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【超短編】勝手に人を物差しにしないでくださる?

作者: しらたま
掲載日:2026/09/16

「北方のシグリット嬢なら、こんな顔はしないだろうね」


 私、エルナ・グリーフェンスの婚約者であるギルベルト・ハルトマンがそう言ったのは、今夜だけで四百回目だ。


 いちいち数えているのか、と笑われるかもしれない。

 でも、殴られた回数を数えるのは殴られた側の癖なのだ。


——刺繍の糸を間違えれば、シグリット嬢は針を持たせれば右に出る者がいない。

——ドレス選びに半刻かければ、シグリット嬢は侍女に任せて一言も文句を言わない。

——黙っていれば、シグリット嬢のように穏やかならいいのに。

 

 優しく、控えめで、決して不満を言わない、北方の公爵令嬢らしい。


 それを五年もだ。会ったこともない令嬢の名前を出されては、私は比較され、下に見られてきた。

 

 そんな生活も嫌気が刺してきていた頃だった。


 ◇

 

 今年最後の夜会は数年ぶりに王都ではなく、北の地域で行われることとなった。理由は今年は雪が少ないから馬車も街道を通せるからだとか。

 

 賑やかな会場で貴族たちが踊って、飲んでを楽しんでいる間、ギルベルトは私の手を引いて広間の端まで歩いていた。


「エルナ、紹介しよう。君もずっと会いたがっていただろう」


 誰にも会いたがった覚えは一ミリもない。

 ただ、そこに立っていた人を見て、私の足は止まった。


 銀に近い金の髪を、飾りもつけずに束ねている。

 北方の毛織りの裾は重く、この広間の誰よりも質素だった。

 なのに、目が離せない。


 背筋が、誰よりも伸びていた。


 私は、この人のことを知っている、と思った。

 見たこともないはずだけれど。


「シグリット嬢。私の婚約者のエルナです」


 ギルベルトは、自分の持ち物をふたつ並べたみたいな顔をしていた。


 その人は私を見下すように見た。

 けれども、それからすぐにギルベルトを見て、心底わけがわからないという顔をした。


「知り合いのようにおっしゃっているところ、失礼ですが……」


 澄んだ、少し低い声だった。


「私、あなたにお会いしたことはございませんよね?」


 広間の音が、少しだけ遠くなった気がした。


「何を仰いますか。五年前の北方視察で、お茶をご一緒したではないですか。あの時から私は貴女様の立ち振る舞いに心を震わされ『理想の令嬢』として、うちのエルナにも貴女様の素晴らしさを毎日教えております」

「ああ、あれ」


 その人は指を三本立てた。


「確か、三回でしたわね。挨拶と、天候の話と、退出のご挨拶。全部合わせて二十語くらいかしら」

「ええ、そうです。ですが、その短いお言葉にも温かなお心が滲んでおりましたし、令嬢の鑑とも申すべきご所作に感銘を——」

「あなた、おバカですの?」


 言葉をまるごと切り落とすような言い方だった。


「バ、バカ……?」

「二十語くらいの会話で何が測れるというのよ。あの日、私、コルセットを締めすぎておりましたの」

「……は」

「背筋が伸びていたのは、丸めると苦しかったから。黙っていたのは、喋ると気分が悪くなりそうだったから。それだけですわ」

「そ、そんな。で、ですが、噂では、不満のひとつも言わない完璧なご令嬢だと……」


 シグリットは目を丸くした。


「不満? 毎日言っておりますけれど」

「毎日、ですか」

「父にも、執事にも、御者にも。今朝は馬車の座面が硬いと三度申しました」


 それから、その人の顔から表情が消えた。

 怒りとは、燃え上がるより先に静かになるんだと、私はこのとき初めて知った。


「——ギルベルト」

「な、なんでしょうか」

「その『理想の令嬢』とやらを、五年間、この方に向けて使われてきたと言いましたね?」

「理想と言うか、その、規範として」

「私の名前で?」

「え、ええ」


 その人は一歩だけ前に出た。


「私の名前で、五年間、この方を虐めていらしたというのね?」


 ギルベルトは何か言おうとして、失敗した。

 シグリットはようやく思い出したみたいに私に向き直って、きれいに礼をした。


「名乗りが遅れましたわ。シグリット・アウルバッハと申します」

「……アウルバッハ」

「ええ。北方辺境伯家の。見た目や立ち振る舞いだけで、公爵令嬢と呼ばれ続けて、訂正するのも面倒になっておりましたけれど」


 ギルベルトの顔から色が抜けていった。

 五年間、毎日みたいに口にしていた名前の家格すら、この人は知らなかったのだろう。


「そういえば」


 シグリットが、今思いついたという調子で言った。


「ハルトマン家から北街道の敷設許可の申請が来ておりましたわね。三度目でしたかしら」

「あ、あれは——」

「判を押すのは父ですけれど、書類を選り分けるのは私ですの。父は文字を読むのが嫌いなものですから」

「シグリット嬢、あれは領地の生命線で」

「存じております」


 シグリットは、手を静かに前で組んだ。


「ですから、よーく見て差し上げますわ。五年ぶん、じっくりと」


 ギルベルトが何か言いかけて、シグリットが首を傾げる。


「だから、勝手に人を物差しにしないでくださる?」


 その声は、広間の端から端まで通った。


「私、測られるのも、測らされるのも大嫌いですの」


 気がついたら、私は広間の外の回廊に立っていた。

 

 連れ出したのはシグリットで、私の手を引く力は驚くほど強かった。


「エルナ様、大変でしたね」

「は、はい」

「あなた、不満はおありですか?」


 夜風が、北方の毛織りの裾を揺らしている。

 私は五年ぶんの空気を吸い込んで、それから正直に言った。


「……そうですね。たっぷりと」

「正直でよろしい」


 シグリットが、初めて笑った。


「北は夜が長いですから。いくらでも聞いて差し上げますわ」

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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― 新着の感想 ―
まだ先のある一晩で400回…嫌過ぎるw そして20語話しただけの御令嬢を名前呼びとか、やばいですね。 シグリット・アウルバッハ様がなかなかに素敵で面白かったです♪
傍から見ると、ひっきりなしにブツブツと文句を言うだけのおかしな男でしかないなw
冒頭のセリフを一晩で400回も繰り返す婚約者と其れをカウントし続けた主人公…どちらも根性あるなと思ってしまいました。
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