人形は男と馬車で
がたり、がたごと、馬車に揺られて人形は何処かへと進んでいきます。
「僕はクレイ、お嬢さんはなんという名前なんだい? 」
暫く沈黙に座っていた所でした。
男──クレイから名前を尋ねられます。
記録の限り、人形は彼女に「アリス」と呼ばれていました。死んだ彼女の弟子の名前で、居なくなった彼女の娘の名前で、彼女本人の名前でもあります。彼女が使う名前は決まって全部「アリス」だったのです。
「私はアリスです」
人形ははっきりと答えました。
彼女の所有物であると、そう主張するように。
「アリスか、いい名前だね。不思議の国の主人公と同じ名前か…… それで、アリスはどうしてあんな時間に通りを歩いていたんだい?」
「あんな時間に通りに辿り着いたからです」
人形が淡々と言うと、男は何とも微妙な表情を浮かべます。
「えっと、答えたくないのならこれ以上は聞かないけど……」
「何を言っているのですか? 」
クレイの言動、戸惑い、躊躇、察せられる情報は自分の受け答えの不正解を示していました。何を失敗したのか、何が正解だったのか、人形は答えを求めて彼の表情を覗き込むようにして見つめます。
「え、えっと、あの…!? 」
返ってきたのは頬を赤く染め、慌てふためく反応でした。そうか、自分は人の顔を見てはいけないのか。人形は自己解釈を改めます。
「失礼しました」
視線を馬車の前方へ戻し、無表情を貼り付けたまま姿勢を正します。
「あ、いや不快だって事じゃないからね!? 君が美しいから…… 違う! えっとえっと…… 」
狼狽する男の様子に大した反応はせず、ただ真っ直ぐを見詰めます。従者と見える女性が馬を引く、その後ろ姿が硝子越しに写っていました。
白いレース、黒い生地、ヒラヒラのヘッドドレスは人形のいた彼女の家にて見覚えがありました。
「貴女には色々な体験をして欲しいのよ。何が幸せに繋がるかなんて、幸せを知らない私には分からないもの。だから何にでもなれるように、せめて服だけは用意しておいたの。ドレスに執事服にメイド服、こっちはエプロン、大工の服も、それにそれに…… 」
記憶に残る彼女は明るく楽しそうで、何処かの幸せな未来を思い描いているようでした。