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炎獄の娘  作者: 青峰輝楽
第四部・聖都篇
106/116

21・異なる界隈

「……ここか」

「はい」


 いつものお忍びの時と同じように、フードを目深に被ってその特徴的な髪と瞳を隠したアルフォンスと忠実な騎士団長エクリティスは、黄昏小路と呼ばれる薄暗い路地の入口に立っていた。

 時刻はまだ昼前だというのに、豊かではなくとも賑やかな下町から更に奥へ入りこんだこの辺りでは、古ぼけた粗末な建物が無計画に立ち並び、玄関を出入りするのを見られるのを憚る為でもあるのか、やたらと屋根ばかりが大きく突き出して下向きに曲がっているものが多く、陽の光が差しにくく、その名の通りに黄昏時のようであった。

 この先に、魔窟『異なる界隈』がある。下町までは幾度もこの姿で民のようすを密かに視察に訪れた経験のあるアルフォンスであったが、妻のカレリンダが、その先に進む事は忌まわしく邪を引き寄せる、と何度も言うので立ち入った事はなかった。この辺りでは窃盗や強盗は日常茶飯事だが、被害届が出れば都警護団が対応し、その報告は上がってくる。被害届が出ないものは……被害者にも表に出たくない理由があるのだという推測の下に放置されているのが現状だった。どれだけアルフォンスが優れた領主であっても、年の三分の一くらいは王都で国事に関わる役目をこなさねばならぬ身であるし、領地に帰っても様々な重大事が待っていて、誰をも拒みひそかにただそこにあるだけの一見である魔窟近辺にまでは手が及ばず、為人を信用している都警護団長のダグ・ダリウスに一任するしかなかったのだった。

 だが、今おのれに降りかかってきた重大事の解決の糸口があるとすれば、自分自身でここへ赴き、対峙するしかない……剣ならば誰にも負けぬ腕があっても、魔道の心得も力もない者がふたり、入り込んだ途端に魔道に取り込まれてしまうかも知れない。それでも、己の為、国の為、民の為、家族の為に、出来る事をやるしかない。

「行くぞ」

 と言い、エクリティスは表情を引き締め、頷いた。二人は、黄昏小路に足を踏み入れた。


 狭く、汚い道だった。異臭がして思わずアルフォンスは顔を顰める。馬車など到底入れない小道に沿って、倒れそうなぼろ小屋が立ち並んでいる。その小屋の中から、見慣れぬ招かれざる客を胡乱げに見る視線をいくつも感じる。だが、まだここは魔窟ではない。薄暗い稼業に身をおとし隠れるように暮らしてはいても、ここはまだかろうじてルルアの領域ではあった。

 行き進む間、いつ物盗りが襲ってきてもおかしくはない雰囲気があったが、ここの住人たちは相手を見る目を持っている。町人に姿をやつしていても、ふたりの纏う武人の気を感じるのか、誰も襲ってくる気配はなかった。

 そして曲がりくねった小路を進むと、遂に正面に突き当たりが見えてくる。見かけは何でもない、崩れ朽ちかけた板塀。だが、魔道の心得はなくとも、そこから何か異様な気が漏れているのがふたりには解った。

「いよいよか」

 アルフォンスは懐に忍ばせた、ラクリマとの交信具に触れる。必要な時が来るまで、ラクリマには沈黙のまま待機していて貰う予定ではあるが、必要な時はすぐに来るかも知れない。魔道の護りが必要な時は。次には胸元にいつもある小さな守り刀に手をやった。これには特に魔力はないが、結婚前にカレリンダに贈られた特別なものだ。結婚を賭けた御前試合での勝利を祈ってくれた、想いの籠ったもの。その想いが叶ったからこそ、いまの大切な家族がある。だから身の護りとして、かれはいつもそれを携帯していた。

「アルフォンスさま、私が先に。様子を」

 とエクリティスが申し出たが、半ば予想通りに、

「いや、わたしが先だ。おまえは後ろを護ってくれ」

 と言われてしまう。決死の覚悟をあっさり退けられたエクリティスは落胆の表情を見せたが、アルフォンスが、

「わたしの後ろを任せられるのはおまえしかいない。頼んだぞ」

 と言えば、

「分かりました。命にかえてもお守りします」

 と気を持ち直す。こういう所は少年の頃から変わっていない。謹厳実直な騎士団長に、こうした単純な面がある事は、団員の誰も知るまい……物心つく前から遊んで貰っていた、今は主君の子息でありながらも騎士団の中では配下であるファルシスでさえも。そんな事を思うと、少しは気分が和む。

「では行くぞ」

 そう言って、アルフォンスは、その奇妙な塀に手を伸ばす。

 ……味わったことのない、奇妙な感覚が身を襲う。まるでなにかが身体をすり抜けていくような……。

 だが、実際にすり抜けたのはおのれの方だった。

 『黄昏小路』の突き当たり、ルルアの世界と隔たった『異なる界隈』に至る結界をすり抜けて、かれは、その忌まわしい場所に立っていた。


「……アルフォンスさま! ここは……!」

 続いてエクリティスも無事に結界を抜けてきた。この中がどんな世界であるのかという大神殿の伝承は、少しはラクリマに聞いていたが、想像と、実際に目の当たりにするのは全く違う。

 そこは、色彩もなく光もなく、上下の感覚さえもなかった。それでありながらも、何故か光景は脳裏に映る。ねじくれた樹木があり、歪んだ建物が並ぶ。そこは、街ではあった。ルルアの世界から切り取られ、独自の発展を遂げた街。影のような通行人が何人も見える。その人々は、アルフォンスとエクリティスに気づくと、刃を向けて襲ってきた。二人も剣を抜き、それに対応する。影は二人の剣技の前に倒れ、やがて消えてしまう。

「なんなのだ、この茶番は!」

 とアルフォンスは叫ぶ。

「はっはっは、相変わらず意気軒高ですな、ルルアの公子よ」

 いつか聞いた事のある声がした。

「わたしはもう公子ではない。ルーン公爵だ」

「そうでありましたな。外界のときの過ぎるのは早いこと」

 愉快そうに言って姿を現したのは、紛れもなく、アルフォンスに甦った記憶の中で、少年期のかれに種子を埋め込んだ張本人の老人だったのだ。

 アルフォンスは努めて冷静を保ちながら、

「まさかすぐに貴公と会えるとは思っていなかった。この世界は貴公が牛耳っているのか。もっと無秩序かと思っていた」

 と言葉を投げかける。老人は笑って、

「秩序とは我らの最も忌む言葉。秩序は即ち、反自由。ルーン公殿下、自由は尊ばれるべきものとは思わぬか」

「秩序が護られてこその自由。誰もが自由に欲望のままに振舞えば、この世は乱れるばかり」

「乱れてなにが悪い?」

「……良心に関する問答をしに来た訳ではない。ただ、話を聞きたいだけだ。ここの住人は何が望みなのかと。貴公はわたしを操って何をしたいのかと」

「答えぬのも我が自由。だがいまの私は機嫌がいい。だから、答えたい事は答えてやろう、ルーン公爵よ」

「……無礼な」

 エクリティスは腰の剣に手をやったが、アルフォンスは手ぶりで押しとどめた。国王よりも傲岸不遜な物言い。だが、剣とは別の次元の存在であるし、体面に拘っている場合でもない。

「貴公が、この界隈の主なのか」

「否。ただ、そなたがこの時に来ることを察知していたから、策を弄して邪魔者は遠ざけておいたに過ぎぬ。単にそなたを斬り刻んで殺してみたい、という輩もおるしな。まったく無意味な事だ」

「……では、貴公は何が望みなのだ。わたしに種子を埋め込んで傀儡とし、何を企む?!」

「なんなのかは、楽しみにとっておけばよい。じきに解る。種子が芽吹いてもそなたの意識が完全に閉ざされる訳ではない。己の身体が罪なきいのちを奪うのを、己のせいではないと思いながら見るのもまた一興ではないかな?」

「やはり、邪悪な目的なのだな! なんの為だ。貴公は何を信奉し、何を成す?!」

「答えぬのは我が自由。まったく、ここまで足を運んだのは、無駄足としか言えぬな。そなたに抗う術は何もない。そなたに手を貸す神官にもな」

 老人が指を鳴らすと、アルフォンスとエクリティスを包んでいる見えない魔道の膜がぱちんと弾けると共に、ラクリマの細い悲鳴が響いた。

「貴様! 彼女に手を出すな。ただのわたしの助力者だ」

「別に傷つけてはおらぬよ。ただ、この我らの世界にまでルルアの魔道が持ち込まれるのが不愉快だっただけだ」

 そう言って老人は唇の端を歪める。

「これでそなた達は全くの無防備……これまで間違えて入り込んだ愚か者どもと同じように肉片に変える事も造作もない。だが、アルフォンス・ルーンよ、そなたは肉片となり豚の餌となるより遥かに重要な役割がある。故に伴の者と共に、無事にそなたの世界に送り返してやろう……務めを果たせるように」

「務めとはなんだ。わたしは戦いに来た訳ではない。だから答えて欲しい」

「……そうよなぁ。では、少しだけ教えてやろう。このまま放置すれば、そなたはルルアの傀儡としてこの世をルルアの思惑に沿って変革してしまうだろう。それでは我らには不都合なのだ。だから種子がそなたに別の務めを与える……愚かなる国王、エルディス・ヴェルサリアに死を……そして、世に無秩序を招くよう……」

「なに……」

 アルフォンスの顔色が変わる。この魔導士は、自分を操り、国王を暗殺させるつもりなのか!

「そんな事になるくらいならば、わたしは今すぐ己の命を絶つ!」

「いけません、アルフォンスさま!」

 剣を抜こうとした主を、血相を変えてエクリティスが止める。だが、老人はにやにやしてその主従の様子を見ているだけ。

「そなたは命を絶てない、ルーン公爵よ」

「侮るな! 王国の為ならば……」

「そなたの信ずる正しき王国の為にはそなたの力が必要なのだ。先に言うたであろう。放置すればそなたはルルアの目論見通りにこの国を動かす、と。生きたそなたは、ルルアにとって必要な駒なのだ。そなたが死ねば、要石が外れ、ルルアにとっても我々にとっても、都合が悪いこととなる」

「貴様らの都合など知るものか!」

「ルルアの都合、でもあるのだぞ?」

「…………」

「まあ、せいぜい足掻いてみる事だな。我々は優位に立ってはいるが、この世は何が起きるかわからぬもの……」

 不気味な笑みを浮かべた老人の姿は徐々に大きく膨れ、醜悪なものと化してゆく。幻術に違いない。

「伴の者を八つ裂きにしてそなたの嘆くさまを見るのも悪くないとも思ったが……その男にはその男なりの使いようもあろう。徒に肉片にするのは、無駄遣いというもの」

 愉快そうに老人は笑う。

「愚弄するか! 命をなんと思っているのだ!」

「全ての命は均等。尊ばれるべきものも、打ち捨てられてよきものもない……。だが、現実はどうだ。王者は尊ばれ、貧者はもののように扱われる。ルルアの世は、真に正しき世か? 理解できまいな、ルルアの公子よ……」

「……!」

「また会おう……種子の芽吹きし頃に」


 老人が軽く指を鳴らすと。

 アルフォンスとエクリティスは、黄昏小路に立ち尽くしていた。

「アルフォンスさま! ご無事ですか!」

 とラクリマが駆け寄って来た。


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