恋はエロだよ
この世界は、烏夜朧と朽野乙女が結ばれることを望んでいるのか?
それを確かめる術はない。あるとすれば、ネブラ彗星が地球に衝突し、この世界が滅亡するかどうかというだけだ。あるいは、当事者の誰かの存在が世界から消失してしまうか。
ひとまず、俺とローラ会長は少しの間、お互いの距離を取ることにした。第一、今はローラ会長も含めた第三部の面々を中心としたシナリオが大きく進む時期だ。今、俺とローラ会長が近づきすぎるのはまずい。
俺達のこの判断が吉と出れば良いのだが……。
「どうしてせっかく修学旅行が終わったばかりなのに、またテストがあるの……」
テーブルに広げたテキストの上に突っ伏しながら乙女が嘆く。修学旅行が終わって十日ほど経ったが、俺達はもう期末考査を控えている。その後に残っている今学期内の学校行事といえば、持久走大会や生徒会選挙ぐらいだが、乙女にとっては一番面倒くさい行事だろう。
すると、俺達の元へやって来た天野先生が項垂れる乙女の前にそっと温かいお茶を出していた。
「朽野さんは毎度赤点ギリギリらしいね。朽野先生からもよく聞いてるよ」
「僕が教えても全然ダメなんですよ。途中で寝ちゃうんで」
「だって何言ってるか全然わかんないんだもん……」
「だからこの問題は、まずスマホを冷蔵庫の中に忘れてしまった主人公の心情を理解して……」
俺と乙女は、校舎の隅っこにある天野先生のオフィスを訪れて、その一角にてテスト勉強していた。俺も乙女もすっかり天野先生のオフィスに入り浸るようになっているが、今やこの場所は他の生徒達にとっても憩いの場になっているようだ。
天野先生もそんな俺達を快く受け入れてくれてこうしてお茶も出してくれるぐらいだ。そして懐かしむように先生は言う。
「懐かしいね、テスト勉強なんて。昔は皆で集まってよく勉強会をやっていたけれど、大学に入るとそういうのもなくなっちゃったからね。レポートを提出した後に集まって酒を飲んでたぐらいかな」
「コガネさん達とよく集まってたんですか?」
「そうだね。まぁ勉強会という体裁で集まるけど、皆で集まっちゃうとテスト勉強どころじゃなくなるぐらい騒いでいたなぁ」
天野先生も今でこそこれだけ落ち着いた大人になってしまったが、月学にいた頃はというか初代ネブスペの主人公だった頃は変人側だったし、珍しく彼が真面目にやろうとしても、爆発こそ芸術だと叫ぶ狂った芸術家気取りが爆発オチへ導いてしまうのである。あの面子で同窓会なんて開いたら絶対収拾つかないだろう。
「あ、そうだ朧。今度のテストも赤点回避したら、何かご褒美ちょうだい」
「僕としては赤点を回避するのが当たり前になってほしいけどね。まぁ良いよ、何がお望みだい?」
「僕は有給が欲しいかなぁ」
「先生は黙っててください」
実際、この間の中間考査でもご褒美を設定することで、乙女は頑張って赤点を回避することが出来たのだ。そして俺と乙女は遊園地にデートへ行き、そこで……いや、今は変なことを考えるのはよそう。
乙女は天井を見上げながらご褒美の内容を悩んでいるようだったが、急に恥ずかしそうに赤面すると、彼女は小さな声で言った。
「じゃ、じゃあさ、クリスマスの日に一緒に出かけるとかどう?」
乙女からそんな提案が来ることは想定内だった。
その日は必ず、イベントが起きるものだと考えていたからだ。
「わかった。じゃあその日は、君のために予定を空けておくよ」
幸い、今はまだそこの予定はない。シャルロワ家主催のクリスマスパーティーが開かれるのはその前日のはず。まぁ、そこに俺が呼ばれるかはわからないが……。
おそらく、そこが大きな節目となるだろう。俺とて何もわかっていないわけではない。今の乙女の表情を見るに、彼女も相当の覚悟を持って俺を誘ってきた。
だが、嫌なタイミングだった。
十二月二十五日は、烏夜朧の誕生日である。しかしネブスペ2原作で烏夜朧は、その誕生日を迎えることが出来ないまま、その前日に死んでしまうのである。トゥルーエンドではその死の運命から逃れることは出来るが、そんな一筋縄で乗り越えられるとは思えない。
クリスマスまであと一月程。その間に、俺は覚悟を決めることが出来るだろうか……。
「ねぇ、烏夜君」
テスト勉強を終えた俺と乙女は天野先生に別れを告げて帰ろうとしたのだが、天野先生は俺だけ呼び止めて、オフィスで二人きりになった。
「君は、まだ何か悩んでいるみたいだね?」
天野先生にはそう見えたのだろうか。乙女からのお誘いを受諾した俺の表情を見て、一瞬の迷いに気づいたのかもしれない。
「生徒のプライベートにあまり口出しなんてしたくないけれど、教育者としてではなく、かつて君と同じように恋多き学生時代を送った僕からのアドバイスだよ。
全員が全員、幸せになることなんてないんだよ」
今の俺と少し状況は異なるが、初代ネブスペの主人公だった天野先生も、烏夜朧以上にお調子者だった彼も、自分の心の中で生き続けている幼馴染の幻想に苛まれていたのだ。
「僕は身の回りにいるたくさんの素晴らしい人達の中から一人を選ばないといけなかった。僕がその中からブルーを選んだのは、誰かがそう願ったわけでもなく、誰かに指図されたからでもなく、紛れなく僕の確固たる意思に基づいた選択だったんだよ」
初代ネブスペをプレイした紳士達の選択によってエンディングを左右されていた主人公がそんなことを言っているだなんて不思議な気分だ。
「先生がブルーさんを選んだのは、どうしてだったんですか?」
俺は初代ネブスペもプレイしたからなんとなくわかっていたが、一応本人に直接聞いてみる。
すると天野先生は俺にグッとサムズアップしながらとびきりの笑顔を向けた。
「そりゃ勿論、ブルーが一番エロいと思ったからだよ!!!!」
まぁ、コイツはこんなこと言うだろうなと思っていた。
やっぱり素はあの頃の天野太陽のままなんだなと安心する。
「僕は気づいたんだ……エロってものはおっぱいやお尻の大きさだけじゃないってことを! 僕は子どもの頃から夏の月ノ宮海岸であらゆる種類の美女を眺めてじっくりと堪能して、巨乳や巨尻サイコーだなんて考えていた。
でも違う。エロは視覚だけで捉えるんじゃなくて、五感すべてで味わうものなんだ」
「あの、天野先生」
「考えてもみるんだ。エロってものはどんなシチュエーションで良いってわけでもない。勿論そういう趣味の個人差はあるかもしれないけれど、その時その場の一瞬だけじゃなくて、それに至ったバックグラウンドも重要で……」
「先生、もう大丈夫です」
誰だよコイツを教育者として月学に招聘した奴は。何か犯罪をしでかしそうとまでは思わないが、多分青少年の育成にはよろしくないと思う。でも俺は個人的にこの人とエロゲについて一晩語り明かしたい。
「まぁ要はね、自分の本能に従えば良いと思うよ。ま、それは常識の範囲内での話だけど」
あんな話をしていた人間が常識を語るんじゃない。
「でも君は、中々大変な立場にあるみたいだね。確かあのシャルロワ家のご令嬢にも好かれてるんだろう? 彼女も普段は気丈に振る舞っているけれど、多分あまり根は強くないんだろうね。環境が彼女をそうさせたというだけで、多分あんな環境は望んでいないだろうから。
ちなみに今の烏夜君としては、どっちの方がエロいと思う?」
「僕の中で答えが出ていたとしても、先生に言うつもりはありませんね」
「そうか……残念だ……」
いやそんな、床に膝を突くぐらい落ち込まなくても。だが天野先生はすぐにスクッと立ち上がって言う。
「そうだ、烏夜君は今日この後、何か予定ある?」
「何もないですけど、まさか生徒をホテルに連れ込むおつもりで?」
「いや、いくらなんでも僕だって良いことと悪いことの分別はついてるつもりだよ。実はね、ノザクロで同窓会を開く予定なんだけど、君も来ないかい? コガネ達と親交もあるんだし、パーティーに人が多いに越したことはないからね。せっかくだし朽野さんも誘って」
天野先生達の同窓会……ってことは、あの個性的なヒロインが勢揃いするってことか?
明日は休日だし丁度予定も空いているため、教室の外で待っていた乙女も誘って俺達もお邪魔させてもらうことになった。




