一緒の生活
「う…う~ん……。ふわぁ~…」
もう朝か…。
朝日が眩しい…。太陽はここと日本でも変わらない。それだけでも誠二くんと同じ世界で生きていることを実感出来た。
「今日はあったかいなぁ」
日射しが当たる状態で外を眺めると気持ちよくなって、ついうとうとしてしまう。
「…すぅ…すぅ……っ!いけない…起きなきゃ……。でも…気持ちいい……すぅ…すぅ…」
(はははっ、めぐー!何してんだー?こっちだよー!)
(あっ!待ってよー、誠二くーん!)
(はははっ、ほらっ、手をかして)
「…え…えへへ…誠二くん……むにゃ…」
「恵ー!朝だぞー!」
びくっ!!
「…………」
お父さん…お父さんだな、私と誠二くんの戯れの邪魔をしたのは。
心地よい眠りを妨げられて一気に不機嫌になった私はリビングへ下りて行く。
「あっ、おはよう、恵」
「………ムスッ」
「どうした?やけに不機嫌じゃないか」
「お父さんのせいだからね!」
「なっ…!と、父さんが何をしたと言うんだい?」
「いい夢見てたのに……」
「なんだ、夢の話しか。父さんはてっきり恵の寝顔をこっそり見ていたことかと……」
え゛っ……。
「……気持ち悪い」
「ななっ!恵っ!父親に向かって気持ち悪いなんて…!」
「あなた!めぐちゃんだってもう大人なんだから。あなたが悪いわよ」
「むぅ……」
「べーーーーーっ!」
「めぐちゃんも、お父さんにもう少し優しくしましょうね」
「はーい…」
でもなんか不思議な感じだな。こうやって毎日のようにお父さんとお母さんと話すなんて。今までずっと一人が多かったから。
ピリリリリリ…!
「ん?ジャンからか」
ジャンがお父さんに電話?何だろう?
「……はい、わかりました。…いや、お気になさらずに、それじゃ」
「お父さん、何?」
「ああ、ジャンが今日急用が出来て来れないらしい。その連絡だよ」
「そうなんだ」
んー…今日はお休みか。何しよう。友達もいないし外もわからないし…。
「めぐちゃん、お母さんとお買い物にでも行きましょうか?」
「お母さんと………うん!」
「じゃあ私も一緒に行くかな」
「…………」
「…………」
「そ、そうだ!今日は用事があるんだった!いやぁ、たまには恵と買い物もいいと思ってたんだが残念だ!非常に残念だ!」
「…………」
「…………」
「うん、残念だ、全く残念だ……」
そう呟きながらリビングをあとにするお父さんの背中はとても寂しそうだった。
「めぐちゃん、誘って来てあげなさい」
「そうだね、ちょっとだけ可愛そうだね」
しょうがないなー。
ガチャッ。
「お父さん、今日の用事は大事な用事なの?」
「い、いや、それ程大事な用でもないが…」
「なら一緒にお買い物行こうよ」
「なっ……!」
何をそんなに驚いているのかな?お父さん。
「はっ……し、仕方ないなぁ。用事はまた今度でいいか」
「いいんだよ、別に。用事済ませても」
「い、いや。さぁ行こう!」
素直じゃないなぁ。…私もか。用事があるって聞いた時、少し残念だったもんね。
「準備するから少し待っててね」
「あ、ああ!待つぞ!父さんはいつまででも待ってるぞ!」
「……それ、変だよ?」
とにもかくにも外出の準備をして家の外に出た。
「うーん、いいお天気ねー!めぐちゃん」
「うん!気持ちいいー!」
「いやぁ、こんな日は体を動かしたくなるなぁ!」
「私、運動苦手…」
「さ、さぁ買い物だ!まずはどこに行くんだ?」
どこに……。どこに?
「めぐちゃん、ショッピングモールが少し歩いたところにあるからお洋服でも見ましょうか?お散歩がてらに歩きましょう」
「うん!」
そして歩いてそのショッピングモールに向かう。
えへへ…。お母さんとお買い物なんてどれくらいぶりだろ?やっぱりいいな、こういうの。
でも、隣が誠二くんだったら手を繋いで歩いて行くんだろうな。
「めぐちゃん」
「あっ…」
お母さんがバッグを持っていない左手を差し出した。
「えへへ…」
私は右手に持っていたバッグを左手に持ち替えてお母さんの手を握った。
「大きくなったわね、めぐちゃん。この間まで私を見上げてたくらいなのに。……ごめんね」
「お母さん……。私、立派になったでしょ?」
「ええ、そうね。うふふ」
お母さんはそう言ってにっこり笑った。
「あ~…ゴホンッ」
お父さんがわざとらしく後ろで咳払いをした。
「なに?お父さん」
「その…、バッグ重いだろ?持ってあげようか?」
「いいよ、別に。物はそんなに入ってないし」
「そ、そうか。でも家族なんだからー、遠慮はいらないんだぞ?」
バッグくらい自分で持てるよ…。
「コソコソ……めぐちゃん、お父さんも手を繋ぎたいのよ」
「コソコソ……えーっ、恥ずかしいよー」
お父さんは手荷物を持ってないから、確かにバッグをお父さんに渡せばそうすることも出来た。
「コソコソ……いいじゃないの。親孝行だと思って」
「コソコソ……お母さんがそう言うなら…」
えっとー……。
「お父さん、やっぱりバッグ持ってくれる?」
「おっ、おぉ!いいともいいとも!ほらほら、貸しなさい。
そしてー……。
「…………」
「…………」
「じ、じゃあ行こう!」
「えっ…!………しゅん………」
そんなあからさまに落ち込まないでも…。
お父さんはガックリ肩を落として負のオーラを漂わせていた。
「ほらっ!お父さん、行くよ?」
私は空いた左手を差し出した。
「お……おおぉ……」
お父さんは恐る恐る私の左手を握った。
「今、お父さんの夢が一つ叶ったよ」
そんな…手を繋いだくらいで。
……そうか。そういえばこんなことなかったのかな。私が覚えている限りでは。家族三人で手を繋いで街中を歩いたことなんて。
そうなんだ…。多分…私もそう。今までの空白の時間を埋め合わせようとしてるんだ。そう思ってしてるんじゃなくて、自然なことなんだ。
私も小さい時に思い描いてた絵。それがフランスの街角に描かれたんだ。そう、寂しかったのは私だけじゃないんだ。
「うふふ…ほら、二人とも行くわよ?」
「うん!」
そして三人で手を繋ぎ方を並べて歩いて行く。
・・・
・・・・・・
「ねぇ、お父さん、お母さん」
「ん?」
「何かおかしくない?」
「どうしたの?」
「だって……」
私はもうお母さんと身長変わらないし、周りから見れば大人が三人手を繋いで横に広がって歩いてるんだもん。
「私が小さい子供ならわかるんだけど……。両手握ってたら歩きにくいし」
絶対周りの人に迷惑だと思うな。よけて行ってくれてるし。
「ねぇ、みんなわざわざよけてるよ?迷惑じゃないかな?」
「じゃあ、こうすればいいのよ」
お母さんが前で、私が真ん中、お父さんが後で縦一列並び。
私は右手が前で左手が後。
「……いや、やめようよ」
「うふふ…大人になったわね、めぐちゃん。このまま何も言われなかったらどうしようかと思ってたわ」
…確信犯か。
「父さんはこのままでもいいぞぉ!」
「……三人だから邪魔になるんだよ。というわけで、お母さん、行こっ!」
二人なら邪魔にならないよね!
お父さんの手を離してお母さんと二人で歩いて行く。
「あうぅ…恵ぃ~」
お父さんが何か言ってたけど気にせずにショッピングモールに向かって歩いた。
お母さんと話しながらしばらく歩くときれいな大きい建物が見えてきた。
「あそこ?」
「そうよー。めぐちゃんに似合うお洋服があるといいわねー」
「お母さん選んでね!」
「そうね、久しぶりにめぐちゃんを仕立てるのも楽しみね」
それからその中に入った。フランス語は少しだけ話せるようになったけど、まだ文字が読めない。
「お母さん、まずどこから行くの?」
建物は六階建てで、一階が化粧品と子供服。二階がメンズフロア。三階と四階がレディースで五階が雑貨、六階がレストランになっていた。
「三階から行きましょうか」
「うん!」
「父さんは二階を少し見て回るよ」
そういえばお父さん居たんだっけ。
それからお母さんと三階のフロアへ。ショップの数はどれくらいだろう。二十くらいかな?
「めぐちゃん、そこに寄りましょう」
「うん!」
まず入ったのは全体的にかわいい感じの服がたくさん並んでるお店。
中に入るとすぐにスタッフの人が寄って来て話しかけて来たけど、何を言ってるのかわからなかった。お母さんが話して向こうに行ってしまったけど。
「お母さん、何て?」
「妹さんのをお探しですかって!めぐちゃん、お母さんそんなに若く見られちゃうのかしら?」
「あ……うん、若いと思うよ。それで?」
「ああ、見てるだけですって言ったのよ」
私が妹っていうことは否定しなかったんだね。
それからお母さんはにこにこしながら服を選んでいた。
「めぐちゃん、これなんかどうかしら?」
「うーん、ちょっと子供っぽいかな」
「えーっ、そう?このフリフリがかわいいのに」
そのフリフリが子供っぽいんだよ。なんかもっとこう、大人っぽいのがいいなぁ。
「お母さん、他のとこ見に行こうよ」
「ちょっと待って。あぁ、これなんかも…。試着してみない?」
「えーっ…」
またお母さんが手に取ったのは似たような服だし…。ピンクのワンピース。もちろん全体的にフリフリフリフリ…。
「いいからいいからぁ。ねっ、めぐちゃん」
「着るだけだよ?」
すごい期待の眼差しを向けられていたので着てみることに。
お母さんがスタッフの人に話して試着室に案内された。
・・・・・・
うわぁー…。
こんなの自分でも見た事ないや。あんまり可愛すぎるよ、これは。ホントに大人が着る服なの?
シャーッ。
「お母さん、着てみたけど…」
「きゃーっ!めぐちゃんかわいいわぁっ!お人形さんみたいよ!」
むっ…。
「それっ!そりあえずそれにしましょうよ!」
「ほ、本当に!?」
「お花の髪飾りも付けてぇ……」
「しょ、小学生じゃないんだから…」
「いいのっ!買いましょう!」
ま、まぁお母さんが喜んでるんならいいか。
お母さんが支払いを済ませて次の店に。今度はかっこいい大人の女の人が着るような服が並んでいた。
「私はこんなのがいいなぁ」
「まだめぐちゃんには早いんじゃない?」
「そっ、そんなことないよ!もう立派な大人だもん!」
このスラッとしたパンツに薄手のジャケット。そういえば誠二くんがこういう格好よくしてたなぁ。
……ん?またお母さんがスタッフの人と何か話してる。
「めぐちゃん」
「なに?」
「これなんかオススメらしいわよ?」
そうやって渡された服は黒で大きく胸元が開いている服だった。
「めぐちゃんは胸が大きいからすごくよく似合うらしいわよ」
「そうなんだ。でも、ちょっと大胆過ぎじゃないかな?」
「そう?堂々と着こなせがカッコいいわよー?」
カッコいい…。
「…着てみる」
にこっ。
私がそう言うとお母さんはにっこり笑った。
そして着替えると…。
「うん!よく似合う!」
「そ、そう?何か羽織ればいいかな…」
結局その服も買ってまた次の店に。それから行く店ごとに必ず一着は買ってた。
「お母さん、いいの?こんなに買って」
「いいのよ。今まで行けなかった分買い込みましょう」
今までの埋め合わせのつもり、なのかな?
「お母さん、私気にしてないよ?今まで寂しかった時もあったけど今は一緒に暮らしてるんだし」
「………ふふっ、そうね。ちょっと張り切り過ぎちゃったかしら。また来ましょうね」
「うん!…ところでお父さんは?」
「どこかで休んでるんじゃないかしら?私たちの買い物が長くなるってわかってるはずだからね。見に行ってみましょう」
とりあえずお父さんを探しにメンズフロアに下りた。
「いるかなー?」
しばらくそのフロアでお父さんを探してみる。
・・・
・・・・
・・・・・・
探してもいなかった。お母さんの言う通りどこかで休んでるのかな?
……あっ……。
これなんか誠二くんに似合いそう。
私はふと目についたジャケットの前で立ち止まった。
「お父さんには少し若過ぎじゃないかしら?」
私が眺めていたらお母さんがそう言ってきた。
「お父さんにじゃなくて…」
そこまで言って口を閉じた。
「……買う?」
お母さんが軽いため息をつきながら笑って言った。
「えっ……でも……」
「そのジャケット代はめぐちゃんが働いた時にちょうだいね」
「……うんっ!」
お母さん…。何でもお見通しなのかな。これを誠二くんにってこと。
「日本に送ることも出来るみたいよ?」
「…ううん。私が会った時に手渡すよ」
「クスッ。きっと喜んでくれるでしょうね」
「うん……」
いつ誠二くんに手渡せるかわからないジャケットが入った紙袋を持って少しだけぼーっとしていた。
このジャケットを着ている誠二くんを思い浮かべてたんだ。
「めぐちゃん、行きましょう?お父さんは階段のベンチにいるらしいわ」
「あっ、うん」
いつの間に連絡したか分からないほどぼーっとしてたんだ…。
こんな家族で過ごす時間も楽しい。今までなかったし、お母さん大好きだから。
でも…やっぱり一番隣に居て欲しいと思うのは誠二くんなんだ。
私はお父さんとお母さんに少し罪悪感を覚えて、お父さんの元に向かった。
「おっ、もう買い物は終わったのか?」
「まだまだよ。ねー、めぐちゃん」
えっ!まだ買うの!?行く先々で買って荷物も両手で持てないくらいなのに。
「はい、あなた」
「むっ……ハイ…」
お母さんが荷物を差し出すとお父さんが渋々それを手にした。
「めぐちゃんも、重いでしょ?」
「うーん…」
さ、さすがに二人分はきついんじゃないかな?
「恵のはいくらでも持ってあげるぞー。ほら、貸しなさい」
「う、うん」
私も荷物をお父さんに渡す。
「ほら、それも」
「…これはいいよ」
誠二くんに渡すジャケット以外を。
「遠慮なんかしなくていいんだぞ?」
「めぐちゃんがいいって言ってるじゃない。それよりお昼にしましょう」
お母さんが私にウインクしながら助け舟を出してくれた。本当にお母さんは私のことをわかってくれてるんだなって思った。
そして六階のレストランで食事を済ませた。お寿司を食べたんだ。握っているのは日本人だった。メニューは日本では見られないものもいくつかあったけど。
「この色も似合うかしら?うーん、ピンクとゴールドも…」
今度は一階の化粧品売り場。お母さんが私の化粧品を選んでる。
「今持ってるだけでいいよー」
「ダメよー。もっとちゃんとしたの持っておかないと。お化粧も上手になって、うーんと綺麗になって、椿くんをびっくりさせちゃいなさいよ」
…………。
「ど、どれがいいかな?」
「今、目についたのはねぇ……」
お母さんがいろいろ選んでくれた。私自身そんなに化粧が得意な方じゃなかったから助かったんだ。スタッフの人にも化粧の仕方を教わったり、こんな時はこんな色がいい、なんてアドバイスを受けた。もちろんお母さんの通訳ありだけどね。
・・・
・・・・・・
「勉強になったよ。お母さん」
「うんっ!」
いくつか化粧品を買い込んで化粧品売り場をあとにした。
また、お父さんが休んでいるという階段のベンチに向かう途中…。
「めぐちゃんが小さい時にねぇ、ここでお洋服を買ったことがあるの」
一階の子供服売り場を通り過ぎている時にお母さんが不意に話し出した。
「へぇ。じゃあ私、ここに来るの二回目なんだ?」
「そうね。覚えてないだろうけど。今ではもう一緒に化粧品まで見るようになったものね。早いわぁ。次は嫁入り道具かしらね?椿くんとの」
「そ、そんな……。気が早いよ……」
「あら、結婚する気満々なのね」
カアァァ…!
「も、もうっ!お母さんの意地悪っ!」
「あらあら、そんなに怒らなくてもいいじゃない。素敵な人だと思うわよ?……そうね……」
???
「お母さん?」
「ん?ああ、ごめんね。さ、お父さんが待ってるわ」
「あ、うん」
何だろう…。お母さんは少しだけ悲しそうな、遠くを見る表情をした。
それからはもうこれ以上荷物が増えたら持てないからと家に帰った。
帰り道には、お父さんが泣きそうなくらいにゼーゼー言いながら荷物を運んでた。
私は誠二くんに渡すはずのジャケットを大事に抱えて帰った。
「あ゛ーーーっ、父さんはもうダメだ。後は頼むよ」
家に着くなりお父さんは倒れ込んでしまったんだ。両手にたくさん荷物を抱え込んでたから無理もないかな。
「ありがとう。お父さん」
「め、恵…。お父さんをいたわる良い子に育って……」
目を潤ませて言ってたけど、ここまで荷物を運ばせたことは何とも思ってないのかな?
後は自分でやるからと、荷物を少しずつ部屋に持って行く。
「ふうっ」
結構大変だったー。お父さんはこんなのを一人で運んで来たんだ…。きつかっただろうな。
そうだなぁ…。
「お父さん、マッサージしてあげようか?」
少しでも疲れが取れるかなって思って。気持ちばかりの親孝行かな。
「いいのか?恵も疲れてるだろう?」
「いいからいいから」
まずは肩もみから始めて、腕や腰なんかもマッサージしてあげていく。
「恵、どうだ?ジャンとは」
「うん、いい先生だし、教えるのも上手だしうまくやれてるよ」
「そうか、よかった」
「楽団は?」
「近いうちに予定はないよ。まぁ、いつ予定が入るかわからないが。しばらくはゆっくり過ごせるだろう」
「そっか」
お父さんとこう話すこともあんまりないな…。
「……恵……まだ、怒ってるか?」
「え?」
「こっちに連れて来たことだよ」
…………。
「ううん。大丈夫」
「ふむ…。正直にいいんだぞ?」
「……怒ってる」
「むっ…そ、そうか…」
「…とは違うかな。確かに日本を離れたことは残念に思ってるよ。でも、お父さんとお母さんと暮らすことが出来てよかったとも思ってる」
本音…かな。でももし、日本に帰る事が出来るなら…私は……ううん、わからないや。
誠二くんに会いたい。だけど家族も大事。結局答えは出ないし、誠二くんを待つことしか出来ないんだ。
「うむ……」
お父さんは困ったような、それで少しだけ照れているような顔をしてた。
「それに、怒ってたらお父さんとしゃべってあげないんだから。マッサージだってしてないし」
「そうか…。そうだな」
そう言って微笑んだお父さんの横顔は、私が小さい時に私を抱きかかえてくれていた時の優しい顔だった。
それから、「ありがとう」とお父さんはソファに腰を落ち着かせた。
「たまには母さんとフルートアンサンブルでもしてみたらどうだ?」
私はその言葉にすぐさま夕飯の支度をしていたお母さんの元に急いだ。後で夕飯の支度を手伝うからと、半ば強引に二階の練習部屋に連れて行った。
「もうっ、困った子ねぇ」
そう言いながらも、どことなくうれしそうだったお母さんは、何をするの?と私を急かした。
何でもいいよと、私は適当に楽譜を取り出して目の前に広げた。
「なら、やりながら今日は私がレッスンしてあげるわ。どれだけ上達したか楽しみだわ」
口元を少しつり上げてニヤリと笑ったお母さんに少し寒気を感じて一気に緊張が高まった。ある意味コンクールのステージより緊張するシチュエーションだった。審査員はお母さん、なんて想像しただけで震えてしまいそう。
「や、優しくしてね?」
お母さんはニコッと微笑むだけだった。顔は笑っているものの私は変な汗をかいてきた。
とりあえず目の前に広げた楽譜の曲を演奏し終える。
「めぐちゃん。なーにー?楽譜通りにするだけじゃないの!もっとこの曲から感じられる作曲者の気持ちを表現しないとダメじゃない!それに指使いが遅い!」
ひっ、ひえぇぇぇ…。
「ブレスの取り方もおかしい!もう一度基本的なことから叩き込まないとダメみたいね。ジャンにも厳しく言っておかないと」
ジャン…ごめんなさい…。
いくつかの曲を演奏してその度にダメだしを受けてしまった。大好きなお母さんだけどちょっと堪えたな。
「そ、そろそろ夕飯の支度しないといけないんじゃない?」
「あら、もうそんな時間?仕方ないわね。また今度見てあげるわ」
も、もうしばらくは遠慮願います!
それからお母さんはまた人が変わったように優しくなて、一緒に夕飯の支度をしたんだ。
そして家族三人で食卓を囲む。
何気ない家族の食卓なんだけど、あまり記憶にない目の前の光景はフランスに来てから当たり前の光景になりつつあった。
違和感はない。周りから見ればれは幸せそうな家族に見えると思う。
当然、私は幸せだったんだろう。いつかこうなればと昔から望んでいたカタチだったから。ただ一つを除いて。
家族が一緒の生活。それが当たり前になって嬉しく感じるのと同時に、少しだけ怖くなった。
これから先、誠二くんとの約束を忘れていくんじゃないかって。
人生の目標、希望。いつか一緒になって二人で歩んで行きたい。そう心に強く誓った自分がすでに過去の自分になっている気がした。
今の居心地が悪くなかったから。