ボコボコにされたらいいと思うよ
「はい、あーん」
久々の入院生活にも慣れてきた今日この頃。本日の昼食は鶏肉の照り焼きをメインとしたヘルシーな献立なのだが……俺のベッドのそばに座り、スプーンで食事を俺の口元へ運んでくれる少女が一人。
「ほら、あーんして」
「はいはい」
俺が口を開けると、ローラ会長……いや、彼女に転生した月見里乙女が満足そうに微笑んでいた。
「なんかちっちゃい時の事を思い出すね」
「お前にあーんしてもらった記憶は無いが?」
「いや、あるよ。アカシックレコードに刻まれてるはず」
俺は右腕を骨折してギプスを巻かれているが、そりゃ不自由ではあるものの、スプーンを使えばご飯を食べれなくはない。
しかしどういうわけか、彼女はわざわざ昼食時にやって来ると、ニコニコしながら俺の口にご飯を運んできた。
「良いよね、こういうイベント。やっぱり入夏も憧れる?」
「俺はいつも真面目でしっかりものなヒロインが風邪を引いて弱々しくなって、子どもみたいに甘えてくれるイベントが好きだ」
「欲情だだ漏れじゃん」
やはり男というのは頼られたい生き物なのだ。まぁ勿論甲斐甲斐しく看病されるイベントも大好きだけど。やっぱり社会に出て一人暮らしを始めると、体調を崩した時にそういう存在のありがたさを感じるのである。
俺に次々に食事をスプーンで運びながら、彼女は悪戯っぽくニヤニヤしながら言う。
「そして入夏は、汗を拭いてあげるって口実でヒロインの服を脱がせて、華奢で色白な女の子の背中を見て欲情して、我慢できなくなってそのままベッドで行為を始めるんだね……」
「やめろやめろ。流石に病人相手にそんなことはやらん」
「エロゲじゃよくあるけどね、そういうの。どうする? この病院という背徳感をそそる環境で始めるのも……」
「唐突にエロゲを始めようとするんじゃない」
まぁこの世界はエロゲの中だけども、流石に病人相手におっ始めるのは倫理的にどうかとは思う。
俺もこの世界で何度か看病されたり看病したりしたが、なんだろう、この……今までに感じたことのない安心感は。
「俺は、幸せ者だな」
ふと、俺の口からそんな言葉が漏れ出てしまう。それに驚いたのか、彼女は呆気に取られたかのように目を丸くしていた。
「……急にどうしたの? やっぱり何十周もループしてる内に心が老けちゃったの?」
「心が老けたとか言うんじゃない。俺の心はいつまでもピチピチだ」
昼食を食べ終えたところでフゥと息をついて、俺は話し始める。
「かつてスピカやムギ、レギー先輩達とかなり親密な仲だった頃は、色々苦心することはあったが楽しかったんだ。自分にとって大切な人が、自分のことを大切に思ってくれている……でもエンディング回収に勤しんでいた頃は誰かとの好感度が変動するわけじゃなかったから、俺はそういうのとは無縁だった。
お前と別れた後の俺も、そうだった……」
最初のループの頃、俺は訳あってスピカやムギ達のイベントを回収して、それ故に彼女達の好感度が上がったからか半ばハーレム状態にあった。しかしエンディング回収のためループを繰り返していた時は、俺自身が烏夜朧というキャラに扮するのを徹していたからそういったイベントが起きることはなく、変な話だがかつて自分が愛した人が他の人を愛しているという姿をまじまじと見せつけられた。
決して、それが嫌だったというわけではなく、むしろ俺は祝福していたぐらいだったが……彼らの過酷さは知っていたとしても、主人公の誰かに転生していたらどうなっていたのだろうと考えた時もあった。
「正直、今の俺はかなり困ってるよ。勿論お前のことも大事だが……烏夜朧の幼馴染を蔑ろにするわけにはいかないんだ。その二択を悩んでいる俺は情けない奴かもしれないが、でも二人が俺のことを大切に思ってくれてるから、そんな贅沢な悩みをすることが出来るわけで……」
俺は自分でそんなことを話しながら、バカらしいと思って自嘲気味に笑ってしまう。
一体、俺はコイツに向かって何の話を聞かせているのだろう。普段の俺はこんな話をするのは柄じゃないのに……同じくおかしく思ったのか、彼女もクスッと笑った。
「なんだかあれだね。今の入夏も大概エロゲ主人公っぽいね。その板挟みに遭ってる感じ……ほら、主人公には大切な幼馴染が二人がいるけど、そのどちらかなんて選べないみたいな」
「まさにそういう状態なんだろーが」
「あと、幼馴染だけじゃなくて、家族としてではなく異性として兄のことが大好きな妹と板挟みにあってるとか……」
「烏夜朧には夢那がいるんだからややこしいことになってくるだろ」
「でもエロゲだったら、その大切な人のどちらかがゲーム開始時点で既に死んでいて、主人公がその大切な思い出を忘れられなくて……っていう展開もあるよね」
「初代ネブスペがまさにそんな始まりだろうが」
「そういえば私が作ったんだった、あれ」
初代ネブスペの主人公だった天野先生は、八年前のビッグバン事件で幼馴染であるカグヤさんを失っている。彼女との思い出を忘れられず、彼の中でずっと生き続けているカグヤさんの存在に苛まれてしまうのだが……それ自体は結構シリアスな話なのに、幽霊ライフを満喫しているカグヤさんを見ていると台無しのように思える。
「愛別離苦ってやつだな。よく物語のテーマになりがちだが……俺はそれを二重に背負ってるんだよ。二人の乙女分な」
俺は前世で月見里乙女を失い、そしてこの世界で朽野乙女を失った経験がある。俺にとって二人の存在がこんなにも大切なのは、きっとそれがあるからだろう。
だから、困っているわけだけども……。
「ねぇ、入夏」
彼女が俺の名前を呼ぶ。
さっきまでエロゲとかどうとかふざけていたくせに、急に悲しげに笑いながら……彼女は言った。
「私、夢に見るんだ。もしも、前世で私が入夏と再会できていたら、どうなっていたんだろうって……」
前世で俺は彼女を捜索したが、結局再会は叶わなかった。仮に再会できたとしても……彼女は口を開かないどころか、目を開くこともなかっただろうが。
でも、それよりも前に……もしも同窓会だったり、ひょんなことで彼女と再会していたら?
「俺は、どんな顔をすれば良いかわからなかっただろうな」
俺は逃げるように彼女の元を離れた。決して、彼女のことを忘れようとしたかったわけではない、はずだったのに……あんな別れを踏まえてどう顔を合わせればいいか、どんな言葉をかければいいか、俺は迷っただろう。
すると彼女はニコッと微笑んで口を開く。
「大丈夫だよ。出会った瞬間、私が入夏をぶん殴って顔をボコボコにしてただろうから」
あぁそう。俺、思ったよりも彼女から恨まれていたようだ。この世界で出会えて良かったと心の底から思う……いや、それでもお互いに生きて出会いたかった。
そんな怖いことを言いながら彼女は笑っていたが、やはりふと悲しそうな表情をして口を開く。
「でも、もしも……入夏が向こうの世界に帰っちゃったら……」
……。
……俺が、向こうの世界に帰る?
「それ、どういう意味だ?」
彼女の言っていることの意味がわからず俺はそう問うたが、彼女は自嘲するように笑って、首を横に振った。
「ううん、なんでもない。変な夢を見ただけだから」
彼女はシャルロワ家の長女であり、大企業であるシャルロワ財閥の長という立場でもある。そんなプレッシャーのかかる環境なら肉体的・精神的に疲労が溜まるのも無理はない。
だから本当に俺は、彼女がただ悪夢を見ただけなのだろうと思った。
「……次は、良い夢を見られると良いな」
俺は、彼女が放った言葉の意味を深く考えようとはせずに、そう言ったのであった。




