第七話 覚悟
「はぁ。」
「何、溜息吐いてんの。」
午前中の講義が終わり、食堂へとやって来た俺。隣には大学で知り合った、友人の川崎健太がおり、俺の溜息を不思議そうな顔で見つめていた。
「何でもない。」
「そうか?
あ、そういえば、最近おまえ佐藤と仲いいよな。」
「ぶっ。」
飲んでいたコーヒーを勢い良く噴き出す俺。勿体無い!
「仲良くない、仲良くない。」
「そうか?」
そう言って、何事もなかったかのように、カレーライスを食べ始める健太。
(まずいな。)
噴き出したコーヒーを拭い、学食の中で一番安いうどんを食べながら、そのような事を考える。俺と佐藤は昨日知り合ったばかりだ。しかしそれを、たった一日で、周りの奴等が気づき始めている。
(健太は俺と仲がいいから、気づくのは当たり前としても、麻実ちゃんにも気づかれちゃったしなぁ。)
それもこれも、佐藤が目立ち過ぎる所為だ。こんな事では、すぐにでも高田さんの耳に入ってしまうだろう。どうしたものだろうか。
(これからは極力、人前で佐藤と関わるのは止めよう。)
一人そう決意し、残りのうどんを流し込むように食べた。
まぁ、問題は奴なんだけどな。
「近藤くん!」
そう呼ばれ振り返ると、高田さんが笑顔でこちらに駆け寄って来た。いつも下ろしているサラサラの長い髪の毛は、頭の高い位置で結えられている。紺色のジャージを着て、手にはテニスラケットを持っていた。おそらく、これからテニスサークルがあるのだろう。
「これから活動?」
「うん、そうなんだ。」
いつもと大分イメージが違っており、俺は少しドキドキする。可愛いな、おい。
「そうだ!近藤君、これから暇?何か予定ある?」
「え、いや、七時からバイト入ってるけど、それまでなら暇かな。」
今日は四限目の講義が休講だった為、まだ時間に余裕がある。現在の時刻は三時。俺のマンション、大学、バイト先、この三つは大分近い位置に立っており、移動時間もそんなに掛からない。あと三時間ちょっとは大丈夫であろう。
「じゃあ、これからテニスサークルに来ない?」
「へ?あ、いや、でも・・・」
「いいから、いいから。」
そう言って、俺の手を引っ張りながら、歩き出す高田さん。ちょっと待って、高田さん。周りからの視線が痛いんですけど。心なしか、殺気の混ざった熱烈な視線を感じるんですけども。
そんな視線に冷や汗を流しながら、俺は前を歩く高田さんを見て、こう思った。
高田さんて、案外強引なんですね。
高田さんに連れて来られた場所は、校舎から少し離れたテニスコートだった。きちんと整備されており、俺の想像以上に綺麗だった。今日はそんなに暑くもなく、きっと絶好のテニス日和なのだろう。
「あれ、マッチじゃん。どしたの。」
「あ、鈴木。」
コートの中でラリーをしていた同じ学科の鈴木が声を掛けてきた。マッチというのは、俺のあだ名で、こう呼んでくる奴は多い。近藤という苗字から、皆マッチと名付けたのであろう。安直な考えである。
「鈴木もテニスサークルに入ってたんだな。」
「おう。マッチは何、テニスサークルに入りたいの?」
「いや、俺は「私が連れて来たの。」
鈴木の問いに答えようとした俺を遮って、高田さんが俺に代わって答えた。高田さんはいつの間にか、上のジャージを脱いで、Tシャツ姿になっていた。その白くて細い腕に、ラケットを二本抱え込んでいる。
「今日は人も少ないし、別にいいでしょ?」
「まぁ、いいんじゃね。」
当事者の俺を差し置いて、何やら二人でどんどんと話が進んでいっている。何かもう俺、参加決定になっていませんか。何も言い出せない自分が悲しい。この草食系男子!
「近藤君、私の相手してくれない?」
「いやいやいや、ちょっと待って高田さん。俺、テニス経験あんまりないよ?高校の授業で、ちょこっとやった事あるくらいで。」
いきなり何を仰います、高田さん。週に三回、テニスサークルでテニスをしている高田さんからしてみれば、俺なんか蟻んこ同然。当然、話にもなりませんってば。
「いいの、いいの。私すっごく下手で、皆の相手にならないの。だから、初心者の近藤君くらいが、調度いいかなぁと思って。あ、ラケットは私の予備のやつ、貸してあげるから。」
「・・・さいですか。」
少し複雑な感じがしないでもないが、高田さんと仲良くなる為には、調度いい機会なのかもしれない。これを機会に、もう少し高田さんと仲良くなってみよう。
高田さんは笑顔で俺にラケットを渡すと、腕を回しながらコートの中へと入って行った。
「鈴木、部外者の俺が参加してもいいの?」
「まぁ、真面目な部活動な訳でもないし、全然構わんよ。皆、たびたび友達連れて来るしな。
ただ・・・」
「ただ?」
少しだけ神妙な顔をして、鈴木がこちらを見てくる。その哀れむような目に、俺はとても嫌な予感がした。
「高田が男を連れて来たとなれば、サークル内、いや大学内が大騒ぎになるだろうなぁと思って。
分かる?」
「・・・分かる。」
学科内で一番の美少女と謳われる高田さん。テニスサークルに入っている事により、他の学科とも繋がりを持っている。当然、他の学科でも綺麗だと有名なのだろう。もしかしたら、高田さんは学科内で一番ではなく、大学内で一番の美少女なのかもしれない。そんな高田さんが、サークルに男を連れて来た。しかも、今高田さんは彼氏がいない。連れて来た男は、高田さんの何?もしかして彼氏なのか?そのような噂が、大学中を飛び交うであろう。そして、いずれバレるであろうその噂の原因の俺は、またあの殺気の混ざった熱烈な視線を頂戴する事になる。
(俺、こんなに波乱の人生送るような、人間だったっけ?)
平凡な男だと思っていたのに、平凡からどんどんと遠ざかっているような気がする。これから起こり得るかもしれない想像に、勝手に冷や汗を流す俺。もう駄目だ、俺のキャパ超えてます。
「近藤くん、早くー!」
先にコートに入っていた高田さんが、待ちきれないかのように手を振って呼んでくる。
「大丈夫か?」
「・・・おう。」
心配そうに覗き込んでくる鈴木の気持ちをありがたく思いながら、俺は覚悟を決めた。ここまで来てしまったら、もう仕方がないだろう。行くしかないでしょう。その決意を胸に、俺はコートの中へと入って行った。
・・・なんて、少し大袈裟ですか、俺。