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炎獄の娘  作者: 青峰輝楽
第四部・聖都篇
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22・結界の綻び

「申し訳ありません。結局何のお役にも立てませず」

 とラクリマは謝罪する。かの魔導士の前では、彼女の守護魔道はなんの役にも立たなかった。

「謝る事はない。怪我はないか、ラクリマ」

「はい、わたくしは。お二方こそ、大丈夫ですか」

「幸い、かの魔導士の機嫌が良かったのか、かすり傷もないよ。とにかく、こんな場所にこれ以上長居は無用だ。戻ろう」

 『異なる界隈』の中にいた時間と外界の時間の流れは違うのか、入った時は昼だったのにもう日が暮れかけている。饐えた空気は冷たい夕の風となり、小路に砂埃を舞わせている。まだ殆どの家屋に灯火は見えないし、人の気配はすれども姿はない。こんな治安の悪い場所に暗くなっても留まったりしていては、また別の面倒事を呼ぶだけだ。


『女だ……若い女だぞ』

『いったいどこから来たんだ? どこに隠れていたのか?』

『顔を隠していても臭うぞ。若く美しい女だ。攫うか?』

『伴の男二人は腕が立ちそうだが……』

『なに、こちらには人数がいる』

 アルフォンスと同じようにその黄金の髪と瞳を隠したラクリマだが、体格や仕草だけでも女性と判るようで、彼女の姿に食いついた黄昏小路のごろつきたちは、ぼろ家の中から視線を放ちながらろくでもない相談を始めている。勿論その気配はアルフォンスら三人には易々と読める。

「エク……」

 アルフォンスは溜息をついて騎士団長を促す。その一言だけで、エクリティスは自分が何を要求されたか理解した。彼は顔を上げ、気を放ちながらじろりと周囲を睥睨する。

『お、おい、あいつは見たことあるぞ』

『ありゃあ、騎士団長じゃねぇか! 下町への領主の視察で傍にいたのを見たぞ』

『なんだってこんなところに』

『おいおい、だが騎士団長ったって、ろくに部下も揃ってなけりゃあ、たいしたことないんじゃないか? こっちは三十人はいるんだぜ?』

『ば、ばか、知らねえのか。あいつは一騎当千だっていう話だぜ』

『なんだ、いっきとうせんって? 難しい言葉知った風に使うんじゃねぇよ』

『一騎当千てなぁ、一人で千人やっつける力があるってこったよ!』

『な、なんだと! じゃあ全然かないっこねぇじゃないか!』

 そんな会話が実際に耳に届いた訳ではないが、エクリティスの存在が認識される事で下らない争いを回避できたのは目論見通りだった。領主自身がろくに伴もつけずにこんな所へ入り込んでいたと大っぴらになれば、また別の問題が派生してくる可能性もあるが、騎士団長ならばまだ行動の自由がある。こうして三人は足早に件の通りを抜け、下町の喧騒に紛れた。


「……結局、娘たちの失踪については何も聞く暇もなかったな」

 今回の問題が起こってから、隠密に相談する場所として借り受けている街中の下宿の小部屋で一息つきながら、アルフォンスはぽつりと言った。頭の中には、命がけで得た情報をどう考え、どう使うかを纏めなければ、という焦りがあったが、冷静を失わずに理論立てて結論を出すには疲れすぎていた。ただ、目を瞑ると浮かぶのは、

『……そうよなぁ。では、少しだけ教えてやろう。このまま放置すれば、そなたはルルアの傀儡としてこの世をルルアの思惑に沿って変革してしまうだろう。それでは我らには不都合なのだ。だから種子がそなたに別の務めを与える……愚かなる国王、エルディス・ヴェルサリアに死を……そして、世に無秩序を招くよう……』

『そなたの信ずる正しき王国の為にはそなたの力が必要なのだ。先に言うたであろう。放置すればそなたはルルアの目論見通りにこの国を動かす、と。生きたそなたは、ルルアにとって必要な駒なのだ。そなたが死ねば、要石が外れ、ルルアにとっても我々にとっても、都合が悪いこととなる』

 あの老魔導士の言葉。生きていれば種子によって、国王暗殺などというとんでもない企ての道具となる。だが、自分にはルルアに与えられた使命があるから、死ねばルルアの不都合になるとも言う。――確かにそもそも、先日ラクリマが言ったように、ただ自分が死ぬだけでは、完全に身体が種子に乗っ取られてしまうだけで、問題の解決にはならないのだ……。

 そんな懊悩を払おうとしてか、努めて暗い声にならぬようにしている様子でラクリマが言った。

「ひとつ、大きな情報を得ました。あの、老人の姿をした魔導士についてです」

「なんだって?」

 二人の視線がぱっとラクリマに集まる。

「あくまで推測ですが」

 と彼女は前置きしつつも、

「あのとてつもない魔力……彼は恐らく、アルマとエルマが四百年前に封印したとされる、伝説の三大魔導士の一人ではないかと思います」

「三大魔導士……伝説に出てくる、四つ巴の魔道の戦を繰り広げたという……」

「はい。その名は……誓約に触れるし、相手を誘い込む危険もありますので口には出来ませんが、おそらく……」

「四百年も前から生きている……伝説の神子さえも封印するだけで滅せなかったという異端の大魔導士……? それが……わたしの敵なのか」

 薄々そうした可能性も考えてなかった訳ではないが、そんな強大なものにどうやって立ち向かうというのか。

「ルルアから直接力を頂いていた伝説の神子すら封印するのが精いっぱいだったという話なのに、そんなものに抗える訳がない……」

 頭を抱えて呟いたアルフォンスの弱音に、しかし女神官の瞳にはまだ絶望はみえなかった。

「そんな大物が、恐らく実体でなかったにせよ結界を抜け出してかつてアルフォンスさまの所へ現れた……それはつまり、結界の力が弱くなっているという事です。あの結界は、魔力が強い者ほど強く封じられるのです。だからわたくしは、アルフォンスさまの元へ来たのはあの界隈の中でも下っ端の魔導士が誰かに遣わされて……と考えていました。でも違った。もしかしたら、予言されている『大きな変化』とは、アルマとエルマの封印が解ける、という事なのかも知れない……」

「そんな事になったら世の中はいったいどうなってしまうんだ! ルルアの教えに対立する大魔導士が聖都に解き放たれたりしたら……!」

「それこそ王国の崩壊すらもたらしかねません。でも、だからこそ、これを大神殿の上層部が知れば、かつての歴史になかった程の総力をもってその事態を阻止すべく動くでしょう。アルフォンスさまの中に種子が隠されていた……それに気づかなかった……その落ち度を追及している場合でもなくなるでしょう。そして、肝心なのは、もしこちらの力が勝り、緩んだ結界をかつてのものより強固なものに出来れば、種子を操る魔道の力がこちらに及ばなくなり、術は勝手に解けてしまうかも知れない、という事ですわ!」

「……そうか」

 あまりに大きな話に、咄嗟にアルフォンスはそうとしか返せなかった。絶望の中の小さな希望……どちらかというとそんな風にしかとれないのだが、ラクリマはその希望を見出した事で何か光を得たようだった。

 エクリティスはラクリマを見つめ、

「神殿の内部事情に関しては、貴女だけが頼りです。どのように動かれるおつもりですか?」

 と静かに尋ねる。

「わたくし、まずはこの事を養母に話してみようと思います。もちろん、種子の事は伏せて。わたくしは元々、娘たちの失踪と魔導士の関与について探るよう命を受けていましたから、その線を探っていくうちにそうした可能性に思い当たった、と。形ばかりの母子ですけれど、あの人も今は幹部のひとり、わたくしより詳細に結界の状態を把握して、猊下にこの危機をうまく伝えてくれると思います」

「ありがとう、ラクリマ。きみがいなければ本当にどうなっていた事やら……勿論、まだなんの安心も出来はしないが」

 とアルフォンスは言った。ようやく魔道のまやかしから抜け出し、きちんと自分でものを考えられるようになってきた気分だった。妹のような存在と思っていたが、魔道が絡む問題に関しては、自分よりずっと冷静に対応する力がある。

「しかし、結局娘たちの失踪はどういった関係があったのだろうか……?」

「結界を破壊しようという大きな企みが、あの中にはあるのかも知れませんわ……わたくしたちも見た事もないような魔道の準備が……」

 そう言ってラクリマは黄金色の睫毛を伏せる。

 『娘たちは何か大きな魔道を行使する媒体とする目的で連れ去られたのではないか』……大神殿の中枢部はそう考えている、と先日彼女は言った。娘たちはあの結界の中にいるのだろうか。その命はまだ生かされているのか、既に捧げられてしまったのか……? 命を媒介にした魔道、と聞けば、アルフォンスは、アトラウスの母シルヴィアの死に様を思い出さずにはいられない。頑なな夫の誤解を解き、我が子を表に立たせる為にはこれしかないと思い詰め、誰にも看取られずにたったひとりで自ら心の臓を抉って潔白のあかしを魔道の力で立てて見せた……かつての許婚。

 追憶に浸りかけたが、そんな場合でもないと思い返し、既に日も落ちていたので、ラクリマをエクリティスに送らせ、自らも帰路についた。特徴を隠した身なりで、伴も連れずにひとり街をゆくのもかれにはいまは心地よかった。


 私邸へ戻ると、都警護団団長のダグ・ダリウスが来ていた。傭兵上がりだが、信念固く任務に忠実で、アルフォンスが目をかけて団長に抜擢した男だ。歳の頃はもう50代だろうか。そのいかめしい男は玄関先で待っていて、挨拶もそこそこにアルフォンスに歩み寄って来た。

「どうした、ダグ、なにかあったのか」

「殿……行方不明の娘たちの遺体が見つかりました」

 と、彼は言った。

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