第五話 疑問
お金に釣られてしまった俺は、本当に最低ですよね?
何故俺が、こんなにもバイトをしているのかというと、答えは簡単。ただ単純に、金を貯めているからである。いくら、生活資金を稼がなければならないといっても、俺自身、学費と家賃は払っていない訳だから、ここまでバイトづけにならなくても、余裕で生活していけるであろう。俺が心配しているのは、大学卒業後のことである。あの母親のことだ。いつまた、あのマンションを追い出されるのか、分かったものではない。その時は、家賃も自分で払わなければならないし、引っ越しの費用だって、就職したてでは、ある筈がない。それに車だって、すごく欲しいし。とにかく金が必要なのである。
「あ、タクさん久しぶりぃ。」
「こんばんは。」
そんな俺はというと、居酒屋でアルバイトをしている。此処の居酒屋の制服は、黒のTシャツに黒のズボン。それに白い、腰に巻くエプロンをしている。それだけなら問題ないが、名札があだ名で書かれている為、妙に客に覚えられてしまうのだ。しかも俺は金を稼ぐ為に、皆より多くバイトに入っている。よって、常連客には完璧に名前(あだ名)を覚えられてしまっていた。
「タク君、注文いいかい?」
「あ、はい伺います。」
そんな風に、いつも通りバイトをしていると、なにやら入り口付近で、聞き覚えのある声が聞こ
えてきた。その声に、思わず振り返る。
「あ、高田さん。」
「近藤君!」
そこにいたのは、先程まで一緒に講義を受けていた、高田さんであった。高田さんの周りには、男女問わず多くの人が集まっていた。きっと、何かの飲み会なのであろう。
そんな中、彼女はその輪を抜けて、笑顔でこちらにやって来た。
「ビックリしたー!近藤君、ここでバイトしてたんだね。」
「うん。ていうか、俺もビックリした。何かの集まり?」
「そう、サークルのね。」
高田さんは、大学のテニスサークルに所属しており、今日一緒に講義を受けた時に、それを教えてもらったのだ。初心者でも大丈夫だからと、俺にもテニスサークルに入らないかと勧誘してきたが、生憎バイトがある為に、丁重にお断りした。運動するのは好きなんだけどね。中学、高校と、サッカー部に所属してたし。
「美香!席は、こっちだよー・・・って。」
「あ、愁子。」
愁子と呼ばれた女の子が、こちらにやって来て、俺と高田さんの顔を交互に見ながら、なにやら不思議そうな顔をしている。俺も誰だか分からなかったので、高田さんに聞いてみることにした。
「この子が、社会学科の河野愁子。ほら、同じテニスサークルのメンバーの。」
「こんばんはー。」
「あ、ども。」
この子が、河野愁子さんか。実は今日、高田さんと話をしていた中で、彼女の話が出てきたのである。
「で、彼はね・・・」
「あ、解った!君、近藤拓也君でしょ?」
高田さんが俺の名前を言う前に、河野さんが突然、両手をパンと合わせた。そして、ようやく思い出したかのように、俺の名前を続けたのだ。俺は思わず、目を瞬かせる。何故、俺の名前を知っているのだろうか。
「そうかー。君が、近藤君ねぇ。なるほど、カッコイイじゃん。」
「・・・?なんで、俺の名前知ってんの??」
「愁子っ!」
なにやらニヤニヤしながら、一人で納得している河野さんに、高田さんが咎める様に名前を呼んだ。あれ、なんだか俺だけ蚊帳の外じゃない?
一人でポカンとしていると、高田さんが慌てて話し出した。
「なんでもないの!なんか邪魔しちゃってゴメンね、近藤君。私達、もう行くから!ほらっ、愁子
行くよ!!」
「ちょ、美香ー?じゃあまたねー、近藤君。」
「あ・・・」
河野さんを引きずるようにして、高田さんは行ってしまった。そんな光景を見ながら、俺は手を上げたままの間抜けな姿で、固まっていた。
しかし「またねー」なんて、俺と河野さんの間に、そのような機会が今後あるのだろうか。
「こらぁ、タク。何サボってんだー?」
「あ、すんません。」
ボーっとしていた俺は、店長に軽く喝を入れられて、仕事に戻った。高田さんの焦り具合や、河野さんの意味深な言葉に、モヤモヤとしたものを感じながら。
この時に、俺は気づくべきだったんだ。この二人のやり取りの意味に。そうすれば、まだ引き返すことが出来たのに。ただ俺は、軽はずみで鈍感で、浅はかだったんだ。