ごめんなさい
月学に存在する大小さまざまな、カオス感溢れる部室が並ぶ廊下を歩いていると、とある部室から歓声が聞こえてきた。それに興味を示したらしいローラ会長についていくと、辿り着いたのはキャップ投げ部の部室。
どうやらキャップ投げを体験させてくれるようで、まさかの生徒会長の来訪にビビっている部員達からキャップの投げ方を教わったローラ会長に対し、俺はバッターとして一打席勝負をすることとなった。
「私が勝ったら何か奢ってね」
「ホームランを打ってやりますよ」
俺も前世では遊びとして野球に触れたことはあるものの、キャップ投げなんてのは初めてだ。そのコンテンツこそ知っているが、こんな細いバットであんな小さなキャップに当てることが出来るか不安だ。
するとピッチャー、ローラ会長はマウンドの印が書かれた部室の隅で、グッと姿勢を低くすると──な、何!? アンダースローだと!?
ローラ会長の投球フォームにびっくりしている内に、ローラ会長が投げたキャップは大きくカーブして、キャッチャーの手の中に収まった。
「アアァイ!」
「なんて?」
意外にも審判のコールの癖が強かったが、どうやらストライクだったようだ。
そうか……忘れていた。そういえばこの世界のローラ会長って何でも出来る完璧超人って設定だった……まさかキャップ投げまでもカバーしてるとは思わなかったぜ。でも知り合いが突然アンダースローで投げてくるのはびっくりするだろ。
続く二球目、スライダーらしきボール(キャップ)は大きく逸れてボールゾーンへ。三球目はストライクゾーンよりやや高めのストライクをファウルフライ、四球目のシンカーもボール、五球目の外へ逃げるスライダーもギリギリで見逃して、フルカウントで迎えた六球目──ストライクゾーンの真ん中へ甘く入ったカーブを捉えたが、ローラ会長の真正面へ飛んでいき、そのままスパッと掴まれてしまった。
「貴方の負けね」
……俺は一体何をしているのだろう。
俺を負かして満足したらしいローラ会長と一緒に部室を出て、廊下を歩きながら俺は彼女に聞いた。
「ローラ会長って野球の経験とかあるんですか?」
「一通りのスポーツなら触れたことはあるわ。キャップ投げは初めてだったけれど、私がこの世界で鍛え上げてきた投球術でねじ伏せてやったわ。私の秘球、ライジングストームを出すまでもなかったわね」
いやどこで習う期間があったんだよ、そんなの。
その後、俺はローラ会長と共に様々なクラスや部活の出し物を巡り──。
「見て、回転焼部よ。いくつか買っていきましょう」
「待ってください、隣に今川焼部とか太鼓饅頭部とか大判焼部とか御座候部とかおやき部もあるんですが?」
「どうしてそんなヘンテコな部活があるのかしら」
「承認したのは貴方でしょうが!」
「それもそうだったわね」
見た目は殆ど一緒だが呼び方が全然違うという謎の饅頭をローラ会長に奢り──。
「あ、解体部がマグロの解体ショーをやってるわ。マグロを食べに行きましょう」
「解体部……?」
「でも出入り口でヴィーガン部が抗議活動をしているわ……」
「この学校の治安はどうなってるんですか」
「仕方がないから昆虫部で昆虫食を食べに行きましょう」
「それ妥協策になってますか?」
この世界で生きている内に何があったのか、カブトムシをボリボリと食べる姿を見せつけられ──。
「意外と美味かったですね、昆虫。あ、ここで今から処刑部が公開処刑するみたいですよ」
「普通に受け入れてるけど、流石に処刑部はおかしくないと思わないの?」
「どうやら学校にエロ本を持ってきた生徒の性癖を暴露してるみたいですね……」
「本当の公開処刑じゃないそれ」
昆虫を食べたことによって俺の感覚が狂ってしまったのか、俺が段々とこのカオスな世界観を受け入れていきながら、星河祭を楽しんでいた。
「この唐揚げ、美味しいわね。どこで買ってきたの?」
「それはネブラガエルとネブラワニの唐揚げだな」
「貴方は私に恨みでもあるの?」
「ないことはない」
段々と日が沈み始めた夕方。星河祭の終わりも近づく中、学校内を練り歩くのに疲れた俺達は、誰もいない生徒会室にて屋台で買ってきたご飯を食べていた。なんだかいつにも増してゲテモノばかり並んでいた気がするが、気のせいだと思いたい。
「これで暗い気持ちも多少は晴れた?」
「さぁな。お前がポールダンスでもすれば多少は元気も出るかもな」
「残念ね。この学校にポールダンス部はないのよ」
むしろある方が珍しいだろそんなの。
勿論、ローラ会長と二人で校内を巡っていたのは楽しかったが、こうして落ち着くとつい溜息が出てしまう。そんな俺を気遣ってか、ローラ会長は口にネブラワニの唐揚げを運ぶのを止めて俺に言う。
「……ねぇ、入夏。一体何があったの?」
俺は買ってきたジュースに口をつけかけたまま静止した。だが俺は彼女と目を合わせず、黙ったままジュースを喉に流し込む。
するとそんな俺に苛立ったのか、ローラ会長は、いや月見里乙女はダンッと机を叩いて席から立ち上がって言った。
「入夏。私に隠し事、しないで」
……お前も大概、隠し事は多いだろうに。
だが彼女の言葉は、俺の身を案じてのものなのだ。俺は観念して、大きく溜息をついてから言う。
「この前、朽野乙女とデートに行ってきたんだが……観覧車の中で告白されて、キスもされた」
俺がそう告げると、彼女は驚きのあまり手に持っていた割り箸をポトリと落としてしまった。
「え、え? えぇ、え? じゃあ今、乙女ちゃんと付き合ってるの?」
「いや、断った。一応言っておくが、キスは向こうから一方的にされただけだ」
俺の悩み事が余程予想外だったのか、彼女はかなり動揺した様子で目をパチクリとさせていた。
これまでにも、もし乙女が俺……いや、烏夜朧の皮を被った俺に好意を抱いてしまったらどうしようなんて笑い話のように話していたが、それが現実となってしまったのだ。
「俺は、烏夜朧として間違った行いをしてしまったと思っている」
朽野乙女にも、烏夜朧に対しても申し訳無さや罪悪感でいっぱいだ。
「俺は、朽野乙女を幸せにしたいって、思っていたはずなのに……」
きっとどれだけ事前に準備を整えていたとしても、覚悟していたとしても、俺はその選択肢しか選ぶことが出来なかっただろう。
この世界に、月野入夏という存在がいる限り……。
「入夏……」
彼女は俺の名前を呟くと、フラフラと体をよろめかせなばら俺の方へやってきて、そのまま俺の体に抱きついてきた。
「……ごめん、なさい」
俺の胸に顔を埋めて、彼女はそう言った。
「私のせいで、貴方を悩ませてしまって……」
違う。
違うだろ、乙女。
「ごめんなさい……」
いつもみたいに調子に乗って、おどけてみせろよ。昔のように、朽野乙女より勇気はなくとも……いつまでも、俺を愛してくれた月見里乙女のように……!
「こんな世界に貴方を連れてきて……ごめん」
だから、お前には話したくなかったんだ。
きっと、彼女は俺が朽野乙女の告白を断った理由に気づいたはずだ。自分の存在があったからだ、と。
だから、俺を迷わせないように……自分の存在をこの世界から消すという選択を選ぶんじゃないかと、怖れているんだ──。
その時、何の前触れもなく耳をつんざくようなベルの音が学校中に、いや月ノ宮の町中に響き渡った。聞き慣れない警報音だったが、これからこの世界で何が起ころうとしているのか、俺は瞬時に気づいた。
「……来てしまったようね」
生徒会室の校庭側の窓を開くと、黄昏時の空が眩く光り輝いていた。それはネブラ彗星の到来を告げるものであり─光り輝く空にポツンポツンと黒い物体が浮いているのが見えた。
「あれが、船団か……」
とうとう、敵のネブラ人の船団が地球への総攻撃を始めるのだ。最初は数個ほどしか見えなかった宇宙船の数が段々と増えていき、やがてそれがおびただしい数だと思い知って、俺は恐怖を覚えた。
校庭や校舎内では教師やシャルロワ家のSPが生徒達を避難誘導しており、宇宙船迎撃のために複数の無人機が空に飛び上がっているのが見えた。
そして俺もローラ会長と共に生徒会室を飛び出したが、ローラ会長は地下のシェルターではなく、逆に屋上への階段を登ろうとしていた。
「おい、どこに行くつもりだ!?」
ローラ会長はピタッと足を止めると、俺の方を振り返って笑顔を向けた。
「私はシャルロワグループの長として、ネブラ人の代表として、この災厄の終わりを見届けないといけないの」
そうか。
もっともらしい理由だな。
「じゃあ、俺もお前の側にいる」
俺はそう答えて、ローラ会長と共に屋上への階段を駆け上がった。




