君が主人公だと信じてるから……
修学旅行翌日の振替休日。昼間は月研にいる望さんやノザクロのマスター達にお土産を届け、夕方には月ノ宮海岸近くにあるローラ会長の別荘を訪れていた。
「悪くない味ね」
人がせっかく買ってきてやったお土産をボリボリと食べながら、ローラ会長はそうのたまう。
「右腕の骨がまだ折れてんのに大荷物を持って帰って来る羽目になった俺の身にもなれよ」
「まだ治らないの?」
「今月中に骨がひっつくかどうかぐらいだろ。まだまだギプスと付き合うことになる」
ギプスをつけたままの修学旅行は不便な側面もあったが、これは名誉の負傷だ。もう火傷痕も残ってないぐらいだが、やはり俺はギプスのせいでどうしても怪我人に思われてしまう。
まぁ、あの事件のせいでローラ会長もバッサリと髪を切ったから、やはり別人かってぐらい印象が違って見えるが。それに俺が呑気に修学旅行を楽しんでいる間、彼女もこの間の宇宙船の襲撃の後片付けに忙しかったことだろう。
「でも貴方の様子を見るに、あまり修学旅行は楽しくなかったみたいね。何かあったの?」
相変わらず察しが良い奴だ。確かに俺はせっかく念願の修学旅行へ行ったというのに、ただ疲れたというわけではなく、憔悴してしまっているのだ。
そして俺が彼女の元を訪れたのは、ただお土産を渡しに来たかっただけではない。ましてや修学旅行中の楽しかった思い出をただ自慢したかったわけではない。
俺達には、解決しなければならない問題がある。
俺は不思議な夢を見た。このネブスペ2の世界でも、前世の世界でも俺が体験したことのないはずの思い出が描かれた夢だ。
確かに知っている人間はいた。俺の大学時代の友人、そして幼馴染である月見里乙女。だが残りは全く知らない面子で、俺達はエロゲを作るための同人サークルを立ち上げようとしていた。しかも俺はエロゲ収集担当とかいう謎の役割を与えられ、確かに前世で訪れたことのあるゲームショップが夢に出てきたが、勿論乙女と行ったことのない場所なのだ。
それはあくまで夢のはずだ。色んな記憶がごちゃごちゃになって生まれた荒唐無稽な思い出かもしれない。しかし俺の話を聞いていたローラ会長は、いや月見里乙女は、俺がお土産で持って帰ってきた八ツ橋をモグモグと食べながら言う。
「確かにいたね、飛び級でアメリカの大学院を卒業してた高性能エロゲオタク。私、エロゲを眺めてた彼に声をかけてサークルに誘ったもん」
「お前正気じゃねぇな」
「でも彼すごいんだよ。私が色んな要素を詰め込みまくったから容量の数倍はあるボリュームを圧縮してくれて、ネブスペ2を発売することが出来たんだから」
彼女が言うには、俺の夢に出てきた面々はどうやら前世で本当に実在した人物のようで、後に初代ネブスペやネブスペ2を作り上げた開発チームの原初のメンバーらしい。
「それに、夢の中で入夏と買いに行ってたエロゲ、多分全部持ってたよ」
「奇遇だな。俺も持ってた」
「じゃあ一緒に遊んでた未来もあったかも……?」
「二人で遊んでどうするんだよ」
「そりゃ作中のシーンを再現するしかないでしょ」
「相手がスライムとかオークだったりしたらどうするつもりなんだ?」
「入夏が変身すればいいじゃん」
「無茶言うな」
でも確かに、コイツの反応を伺いながらエロゲをプレイするのも悪くない……いやどう考えても異常なシチュだと思うが、多分どの選択肢を選ぶか衝突することになると思う。それにそういうイベントをどういう感情で見守れば良いんだよ俺は。
「でも、それって入夏にとっては悪夢だったの?」
彼女のその問いに対し、俺はすぐに答えることが出来なかった。彼女のためを思うならば、悪くない夢だったと答えるべきだったかもしれない。
だが、あんな夢を見て何になるというのだ?
「あれが本当に存在した思い出だったなら、少しぐらいは懐かしむことも出来たかもしれないな」
だが、俺達にそんな未来も過去もなかった。
「でも俺にとっては、不気味な光景でしかなかった。今後、どう足掻いても実現することなんて出来ないであろう夢を見たってどうしようもないし……それにどうして、このタイミングでそんな夢を見たのか疑問でしょうがなかったんだ」
この修学旅行は、これまで何度もループを繰り返してきても一度も参加することが出来なかった朽野乙女を初めて加える形で実現したのだ。だからこの期間中は彼女のことに集中したかったのに、それを邪魔したとまでは言わないが、俺を動揺させたのは事実。
「……もしも、前世で私達がずっと一緒だったら、そんな未来もありえたかもしれないね」
俺の答えを聞いた乙女は、シュンとした様子で見るからに落ち込んでしまっていた。彼女がこんな反応を見せることはわかっていた。わかっていた上で俺はそう答えたし、わざわざこんな話を彼女に聞かせたのだ。
「俺は、まだ迷いがあるんだ。自分達の今後に関してな。
ただ……一つ、気がかりがあるんだ」
そして俺はもう一つ、修学旅行で体験した不思議な出来事について彼女に説明した。
勿論カグヤさんのことではない。あの人が見せた夢はきっとただの彼女のイタズラだ。まぁ幽霊が出てくる時点でかなり不思議な体験ではあるが、俺はそれ以上に怖い体験をした。
それは、U◯Jでの出来事。
最終日に色んなアトラクションを巡って遊び尽くした後、トイレに向かった朽野乙女が迷子になった。かつて彼女や琴ヶ岡ベガがこの世界から存在ごと消失するという出来事に遭遇したこともあるため、今回もそうなるのではと俺は恐れたのだ。
実際、そんな未来が訪れていた可能性もなくはなかった。かつて乙女やベガの存在が消えてしまった原因は、月野入夏の魂が転生した烏夜朧がネブスペ2本来のシナリオから逸脱した行動を繰り返したからだと俺達は推測している。
この世界は、そんなネブスペ2には存在しない真エンディングを目指している。ネブラ人の宇宙船の襲撃など新しいイベントが何度も起きているし、初代ネブスペの面々も頻繁に登場している。
しかし、一体真エンディングはどんな結末を迎えるのだろう?
ただ皆が幸せになって終わり、というただの大団円に終わるのだろうか?
じゃあ、俺と朽野乙女とローラ会長との間で起きた歪な三角関係も、いつかは解消されるというのだろうか?
『やっと、二人きりになれたね』
あの時、俺が抱きしめていたのは誰だった?
『朧が、私のことを選んでくれないからだよ』
それは、朽野乙女が烏夜朧に伝えたメッセージだとは思えなかった。
「……なぁ、乙女。一体、この世界はどんな結末を求めていると思う?」
俺達は勘違いしていた。この世界は俺達が作っているわけではない。俺達の思い通りになるわけがない。
この世界を作り上げた月見里乙女は、考えたくはないがきっと……元々は、違う結末を考えていたはずだ。
「もしも、前世の私なら……」
彼女はお土産のお菓子を食べる手を止め、表情を曇らせた。
「少なくとも、私と入夏が……エレオノラ・シャルロワと烏夜朧が結ばれることなんて望んでいないと思う。そんなエンディングは作らない」
本来、ネブスペ2に月野入夏と月見里乙女という人間は存在しない。ただ外の世界から入り込んだ異物に過ぎないのだ。
この世界はかなり現実のように見えて現実ではない。かつて月見里乙女とかいう人間が作り上げたエロゲの中の世界であり、あらゆる登場人物は彼女が用意したイベントを踏んでいくのだ。後々アペンドとかでヒロインを追加していく予定はあっても、きっと烏夜朧とエレオノラ・シャルロワが結ばれるエンディングなんて存在しなかっただろう。
何故なら、烏夜朧は主人公ではないからだ。
「だから私達は、ネブスペ2の物語が終わるであろう三月まで、我慢しないといけないんだね……」
あの時、U◯Jに現れた何かは、まるで俺達に警告を与えているかのようだった。
これ以上、エレオノラ・シャルロワに関わるな、と。
自分が用意したシナリオ通り、朽野乙女を選べ、と。
「嫌だなぁ、そういうの……」
きっと、そんなシナリオを考えていた頃の彼女は、まさかこんな事態に巻き込まれるとは想像もつかなかったはずだ。
だがそうしなければ、取り返しのつかない事態が発生するかもしれないということは彼女も重々承知しているはずだ。次に俺達に襲いかかる危機はもうわかっている、今も太陽系付近を移動しているネブラ彗星こと、ネブラ人が生み出した最終兵器だ。俺達が選択を間違えれば、再びこの世界が滅びることになり、やり直しを強いられる。
今まで何度もループを繰り返してきたが、俺も、彼女も、また同じループを繰り返すだけのメンタルを保てるかどうかは、わからない……。
「これ、お前にやるよ」
意気消沈気味の乙女に対し、俺はリボンで放送された小さな紙包みを手渡した。彼女がそれを開くと、中に入っていたのはキラキラと輝く星のペンダントだった。
「これ……もしかして、私と入夏の……?」
「いや、朽野乙女と夢那の分も買った」
「……やっぱり悪い男だね、入夏」
「皆、俺の大切な人なんだよ」
ありきたりなプレゼントではあるが、少しでも彼女に元気を与えたいと考えた。俺が行動や態度で示すことが出来たら、それが一番なのだが。
すると彼女は手の平の上に乗せたペンダントを笑顔で見つめながら口を開く。
「これがあれば、入夏が私への恋心を忘れることはないかな?」
俺と朽野乙女がイベントを進める上で彼女が不安に思うのはそこだろう。俺達が自由に動けるようになる来年の三月まで、俺が月見里乙女への想いを忘れずにいられるか。
しかしそれは……そこで、朽野乙女との関係を断ち切らなければならないことを意味する。
「そんなに不安か?」
「だって入夏、惚れっぽいじゃん」
「それは否定できないが」
「もう……」
俺達は今、関係を改めなければならない。無事に、この物語を結末まで導かなければならない。
そのために……烏夜朧とエレオノラ・シャルロワは、距離を置かなければならない。俺と彼女はそれで一致した。
「でも、私は」
それが、正解かはわからない。
だが、俺は彼女と距離を詰めるのが怖かったのだ。
「私は、入夏が主人公だと思ってるから……」
俺は、彼女に対する疑念を払拭できない。
彼女は、何か隠しているのではないだろうか?
俺達の今後に関わる、重要な真実を……。




