第33話:バルタザール伯爵(リオン王子視点)
イルミナが馬車に乗り込むと、直ぐに動き出す。
「わざわざ降りなくても、王家と平民がぶつかれば、避けない平民が悪いであろう」
悪態をつくリオン王子に対して、イルミナは何も言い返さなかった。
ただ静かに目を伏せ、頷いたとも捉えられる仕草を見せてから外に目を向ける。
「王都が苦しんでいるというのに、何だこの街は――」
「これが聖女、サリナ様のお力なのですね」
「そんな訳があるかッ……」
動く馬車の中、重たく言い放ったリオン王子が慌てて顔をそらした。
「すまない。君に怒っている訳じゃないんだ、許してくれイルミナ」
「えぇ、大丈夫です。私の方こそ申し訳ありません。私に力があれば、こんな事には」
「君は悪くないじゃないか、全部、あの女が悪いに決まっている。湖の浄化を阻害する様な小細工をしたに違いない、だから君が悔やむ事は何もない」
「リオン王子、あの湖は元々――」
「ほんと忌々しい女だ。これでは聖女でなく、魔女ではないか」
イルミナの言葉が届く事はなく、リオン王子は苛立ったまま外を眺める度に奥歯を噛みしめ、街とそこを歩く人に鋭い視線を向け眺め始める。
「伯爵ごときが王族に歯向かって、どうなるか思い知らせてやる」
「リオン王子、私たちはあくまでお願いしに来たのであって、バルタザール伯爵様に何かを強要しに来たのではないのでは……」
「それは伯爵次第だ。王都が衰退していっているというのに、聖女を渡さず、その存在を隠す様なら国家反逆として、その場で切り捨ててくれる。あの女は、その後にでも探して連れ帰れば良い」
「少し……強引ではありませんか」
「強引? どこがだ?」
「いえ……申し訳ありません」
イルミナがそれ以上聞き返す事はなく、暫く走った馬車が屋敷に到着する。
屋敷の前には、兵士だけでなく直ぐに扉を開けてメイドが一人外に出て来ていた。
「リオン殿下、本日はどの様なご用件でしょうか?」
丁寧にお辞儀をしてからメイドの女性が話し掛ける。
「直接話す、伯爵は何処に居る?」
「バルタザール様は執務室におります。直ぐにお会いになるとの事でしたら、お伝えに」
「言い訳は聞きたくない、今直ぐ案内しろ」
「ですが――」
「案内しろ。それとも、僕の言っている言葉が理解できないのか?」
言葉を遮って言い返して来るリオン王子に頭を下げて、メイドは屋敷の中へ入って行く。
「失礼いたしました。こちらへお願いいたします」
「最初からそうしろ」
その後にリオン王子が悪態をつきながら続いた。
*
屋敷の中にある書斎。
そこに、いつもの様に腰かけていたスミス伯爵だけでなく、リオン王子に加え、イルミナが同席する形で重苦しい空気に包まれていた。
客人である王子とイルミナに飲み物を出すなり、直ぐにメイドは部屋から出て行く。
「リオン王子。本日はどうされましたか?」
「貴様が王族からの命令を無視したからだ」
「と言いますと?」
心当たりがないとばかりに伯爵が首を傾げ、問い返す。
それだけでリオン王子は今にも怒鳴り出しそうだった。
「聖女の件だ、ふざけるのもいい加減にしろ」
「以前教会でご相談させていただいた、グール退治の件でしょうか? その為にイルミナ様とお越しになられたのでしたら大変申し訳ございませんが、既にグール退治は終えております。そして今現在は、街に流れる水に異変が生じた為、その対応にあたっている所でございます」
「異変? 何の話をしているッ、こちらが聞きたいのは聖女についてだ、サリナは何処に居るッ!」
「失礼ながらリオン王子は、聖女サリナ様との婚約を破棄して、そちらに居るイルミナ様とご結婚されたと聞き及んでおります。ご結婚の祝いに関しては、式に合わせて送らせていただこうと思っておりましたので、まだお渡し出来ていないのですが――」
「スミス・バルタザールッ! 貴様、王族を見くびるのも大概にしろッ。貴様の爵位など父上に言えば、直ぐにでもどうとでもなるのだぞ!」
立ち上がったリオン王子が伯爵に向かって怒鳴る。
それを横で見ていたイルミナが、そっと手を伸ばした。
「リオン王子、少し落ち着いて下さい。バルタザール伯爵も王族にたてつくだなんて、そんな事はお考えになっていない筈です。どうか、一度お座り下さい」
「あぁ、分かっている」
ソファに倒れるように座ったリオン王子が目の前に出されたティーカップを持ち、一口飲むやコップが割れないかと心配になる程音を立てながら受け皿に置いた。
その横でイルミナが静かに頭を下げると、伯爵もまた僅かに首を縦に動かす。
「バルタザール伯爵、私の方からもお聞きしますが、サリナ様は今どちらに?」
「イルミナ様。大変申し訳ないのですが、所在に関してはこちらも把握しておりません」
「この街に来た事は、間違いありませんか?」
少しの間を置いて伯爵が口を開いた。
「間違いありません。聖女サリナ様は、グール退治で困っているこの街に来ては、一瞬にしてグールを追い払って下さりました。けれどお礼をする間もなく姿を消し、街に滞在しているのかも、出ていかれたのかも分かっておりません」
「そうですか……」
「嘘を言うな! 貴様の様な奴が、あの女をそう簡単に手放す訳がない!」
「……なるほど。つまり、聖女サリナ様のお力が優れていると、リオン王子は認識されているのですね?」
咄嗟に何かを言い返そうとしたリオン王子が再び立ち上がるも、開きかけた口は閉ざされ奥歯を噛みしめたまま、見下ろす様にして伯爵を睨んでいた。
「イルミナ行くぞ、此処に居ても埒が明かない。バルタザール伯爵、覚悟しておけ」
そのまま部屋の入口に向かい、リオン王子が部屋を出て行く。
慌てて立ち上がったイルミナが伯爵と顔を合わせる。
「バルタザール伯爵、失礼します」
「いえ、いつでもお越しください。イルミナ様」
「ありがとうございます」
互いに深く頭を下げたイルミナが部屋から出て、リオン王子の後を追うのだった。




