貴方に会えるなら
私は一度だけ、ロケットの打ち上げを見学したことがある。
かつて日本で初めての人工衛星を打ち上げた施設から宇宙へ飛び立つロケットの打ち上げを、ほど近い見学場で眺めていた。専用のランチャーから地面を響かせるような轟音と共に空へ打ち上がり、一筋の軌跡を描きながら飛翔していくロケットの姿を見て、思いを馳せたものだ。
『いけええええええええええええええっ!』
彼は、ロケットの轟音に負けないほどの大声でそう叫んでいた。
どうしてか、自分があの打ち上げに関わったわけでもないのに、あの無機質な物体に自分の夢が載っているかのように人は勘違いしてしまう。しかし、その光景を見て興奮を覚える理由は、浪漫という言葉で十分かもしれない。
私の記憶に一番残っているのは、ずっと叫び続けている月野入夏の姿だった。
一九〇三年、人類が史上始めて飛行機を使って有人飛行に成功してから、およそ六十年。人類は宇宙へと到達し、それからたった八年後に月面着陸を果たした。飛行機が発明される六十年前は、日本がまだ江戸時代だったなんてとても信じられない。
それが、私がクリエイターとしての道を歩もうと思ったきっかけの一つだった。
私は理系科目が苦手だったから技術者としての道は全く考えなかったけれど、自分が作り上げたものが誰かに感動を与えることが出来たなら、それはきっと素晴らしいことだろうと信じていた。
やがて私は、自分が求める感動の形は、必ずしもハッピーエンドではないのだと気付かされた。よくゲームでも理不尽なバッドエンドを迎えることはあるけれど、それは現実も然り。ロケットの打ち上げでも、多くの人々の希望と期待を載せたロケットが、儚く散ることも少なくない。
しかし、そういった負の出来事でさえも、人の心を大きく揺さぶるものとなる。
次へ、また新しく挑戦するための糧となる。
かつて、彼と離れ離れになった時に、激しく揺れ動いた私の心。その時の感覚が、今も私に襲いかかっている。
全てが、ハッピーエンドで終わるわけではない。
かといって、必ずしもバッドエンドにしなければならない理由はない。
私は、この物語をバッドエンドで終わらせたくはない。
だけど、どうすれば…………。
月野入夏という存在が消えたまま、世界は二〇一六年を迎えた。
世間は新年の祝賀ムードに包まれる中、私に見える世界には未だ光が照らされることはなかった。
年末年始は面会時間も限られるため、私は別荘で過ごすことが多かった。自分の部屋に籠もってカーテンも締め切り、ベッドの上にうずくまって、ただただ時間が過ぎ去るのを待っていた。
一体、世界はいつ滅ぶのだろう?
ネブラ彗星が地球に来る気配はない。むしろ、段々と太陽系から離れていってしまっている。もしこの世界がバッドエンドを迎える運命にあるのならば、いつものループなら明日明後日には世界が滅んで、新しいループが始まっても不思議ではない。
密かにネブラ彗星を迎撃するための兵器を宇宙に飛ばして準備万端だったけれど、もしかしたらそれは杞憂に終わってしまうのだろうか。
もしネブラ彗星が世界を滅ぼしてくれないのなら、一体何が世界を終わらせてくれるのだろう?
お昼過ぎになって、私の別荘に客人がやって来た。ロザリアとメルシナの二人だ。これまでメルシナが訪ねてくることは珍しくなかったけれど、ロザリアが訪ねてくるなんて初めてのことだ。
メルシナは部屋に入ってくるや否や、ベッドの上でしゃがみ込む私の姿を見て慌てた様子で駆け寄ってきたけれど、ロザリアは溜息をつきながらテーブルの上にケーキが入っているであろう紙袋を載せた。
「ローラお姉様。ちゃんと食事はとられてますか?」
えぇ、と私は小さく頷いた。最後にいつご飯を食べたか覚えていないけれど、空腹感はないから問題ない。
「それより、新年の集まりはどうしたの?」
シャルロワ家は新年に親戚一同が集まる新年会があるはずだけれど、私は体調不良を理由に出席を断っていた。
すると腰掛け椅子に座ったロザリアが言う。
「あんな耄碌も、身内に廃人同然の奴がいるっていうのにパーティーを開くほどボケちゃいないわよ」
「……せっかくの楽しい集まりを、ごめんなさい」
「別に良いわよ。あんなパーティー、堅苦しすぎて吐き気がするぐらいだから、なくなってくれた方が嬉しいわ」
そうやって悪態をつくロザリアの姿はいつも通りだ。そう振る舞うことで、少しでも私の気を楽にさせようとしてくれているのかもしれない。
そしていつも私のことを慕ってくれているメルシナは、私の手をギュッと握りしめながら言った。
「ローラお姉様。ずっと部屋に閉じこもっていてはますます気を病んでしまうだけです。私達と一緒に出かけませんか?」
メルシナからの提案を受けて、半ば強制的に私は車へ乗せられ、そのまま葉室市へと向かった。
二人が私を月ノ宮海岸へ連れて行かなかったのは、あの場所で事故が起きたから気遣ってくれたのだろう。
車は葉室市郊外にあるテーマパーク、UniverseSpaceJapanに隣接するホテルへ到着し、最上階にあるラウンジを貸し切って食事を取ることとなった。とはいえ私はあまりお腹が空いていなかったから、テーブルには飲み物とメルシナが頼んだ軽食だけが届いていた。
「正直、私はアンタに好きな人が出来るだなんて思ってなかった」
ジャズが流れるラウンジの空気は未だ重苦しかったけれど、ロザリアが先に口を開いた。
「いつも孤高で、一人でも強く生きていける人間だと思っていたわ。そんなアンタがこんな状態になってしまったのは、好きな人を作ってしまったからなの? それとも、好きな人がいなくなってしまったから?」
私と彼は正式に付き合っているわけではなかったけれど、私が彼に思いを寄せていることは彼女達も知っていたはずだ。
「私は、決して強かったわけではないわ」
そう見えるように振る舞っていただけ。
原作のエレオノラ・シャルロワらしく、そう振る舞っていただけ。
いや……違う。
私が作り上げたエレオノラ・シャルロワという少女も、助けを求めていたんだ。だからこそ、明星一番と結ばれるわけで……私も彼女も、この立場に、境遇に人格を形成されただけだったんだ。
「ただ、私は……もう一度、彼と話したいだけ」
もしも、彼が目覚めたら、私は何と声をかけるだろう?
いや、むしろ……私は、彼の言葉を聞きたい。あの時、彼が私に何を伝えようとしてくれていたのかわかっているけれど、私は最後までそれを聞けていない。
だからもう一度、ちゃんと彼の口からその言葉を聞いて……私は、返事をしたかった。
「大丈夫ですよ、ローラお姉様。朧お兄様は、きっと目覚めますから……」
そんな何も根拠のない励ましの言葉なんていらない。
そう口にしてしまったら、きっとメルシナを困らせてしまうだろう。
「……ありがとう、メルシナ」
皆、薄々気づいているはずなのに。
もう、彼は目覚めないのだと。
ならば……もう、こんな世界に意味はない。
私はお手洗いへ行くと二人に伝え席を立ち、二人にバレないようにラウンジを出た。そしてエレベーターに乗ると、本来は行けないはずの屋上へと向かう。このホテルはシャルロワグループが建てたもので、本来は関係者しか入ることの出来ない屋上へ、指紋認証をパスすれば入ることが出来るのだ。
屋上に出ると、凍てつくような寒さが私を襲った。ビュウビュウと冷たい風が吹く屋上の柵にもたれかかり、私は夕暮れの空を見上げた。
あの時と同じ空が広がっている。やがて闇に染められる運命にある空に、果たして再び朝はやって来るのだろうか、再び光が差し込むことはあるのだろうか……。
そして私は顔を下げ、地面を視界に入れた。
そこに広がっているのは、新しい世界への入口だ。
私はまた、この世界をやり直す。
次は、もっと上手くいくはず。
次こそは、真エンディングに辿り着いてみせる。
次こそは。
次こそ、は……。
……私に、ハッピーエンドなんてあるのだろうか?
エレオノラ・シャルロワというキャラとしてハッピーエンドを迎えることは可能かもしれない。でも私は……いつまでも、彼の幻想に囚われてしまうだろう。
私は、ただ……ただ彼に、会いたいだけ。
もう終わりなんてなくても良いから、彼との青春を繰り返したいだけ。
私達に、ハッピーエンドなんてあるわけないんだから……。
「聞こえるか、俺の声が」
彼の声が聞こえる。
私の弱い心が生み出した幻聴に違いない。
「お前、またループを繰り返すつもりか」
彼は、私を止めに来たのだろうか。
「何の策も無しにループして、また同じ過ちを繰り返すつもりか?」
後は柵を乗り越えるだけなのに、彼の言葉が私を踏み留まらせた。
「まだ、終わりじゃない」
いいえ、もう終わり。
「終わらせようぜ、俺達の物語を」
……終わらせたくない。
私はずっと、一緒にいたい。
だから、この世界を繰り返すしかないの……。
「……って、俺の声、聞こえてるか? もしかして聞こえてない?」
いいえ、しっかりと聞こえてる。
「俺、せっかく来たのに無視されるのはちょっと辛いんだが」
幻聴なのに、そんなことを言うのも彼らしい。
「あ、もしかして怒ってるのか?」
そりゃあもう、大分。口もききたくないぐらい。
「いや、わかる。確かに俺も反省してる。でも俺の経験則からして、俺の身に何か起こるとしても、精々何の前触れもなく車が俺に突っ込んでくるぐらいだと思ってたんだ。でもまさか看板が落下してくるとは予測不可能だろ。車に轢かれた時より痛かったんだぞあれ」
何度も車に轢かれている彼が言うと説得力が違う。
にしても……よく喋る幻聴だ。
「なぁ、せめて相槌ぐらい打ってくれよ。いや、もしかしてマジで俺の声聞こえてないのか? これ俺が何を言っても許される感じ?
やーいバーカバーカ! アホンダラー! オタンコナスー! アンポンターン! 貧乳ー!」
その瞬間、私は声がする方を向いた。
するとそこには、烏夜朧が驚いた表情で佇んでいた。
「……お前、貧乳って言われたらキレるんだな」
そりゃバカだのアホンダラだの悪口を言われていたけど、貧乳だけ毛色が違うでしょ。別に気にしてないし。
それはおいといて……どうして、彼がここに?
「貴方、幻……?」
烏夜朧は今も葉室総合病院で目覚めないまま寝ているはず。なのに今、私の目の前にいる彼は、月学の制服姿で、何の怪我もなくピンピンした様子なのだ。
「確かめてみるか?」
すると彼はニッと微笑んで手を伸ばしてきた。
私が恐る恐る彼の手に触れようとすると──その手に、触れることが出来なかった。ただスッと通り抜けて、少しだけ冷気を感じただけだった。
「貴方は、何者……?」
幻かと思っていた。
しかし幻にしては、あまりにも自我を持っているように感じた。
そして彼は私に笑顔を向けた。
「お前が会いたいって願うもんだから、化けて出てきてやったんだよ」




