向こうに消えて行った。


 室内には簡素な木の寝台が並べられ、白い布を頭から足先までかけられた十六人の死者が安置されていた。遺族は皆、死んだ身内の方に気をとられ、領主が姿を現したことにもすぐには気づかない。中には気の毒に、誰も付き添っていない遺体もあった。この腐臭の充満する部屋で傍にいようと思う親しい身寄りのない者であろうか。そちらに足を向けかけた時、一人の女がかれに気づいた。

「ああ! 殿さま! ルーン公殿下!」

「……オルガか。可哀相なことに……」

 泣き濡れたその女は、前に顔を合わせた時よりずっと老けたようだった。弟カルシスの館勤めの侍女で、アトラウスの世話係であったオルガ。幼いアトラウスが離れの地下に幽閉されていた頃、たったひとり傍で身の回りの面倒をみていた女。だから弟の侍女のひとりに過ぎないとはいえ、アルフォンスは彼女の事をよく覚えていた。夫と死別し女手ひとつで娘を育てながら、解放された若君の世話係をずっと、今は娘と共に務めていて……そのかけがえのない娘が殺されて……。

(なんと数奇な運命か。この親子が何の罪を犯したと仰るのですか、ルルアよ)

 神に対する不敬と思いつつも、泣きながら縋る女を見ていると、そんな思いを湧かせずにいられなかった。

「こんなところへ……わざわざ……若さまにさえも申し訳なく存じておりましたのに」

 か細い声でオルガは礼を述べる。メリッサひとりの為に足を運んだ訳ではないのだが、縁があると思うとやはり一層哀れで、

「何を言う。わたしにはアルマヴィラの民を護る義務がある。それを果たせずに済まぬと思うばかりだ。この子の幼顔はわたしも覚えているよ。アトラウスが可愛がって抱っこして……」

 と遠い日の記憶を脳裏に描く。ユーリンダやファルシスも一緒だったと思う。それがこんな若くして無惨な死を迎えてしまうとは……。

 アルフォンスはそっと白布をめくってみた。カルシス家のお仕着せを着た少女だったものが横たえられている。顔の判別は殆どつかない。異様な悪臭が一層強まったが、アルフォンスは黙って少女の為にルルアの印を切った。

 そうしていながらも、かれの目は、少女の服の胸元に注目していた。ラクリマは、もし娘たちが魔道の媒体として犠牲になるならば、恐らくその心の臓を抜き取られる筈だと言ったからだ。だが……見たところ、遺体の服には切り裂いた後も血の痕もない。一旦服を脱がせてまた着せた? そんなことに意味があるだろうか? ……わからない。

「はっきりと判る外傷はなかったのか?」

 かれは背後の警護団長にそっと尋ねた。団長は頷き、

「恐らくは絞殺かと」

 と声を低めて応じた。遺体は、身寄りのない者の共同墓地の最も奥まった、普段誰も寄り付かない小さな崖の向こうに、重ねるように投げ捨ててあったのを、偶然墓守が今日になって発見したとのことだった。

 なにかと辻褄の合わないことばかりだ。

 だがその時、他の遺族もアルフォンスの姿に気づき、領主が……ルルアの娘の末裔が、わざわざ死者を弔いに来てくれたと有り難がって泣き縋り、どうぞ犯人を捕らえて裁いて下さいと言い寄って来たので、その時はそれ以上考えるいとまがなくなり、かれは十六人全員の遺体にルルアの印を切ってその魂が安らいでルルアの国へ行けるよう祈ってやらねばならなくなった。

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