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炎獄の娘  作者: 青峰輝楽
第四部・聖都篇
101/116

16・侍女と姫君

 リディアがユーリンダの寝支度を整え、髪をおろし寝着に着替えさせる間中、ユーリンダはまだ家族への――特に兄への不満を口にし続けていた。おっとりした彼女が誰かを悪く言う事など滅多にない事なのだが、この時は、折角の自分の心配りを真っ向から否定されたことに傷つき、それが憤りになっていた。

「ファルなんか関係ないのにどうしてあんなに怒るのよ。だいたい自分は遊んでばかりで結婚相手も決められないくせに」

 男女が『遊ぶ』という意味をろくに知りもしない深窓の令嬢は、聞きかじった言葉で、ただ親密な相手をその時々に変えながらパーティで遊び明かすこと、くらいにしか思っていない。リディアは返答に困りつつも、

「若さまもお疲れだったのでしょう」

 などと曖昧な言葉で女主人を宥めた。発端が自分の事であるので、彼女はただただ申し訳なさでいっぱいだった。だが、自分もリディアも悪くないと思っているユーリンダは、侍女の悲しげな顔を見ると益々不満を募らせる。

「私、間違ってないもの。あなたもそう思うでしょ、リディア?」

「あの……でも、殿さまの仰る事は尤もかと。わたくしのような者が、あの宝物をお借りするなどとんでもない事です」

「まぁっ! あなたもお父さまの味方なの?」

「味方とかそういう問題ではございません。姫さまのお気持ちは本当に嬉しゅう存じますが、もしもあの飾りをわたくしなどが身に着ければ、姫さまが、臣下の者を甘やかし過ぎていると思う者もありましょう」

「そんなの、気にしなければいいわ」

「姫さま……」

 リディアは次第に、ここで諫言するのも自分の務めではないかと考え始めた。アルフォンスの言った通り、長年恋焦がれたアトラウスとの婚約が成って以来、ユーリンダはそれまでの控えめなところが幾分影を潜め、なにひとつ世間を知らない癖に自分の考えに自信を持ちすぎる様子が見え始めていた……勿論、元々が稀にも見ない善良な質であるから、その考えが悪いものである事はないのだが、いかんせん単純過ぎた。

 自由な家風で甘やかされて育った為に、父や兄に安易に逆らうなど他の貴族家では考えられない事なのに、平然とそういう行動をとってしまう。アトラウスの愛を得た事で自我が成長し……いわば非常に遅い反抗期なのかも知れなかった。自分を姉妹と言ってくれる大切な女主人に対して、彼女の為にと思い、リディアは、考え考え、言った。

「姫さま。この、ひとの世には生まれ持った身分というものがございます。この枠にきちんとはまって生きていく事が出来なければ、いずれは人の謗りを受け、幸福に生きる事が出来なくなると思うのです」

「なあに、いきなり。それくらい私にだって解っているわ。王族には王族の、貴族には貴族の、平民には平民の務めがあって、それを果たすようルルアに望まれて人は生まれてくるのだと、聖典に書いてある事は全部暗記しているわよ。それと、ペンダントを貸す事がどう繋がるって言うの? みんな、大袈裟過ぎるわ」

「あのペンダントは非常に高価なものでございます。でも勿論、ルーン家の姫君には相応しいもの。公爵家の格を保つこともまた、ご領主さまの大事なお務め……故に殿さまはあのお品を姫さまにと選ばれたのだと存じます。そんなお品を、わたくしごときがもし、身に着けて人前に出るなどすれば、なんと思い上がった娘かとわたくしは見られますし、ひいては、そのような事をお許しになる姫さまをも軽んじる気持ちがひとに湧くかも知れません。殿さまはそういったご心配をなされたのではないでしょうか」

 リディアにとっては、女主人の名誉が一番大事ではあるが、それを言ってもユーリンダはまともに取り合わない。だったら、自分の不利益を出せば、彼女はきっと聞いてくれる。女主人の気性を知り尽くしたリディアはそこから攻めてみる事にした。はたして効果はあがり、

「まあ……あなたが思い上がっていると思われるなんて……ファルが『身の程がどうの』と言っていたけど、ひとはそんな風に思うのかしら? 私からの信頼の証と見てくれると私は思ったんだけど……」

 と、ようやく少し考え直そうという姿勢を見せた。

「もしお貸しなさるお相手が貴族の令嬢の御友人、という事ででもあれば、それは通ると思います。ですけれど、一般の民、姫さまを直に存じ上げない人間は、そもそも、ただの侍女を『姉妹同然』などと公爵家の姫君がお考えになるなど想像も出来ないものです。あるいは、わたくしが姫さまに取り入って他の者を蹴落とし、ご寵愛を得ている、と思うかも知れませんが」

「まあリディア……私、仕えてくれている侍女の事はみんな好きよ。ただ、あなたは子どもの頃から傍に居て、私の気持ちを何でも解ってくれる、特別な存在で……」

「ありがとうございます。でも、そんな事は人に言いまわったり、ペンダントを見せびらかしたりするような事ではありません。お気持ちだけでリディアには充分過ぎるものでございます」

「……わかったわ。あなたがそこまで言うのなら」

 遂にユーリンダは折れた。リディアはほっとし、

「ありがとうございます。出過ぎた口をききまして申し訳ありません」

 と答えた。


「なんだか眠気がとれちゃったわ……ねえ、眠くなるまでお話ししててくれない?」

 極上の絹の上掛けの下に潜り込んで眠る姿勢になりながらも、ユーリンダはそんな事を言ってきた。

「勿論、姫さまがお眠りになるまでここにおりますわ」

 リディアは心の中で苦笑しながら、ユーリンダの言う通りに枕もとに椅子を寄せて傍に座った。まるで子どものようで、これで年が明けたら人妻になるとはとても思えない。

 また一方で、リディア自身も同じ頃に結婚を控えた身でもある。地方都市の裕福な金貸しの後妻……もう侍女勤めをする必要は全くなく、普通の侍女であればこんな機会もなくなる筈であるのだが、ユーリンダのたっての頼みと、妻が次期聖炎の神子の側近であると益があると夫となる男に思わせる事、既に男には愛人がいて、リディアにはただ男子を産む事だけを求めている事……などから、結婚後も、少なくとも孕むまでは、月の半分以上は今まで通りにユーリンダの傍にいる事を認められていた。

「あした、お父さまに謝らなくちゃいけないわね……王都からお帰りの、久しぶりのみんなでの夜だったのに」

 ユーリンダはやっと自分の振る舞いを反省する心持ちになったようだった。

「そうでございますね……でもきっとすぐにお許し下さいますよ」

「ええ、そう思うけれど、なんだか今思えば、お顔の色も優れなくてお疲れのようだったのに、それでも色々楽しいお話をして下さっていたのに……私ったら自分の思い付きに夢中になってしまって……申し訳なかったわ」

「姫さまがそのお気持ちをそのまま仰ったら、殿さまはそれだけでお疲れも癒えられると思いますよ」

「だといいけれど。ああ、でもファルには謝ったりしないわ! だいたいファルの方がいきなり大声を出して途中で席を立って、不作法だったでしょ?! 私の考えが足りなかったにしたって、あんな言われ方はないわ」

「……若さまも、殿さまが帰られるまで代理でお忙しくて、お疲れだったのでしょう」

 リディアはなるべく淡々と、けれどユーリンダに対する優しさは込めて、答えた。

「いくら疲れていたって、あれはあんまりだわ」

 長じてからは殆ど見られなかった兄妹喧嘩。子どもの頃は、よく自分が仲裁に入っていたものだけど、とリディアは思う。仲の良いふたごだが、時には子どもらしい理由で揉める事もあった。ふたりの性格をよく知っていたリディアは、意地の張り合いから長引きそうな喧嘩を、仲直りさせる為に色々策を練ったものだった。だが、今日の喧嘩はそもそも自分が原因なのだし、もう長い間、ファルシスとは私的な会話はしていない……と思うとリディアは複雑な気持ちになる。

「でもまあいいわ、ファルの方からは謝らないだろうけれど、私、許してあげるわ。だって私とファルがいつまでも喧嘩してたら、アトラが困ると思うもの」

「そうでございますねえ」

 ユーリンダの許婚にしてファルシスの親友アトラウス。確かに板挟みになって困るだろう……子どもだったなら。

 今のアトラウスが、こんな下らない兄妹喧嘩の板挟みになって困っているところなど、リディアには全く想像できなかった。いつも冷静で周囲に配慮を怠らず、穏やかな貴公子……だが、恋の虜である女主人には決して言える事ではないけれど、リディアは近頃特に、アトラウスに対して苦手意識を持っていた。初めて会った子どもの頃はそうではなかったのに、あれは10歳くらいの頃だったか、周囲はあまり気づいた風でもなかったのに、彼女にはアトラウスの周囲に壁のようなものが出来てしまったのが感じられたのだ。いとこたちや伯父伯母へは入念に取り繕っていたものの、まだ所詮は子どもだったので、侍女にまで気を遣う事は出来なかったのかも知れない。今はもう、あの頃の冷たさは感じないものの、それがリディアにはかえって一種の恐怖に似たものを感じさせる。それが善いものなのか悪いものなのかまでは判断つけかねたが、とにかくアトラウスがいるとリディアは居心地の悪さを感じていた。

(いけないわ、こんな風に思っては。もしも姫さまに気づかれれば、きっと悲しまれる……)

 リディアはそう己に言い聞かせたが、一方ユーリンダはまったくそんな事に気づくことはなく、アトラウスの名前が出た事で更に眠気がとんだようであった。


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