あなたのそばでずっと
三月一日。
よく晴れた空が広がっていた。
今日は母校、柳ヶ浦高校の卒業式。
今、私は日本に居る。
そして、誠二くんの帰りを待っていた。
そうだ、まずはあの時のことを話さないとね。
お母さんが応援してくれると言ってくれた翌日、私はお父さんに日本に帰って誠二くんの近くで暮らしたい事を伝えた。
もちろん私は一人娘だったし、猛反対されたんだ。
お母さんは私の味方をしてくれて「めぐちゃんの好きなようにさせましょうよ」なんて言ってくれた。
理由は、やっぱり昔に自分が悲しい思いをしたことと、学校に通っていればもう卒業なんだから、親の都合には合わせないことだって。
その反面、しっかりと自立してやれということだった。自立の話しになって「音楽は辞めて働くのか?」と聞かれた。
そのつもりだし、そうするしかないと思ってた。でも働くことがどんなに大変なことなのかは想像も出来なかった。
ただ、やるしかない。誠二くんのそばに居れるなら。それだけだった。
そんな時、全く予想不可能なことが起きたんだ。そして、それを起こしたのはジャン。
お父さんには「考えが甘い!」と何度も言われ、「音楽を辞めることは許さない」とも言われた。
私も抵抗していた。「やってみなくちゃわからない!」それしか言えなかったけど。
そんな言い争いをしていた時、ジャンが現れた。そして、一つの封筒を渡されたんだ。
ジャンに一年契約でレッスンを打ち切ると言われて、私は愛想をつかされたとばかり思ってた。でもそれは、大きな間違いだったんだ。
ジャンがくれた封筒の中身は紹介状だった。日本のある交響楽団の理事へ宛てていた。
ジャンは「昔、個人的に貸しがあってね」と、意地悪そうに笑いながら話した。その楽団に入れるように手筈を整えているということだった。
「メグミは立派に成長したよ。きっとそこでもやっていけるだろう。遅くなったが僕からのクリスマスプレゼントだ」
ジャンからの最高のプレゼントだった。
結局、それが引き金となり三対一でお父さんが渋々折れた。
お父さんは「やはりこうなったか…」と、ため息を吐きながら呟いた。
そして渡されたものが一つ。見覚えがある鍵。日本で住んでいた家の鍵だ。
「このために残しておいたわけじゃないからな」と、恥ずかしそうに言ったお父さんが少しかわいかった。日本には何も残さないと聞いていたから少し驚いたけれど。
お母さんを見るとウインクでガッツポーズだ。今までの緊張感が幻のように消えてしまった。
ジャンはただ誠二くんのそばに居れるように紹介状を書いてくれたわけではなく、私の音楽活動のためにも精神的にそちらの方がいいと判断したからのようだ。私のさらなる飛躍のためにも。
ジャンには感謝の気持ちでいっぱいだった。
世の中には素敵な出会いがたくさんあるっていうことを身に染みて感じていた。
レッスンは予定通り三月までやる予定だったんだけど、私のわがままで卒業式までには帰りたいと話した。ジャンは笑ってその申し出を受け入れてくれた。
フランスを発つ数日前に誠二くんからの手紙が届いた。
就職が決まったと報告の手紙だった。私の街と反対側の街、黒岩町にある楽器店のスタッフらしい。
一応音楽関係の仕事だった。私のことを考えて……と、淡い期待をしていた。あとで聞くと、その通りだったことが誠二くんらしい。
フランスに名残惜しさを感じて空港に立つ。
出発前に誠二くんに渡せとお父さんから手紙を渡された。必ず渡せと念を押された。少しだけ内容が気になって怖かったな。
「お父さん、お母さん。恵はきっと立派な大人になってみせます。娘の最大のわがままを許してくれて、ありがとう」
二人とも優しい笑顔で返してくれた。
「ジャンには感謝してもし尽くせません。本当にお世話になりました。ジャンから教わったことは全て私の糧となりました。また、会いに来ます」
ジャンは以外と涙脆かった。泣きながら「メグミ~、メグミ~」と抱き締めてきたんだ。私も感極まって涙が溢れた。
出発の時間までフランスでの思い出を四人で話していた。次から次に話しが出て来て、話題は尽きることがなかった。
あっという間に出発の時間が来て搭乗口に向かう。
「辛くなったらいつでも帰ってらっしゃい」
その言葉がとても心強く感じた。私には二つの故郷が出来たんだ。
今、私は愛する人がいる一つの故郷へ向かおうとしている。
自分で幸せを掴み取るんだ。
そう心に強く思い、私はフランスを発った。
そして今。
一年前まで何度か通ったことのある道を歩いている。
誠二くんの通学路だ。
何も連絡はしてなかった。驚かせてあげようと思っていたから。きっとびっくりするんだろうな。
誠二くんが一人で帰って来るかわからない。卒業式だもん、寄り道だってしてくるかもしれない。でもなんとなくだけど、誠二くんはこの道を一人で真っすぐ帰って来る。そんな気がしていたんだ。
その時間に合わせて、まずは誠二くんの家に向かった。一歩一歩を懐かしく思って。日本の地を歩いていることを実感しながら。軒並み並ぶ瓦の屋根が日本を思わせる。
そして誠二くんの家を一目見て、そこから柳ヶ浦高校への道を歩き出した。
その間にも、この道で話したことなんかが頭の中に甦ってくる。少しずつ、制服を着て二人で並んで歩いていた頃の私に戻ってきていた。
そのまま少し歩いて、公園が目に止まった。
何度か誠二くんと寄り道したことがある公園。
何かに引き寄せられるかのように、自然に私の足はそこに向かって歩き出していた。
私たちはやっぱり繋がってるんだ。
そう…自惚れてしまいそうだったな…。
私はついにたどり着いた。
愛する人の元に。
時間を考えれば公園が唯一の寄り道だったんだろう。
卒業証書が入った筒を傍らに抱え、公園で青く澄んだ空を見上げる誠二くんがいた。
一瞬、頭の中が真っ白になってその場にぼーっと立ち尽くしていたんだ。
ずっと会いたかった。
そう思ったことはもう数え切れないほど。
私は笑っていた。
多分、笑っていたんだ。
「んーーーーーっ!!やるぞーーーーーーっ!!」
両手を大きく広げ、大空に向かって誠二くんが叫んだ。
それをどんな意味でやったのかは考えなくてもわかったんだ。あのビデオレターを見れば誠二くんの気持ちはわかるから。
「ふふふ……人が見てたらどうするの?」
自然に話すように言葉が出ていた。昔に戻ったように、自然に話していた。
誠二くんは不意にかかった声に驚いてこちらを見た。
そして、一年ぶりに二人の目が合ったんだ。
「あっ……」
「卒業、おめでとう。誠二くん」
…長かった。
「少し、痩せたんじゃない?」
やっと話せた。
「……会いたかったよ」
「めぐっ!!」
「えへへ…。ただいま」
誠二くんは目を丸くして驚いた顔をしたあと、荷物は全て投げ出してこちらに向かって駆け出していた。
誠二くんが駆け寄ってくる。だけど、その一瞬の時間がとても長く感じた。
今はもう、手を伸ばせば届く距離。
「めぐっ!本当にめぐなんだな!?」
「ひどいなぁ。もう私の顔忘れたの?」
誠二くんに抱き締められる。ずっと恋しかったこのぬくもり。
やっぱり暖かい。
「めぐだっ!間違いなくめぐだ!」
「あっ……。そうだよ、誠二くんの彼女だよ」
私の顔を確かめたあと、もう一度強く抱き締めた。
「めぐ…」
「誠二くん…」
そしてもう一度…。
「会いたかった。めぐを思わない日なんてなかった。何をするにしても、めぐが居ないと何か足りないんだ」
「うん…」
また会えた。
当たり前だった日常を何度も夢見てた。
「私も会いたかった。誠二くんと同じだよ。最初は何も出来なかった。誠二くんのことが浮かんで…。誠二くんがいないとダメだったの」
「オレ…不安だった。また会えるのか。本当に会えるのか」
「私も…!」
お互いに抱き締める力が強まる。
「めぐ、いつまでこっちに?」
…そっか。また行っちゃうって思ってるんだ。そんなに不安にならなくていいんだよ。
「えへへ…。私、誠二くんに何て言った?」
「え?何て?卒業おめでとう?」
「うーん……そのあと!」
「痩せ……ただいま?」
「そう、ただいま!帰って来たの!」
わかるかなぁ?
「え?……うん、帰って来たからここにいるんだよな?……え?」
「あははっ!わけわからないって顔してるね」
「え?…え?またフランスに戻るんだろ?」
誠二くんは…。
「……誠二くんは、行って欲しくない?」
「オレは……もうめぐと離れたくない。やっと会えたんだ。そばに居て欲しい」
……ふふ…。
「えへっ……じゃあそうする!」
「…………ふぇ?」
「私ね、頑張ってたつもりだよ。フルートの先生も優しくて、向こうに着いたばっかりの時もすごく親切にしてくれた。お父さんとお母さんも家に居る時間は長くて、今まで一人だった分まで十分に甘えられた。でも、でもね……私には誠二くんが居ないとダメだったの。だから、お父さんとお母さんに話して帰って来たんだ。だけどね、何となくこうなることはわかってたみたいなんだ。日本を離れる時、何も残してないように聞いてたんだけど、家は残してあったんだ。もし、私が帰って来た時のために」
「でも…めぐの将来が…」
「私はお父さんやお母さんのように有名になることは望んでないよ。それよりも誠二くんのそばに居たいんだ。ただ、楽団には所属するんだけどね。活動は国内だけらしいから長く家を空けることはないよ」
「じゃあ、音楽は…」
「続けて行くよ!日本で」
「よかったぁ。めぐから音楽取ったら天然しか残らないからな」
「ひどぉい!そんなことないもん!」
「ははっ、冗談だよ」
「もうっ。……ふふふっ、あははっ!」
また笑い合えた。戻って来たんだ。
誠二くんのところに。
「でもさ、よく許してくれたなぁ」
「実はね、お母さんが味方になってくれたんだ」
「え?そうなの?」
「昔、私たちと同じ経験をしていたみたいでね。私と誠二くんみたいな境遇で離れ離れになって、そのうち連絡も取れなくなって……。今はお父さんと出会って幸せになってるけど、その時はすごく後悔したんだって。今だから笑って話せるって話してくれたけど。だから…」
「そうだったんだ……」
「今までビックリさせたくて内緒にしてたんだ。ゴメンね?あっ、そうだ。これ、お父さんから誠二くんへの手紙」
「手紙?」
忘れないうちに渡しておかないとね。
「うん。まぁ、なんとなく中身は想像出来るけど…」
お父さんのことだからなぁ。きっと余計な事いろいろ書いてるんだろうな。
「あ、あとで読もうかな」
「うん、そうして。内容は気にしないでいいからね」
「あ、ああ。そう、オレさ、手紙にも書いたけど、めぐみたいに立派じゃないけど就職決まったんだ。それで、一生懸命頑張ってお金貯めてめぐに会いに行こうと思ってた。でも、その必要なくなっちゃったんだな」
「そんなことないよ。約束は…約束だよ?」
約束…か。
「自分に自信がついたらその時は……」
「うん…私、誠二くんのこと信じて待ってるから」
今までだってそう。誠二くんのことを信じてたからやってこれたんだ。
これからだって…。
「今まで寂しかった。せめて夢ででも会えないかなって思ってた。めぐとの約束があったから耐えられた。みんなにも助けてもらった。でも、もうこれからはめぐが居るんだよな?」
「そうだよ。私はもうどこにも行かないよ」
戻って来たんだ。私の居場所に。
「めぐ」
「ん?」
「おかえり」
誠二くん…。
「えへへ、ただいま」
もう離れない。
この笑顔から。
「ねぇ誠二くん。就職先ってさ、隣町の黒岩町なんだよね?」
「そうだけど?」
帰ることが決まって、誠二くんからの手紙で就職が決まったことを知った時から考えていたことがあった。
それも、一つの夢。
「じ、じゃあさ、私の家に来ない?」
「ん、まぁ、仕事の帰りには寄れると思うけど」
「ホント!?っじゃなくって、よ、よかったら一緒に住まないかなぁ、なんて。ほら、一人だと広すぎるし、誠二くんも仕事通えるよね?」
「えっ………ええぇぇ!?」
「そんなに驚かなくても…」
「だ、だってさ…。い、いいの?」
「そしてらずっと一緒に居られるよ!」
「ふっ、ふつつか者ですがよろしくお願いします!」
「あははっ!なにそれー。私の真似?」
「い、いやいや、だって。そんなの嬉し過ぎるよ!」
「今まで離れてた分まで、ずっと一緒に居よう?」
誠二くん…。
「めぐ…。オレたち、これからずっと一緒だよな?」
「うん!もうどこにも行かない!誠二くんのそばにいるよ!」
「オレも……もう二度と離さない!めぐ、大好きだ!」
「私も!誠二くん大好き!」
やっと会えた。
一度離れていたからこそわかる。
誠二くんという存在の大きさ。
今まで寂しかった分。
辛かった分。
会えて嬉しかった。
ただいま…。
誠二くん。
私のわがままでたくさん辛い思いをさせちゃったね。
これからケンカだってするかもしれない。
辛いこともあるかもしれない。
だけど。
会えない辛さに比べたら。
そばに居てくれる。
その幸せの方が大きい。
遠回りしちゃったね。
でも、これからは。
あなたのそばでずっと。
幸せを噛みしめ続けるから。
あなたに会えてよかった。
どうか。
幸せにしてね。
ううん。
二人で幸せになろうね。
誠二くん。
完
前作から読んで頂いた方も、今作から読んで頂いた方も、最後まで目を通していただきありがとうございました。
前作から読んで頂いてることを前提として書いていたために、やや不親切な部分があったことをここにお詫び申し上げます。
一応、柳ヶ浦高校の三年間の誠二とめぐの恋物語はここで幕を閉じることになります。
主人公を変えての同じ物語。あの時の誠二は、あの時のめぐは、読み比べて頂けるとより深い物語になるんじゃないかなって勝手に思い込んでます。すいません。
さて、三部作ということでしたが、次回は再び出会った誠二とめぐのその後を少しだけ書かせていただこうと思っております。
『あなたのそばでずっと』、『あなたのそばでずっと~reverse~』があってこその次の作品だと思いますので、どうぞ次回もよろしくお願いします。