転生悪役令嬢のクライマックス 具のないスープを添えて
「なにも言わなくていいの、わかってるわ、これがこのお話しのクライマックスだもの」
伯爵令嬢が、エメラルドのようなその瞳を潤ませて言う。
「婚約者様、どうか、妹と幸せになってくださいね」
妹と言われた令嬢は、姉であるはずの伯爵令嬢を見つめて「お姉さま」と呟く。
「きみは……」
伯爵令嬢の婚約者である青年も戸惑っていた。
「言わなくていいわ、あなたが私よりも妹を選ぶのもわかっていたことだもの」
婚約者と妹を戸惑わせ、伯爵令嬢は俯いてしまう。
「そうよ、知ってる、ここは『花星』の世界で、私はその悪役令嬢のジャスミンなんだもの」
婚約者と妹は、伯爵令嬢の言葉に顔を見合わせた。
「ジャスミン……」
「お姉さま……」
そこにいた誰もが嘆息したが、伯爵令嬢本人だけは気丈に顔を上げる。
「追放でも除籍でも、ご随意にどうぞ」
場は、静まり返った。
「……お姉さま……」
妹は姉を見つめる。
「……現実に戻ってきてくだいませ! いまお姉さまのウエディングドレスを選んでいるところでしょ! このモスグリーンのレースだけじゃ地味だからオレンジのオーガンジーを差し色で重ねてブーケに巻いたらどうかって聞いたのに、なぜ『花星』の『クライマックス』のことになるの!? もう! この……オトメゲームから離れてくださいませ! ねえ、ドレスのシルエットはふわっとしたのがお姉さまに似合うと思うのって、聞いてくださってる!?」
ここは伯爵家の居間であり、ジャスミンは伯爵令嬢で、そして、自称「転生者」であった。
目下、デザイナーや生地の商人、宝石商らが結婚式までの段取りを決めるべく集まって、この居間でわいわいやっているところである。
「バーベナ、きっとあなたに似合うわ」
「違うわよ! お姉さま! お姉さまのドレスよ!」
「そんな慰めはいらないわ」
姉のジャスミンと、妹のバーベナの会話を、ジャスミンの婚約者であるアルビレオは慣れたように眺めている。
「クセが強くて面倒くさくて人の話を聞かない娘ですまないね、アルビレオくん」
姉妹の父であるシダーウッド伯爵が困ったように娘の婚約者であるアルビレオに謝れば、アルビレオは表情を変えることもなく首を振った。
「ジャスミン嬢は面白いので飽きません」
「我が娘のことながら……婿殿が慣れてしまわれるのも困る……」
「お気になさらず、彼女が作る話は我がアロマ侯爵家が出資している劇場で話劇として出したところ大変に好評を博しております」
「そう言っていただけるのは幸いだが、しかし本当にあの娘でよいのだろうか?」
シダーウッド伯爵は遠い場所でも見るかのように視線を逸らしてアルビレオに訊ねる。
言外の「本当の本当に真実このあとも大丈夫か? 後悔しないか?」という意味で。
「ええ、大丈夫です。彼女が話してくれる『ニホン』という国のことも、観衆に十分に受け入れられています。私は行く行く、父から劇場の権利を引き継ぎたい。そのためにもきっとこれから彼女が話してくれるであろう『ニホン』の新しい設定を聞き逃すわけにはいかないのです。そしていつか劇場の脚本から小説にし、シリーズ化し、大衆小説として売りさばくのみならず、裏話的な数量限定本なども発行し、興行収入に印税を上積みしたいのです」
婚約者アルビレオは、設定オタクな野心家であった。
「お姉さまが作る設定はとても細やかで真実味がありますものね。わたくしも新しいお話が劇場で演じられるのが楽しみです」
バーベナが言えば、その言葉の何がジャスミンに届いたのかわからないが、ジャスミンがアルビレオとバーベナを見る。
「ねえバーベナ、この生活をバーベナが欲しい物語にするのは今日でもう終わりよ」
「はいはい、可愛い妹であるわたくしのために踏みにじられてきたお姉さまは、今日ぐらいちゃんとご自分のドレスのことを考えてくださいませ」
「……そうね、これが最後だもの」
姉ジャスミンの言葉が聞こえたかどうか、バーベナは籠一杯に作られた造花のジャスミンを手に掬った。
「お姉さまの明るいピンクブロンドをハーフアップにしてこのジャスミンを散らしたいの!」
ジャスミンの髪は、輝くような金色を帯びたピンクブロンドであった。
父親ひいては祖母譲りである。繰り返すが母譲りではなく父譲りである。
「きっとバーベナに似合うわ」
バーベナの髪は母譲りの若草色を帯びた亜麻色であった。
ジャスミンの言葉にバーベナは手に掬った造花のジャスミンたちを籠に戻して俯き、それから深く深く息を吐いて顔を上げる。
「わたくし好き勝手にするので、お姉さまは動かないでください! こんなこともあろうかと劇場の美容師から豪勢に見えるハーフアップを教わってまいりましたわ! ところでお姉さま、ニホンではどのような髪型が結婚式で喜ばれるのか教えてくださいませんか?」
「私のことは放っておいて」
「こっちの話を聞けやオネエサマァ!」
バーベナは思わずうっかり口汚くなった自分の口元を手で覆い「うふ」となかったことにした。
「お姉さまはニホンジンのヤマダハナコさんじゃなく、シダーウッド家の長女ジャスミン・シダーウッドでしょ? お姉さまの前世がヤマダハナコさんだとしても関係ないの、今はわたくしのお姉さまでしょ?」
「ヤマダハナコではないわ、ヤマダハナコ(仮)よ」
アルビレオは姉妹を横目に眺めつつ、自分の家から派遣された仕立て屋に上着の採寸をされている。
「それでお姉さま、わたくしとても疑問なのです」
バーベナはジャスミンを見上げた。
「どうしてゲームのシナリオ通りにならないのか、かしら?」
「違います! お姉さまはご自分を転生者でニホンジンのヤマダハナコ(仮)さんで、その『ゲームのシナリオ』のなかで妹であるバーベナ……わたくしが、お姉さまに嫌がらせをしてアルビレオ様と結婚して伯爵家を追い出されるのだと仰って、ご自分を『悪役令嬢』と設定しておられますよね?」
「……ジャスミンは『花星』の悪役令嬢なのよ」
「その『花星』とやら、お姉さまが悪役令嬢であるというのは釈然としません」
妹に言われてジャスミンことヤマダハナコ(仮)は狼狽える。
「お姉さまが『話が違うわ』と不安そうになさるから、妹として精一杯その『花星』のヒロインとして頑張ってみました。お姉さまとアルビレオ様のお茶タイムに横入りする、お姉さまを放置してアルビレオ様とお出掛けする、夜会でアルビレオ様に腕を搦めて歓談する……女学校ではオトモダチにお姉さまのダメなところの話をする……街中で第二王子を探す……」
バーベナは遠い目で過去を眺めた。
「結果、アルビレオ様とはとても仲良くなって、お姉さまの作るお話し『花の乙女と星語り』を舞台にすることができました……そしてアルビレオ様にお姉さまを売り込むことに成功……夜会では、続編の紹介で、アルビレオ様と共にお姉さまの想像力を皆様に語ることができました……女学校ではオトモダチに、お姉さまがいかに愛すべき浮世離れした天才かを語り……街中で出会ったお忍びの第二王子に『花星』をぜひ婚約者と見に来てくださいとチラシを手渡すことにも成功しました。あとはお姉さまとアルビレオ様の結婚式が成功するように仕立て上げるだけなのです……」
ジャスミンことヤマダハナコ(仮)は青ざめた。
「バーベナ……このゲームのクライマックスは私の結婚式を準備する段で、あなたがアルビレオ様と一緒にジャスミンに略奪愛を宣言することだって教えたでしょう!」
シダーウッド伯爵はジャスミンとバーベナを見つめ、それからもう一度アルビレオを振り返る。
「本当にあれでよろしいのですか? ジャスミンですよ?」
「楽しいので大丈夫ですよ」
アルビレオは寛容だった。
「ジャスミン嬢、『花星』ではその展開だったかもしれないけれど、僕らには自律的な意思があるからね、もう少し劇的なクライマックスにしようと思うのだがどうだろう?」
「そんな……! でも……アルビレオ様がそうしたいなら……」
ジャスミンのわざとらしいヒロインぶりを眺めてから、アルビレオは頷いた。
「では招待客はシダーウッド伯爵と当家の父が持つ人脈をフル活用して豪勢にしよう。その結婚式がクライマックスっていうことでどうだろう?」
「……まあ、それならそれできっと劇的なクライマックスよね……」
アルビレオも、シダーウッド伯爵もバーベナも頷いた。
別の用事で席を外していたシダーウッド伯爵夫人はちょうどその場面で広間の扉を開いてしまい、己が家族と、それに娘の婚約者を眺め、それから広間に入ることなく扉を閉めた。
「放置してよろしいのですか? 奥様」
「教育を間違えたのはわたくしの責任でしょう。ただここまで来てしまった以上、婚家には申し訳ないけれどナントカに付ける薬はないの。先方から返却されないことを祈るわ」
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一年後、ジャスミンとアルビレオの結婚式は恙なく終わり、ジャスミンは釈然としない様子で寝室のソファに座り込んでいた。
「ゲームのシナリオと全然違うエンドになっちゃったんだけど」
ジャスミンことヤマダハナコ(仮)が首を捻って憤慨している同じ時刻に、実家の邸ではバーベナが侍女と夜のオヤツを拡げていた。
「よかったですねバーベナ様、これからは『シナリオと違う!』と言われなくてすみますよ!」
侍女にそう言われてバーベナは苦笑する。
「あれはあれで女優になったようで面白かったわ」
「でもバーベナ様、ジャスミン様のせいでバーベナ様の悪名が広まったことについて、わたくしは腹立ちが収まりません」
「できるだけの努力はしたのよ、お姉さまからアルビレオ様とのティータイムに必ず同席するように言われたときは、アルビレオ様ではなくお姉さまを見てお姉さまの話に頷くようにしていたし、アルビレオ様とのお出掛けではお姉さまを婚約者に取られたくない妹として、アルビレオ様よりわたくしのほうがお姉さまの好みを知っているマウントを取り続けたし、女学校のオトモダチにはお姉さまのダメ可愛さを訴え続けたわ!」
「さようでございますね。その間、ジャスミン様はせっせとご自分の一人称小説を執筆しておられました」
バーベナの侍女は、そっと、ジャスミンが新居に持って行くことなく暖炉に入れた原稿をバーベナの前に出した。
「煤だらけね」
「はい、火の入っていない暖炉に置いて行かれましたので……」
「あら……焼き捨てるつもりだったのに、暖炉に火は入っていなかったのね……」
「転居もありましたし、なによりいまは、夏でございますからね……」
バーベナは原稿の一行目を目でなぞる。
「……『転生したら悪役令嬢だったので全力でヒロインを守ります』……これ……」
「あざと可愛い系ヒロインはバーベナ様です」
「……お姉さま……いえ、ヤマダハナコ(仮)さんはこんなものも書いていたのね……」
侍女の言う「あざと可愛い系ヒロイン」は、お姉さまが大好きなふりをして、お姉さまから色々な物を取り上げていく脇役だった。
「これ……」
「バーベナ様……」
「この妹を懲らしめたら勧善懲悪で評判になるのではないかしら!」
バーベナは完全に芝居脳になっていた。
「このお話しも、お姉さまの設定では『ニホン』から転生した……『OL』……? なにかしら『OL』って……」
「ジャスミン様にしかわからない言葉ではないかと思います」
「そうね、OL……お姉さま語の辞書に追加しないといけないわ。こういう用語はお芝居の間に注釈を入れるとか、もっとわかりやすい言葉にしないとダメだって劇団の団長が言っていたものね」
「ところでバーベナ様、この悪役令嬢は、妹の要望で妹に色々と嫌がらせをするのですね」
「そうね。だから、この『悪役令嬢』が妹に嫌がらせを強いられ、やらされているということを証明する仕掛けが必要だと思うけれど……お姉さまったら、途中で終わってしまって……」
侍女はバーベナを見つめる。
「あの、バーベナ様も、ジャスミン様からのお願いで、アルビレオ様の横にひっついたり、オトモダチにあることないこと言わされたりしていらしたではないですか……悪い評判があったらどうしましょう?」
侍女は心配するが、実のところ王都にバーベナの悪評など、ない。
もちろん、なにがしかの評判という点では、ある。
なにか。
曰く、姉のジャスミンは、妹のバーベナを自分の婚約者であるはずのアルビレオに侍らせて年頃の妹の評判を下げている。
曰く、姉のジャスミンは、妹のバーベナに自分が脚本を担当した舞台を売り込ませている。
曰く、姉のジャスミンは、妹のバーベナに卑しい客引きのようなことを市井でやらせている。
社交界では十分なゴシップだったし、社交界でその噂を補強したのは、誰あろう「ジャスミンに指図されて市井で第二王子を待ち伏せしたバーベナ」に誘われてしまった、当の第二王子ベテルギウスであった。
つまり悪評があるとするならばそれは、ジャスミンの悪評である。
そしてバーベナがシスコンであること、それがジャスミンを救っていることを侍女は知らない。
シダーウッド家の「悪役令嬢」にクライマックスは来なかった。
そしてジャスミンことヤマダハナコ(仮)は、その後もニホンから来る異世界人の話を書きながら、いまはアルビレオの不倫相手登場を待っている。
なおヤマダハナコ(仮)は、「(仮)」まで含んでいるため、ファンは「(仮)」まで含めて異世界風の名前によくあるものであると信じられているらしく、ジャスミンの後追いで異世界理不尽ファンタジーを書く若者が、自分のペンネームに意味も分からず、それがカッコと漢字であることも理解せずに、ひたすらマークとして「(仮)」を付ける流行も実は発生しているのだが、ジャスミンことヤマダハナコ(仮)はそれを知らない。
そしてそんなファンの動向を知らないままのジャスミンは、大きくため息をついた。
「アルビレオ様は最近ご執心のあの女を愛人にして、いつかわたくしを追い出すのでしょうね」
ジャスミン劇場は健在である。
アルビレオはそれもお芝居作り、と割り切っているところがある。
「あれは隣国から来たソプラニスタだよ。男なので愛人にはならないし正妻の座は狙わない」
「……あらそうなんだ……つまりBL展開。ところでアルビレオ様」
「結婚したのだから『アル』ぐらいにしないかい?」
「……アル様、侍女が」
「なにか不都合があったかな?」
「朝からとても豪勢なモーニングセットを持ってくるのですが、あれはなんですか?」
「モーニングセットだよ」
「こう、具のないスープとか、乾いてカチカチになったパンとか出てこないのですがなんの罠でしょうか?」
「具のないスープがいいならそうしよう。しかし、カチカチなパンのほうはかろうじて存在しているものが軍用の保存食なので毎日は食べないね。平時に入れ替えで食べるときは、砕いて砕いて砕いたものをスープに入れて、ついでに自分たちだけでは食べきれないから教会のバザーで無料飲食用に提供しているよね?」
「ああ……クルトン入りコーンスープかと思っていたけど、あれ、保存食のパンだったの……」
「うん」
「とりあえず……なんか野菜のクズやお肉の余りカスで作ったスープとか、堅くて噛めないパンみたいなモーニングが出てこないのだけど」
ジャスミンの発想を聞いてアルビレオは笑った。
「うちの売れっ子劇作家は言い回しが独特だねえ、あとで厨房に、野菜のクズと肉の余りカスや骨で作るスープを頼んでおくよ」
「やっぱり私なんかには野菜のクズで作ったスープがお似合いよね」
野菜のクズと肉の余りカスや骨で作る具のないスープ、アルビレオから厨房への伝達で作られることになるそれは、実のところとても手間のかかったコンソメスープなのだが、ジャスミンことヤマダハナコ(仮)はそれを知らない。
「その他に食事のリクエストはありますか、売れっ子劇作家殿」
「ないわ」
「そういえば、バーベナの婚約者は同じ伯爵家のご子息になったらしいよ」
「それは大変だわ! バーベナがそのご子息の幼馴染のお嬢さんとかにイジメられないようにしないと」
「なんだね、きみはタフだねえ」
バーベナは姉から解放され……ることなく、自ら姉のところに乗り込んできては、ジャスミンとアルビレオに次の舞台をどう宣伝するかの案を披露するので、最近ではむしろジャスミンがバーベナの婚期を気にしていたのだが、これでジャスミンの肩の荷は下りた。
ジャスミンの前にアルビレオが雇っているシェフが腕によりをかけた「コンソメスープ、砕いた堅パン添え」が出されるのは一週間後のことである。
琥珀を溶かしたかのように濃い黄金色のスープ。
砕かれた堅パンだけがアクセントとして散らされた高級そうで上品そうで上等なソレに、ジャスミンが「ソコハカトナイ コレジャナイ感」と呟いたのは厨房のメンバーには秘密にされた。
ジャスミンに、虐げられる明日は来ない。




