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朽野乙女



 「はい、もしもし。乙女が電話なんて珍しいね」


 朽野(くちの)乙女(おとめ)。僕や大星と同じクラスの同級生の少女。昔は家が近所だったこともあり、僕と乙女は中々の腐れ縁だ。

 テスト前になると勉強を教えなさいと高圧的に頼んでくる可愛くない奴だが、わざわざ電話なんて珍しい。


 『……ね、ねぇ、朧』


 快活な美空ちゃんに負けず劣らずの元気っ子でクラスのムードメーカーでもある乙女にしては、本当に本人かと疑問に思うほど歯切れが悪く様子がおかしい。


 「どうしたんだ? もしかして、珍しく気合い入れてテスト勉強してたりする?」


 ちなみに僕は昔から乙女に勉強を教えてやってるが、いつも赤点ギリギリというか補習を受けることが多い。なんか僕と乙女には決定的に合わない所があるのだろう。大体乙女が勉強中に熟睡するのが悪い。


 なんて僕が茶化しても、乙女は弱々しい声で言った。


 『……今から、駅に来れる?』

 「月ノ宮駅?」

 『うん。三番ホームで待ってるから……』


 月ノ宮駅からは都心方面に直通する電車の始発駅だが、隣町の葉室(はむろ)市に行くなら自転車でも十分なくらいだ。大抵の用事なら月ノ宮や葉室で事足りるのに、わざわざ駅に、しかもホームに呼び出すなんてなんだろうと不思議に思いながら、僕は月ノ宮駅の改札を通った。



 帰宅ラッシュの時間帯ということもあり改札内は混雑する中、上り方面、都心へ直通する特急電車が発着する三番ホームに降りて、僕は乙女の姿を探した。


 すると、ホームに置かれた自販機の前に、黄色と黒のモンドリアン柄の半袖のパーカーにショートパンツ、そして紫色のセミロングヘアに黄色のヘアピンを着けた少女、朽野乙女が手提げ鞄を持って佇んでいた。


 いつもは煩わしいぐらい元気な奴なのだが、ホームから夕焼けの空を見上げる乙女の横顔は、普段の姿からは考えられない程に儚く感じられた。


 「こんなところで物憂げになっちゃって、ヒロインにでもなったつもりかい?」


 僕が声をかけると、乙女はこちらを向いて少しはにかんで口を開いた。


 「……喉渇いたから、何か奢ってよ」

 「いつから僕は君の財布になったっけ?」

 「フルーツジュースが良い」

 「人の話を聞かないねぇ君は」


 僕はすぐ側の自販機でお望みのフルーツジュースを二本買ってやり、一本を乙女にあげて自分も口にした。

 宇宙原産の果物が入っているという珍しいジュースは、いつ飲んでも甘ったるく感じる。


 「これから都心の方に出るの?」


 隣町の葉室市の中心駅までは快速で一駅、都心までは特急を使って一時間程だ。僕達も休日に都心まで出かけることもあるけど、こんな時間からだと帰りが遅くなってしまう。


 だが乙女は僕の問いに答えず、ちびちびとフルーツジュースを飲んでいた。喉が乾いていたと言う割には余計に喉が乾きそうなもの頼んでるなと思っていたが、乙女はペットボトルが空になっても口を開こうとしなかった。


 「そろそろ、わざわざ僕をここに呼び出した理由を教えてほしいところなんだけど?」


 長い付き合いになる乙女と二人で出かけることは珍しくない。まぁ大星と美空ちゃんのカップル、いや幼馴染コンビと違ってあまり休日には会わず、学校帰りに彼女のストレス発散としてゲーセンやボウリング、カラオケなんかに付き合わされるだけなんだけどね。でも、何かと一喜一憂する感情表現豊かな乙女を眺めるのも中々に楽しいものだ。


 ただ今の乙女の様子を見る限り、今日はそういう浮かれた用事ではないということに、僕は薄々と気づき始めていた。


 「ね、ねぇ朧……」


 ようやく乙女は口を開いたが、いつもの元気さは全く感じられず、手提げ鞄をギュッと握って、伏し目がちに言った。



 「私、転校するんだ」



 最初に僕を襲った感情は、素直な驚きだった。僕と乙女はもうかなり長い付き合いだが、いずれ離れ離れになるだろうとわかっていたし、その時は乙女みたいな奴が相手でも多少物悲しく感じるのだろうと予想していたが、その別れはあまりにも唐突だった。


 「……転校? 君が? いつ?」

 「私、もう月ノ宮を離れるの」

 「じゃあ、今日ってこと!?」

 「うん。体育祭まで、って決めてたから」


 そう言って乙女は僕に笑ってみせた。その無理やりな作り笑いは、ちと健気過ぎやしないか……。


 「もしかして……穂葉(おとは)さん、結構悪いのか?」


 穂葉さんは乙女の母親で、大病を患っているためずっと入院生活を送っている。病に負けず陽気な人だが最近は病状が優れず、都心の方の大きな病院に転院するかもという噂もあった。


 だが、乙女は黙って首を横に振る。


 「じゃあ、秀畝(しゅうほ)おじさんの仕事か?」


 秀畝おじさんは乙女の父親で、僕達が通う月ノ宮学園の世界史教師だ。教師の割には一人娘の乙女に甘々で、娘に良いように扱われている。最近は体調が優れないらしくもう一ヶ月ぐらい休職しているが、乙女は大丈夫だと伝えていた。


 だがまた乙女は首を横に振る。それもそうだ、教師も転勤はあるかもしれないがこんな時期にいきなり異動することなんてないだろう。


 じゃあ他にどんな要因が、と僕が戸惑っていると乙女が口を開く。


 「……私の父さんさ、月学で教師やる前に何をしてたか知ってるでしょ?」

 「古い方の研究所で働いてただろ?」


 現在、八年前のビッグバン事故で大爆発を起こした宇宙船の跡地には月ノ宮宇宙研究所が建っている。

 でもビッグバン事故が起きるまでは、海岸に着陸した宇宙船の隣に、旧月研と呼ばれる研究所があったのだ。


 乙女の父親である秀畝おじさんは元々その旧月研に研究員として勤めていたが、事故をきっかけに月ノ宮学園で教師として勤務するようになったのだ。


 それはずっと昔から家族ぐるみの付き合いをしていたから僕も知っていることだ。なぜ今更そんなことを、と不思議に思っていると……乙女は唇を噛み締め、そして体を震わせながら言った。



 「私の父さん……八年前の事故を起こした、犯人かもしれないんだ……」



 そう言って乙女が顔を上げる。

 堪えられなくなった感情が決壊し、溢れ出た涙が乙女の頬を伝い、そして彼女は僕の腕を掴み、胸の中に顔を埋めてきて……止められなくなった涙をボロボロと流していた。


 「朧と大星、それにスピカ(すーちゃん)ムギ(むーちゃん)の、大切な人を殺しちゃったのかもしれないの……!」


 数百人もの犠牲者が出たビッグバン事故。ネブラ人の宇宙船に搭載されたエンジン系統の故障による『事故』だと報じられ、僕達もそれを信じていた。勿論事件性を疑う声もあったが、この月ノ宮でそれを問題にしようとする人はいなかった。


 誰もが、地球人とネブラ人の共存を願っていたからだった。


 「私、皆と一緒にいたかったのに、皆の幸せを願っていたのに……もう、とっくに壊しちゃってたの」


 ホームを行き交う人達の奇異の目なんて気にしていられなかった。

 こんな弱々しい乙女の姿を見るのは初めてで、僕も動揺していた。こんな姿の乙女を見るのは心が痛む、いつもは、あんなに笑っているのに……。


 「乙女。秀畝おじさんは警察に?」


 すると乙女は僕の体から離れたが、なおも僕の腕から手を離さずに俯きながら言った。


 「わかんない……なんか、葉室警察署じゃなくて、都心の方に連れて行かれたの」

 「でも、まだおじさんが犯人だって決まったわけじゃないだろ? 乙女が気負うことじゃない」


 秀畝おじさんは事故の真相を知っているだけで犯人ではない可能性もある。あの善性の塊みたいな存在の人が、そんなことをするわけがない。


 「でも朧……父さん、警察に連れてかれる時に言ってたんだ。すまない、って……」


 ……それは娘に対して、迷惑をかけてすまない、という意味か? 


 それとも本当に秀畝おじさんはあの大爆発を引き起こした犯人なのか? 未だにネブラ人に対して嫌悪感を抱いている人もいて、ネブラ人が犯人ではないかという説もあったが……秀畝おじさんは地球人だ。


 秀畝おじさんが、どうして?

 信じたくない。信じたくないが、その可能性が頭をよぎる。


 「でも、だからって乙女が月ノ宮を出ていく必要はないだろ?」

 「丁度母さんの転院の予定もあったし、親戚が通ってる寮制の学校が向こうにあるから……」

 「月ノ宮だって寮があるじゃないか」

 「でも、朧達に悪いから」


 確かに、僕は八年前の事故で両親を失った。

 でもネブラ人を嫌っているわけじゃない。今更あの事故、いや事件の犯人が明らかになったところで……僕の生活は変わらないだろう。


 同じく両親を失った大星は、表立ってネブラ人を嫌ってはいないが、極力関わらないようにしている。その事情は乙女も知っていることだ。


 この月ノ宮には同じような境遇の人達がたくさんいる。秀畝おじさんのことが知れ渡ったら、乙女もきっと居心地が悪いに違いない……それでも、僕は乙女との別れを受け入れられなかった。


 しかし、無情にも乙女が旅立つ時が刻一刻と近づいてきていた。



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