ジャン・ド・バルル
「さっそくだけど、何か聞かせてもらおうかな」
レッスンは二階の奥の部屋で行われる。ジャンはイスに逆に腰掛けて背もたれで頬杖をついていた。
「何かって…」
「何でもいい、メグミが好きな曲を吹いてごらん」
好きな曲か……。私のそれは誠二くんに最初に聞いてもらった曲。部室で聞かせて欲しいって言われて演奏した曲。
♪~~♪♪~♪♪~……。
私は言われた通りに好きな曲を演奏した。
誠二くん…。
「う~ん……悲しい音色だね。元々その曲は作曲者が恋人に贈った曲なんだよ。だからもっと明るく華やかなんだ」
わかってる。いつも通りに演奏したつもりなのに…。
「何か悲しいことがあったのかい?」
「……大切な人が…日本に居ます…」
「ボーイフレンドかい?」
「……そうです」
「…それは辛かっただろう。メグミの気持ちは音色に現れているよ。聞いてる僕も悲しくなってくる」
「…すみません…私、まだ…」
「気にしなくていい。誰にだって辛い時はある。…そうだな……メグミ、少しついて来てくれないかい?」
「え?」
「今日のレッスンはもうおしまいだ。これから課外授業にしよう。外に出る準備をしておくれよ」
「えっ……でも……」
「メグミが支度をする間にお父さんには話しておくから。準備が出来たら下りておいで」
そう言ってジャンは一階へと下りて行った。
何か強引だな。フランス人ってみんなこんな感じなのかな?
あんまり動きたくなかったけど、私は外に出る支度をして一階へと下りて行った。窓を開けるとまだ外は肌寒くて、コートを羽織ってちょうどいいくらいだった。
「おっ、メグミ。もう準備出来たのかい?じゃあさっそく出かけよう。なぁに、そう時間はとらせないよ」
もう話しはつけていたみたいで玄関先でお父さんに見送られた。
「いったいどこに?」
「着いてからのお楽しみだ。ここからだとそう遠くない。道中この街の街並みでも眺めているといい」
なんていうか…すごく大人な感じだった。もちろんジャンは大人なんだけど、全てをわかってるような…そんな雰囲気を醸し出していた。
「少しはこの街を歩いたかい?」
「近くのレストランに行ったくらいです」
目的の場所まで車で移動してる。その道中での会話だった。
「この街はいいところだよ。日本ももちろんいいところだったけど、僕はこの街が一番好きだ」
「はぁ……」
何が言いたいんだろ?
「メグミにもこの街を好きになって欲しいんだ」
好きにって…まだ来たばっかりだし言葉もわからないし。街並みはきれいだから好きだけど
、旅行とかじゃなくてここに住むんだから変な気分。
「今日はこの街の一部を紹介するよ。ほら、見えて来た」
「えっ?……うわぁ…!」
ジャンに連れられて向かっていた先はエッフェル塔だった。フランスの観光名所としてはあまりに有名な場所。
「こんなに近くにあったなんて」
「はははっ、どうだい?きれいだろう。ここからでも見えるけど中に入ってみるかい?」
「中に入れるんですか?」
「もちろん。展望台もあるし、レストランもあるんだよ」
「へーっ、そうなんだぁ。行きたいです!」
「よしっ!それじゃあ行ってみよう!」
それからまた車を走らせてエッフェル塔の前にやってきた。
「東京タワーみたい」
「そうだね。東京タワーの方が少し高いんだよ。それとエッフェル塔には正面がないんだ」
「どこから見ても同じってことですか?」
「そうだよ」
空に向かって高くそびえ立っているエッフェル塔の周りにはきれいな公園があった。
ジャンが二人分の入場チケットを買って中に入った。そしてエレベーターで展望台まで上がったんだ。階段でも途中まで行けるみたいだけど、上を見てその長さに止めちゃった。
「うわぁ……」
「すごいだろう?」
展望台から眺めるとこの街を一望出来た。下には先程通って来た公園が広がっていた。
「きれいに形取られてる」
「この辺一帯はエッフェル塔も含めて世界遺産なんだ」
どんなに高いところでも日本は見えないよね。ははっ、私ったら何を…。
それにしても…。
「でも、何か危ないですね」
展望台は外にむき出しで軽く身を乗り出すと落ちてしまいそうだった。
「…実はね、自殺の名所でもあるんだ」
「えっ……」
じ、自殺!?
「う、嘘ですよね?」
「事実だよ。悲しいけどね」
えーっ、聞きたくなかったな、そんな事。
「でも、ここが街のシンボルで多くの人が訪れる場所であることも間違いないよ」
それはそうだけど…。
「気を悪くさせてしまったかな。すまなかった」
私が顔を曇らせると、何を思ったかジャンは私に土下座して謝った。
「なっ、なななっ、頭を上げて下さい!周りの人も見てますから!」
「んっ?これが日本での謝り方と聞いていたが…」
「そんなのごく一部の本当に悪いと思った時とかお願いする時くらいです!」
「むっ……そうか。すまない」
もうっ。でも…。
「ぷっ…あははっ!ジャンったら何年日本に居たんですか!そんなに日本語上手なのに!…あはっ、おっかしー!」
久しぶりに声を上げて笑った気がした。最後に笑ったのは空港で誠二くんと話してた時だったのかな。
ジャンはきょとんとした表情で私を見ていた。
「……ふっ、いいね。メグミは笑顔の方がかわいらしい。日本ではいつもそんなに笑ってたのかい?」
「あっははっ……はぁっ…」
日本では…誠二くんが居て紗耶香ちゃんが居てみんなが居て…。
「はいっ!」
「ははっ!いい顔だっ!そうだ、カメラを持ってるから写真を撮ってあげよう。そのまま笑って」
写真か。誠二くんへの手紙に一緒に入れようかな。私もカメラ買わなきゃ。
「はい、いくよー」
パシャッ。
その写真がフランスに来て記念すべき最初の写真になった。
「何枚か撮ってしまおう」
そう言って次々に写真を撮っていくジャン。
パシャッ。パシャッ。パシャッ。
「うん、いいねー。その表情。じゃあ、次はそこに腰掛けて」
パシャッ。パシャッ。
えっとー、ジャン?
「そう、次は壁に寄り掛かって」
パシャッ。パシャッ。
あのー、ジャン?
「日が暮れてきたから夕陽をバックに」
「ジャン!何枚撮るんですか!」
「えっ、ああ、ははっ、すまない。最近写真が趣味でね。カメラもいつも持ち歩いてるんだ」
「もう疲れましたよー」
「そ、そうなのかい。じゃあ最後に一枚だけいいかい?」
「最後ですよ?」
パシャッ。
最後は夕陽をバックに撮った。逆光で見えないんじゃないかと言ったら、逆にそこがポイントなんだそうな。
「さ、帰りますよ」
撮影も終わったし、疲れたから帰るように急かす。
「わかった、わかったよ。帰るけどその前に一つそのかしこまった話し方はしなくていいよ」
「え?でも…」
「僕は気にしないし、普通に話してくれた方がいい。メグミは僕の生徒になるけど、同時に友達だ。メグミ、ようこそ。フランスへ」
ジャンは両手を広げてそう言った。
「……クスッ。よろしく、ジャン」
「ああ、こちらからもよろしく。メグミ」
ジャン…か。まだなんとなくだけどうまくやっていけそうな気がする。
そして、翌日からまたジャンのレッスンが始まった。吹奏楽部であんなにちやほやされてた私だけど、ジャンからすればまだまだみたいだった。
ジャンは優しくて怒る事はなく、丁寧なレッスンだった。
それから数日後。
「メグミ、写真が出来たんだか…」
「えっ!見たい見たい!」
「み、見るのかい?」
ジャンは何故か出し渋りしていた。誠二くんに手紙書いて写真送らなきゃ!
「もったいぶらないで、見せて?」
なんだろう?自分が撮った写真を見られるのが恥ずかしいのかな?
「メグミが見たいなら仕方ないな。ほら…」
そして私は渡された写真を見た。
「うわぁ。すごく綺麗に撮れてる!ジャンって写真撮るの上手なんだね!」
「うん、ま、まぁね」
たくさん撮ってもらったから全部見るのに時間がかかるな。あっ、これ夕陽をバックに撮ったやつだ。これは座って撮ったやつで…これは…。
次々に写真を見ていく。
「あれ?ジャン、一番最初に撮った写真は?こっちに来て初めて撮った写真だよ。記念だし、手紙と一緒に日本に送りたいんだ」
「あ、ああ、あれかい?あんまり写りが良くなかったんだよ。持ってはいるけど…」
「見せて?写りが悪くても記念の写真なんだし」
「や、やっぱりそうなるかい?じゃあ…」
そして懐から一枚の写真を取り出して私にくれた。
「ああ、そうそう、この写し……ひっ!!なっ!なななっ、何これ!?」
「うーん…まぁ、その…写っちゃってるね」
「ダッ、ダメダメダメダメ!捨ててっ!いらない!」
その写真には私の背後にいくつもの腕が写っていて、まるで手招きをしているようだった。俗に言う心霊写真というやつ。
「ははは…でも記念の写真なんだろう?」
「いっ、いいいっ、いらない!そんなの記念にしたくない!」
「そ、そこまで嫌がらないでもいいじゃないか。まぁ、確かに気味は悪いが」
「気味が悪いってもんじゃないよ!な、なに!?誘われてる!?私、あの世に誘われちゃってるよー!!」
「メ、メグミ!落ち着いて!」
「あーん!助けてよー!誠二くーん!」
「誠二くん!?メグミっ!僕はジャンだ!ほらっ!しっかり見て!」
「誠二くーーん!!」
「……まいったな…」
それからというもの、ジャンは私をなだめるのに必死だったらしい。当の本人はよく覚えてないんだけど。誠二くんの名前を呼びながら助けを求めていたらしい。
結局、その日のレッスンはそこで終わっちゃった。
「お、落ち着いたかい?」
「うん…グスッ…ごめんなさい…」
「いや、やっぱり見せるべきじゃなかったみたいだな」
「ううん…。まぁ、一つの記念になった…のかな…」
初撮りで心霊写真。……っていうかあの写真強烈だったなぁ。自殺する人多いって言ってたし…。
ぞわわわ…!
うぅぅ、寒気が…。
「誠二くんっていうのは日本にいるボーイフレンドかい?」
「えっ?あっ……そう…」
「どんな人なんだい?」
「誠二くん…。誠二くんは優しい人。私を救ってくれたヒーローなんだ」
「ヒーロー……日本で言うところのサムライなんだね」
「うん、ちょっと違うかな。日本に対してなんか偏った知識を持ってるよね、ジャンは」
「そ、そうかい?それじゃメグミに教わっていくとしよう。それで、その誠二くんは何から救ってくれたんだい?」
「……私、前いじめられてたんだ。だからあんまり人と関わりを持たないようにしてた。仲が良かった友達以外とは話さなかったんだ。いじめの原因がフルートだったから、目立たないようにもしてた」
「それで?」
「ある事件が起きて、その時に誠二くんが言ってくれたの。ありのままの自分でいろって、私を守るからって。それから私はだんだん素の自分でいれるようになってきて、同時に誠二くんにも惹かれていったんだ。………懐かしいな……」
そうだ、手紙…書かないとな。
「メグミは本当にその彼が好きだったんだね。今のメグミはすごく優しい顔をしている」
「えへっ、そうなんだ。誠二くんのこと大好きなんだ。だから……まだ辛い」
「……すまない。軽々しく聞くことじゃなかったかな」
「ううん、いいの。いつまでもこのままじゃダメだって分かってるから。また会う約束だってしたから、大丈夫。きっと…」
ね、誠二くん。
「そうか。きっと彼をそう思ってるだろう。メグミなら大丈夫だと」
「えっ……あっ……そっか!そうだよね!ありがとう、ジャン!」
誠二くんならきっとそう思ってくれてる。私、頑張るよ、大丈夫!だから、誠二くんも大丈夫、だよね!
「とんでもない。メグミをさっきみたいな安らかな表情にさせてくれる彼だ。きっと素晴らしい人物なんだろう。僕も会ってみたいよ」
「いつか……きっと紹介する」
二人の約束を果たす時には…きっと。
「楽しみにしておくよ。それじゃあ今日はこれで帰るとしよう。また明日に」
「うん。さようなら、ジャン。……あっ!写真もらってもいいの?」
「ああ、もちろん。また撮らせておくれよ」
「幽霊がいないような場所でね」
「はははっ……」
乾いた笑いを残してジャンは帰って行った。
ジャン…か。
私は彼に出会えてよかったと思う。まだ何もわかってはいないんだろうけど、なんとなく誠二くんに似てた。
優しいところや少しだけとぼけたところ。いつでも私の味方をしてくれそうで、そして守ってくれそうだった。
なんにせよ、ジャンとの出会いがこのフランスで過ごすことの不安を減らしてくれたんだ。
まだこの先、どんなことがこの地に待っているのかわからない。めまぐるしく動く日常か平穏な日々か。
全然予想は出来なかったけれど、私は前を見て進んで行こうと思った。もちろん誠二くんを忘れて…なんてことじゃない。誠二くんとの約束を胸に、その日を夢見て。
「めぐちゃーん!ご飯よー!」
「はーい!今行くー!」
少しでも強く生きて行こうと思った。いつかまた誠二くんに会った時に笑顔で会えるように。
「ねー、お母さん」
「なに?」
「私、カメラ欲しいんだ」
「カメラね。ジャンにいいお店紹介してもらいなさいな。それくらい買ってあげるから」
「やった!じゃあ明日ね!」
「えっ……もう、しょうがないわね」
こっちの思い出も全て誠二くんに伝えるんだ。






