別れの現実
「そうですか…。せめてこの学年まででも無理でしょうか?」
「そうですね。誠に勝手なことと承知しておりますが、こちらの都合がありますので」
「…わかりました。今日、生徒たちにお知らせするように致します」
「先生、よろしくお願いします。恵、私たちはこれで帰るからね」
「うん…」
今日は三学期の始業式。
そして、私がフランスに行くことをみんなに知らせる日。
結局、誠二くんには話してない。
朝からお父さんが先生に挨拶に来ていた。本田先生に詳細を話しに来たんだ。
「相田さん。朝のHRでいいかしら?」
「…はい」
「じゃあ、先生と一緒に教室に行きましょう」
そして教室に向かう。
もう私以外のクラスメートは教室にいるはずだ。
「私がみんなに話すから、相田さんはその後に挨拶してね」
「はい…」
「……相田さん」
「はい?」
廊下を歩きながら本田先生と話す。廊下はひんやりとしていて声が少し響いていた。
「最初はね、相田さんを見た時になんか暗い子だなって思ってたんだよね。大丈夫なのかな?って」
一年生の時から本田先生にはお世話になってたもんね。
「吹奏楽部に入ってフルートを吹いてた時も、上手だったんだけど何か作られた音を出してるなって…」
「…………」
「でも、ある時に変わったよね。確か最初のコンクールの前くらい」
誠二くんが私を変えてくれたから。
「正直に感動したわ。これが本当の相田さんなんだなって。その時くらいからよね。だんだん笑うようになってきて、明るくなって。今じゃみんなと笑い合って…」
本田先生…。
「一年生の時からあなたの成長を見てきたわ。素敵な出会いがあったものね。それに素敵な友達…」
「はい…。私、この高校に来て、本当によかったと思ってます」
「ありがとう。その言葉が私たち教師にとって最高の言葉なのよ。だからこそ…本当に残念だわ」
「私も…まだまだみんなと一緒に…」
誠二くんと一緒に居たかった…。
「相田さん…。……着いたわよ。いい?」
誠二くん、どんな顔するんだろう。怒るかな。…怒るよね…嫌われちゃうよね。私のわがままで今まで何も言わないで。嫌われても…あとできちんと謝ろう。
「相田さん?」
あっ…。
「は、はい。大丈夫です」
ガララ…!
「みんなー!明けましておめでとう!今年もよろしくね!」
私はまだ教室の外で待ってる。
先生ってすごいな。さっきまであんなにしんみりしてたのに、元気に挨拶出来て…。
「おめでたいとこなんだけど、みんなには…非常に残念なお知らせがあります。…相田さん」
行こう…。
ガララ…。
私は教室に入って教壇に立った。でも、誠二くんを見る事が出来なかった。
「残念だけど、この学年末で相田さんが学校を辞めることになりました。そしてご両親と共にフランスで音楽の勉強をすることになりました」
ついに…知られちゃったな。
「相田さん」
「あっ、はい。みんな突然でごめんなさい。今言われた通りに、学校を辞めてフランスに行くことになりました。この学年の最後まで居れるのかわからないけど、残り短い時間で少しでも多くの思い出を作りたいです」
誠二くん…どんな顔してるんだろう。怒ってるかな?睨んでるかな?…見れないな…。
あれ…紗耶香ちゃん?
何…見て……誠二くん…!
誠二くんは…泣いてた…。
クラスのみんながいろいろ声かけてくれてたけど、何も耳には入らなかった。
私…!
とんでもないことしてきちゃったんだ…!
自分のわがままで誠二くんを傷つけて…泣かせて…。
いっぱい……いっぱいいっぱい二人の先のこと話してくれてたのに…。
それなのに、私は自分だけ納得して、喜んで、無理矢理笑顔作って…。結局、普通にしていたいなんて…自分が普通じゃないんだから…。
私のバカ……バカ…バカ…!バカバカバカバカバカバカ!
逃げてただけじゃない…。
自分からも…誠二くんからも…。
…………。
それから放課後までクラスの友達からの質問責めにあってて誠二くんとは話せなかった。
誠二くんに嫌われてるかもしれない。恨んでるかもしれない。でも、謝るんだ、ちゃんと。
質問責めも終わった頃。
「めぐ」
誠二くん…。
「せ、誠二くん、ごめんな―――」
「帰ろう」
謝ろうとした私の言葉を首を横に振り、遮っての一言だった。
それから誠二くんの後をついて行くように学校を出て、少し広い空き地に入った。
謝るんだ…!
「誠二くん!ごめんなさ―――」
「ゴメンな」
今度は私が謝ろうとすると逆に誠二くんが謝ってきた。
「……え?」
突然のことに呆気にとられた。
「気付いてやれなくてゴメン。辛かったよな?オレが先の話しする度に、少しだけ悲しい顔してた。いくらでも気付けたはずなんだ。今まで一人で辛い思いさせてきたんだよな。ゴメンな」
あぁ…!誠二くん…!
ど…どれだけ…。
「誠二…くん…!…ど…どれだけ…やさ…しいの…」
私は誠二くんの胸に額を押しつけて泣きながら話した。
「ごめんなさい!本当にごめんなさい!私のわがままなの!」
「うん…」
聞いてくれる…。
「怖かったの。話しちゃったら今までの幸せが壊れちゃいそうで。誠二くんの普通の笑顔が見れなくなりそうで。心配させたくなかった…。普通にしていたかったの」
だけど…。
「だけどそのせいで誠二くんを…傷…つけて…。私のわがままなの!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさ――!」
「もういいから…」
誠二くんはそう言って優しく抱き締めてくれた。
「誠二…くん…!」
優しい誠二くん。あったかい。このぬくもり、離したくない。
「私、行きたくない。離れたくないよ」
「めぐ…フランスにはいつまで?」
「わからない……。一年や二年じゃない…多分もっと…」
「そう…か。でも、めぐの将来なんだから、大事にして欲しい……と思う…」
「私には…誠二くんが全てなの…。他の…何よりも」
「…………」
そう、私には誠二くんが全て。ただの高校生のママゴトなんて思われるかもしれないけど、私にとっての幸せのカタチは誠二くんがいないとそこにない。
「めぐ、両親はいつまで?」
「え……明後日にはまた飛ぶって言ってたけど…」
「なら、今から行こう!」
「……え?」
「話しに行くんだ!二人で!めぐの将来は大事だ。だけど…オレだってめぐと離れたくない!なんとかフランスに行かないでもいいように話してみよう!」
「で、でも…」
「やれることはやる!行こう!」
「あっ!」
誠二くんが私の手を引いてバス停に走り出した。
誠二くんなら…誠二くんなら何とかしてくれる気がする。確信はないけど、そんな気がしたんだ。だって、私のヒーローなんだから。
「あっ!バスが出る!」
大丈夫だよ。そのバスは行き先違うから。
「出るの待ってもらうから!めぐはあとから来て!」
「ちょっ!誠二くん!待って!」
「そのバス!待ったぁぁぁ!!」
あっ、あ~~…。
必死で走って行ってバスを止めちゃった。
「めぐ!何してるの!?早く!」
「誠二くん……行き先違う…」
「え?……あっ!」
運転手さんが鋭い目つきで誠二くんを睨む。
「す、すいませんでしたぁ!」
もうっ、私のヒーローは案外ドジなんだよね。
「うぅ~、めぐ~」
「私は待ってって言ったよ?」
誠二くんは半べそをかいて私を見ていた。
「……ぷっ……くくっ…」
「…ふふっ……ふふふふっ……」
「あっはははははっ!」
「あはははっ!誠二くんったらっ!おっかしー!」
こんなに…笑い合えるんだ…。何もかも、私が勝手に思い込んでしまってたことなんだ。
それからバスが来て二人で乗り込んだ。
誠二くんはバスの中で少し震えてた。話すって言っても何を話せばいいかなんて二人ともわからなかったんだ。
ただ、日本に居たい。それだけを伝えることしか思い浮かばなかった。
そして、私たちは家の前に立っていた。
「誠二くん、いい?」
「お、おぅ」
結局、良い言葉なんて浮かばなかった。自分のことなんだけど、ただただ誠二くんが頼りだった。
ガチャッ…。
「ただいまー」
誠二くんと一緒にリビングに。お父さんはいつもリビングにいるから。
「恵、おかえり。…ん?君は…確か椿くんだったかな」
いつも通りにリビングのソファーに座ってた。いつもそこでテレビを見てるか楽譜に目を通してる。
「はい!今日は、その、お話しがあってお伺いしました」
「ふむ…。まぁ、そこに掛けてくれ。母さん!コーヒーを淹れてくれ」
私たちはテーブルを挟んで向かい側に二人で座った。
「それで?」
「はい、あの、めぐの…いえ、恵さんのことなんですけど…」
「恵のことは普段通りに呼ぶといい」
「あ…はい。めぐは…必ずフランスに行かないといけないんですか?日本じゃダメなんですか?」
「向こうには優秀な先生がいるんだよ。そこで恵には頑張ってもらいたいんだ」
「でも、めぐ自身が望んでいません」
誠二くんはお父さんから目を反らすことなく話していた。
「……これは、言わないつもりだったんだが…」
え?なに?
「私たちは世界中を飛び回っていた。それがフランスで落ち着きそうなんだよ。恵には今まで寂しい思いをさせてきた。だからそばに置いておきたいと思っている」
「えっ、それじゃ…」
もしかして…。
「正直に言おう。フランスへ行けば、おそらくはもう日本には戻って来ない。うまくいけば向こうでずっと暮らすことになるだろう」
「なにそれ!私そんなの聞いてない!」
「話すつもりはなかったよ。それこそ、恵は絶対に行かないと言うだろうから」
「それは…ひどいんじゃないですか?黙って連れて行こうなんて」
「今まで寂しい思いをさせてきた分までかわいがってやりたいんだ」
「そんなの今さらだよ!今まで散々一人にしといて!」
「幼い恵を連れまわすのは辛いだろうからね。友達も出来なかっただろうし。それに向こうじゃ恵の将来も安心なんだよ。私たちの楽団に入れる」
「そんなの…私は望んでない!」
「なら、恵は私たち家族よりも椿くんの方が大事だと言うのかい?」
―――!
「そ、それは…」
家族…か。
寂しかった。いつでも一緒に居たいと思ってた。だけど…。
私がそこで口籠るとお父さんは誠二くんに話し出した。
「椿くん。音楽は私たちの仕事で、これは家族の問題なんだ。わかってはくれないだろうか?」
その言葉に誠二くんはうつむいてしまったんだ。
「もう…日本には二度と?」
「公演があるなら来るだろうね」
それだったら…。
「お父さん、日本で仕事は出来ないの?」
「計約があるんだ…大きいね」
「そう…なんだ…」
今まで以上にない契約なんだろうな…。
「コーヒーよ。お菓子もあるから」
そこでお母さんが来た。
「椿くん。私たちも好きでめぐちゃんを一人にしてたわけじゃないのよ。大事な一人娘なんだもの」
「…はい…」
「椿くんには感謝してるのよ。めぐちゃんは一時期塞ぎ込んでた。それを救ってくれたんでしょ?めぐちゃんに会った時はいつも話してくれてたわ」
「救ったなんて…」
「救ってくれたのよ…。でも…私たちもめぐちゃんが大事なのよ」
「…………」
「…………」
私も誠二くんも言葉が出て来なかった。
「せめて…」
「なんだい?」
誠二くん…?
「めぐが日本を離れるまで…会ってもいいですか?」
あっ……誠二くん…。
ううん、諦めたわけじゃないんだろうな。誠二くん優しいからきっと私たちの家族のことを考えて…。
「会うなとは言ってないよ。私たちは明後日にまた発つ。それからまた戻って来て一ヶ月の間に日本を離れる準備をする。そして三月半ば程に恵を連れて行く予定なんだ。それまでは自由にするといい」
「……はい……あの…今日は帰ります」
「えっ、あっ、誠二くん」
「送って行きなさい」
それから二人で外に出た。
外は私たちの心とは正反対に雲一つない青空だった。でも、風が強くて肌に突き刺さるような寒さだった。
「めぐ…ごめん。オレ何も言えなかった」
「誠二くん…」
「ゴメンね…」
「…謝らないで。…ありがとう」
誠二くんは頑張ってくれた。何とかしようとしてくれた。何も出来なかったのは私の方なんだよ…。
「めぐ……うっ…くっ………めぐぅ……」
「あっ……せ、誠二くん…ふぇ……うっ……グスンッ……誠二……くん…!」
私たちは周りの目も気にせずにその場に座り込んで、抱きしめ合って泣いた。
肌に突き刺さる寒さも忘れて、ただ目の前に別れの現実が立ちふさがっていた。
「めぐ…オレは…」
「いつも通りにしていて?」
「え?」
「いつも通りの声を聞かせて。いつも通りの笑顔を見せて」
何気ない日常が恋しいから。
「めぐがそう言うなら…」
「悲しい顔はしないで、笑顔でいたいの」
「……うん、わかった!…じゃあまた、学校でね」
「うん!またね!」
誠二くんは笑顔でそう言ってくれた。そしてバス停に向かって歩き出した。
「誠二くん!」
歩みを止めて不思議そうにこっちに振り向いた。
「私、あなたに出会えてよかった!誠二くんを好きになってよかった!」
「…オレも!めぐを好きになってよかった!」
「ふふっ…またね!誠二くん!大好きだよ!」
寂しい、悲しい。それは当たり前にある。私が日本に居るのもあと二ヶ月くらい。ずっと笑っていることなんて出来ないかもしれない。だけど、出来るだけ楽しく過ごしたい。
誠二くんとも、みんなとも。